159 エレインの不満
エレインは治療院の一室にてむくれていた。
フェルテア大公国から帰還して既に数日が経過している。
(こんなに時間を持て余すのに、仕事を入れるとか、ルフィナ様、私をこき使いすぎ)
自分のために割り当てられた、一般向けの診察室である。容赦なく当番勤務を命ぜられたのであった。確かに勤務表を見るに自分の名前が入っていたし、周囲の負担率と比べて考えてみても自分の勤務であるべき日ではある。だが、これだけ暇なのだから休暇取得をさせてくれても良かったはずだ。
(それに、つい先日まで、フェルテアで頑張ってたんだから)
名前を外すぐらいのことはして、休みにしてくれても良いのではないだろうか。
(ルフィナ様、自分はいつもゴドヴァン様と一緒にいるくせに)
自分は、バーンズに会えないでいるのである。フェルテア大公国から戻ってきて、皇帝シオンへの報告やそれぞれの上司への報告を済ませるなり、引き離されて通常の仕事に戻された。
(あっちはしばらく休暇だって。せっかくまた、お出かけしたりデートしたりする好機なのに)
エレインは恨めしくてしょうがないのだった。
魔塔での戦いを経て、バーンズとはかなり距離を縮めることが出来たのではないかと思う。特に最上階では自分のことを大事に思うあまり、真っ先に転移魔法陣へと放り込むほどだったのだ。あの時のバーンズの必死さを思い返すと口元が綻んでしまう。とても嬉しかったのだ。
だから、尚の事、好機だった、という話なのである。
「えっへっへ」
聞き覚えのある変な笑い方がした。思ったときにはもう、廊下側の窓が開けられていて、同僚のミルラが顔を出す。美人なのに笑い方がおかしいのだ。
診察室はさほど広くない。寝台と書き物机や丸椅子が幾つか置ける程度の空間である。廊下側の窓などは職員同士の雑談や、真面目な用途としては、問題患者がいないかなどの監視に使われていた。
「えっへっへ、エレイン、私さ、こないだ、バーンズさんに会ってきちゃった」
挨拶もなしに聞き捨てならないことをミルラが言い放つ。自分の恋人だと知っているくせに悪びれる様子もない。
「えええっ、なんでっ!」
思わずエレインは素っ頓狂な声を上げる。
廊下にもこだましてしまったから、皆に聞こえてしまっただろう。
しかし、声も出るというもの。距離が縮まった、と思っていたのにまさかの浮気だろうか。ミルラが色白で、伸ばした緑髪の綺麗な、肢体もすらりとした美女であるから、その虞はある。バーンズすら籠絡されたのだ、きっと。
(叩かなきゃ!ううん、引っ掻かなきゃ!)
罪状が重いので心の内でエレインは思い直す。頭の中までわけのわからないことになっていた。
「あぁ、ごめんごめん。違うのよ」
頭を抱える自分を見下ろして、ミルラが苦笑いだ。
上下関係があるようで、昔からこの位置関係は好きではない。特に自分より背の高いミルラにやられると尚更だ。
そもそも一体、何が違うというのだろうか。
「あっ、そうだ!ミルラも叩かなきゃ!」
当然の結論に至って、エレインは拳を振り上げて立ち上がる。窓越しにミルラを叩こうという気勢であった。
「違う違う、本当に違うんだって」
窓越しに自分の腕を押さえてミルラが苦笑いだ。
「マキニスさんのついで。あんたのお兄さんのダグラスさん。打ち明け話のついでに身上報告?みたいなのされて」
思わぬ形で兄の名前をミルラから出されて、エレインはキョトンとする。
拳も振り上げたまま止めてしまった。
その隙に室内に入ってきたミルラが、まるで危険物でも扱うかのように拳をそっと下ろさせる。そのまま座らされた。
ミルラ本人も対面に座る。
「え?お兄ちゃんと?一緒にバーンズさんと?どういうこと?ミルラの取り合いしてるの?その自慢?」
エレインは首を傾げる。尚の事、混沌とした情勢ではないか。
一体、自分は誰から叩けば良いというのだ。
(そもそも、なんでお兄ちゃんの身上報告にミルラが?あ、身上報告なら、もしかして浮気じゃないのかも?なんの報告だったんだろ、気になるっ!)
結果、エレインはジトっとミルラを見つめるのだった。
自分の表情を見て、ミルラがまだ苦笑いだ。『あー、あたしも苦労しそう』などと小声で呟いたのもばっちり聞こえた。
「うーん、何から話したものか」
ミルラが困った笑顔で首を傾げる。終始余裕の態度なのもけしからんのだった。
自分などと違い、そんな動作一つ取っても、絵になるのがミルラである。数多の男性職員を骨抜きにしてきたのだ。
「ほら、ダグラスさんって素敵じゃない?勉強家だし、軍人なのに荒っぽくないし、優しいし。見た目も穏やかで私好みだし」
兄の褒め言葉をミルラが徐ろに並べ立て始めた。
急にどうしたというのだろうか。軍人だというのに向いていなくて意気地がないだけではないかとエレインは思う。
「ええっ、そんなことないよ」
思わずエレインは即座に否定してしまうのであった。
 




