22 兄の苦労
第6分隊の隊員マキニスは、疲れた身体に鞭打って、妹エレインの住む治療院附属の女子寮を訪れる羽目になっていた。厳重に石壁が巡らされた中、南面に正門が設けられている、その前である。
「お兄ちゃん!」
自分の到着に気付いたエレインが、制服である治癒術士のローブ姿のまま寮から出て駆け寄ってくる。
正門前には守衛室もあり、マキニスは中年女性の守衛に用向きと職員であるエレインの兄であることを告げた。何度かは来たことがあり、守衛も苦笑いである。
マキニスはうんざりしつつも、可愛い妹に小さく手を振った。
「バーンズさん、なにか言ってた?」
期待を込めた眼差しでエレインが問う。
デートの状況は聞いている。
「いや」
マキニスは首を横に振るしかなかった。
実際、エレインのことについては何も言われていない。最初に『楽しかった、世話になった』と悄気げた顔で言われたきり、雑談すら無かった。
(つまり、脈無しだ)
妹には悪いがマキニスとしてはそう思っていた。何か粗相があったのだろう。見た目は栗色の髪に可愛らしい顔立ちの妹だが、元気の良すぎるきらいがある。バーンズと何処か合わなかったのかもしれない。
「そっか」
悄気げてうつむいてしまうエレインである。
聞けば聖女クラリスを叩き起こしに来た際、警護についていたバーンズを見て、一目惚れしたらしい。伝手があまり無くて妹は自分を頼ったのだった。
(確かにバーンズ隊長はあれで人気があるからなぁ)
副官のマイルズなども誰かを紹介しようという気配があった。今はただの分隊長とはいえ、やがて出世するであろう分隊長である。若くて見た目も悪くない。当初、エレインも良いところに目をつけたものだと感心したのだが。
「飯でも食いに行くか?」
マキニスは元気づけるつもりで妹に告げる。
もうエレインも酒を飲める年齢にはなった。自棄酒ぐらいなら付き合ってやろうと思っていたのだが。
「ううん、お兄ちゃんとはやだ」
当たり前のような顔でエレインが首を横に振る。
「しかも、お兄ちゃん、私に奢らせる気でしょ?」
じとりとした視線を、バーンズ紹介をしてもらった借りのある兄に向けて言うのである。
当然、そんなつもりはさらさらない。
「失敬な。妹にそんなみっともないことをするか」
むん、と胸を張ってマキニスは宣言する。
「どうだか。どうせ本とか薬草とか買い漁って、カツカツなんでしょ?いつも私のほうがお金出してるじゃない」
今度はエレインが薄い胸を張って言う。可愛らしいが色香ではあまり主張のある方ではない。
「そんなこともあったかな」
マキニスはわざとらしく首を傾げてみせる。確かに書籍代にはいつも困窮しているのだった。
「安心しろ、この間の特殊任務の手当が下りたばかりだ。今日は大丈夫だ」
幾枚かの金貨を見せて、マキニスは告げる。2日後ぐらいにはなくなっているだろう。書店へのツケが溜まっているので清算しなくてはならない。
「せめて、しばらくは、って言ってよ、もうっ」
呆れ顔でエレインが言う。
「お前みたいに金のかからない仕事には就けなかったからな」
マキニスは若干の羨ましさもあってこぼす。
代々、医師や衛生兵といった、医学に携わる家柄だった。自分たちが理詰めで苦労していることを、エレインだけは魔術であっさり治してしまう。
(大事なのは治癒するって結果だが、治癒魔術無しでも治す努力をしなけりゃだめさ)
マキニスは自身や妹の立ち位置についてはそう納得をつけていた。
そして、医学と薬学を中心として学びつつ、実地でしっかりと学びたいと思い、軽装歩兵部隊に入隊したのである。けが人の絶えない環境というのは最高の学び場であった。
