2 聖女救出
シェルダンからの特命を受けて、バーンズら第6分隊は夜闇に乗じて密かに国境を越えた。特に壁があるでもなく、両国の兵士がお互いに巡回する程度だ。
(もともと同盟国だしな)
人目のない隙に進軍しただけである。バーンズは暗闇の中、目を細めた。
だが当然、勝手に侵入して良いものではない。
周辺への警戒を怠ることなく7人で進む。国境自体は平地だが、フェルテア大公国国内に入ると山地である。斜面を見上げながら進む格好となった。
「いいんですか?こんな任務」
ヘイウッドが無駄口を叩く。他の皆は緊張して息を詰めているのである。
すかさず、副官のマイルズが殴って黙らせてくれた。
誰もが言うまでもないことだと分かっている。好戦的なジェニングス以外が一様に緊張していた。ジェニングスだけは楽しそうなのである。
遠くの方で騒がしい音がした。他の誰も反応しない。聞こえたのは自分だけだからだ。
自分も軍務を積んでいく中で、人より目と耳が並外れて良いということを知った。他の面子には聞こえない音も耳が拾う。
バーンズは部下たちに『停止』を手ぶりで命じた。そのまま葉の多い木を選んで登る。
(シェルダン隊長の狙いはこれか)
怒号に加えて、何か呼びかけ合うような声だ。
バーンズは背嚢から細い筒を取り出し、音のする方へ目を向ける。遠くの物も近接しているかのように見える、遠眼鏡という道具だ。
(あれか)
山の斜面を見上げる。木々の合間を駆け抜けていく騎兵が見えた。練度は悪くない。馬も小さく山地に適した種類なのだろう。斜面や木々をものともせずに駆けているのだから。
10騎ほどであり、皆、同じ青みがかった白い鎧を身に纏っている。
「フェルテアの騎兵だな」
バーンズは動きを遠眼鏡で追いながら告げる。
「いつもながら、隊長のそれ、便利ですね」
ヘイウッドがうらやましげに言う。他に使用している軽装歩兵もあまりいないのだった。
「やめておけ、馬の脚を追って捕捉できるのは隊長ぐらいのもんだ」
ビルモラクが苦笑して告げる。
確かに遠眼鏡を使うと視界が近くなる分、狭まってしまう。速く動くものを追うのは難しい。自分も慣れるまで時間がかかった。
「誰かを、追っているようだ」
バーンズは騎乗の男が時折、キョロキョロと辺りを見回していることに気づく。
シェルダンを見ていて、生き延びるためには工夫を惜しんではならないのだ、ということを学んだ。魔塔の中でともに戦えたことは無い。だが、ミルロ地方付近の魔物駆除、そしてカムロス平野の戦いでは、その指揮下で戦っている。
(本当に凄い人だ。魔塔の勇者たちみたいに、広く知られてはいないけど)
本人が巧妙に立ち回って秘匿してきたらしい。
だが別件で、第1ファルマー軍団に異動してからもシェルダンの能力を見せつけられ続けている。
(俺は俺だ。俺にしか出来ない技能もある)
バーンズは遠眼鏡を外して、斜面全体を俯瞰した。
しばし漠然と眺め続ける。部下はただ待機していた。
「うん」
頷いた。
視界の隅で何かが揺れた気がする。騎兵たちよりも幾分、ドレシア帝国との国境寄りだ。
「見つけた」
告げて、バーンズは再び遠眼鏡でその付近を探る。
きれいな銀色の髪をした女性と、灰色の髪の男性とが連れ立って斜面を下ってきていた。2人ともしきりに後ろを気にしている。
「騎兵が追っかけてて、徒歩の2人組が逃げてくる」
バーンズは遠眼鏡を外して部下たちに告げる。
「逃げている2人のうち1人は女性だ。対象の、聖女様じゃないかと思う」
さらに付け加えた内容にジェニングスがニヤリと笑みを浮かべた。
「どうしますか?」
副官のマイルズが尋ねてくる。どんなときでも冷静だ。口調がいつも揺らがないのだ。
「シェルダン隊長の指示どおりだ。騎兵を殲滅して、聖女たちは保護する」
肩をすくめてバーンズは告げる。
(あの人、自分が簡単にできるからって、何でも気軽に命じてくるんだから)
追手が騎兵であることもシェルダンならば読んでいたはずだ。つまり、7名で騎兵を上手くやれ、という命令なのである。シェルダン本人ならば、あの鎖鎌で簡単に殲滅してしまうのだろう。
「分かりました」
マイルズの冷静さが羨ましい。
「ハハッ、敵国の精鋭騎兵が相手か。こいつはいいや」
高笑いしてジェニングスが言う。ジェニングスの能天気さもバーンズは羨ましいのだった。
「敵国とも違う。今のところは」
バーンズも苦笑してたしなめるに留めた。
敵対しないように7名で秘匿の任務なのだから。
「しかし10騎というのは重たいですな。こちらは7名しかいない」
ビルモラクがバーンズの考えと同じことを告げる。
「ただ倒せばいいってだけのことじゃない。だから隊を2つに分ける」
バーンズはビルモラクだけではなく全体に告げる。
