196 大神官の恋路について1
フェルテアの魔塔攻略失敗の報せは聖山ランゲルのあるミルロ地方にまで届いていた。幸い、聖女らが落命はしなかったとのことで、さらなる災禍の続報は無い。
(たとえ、マズいことがあったとしても、今、私はそれどころではない)
大神官レンフィルは聖山ランゲルの最奥にある神殿の応接室にいた。極めて個人的に重要な来客を待つのである。
何日も前から部屋を掃き清め、ガラス製の机には埃1つない。床の白い大理石も自分で磨き上げた。床に膝をついているところを見つかって、側仕えの者には悲鳴をあげられたのだが。
「ねぇ、ピート、私の髪、今日も変ではないわよね?」
後は我が身である。レンフィルは姿見の大鏡で自身の容姿を丹念に確かめていた。まず自分の姿で他者が注視するのは特徴的な白髮なのだ。
久し振りにレンフィルは自ら髪の毛に櫛を入れ、身だしなみを整えている。いつもは女性神官にしてもらうことが多いのだが。
今は応接室には数名の女性神官と側近の神官ピートが控えている。さすがに一対一で外部の人間とは会わせてもらえない。
「はい。いつもどおり、見目麗しく、神々しくあらせられます」
わざわざ調べて学んだらしい褒め言葉をピートが無表情に告げる。
女性神官がクスリと笑みをこぼした。レンフィルよりも30歳以上年上の、禿頭の神官が褒め言葉を調べたということが、どこか面白かったのだろう。
「神々しいでは困るのよ。親しみやすさがないと。あの人は萎縮する一方だわ」
レンフィルは改めて鏡を見て顔をしかめる。困ったことに自分は幼いときから美しい。
(自惚れではないみたいなのよね。あの人も私を初めてみたときは凍りついてたし)
大神官なのだ。余人にはない量の法力を有してもいる。溢れんばかりの法力が自身の見た目にも影響を与えているようだ。浮世離れした雰囲気となっていた。
つまり、近づきがたい。好きな相手の方から近づいてほしいというのに。
「ブロング伯爵閣下は、妙齢の女性というだけで、一歩も二歩も退くお方かと」
更にピートが表情を変えずに言う。
『ブロング伯爵』というのはガードナー・ブロングのことである。雷魔術に優れ、旧アスロック王国との戦闘では王太子エヴァンズを討ち取った功績で伯爵となった。
(ガードナー様、名前を聞くだけでも胸が躍ってしまうわね)
レンフィルは顔をしかめる。
同じく伯爵家であった実家では疎んじられてきたらしいが、明らかに実家の面々よりも魔術の面では優れていた。
伯爵になるまでの経緯、社交界などというものについては、存在すら知らないという世間知らずも相まって、ガードナーには結婚相手の候補すらいない。
「だから、私の方から歩み寄るのよ。一歩でも二歩でもガンガン押していかないと」
ぐっと拳を握りしめて、レンフィルは告げる。
女性神官たちが拍手をして応援してくれた。
「大神官様のお言葉とも思えません」
ピートが大袈裟にため息をついた。
別にガードナーとのことを反対されているわけではない。教義では大神官も結婚できるため、むしろピートも好意的だ。かねてから苦言を呈されているのは、あくまでことのすすめ方なのであった。
「大神官だからこそ、結婚しなくちゃでしょ。世襲なのよ、世襲。私も人の子で、親がいるの。私に子供ができるなら、私が当然、その親よ。私にだって、母上も父上もどっかにはいるのよ」
レンフィルは力説してやった。
両親については本当によく知らない。自分が法力を発現するなり、大神官としての置物の仕事を押し付け、布教や巡礼の方がしたいとはしゃいで、連れ立って聖山から出て行ったからである。今も一応、他国で教義のため、勤めているとのことだが、なんとなく生物的な親としては尊敬出来ないのだった。
「先代大神官様ご夫妻は、現在、東の隣国チルクにいらっしゃるそうです」
大真面目にピートが告げる。親代わりだったためか、娘のレンフィルを差し置いて、いまだに連絡を取り合っているらしい。
「そういうことじゃなくて。私は生き物として、至って自然なことをしているってだけの話よ。ため息ついたり、不満な顔されたりすることじゃないでしょ」
憮然としてレンフィルは告げるのだった。
不満であるのは、ピートら腹心からの応援が足りないということである。
まして、今日は北での任務から帰ってきたガードナー・ブロングが自分の下へと挨拶に来てくれる日だ。
(終わってすぐに、ここへ来てくれるということは、好機ではあるということよ。私のことを悪く思っているわけがない)
レンフィルとしては数ある勝負どころの一つなのであった。
「信徒神官一同、ブロング伯爵閣下が、大神官様のお相手であるとしても不満はほぼありません。ですがブロング伯爵閣下は失礼ながら奥手であり、大神官様もこういったことにはお上手ではない、以上、皇帝陛下に仲を取り持っていただいたほうがよろしいかと」
不満もあらわにピートが言う。今までに何度もした話だった。
「絶対にイ・ヤ」
レンフィルは告げて、ピートを睨みつけるのであった。