「何よ、私だって大変なのよ?ルフィナ様、結構、無茶振りするし、私、通常業務だって、怪我人も病人も両方、診なきゃだし。聖騎士様とか聖女様とかの診察にまで同行させるのよ?」
エレインが一気に並べてまくし立ててくる。
聞く限りでも確かに大変そうだ。労う意味も込めて、マキニスは頷く。
たまたまマキニス家では珍しく魔力持ちとして生まれてきたのがエレインだ。父母のみならず自分にとっても自慢の妹であり、聖女と称されるルフィナからの期待も厚いのだ。
(ルフィナ様づきってことは、間違いなく期待の若手ってことだからな)
マキニスとしてはつくづく鼻が高いのだった。
思うにつけて、そんな可愛く優秀な妹が振られるなどあり得ない気がする。
「なぁ、お前、隊長とは本当のところ、どうだったんだ?」
気になってしまい、マキニスは真面目な口調で尋ねた。
「どうって、私は楽しかった。バーンズさんもずっと、楽しそうに笑ってたわ。楽しくしてくれてるんだ、って思ってた」
しみじみとした口調でエレインが言う。
ずっとかしましい子供だと思っていた妹の、初めて見せる表情だ。
「私一人で盛り上がって、楽しかっただけで、バーンズさんはつまんなかったのかな?刺客をやっつけたのも格好良かったけど。そもそも武器持ってきてたし、何か仕事の偽装?みたいなことでデートしてただけなのかな?」
エレインの痛切な表情には、マキニスも痛ましくなる。 あの手甲鈎をジャケットの袖に隠していたらしい。結果、役に立ったようだが、女子としては思うところもあるのだろう。
「私、うるさいし、やだったのかなぁ」
とうとうエレインがしゃがみこんでしまう。これは幼い頃からの落ち込んだときの癖だった。
「そんなことはないと思うんだが」
マキニスは悲しげなエレインの栗色の後頭部を見下ろして告げる。
「じゃぁ、なんであれっきり話が無いの?楽しかった、良かったっていうなら、私かお兄ちゃんに、次の約束の話、するでしょ?」
確かにエレインの言うとおりだった。
バーンズから何の話も無いという事実だけが自分たちの前には横たわっている。
(そもそもが、そもそもだからなぁ)
デートの発端もエレインから、ということでかなり思い切ったところから始まっている。
受けてくれたのも自分の顔を立ててくれただけなのかもしれない。
「いろんなお話して、初めて会ったときも何かピーンってきたのに」
しゃがんだままエレインが呟き続けている。細く白い指で土に薬草の名前を書き並べていた。
いつも明るく元気な妹が落ち込んでしまっている。マキニスも胸がいたんだ。
(いや、待てよ)
マキニスは煮え切らない上司の態度を思い出していた。
「そういえば、収入がどうの、とわけわからんことを言ってたな」
何か妙な勘違いをお互いにしているだけの可能性も否めない。
「えっ?」
エレインが顔を上げた。
「お前が可愛すぎて、勝手に身を引こうとしている可能性が、あの人にはあるからな」
以前にもヘイウッドが若い女友達を紹介しようとして、やっぱり逃げられていた。
バーンズというのは奥手なのだ。
「俺の方から、ちょっと突っ込んで話してみる」
意を決して、マキニスは宣言した。今までは『2人とも子供ではないのだし』と却ってぶち壊しても悪いと思っていたのだが。今のままでは妹がただ悩んでしまうばかりだ。
「本当っ?!」
パッと顔を輝かせて、エレインが立ち上がる。
「え?うん、おお、兄さんに任しとけ」
ドン、と胸を叩いてマキニスは宣言した。
「ありがとうっ!お兄ちゃん、大好きっ!」
上手くノセられただけなのかもしれない。
マキニスは思いつつも、もう後には退けないと心を決めて、女子寮へと弾む足取りで戻る妹の背中を見送るのであった。




