178 北方にて
聖女クラリスがドレシア帝国北部に築いた、第4ギブラス軍団の駐屯地を訪れた。ドレシア帝国来訪の目的地は皇都グルーンだという。わざわざ立ち寄ったと言う格好だった。
(まさか、本当にあらわれるとはな)
先だっての連絡を受けてはいるが、第4ギブラス軍団指揮官のリオル・トラッドとしては、意外なことである。
「一体、何をしに来てくれたのやら」
リオルは自らの立派な天幕の中で呟く。
前回、フェルテア大公国の聖女クラリスがドレシア帝国にやってきたのは、ミュデスによる迫害のせいだった。
そのミュデスを失墜させた以上、聖女クラリスにはドレシア帝国を訪れる理由はない。フェルテア大公国で安心して過ごせるのだから。
少なくともリオルはそう思っていた。
(実際、情勢はかなり落ち着いている)
聖女クラリス自身、連れているのは護衛のシャットン一人だという。魔物ですらほとんど姿を見せないのだ。
「将軍閣下、フェルテアの聖女クラリス様です」
部下が天幕の外から大声で告げる。
「入ってください」
部下ではなく、聖女クラリスに向け、リオルは丁重に告げる。
白銀の髪色に紫の瞳を持つ可憐な美少女が、純白のローブを身に纏って、リオルの天幕に入ってきた。不粋な護衛も一緒だが、とりあえずはクラリスを再度見られたことを、リオルは素直に喜ぶ。
「これはこれは、聖女様も護衛君も、魔塔ではご活躍だったそうですね」
リオルは挨拶も抜きに告げた。嫌味ではなく、距離の近さを相手に知らしめるためだ。自分は聖女クラリスに対しては無条件で味方なのである。
だが、代わりに返された反応は当惑だった。
「いえ、その」
聖女クラリスが口籠る。俯いて、もじもじし始めてしまった。
「皮肉ですか?あの魔塔が今も立っていることへの」
シャットンが険しい顔で告げる。
辺境伯でもあるリオルに対して、非礼気味ではあるが、咎めづらいのはシャットンがフェルテア大公国の人間であり、さらにその前は旧アスロック王国出身であるせいだ。
シャットンの立場では何が礼儀作法上、正解なのかも分からないのである。だから『非礼』ではなく『非礼気味』なのだった。
「成功だったろう、あれは。ドレシア帝国の国境を越えて向かってくる魔物が皆無となったのだから。少なくとも住民たちは大いに喜んで成功と思っているだろうね」
笑ってリオルは応じる。世辞ではなく本気だ。
一時は魔物の襲来に悩まされ続けていたが、魔塔攻略前ぐらいから姿が減り始め、今ではほとんど見かけもしない。
(だから、第1階層での戦いが重要なのさ)
中でかなりの魔物を駆逐し続け、魔物の数を削ぐことで瘴気もかなり消耗させたのだろう。
「ですが、私たちは魔塔の主に、5つ首の鷺に勝つことが出来ませんでした。あれさえ倒せれば、もう終わっていたというのに」
心底悔しそうにクラリスが自分の顔を見据えて告げる。
(変わった、な)
リオルはおや?と思う。
自身で失敗と断じつつも、悄然としているわけでもなければ、落ち込んでいるわけでもなさそうだからだ。
覚悟を決めている人間のような顔つきに、リオルの目には映るのだった。
「次は必ず勝ちます」
静かにクラリスが宣言した。やはり、語気とは裏腹に力強い言葉だ。確信にも満ちている。
シャットンが隣で驚きの表情を浮かべていた。今までのクラリスからは想像も出来ない言葉だからだろう。
(そりゃ、人間なんだから誰しも変わりもすれば強くなりもするものさ)
リオルは笑いたくなってしまうのだった。
護衛として近くにいながら、まるで変化に気づいてはいない。ろくに会話もしなくなっているのではないか。
(だが、気になるな。男の影がなんとなくクラリス殿の周囲にちらついている気がする)
クラリスの美しい顔をまじまじと眺めて、リオルは勘繰るのだった。
ただの失敗を糧に、という言葉では考えられないぐらい、あの大人しいクラリスが奮起している。
「しかし、ここには、どのようなご用件で?」
あくまで礼儀と節度を失することなく、リオルは微笑んでクラリスに会話の水を向けた。
(これでは、本当にただの物資供給係だ)
リオルはため息をついた。
自分も本当は魔塔攻略に参加したかったのである。それが入ることすらかなわず、ただ用向きを訊くだけとなっていた。
(上層攻略に参加したのは、シェルダンの子飼いの部下1人と治癒術士1人だという)
シェルダンの部下ということであれば、当然、軽装歩兵だ。かつては、本人も何度か魔塔上層に上がっている。
(おそらくはあの、バーンズという子飼いを送り込んだんだろう。腕は立つがあくまで一般兵としては、だ。斥候としては卓越していても、戦闘では役に立たなかったんじゃないか?)
バーンズのことはリオルもよく知っている。ここ数年、シェルダンの重要な作戦ではことごとく活躍し、頭角をあらわしていた。
だが、バーンズの真骨頂が戦闘にはない、ということもリオルは知っている。
「私に出来ることであれば、何でも致しますよ」
魔塔に上がる事も含めて、内心で付け加えつつ、リオルは告げるのであった。




