17 北部国境の情勢
第1ファルマー軍団軽装歩兵連隊を率いてシェルダン・ビーズリーがフェルテア公国との国境に来ていた。北方を縄張りとする自分の第4ギブラス軍団も当然、出撃している。
「まったく、誰も物を知らないのか」
密かな声でシェルダンが毒づく。
立った直後の魔塔からは常よりも多く魔物が出現するとのことで、わざわざ皇都から出てきてくれたのだ。相変わらず動きが良いのである。
(どんな魔塔か、外で戦っておくことで、入らずとも窺い知れる部分もあるから、と本人は言っていたがな)
第4ギブラス軍団の指揮官であるリオル・トラッドは思い返していた。爵位としては伯爵。辺境伯と名乗っている。
つまり、情報収集はシェルダン自身のためでもあるらしいのであった。
山から無数の鳥が飛来してくる。
「あれは、チラノバードという鳥型の魔物です。追い詰めると羽毛を冷気に変えて反撃してきます」
鳥ではなく、カラスぐらいの大きさの魔物なのであった。
灰色のチラノバードを指差してからシェルダンが鎖分銅を回転させた。
「ゆえに」
シェルダンが立て続けに鎖分銅を放る。
瞬時に自分たちの近くまで至ったチラノバード数羽を、頭を撃ち抜いて仕留めてしまう。
「このように一撃で仕留めます」
相変わらず舌を巻くような腕前なのであった。中距離戦では屈指の実力者だ、とリオル自身はシェルダンについて思っている。
「相変わらず、昔と変わらず魔物に詳しいな」
リオルは自らも弓に矢を番え、ひょうと放つ。
立て続けに何発も放って、視界に入るチラノバードを片端から仕留めていく。
第1ファルマー軍団の指揮官アンス侯爵子飼いの、分隊長から叩き上げの部将がシェルダン・ビーズリーだ。
自分と同じく今年で26歳になる。
「皆様が知らなさ過ぎるのですよ。まぁ、なるほど、私のような下々が知っておいて、都度、お伝えすればよろしいと。そういうことですか」
皮肉たっぷりにシェルダンが応じる。
アンス侯爵の隠し子ではないかと噂されるほど、性格も口も悪いのであった。
「自分だって、精鋭第1ファルマー軍団の軽装歩兵全体の総隊長だろう?おまけに子爵様じゃないか」
リオルは笑って告げるのだった。
シェルダンが忌々しげに舌打ちして、リオルの頭部めがけて鎖分銅を放ってくる。迫りくる鎖分銅が風を切って素通りした。
振り向くと背後に赤い怪鳥がいる。首に巻き付いた鎖を、いつの間にか飛びついていたシェルダンが背後から締め上げた。
「これはレッドネックといいます。人間1人くらいなら軽く掴み上げますのでお気をつけください」
何食わぬ顔でシェルダンが告げる。
「助かった、ありがとう」
笑って素直に礼を言うと、またシェルダンが嫌な顔をする。この男は素直な相手が苦手なのだ。
「まぁまぁの魔塔というところでしょうか」
シェルダンがフェルテア公国の方を見て告げる。聳える山が視界を遮っていて、魔塔の姿までは見えない。
旧アスロック王国領でリオルも見るたびに陰鬱な気持ちになったものだ。
第4ギブラス軍団と増援のシェルダン率いる歩兵連隊とでフェルテア公国との国境警備に当たっているのだが、いずれ攻略にまた当たるのだろうか。
(そもそも、この警戒もシェルダンの発案らしいからな)
文句が多い割にはよく気を回し、判断力も備えている。動きの良さには何度も助けられているのだが。
実際に自軍が、細々とした鳥型の魔物に襲撃されている。リオルとしては有り難さが勝るのだった。
「そういえば、フェルテアの軍がまた性懲りもなく敗走したらしいぞ」
笑ってリオルは告げる。
2000で駄目なら3000で、と数を増やしてあえなく敗走したのであった。
(ザマァみろって、言うんだ)
リオルも国境を接した土地を領土としているため、実は、何度か聖女クラリスを見たことがある。可憐な容姿に惚れ惚れとしてしまったものだ。そんな少女が誠実に尽くしてきたというのに、酷く扱うから散々な目に遭うのである。
リオルとしては胸がすく思いではあるのだが。
「それではまた、瘴気が増すな。まったく、これだから平和ボケした国は」
忌々しげにシェルダンが毒づく。真面目な男なのであった。常日頃の仕事でも手抜きをしたくとも出来ないらしい。だからあえなく出世させられてしまうのだ。
「いざとなったら、我々で魔塔を滅してやればいいさ。可憐な聖女のためだ。私はやぶさかではないよ」
聖女クラリスの美貌を思い出してリオルは告げる。
「そういう考えは生命を縮めますよ」
胡乱な眼差しをシェルダンから向けられてしまうのであった。接し方がわからないと怖い相手ではある。
鳥たちとの戦い方を把握した部下たちによって、最早シェルダンやリオルの所までは魔物が至らなくなっていた。遠目にも先頭で暴れ回る鎧姿の小男が見える。シェルダンの腹心デレクだろう。
(フェルテア国内の状況はあまり考えたくないな)
かなりひどいことになっているだろう、とだけリオルは思うのだった。それでも考えずに済む立場ではあった。所詮は他国のことなのである。
「それにしても、だ。せっかく北で保護したのだから、もう少し、私に話をする時間をくれても良かったじゃないか」
本気で恨みがましくリオルは告げる。聖騎士セニアにも匹敵する評判の美少女なのだ。そして、せっかく自分も独身なのである。
「国境付近にいつまでも置いておけるわけがないでしょう。せっかく保護したものを取り戻されるのでは馬鹿げている。とっとと皇都へ送ったのには、その意図をフェルテアから削ぐ意味もありますから」
心底、呆れたという口調でシェルダンが言う。
「それに、あの聖女くらいの女性ならいくらでもいますよ」
シェルダンもシェルダンでとんでもないことを言うのだった。聖女への敬意など欠片もないのである。
「君はもう、結婚しているからそんなことを言えるんだ」
ご多分に漏れず、リオルもまた酔っ払ったシェルダンによる惚気話の犠牲者なのであった。
(しかし、あのカティアと結婚するとはな)
貴族学校時代に見たこともある。才女で美人だが性格が厳しいので敬遠されていた女性だ。シェルダンも惚気話の中、よく聞くと尻に敷かれている様子である。
「まさか、聖女とはいえ他国の一般人を妻とするおつもりで?辺境伯様が?皇帝シオン陛下の遠縁に当たるというのに?」
聖女クラリスを妻とするに際しての悪条件をこれでもかと並べ立ててくる。
「おまけに他力本願で、身重の聖騎士セニア様を無理矢理、戦いに引っ張り出そうとしている。自分ではまるで戦う気がないときている、そんな素敵過ぎる女性を?」
さらに辺りを抜かりなく見回しながらシェルダンが言う。シェルダンやアンス侯爵という人種にとっては他人への文句が、何か物事に集中するきっかけなのかもしれない。
思わずリオルも笑みをこぼしてしまった。
「フェルテア大公国では聖女というのはただ、祈るだけの存在だったのだろう?急に自ら戦えと言われても、あたふたするのは無理もないよ」
戦いたくても戦えない少女には、リオルも手を差し伸べてやりたいのであった。