「俺はジェニングス、ビルモラクと3名で騎兵どもを皆殺しにする。他の面々は聖女様の保護だ。護衛の男は殺気立ってるだろうから、上手くやれよ」
バーンズは指示した。分隊の中でも精鋭で挑む。そして直接、聖女と接する方には、自分より人間力と常識のあるマイルズを含める。揉めることなく上手くやるだろう。
6名の部下が頷く。
単純に交戦し殲滅することだけが目的ではない。
(フェルテア公国とドレシア帝国との国際問題にもなりかねない。関与したという証拠は残せない)
バーンズはジェニングスとビルモラクを率いて藪に紛れて斜面を登る。馬の蹄が自分の耳にはよく響く。相手の居場所は筒抜けだ。
「よし、ここでいい」
バーンズは足を止めた。
「ビルモラク、やってくれ。俺の指示どおりだ」
片刃剣の鞘で数カ所をバーンズは指し示す。
「了解」
ビルモラクが詠唱を開始した。口の中でモゴモゴと常人には理解出来ない言葉を並べる。
かつて、従軍魔術師だったというのがビルモラクの珍しい経歴だ。主に土を操る魔術を得意としており、地面にコブや壁を作るのが特に上手い。
「モグラ塚」
ビルモラクが両手を地面につける。
バーンズの指し示した地点、土が隆起した。
「ぐわっ」
先頭の騎兵、馬が躓いて落馬した。さらに3人が巻き込まれて落馬してしまう。ここで斬りかかって交戦するわけにもいかない。
バーンズたちは息を潜めていた。
「くそっ」
前に障害物があらわれたことで、後続の騎兵が立ち止まる。
フェルテア大公国は長年平和だった。眼前の騎兵たちも練度は悪くないが、あまり実戦慣れしていないようだ。
(シェルダン隊長なら鎖鎌で離れた場所から皆殺しにしちゃうんだろうな)
なんとなくバーンズは思う。選択については常に苛烈で冷徹だった。
自分はシェルダンではない。鎖鎌の技術や知識もない代わりに、感覚が優れている。大事なのは持ち味をどう活用していくか、だとバーンズは思っていた。
(俺は、俺だ)
シェルダンのようにはなれない。それでも同じ地位について部下を率いている。
馬を失った4名が引き上げていく。残りの6騎が追跡を継続するつもりのようだ。
「いくぞ」
バーンズは低い声で告げた。
さらに下った地点で同じことをもう一度やるつもりだ。
「さすがですな」
ビルモラクが呟く。
「いつもながら、どこで土を隆起させるべきなのか。隊長はいつも的確だ」
もう30歳をいくつか超えているのだという。
「大したことじゃない」
一流ではなくても魔術の扱える人間がいてくれている。バーンズとしては分隊の強みをただ活かしたいだけだった。
「俺の出番はないか」
ジェニングスがつまらなそうに言う。
「そのつもりだ」
バーンズは告げると、また手振りで合図した。3人で止まり片刃剣の鞘で隆起させる地点を指し示す。
(さてと)
ビルモラクが頷いたのを確認すると、バーンズは2人から離れた。
バーンズの両手の前腕部には鋼鉄製の手甲が嵌められている。手甲の先は鉤爪となっていた。手甲自体はリュッグという人が考案したものらしい。
鉤爪を利用して手頃な大木の幹を上っていく。
太めの枝に隠れてバーンズは息を潜める。気配を消すのもシェルダンに鍛えられて得意になった。気づかずに眼下を騎兵が駆けていく。
(よし、やれ)
自分が思うのと同時にビルモラクが地面を隆起させる。
(警戒されていたか)
2度めは後続がすぐに反応したので2人しか落馬させられなかった。別に構わない。
棒立ちになった騎兵の頭上から飛び降りて襲いかかる。地に降り立ったときには馬上の2名の首筋を鉤爪で斬り裂いていた。
(だが、これで残りは2騎だ)
流血し馬から崩れ落ちる2人を尻目に、バーンズは馬の脚に鉤爪を突き立てる。
「な、なんだ!敵襲っ!」
竿立ちになった馬を押さえようとする騎兵が叫ぶ。その顔に鉤縄を投げつけてやった。
「ぎゃっ」
あえなく息絶えて落馬する。
バーンズは最後の1人と向かい合う。
「な、なんだ、貴様は」
訊かれたところで答えるわけもない。
バーンズは無言で鉤縄を放る。
「くっ」
距離を詰めてしまえば騎兵の強みは活かせない。
鉤縄に注意が逸れたところを、また馬の脚を鉤爪で斬りつける。
「ビヒィッ」
馬が力なく足を折った。
「ぐぅっ」
とどめを刺す前に騎兵が倒れる。
後ろからジェニングスが背中を斬りつけていた。
落馬していた2名も馬の下敷きとなったところを同様に仕留めている。
「よくやった」
バーンズは労う。
「さすが隊長、仕事が楽だ」
ジェニングスが笑って応じる。上手く10騎を殲滅することが出来た。ビルモラクも笑顔で頷いている。
(あとは、マイルズたちは上手くやったかな?)
バーンズは騎兵と騎馬の亡き骸を尻目に思うのだった。