14 大神官の苛立ち
フェルテア大公国の聖女クラリスが聖山ランゲルの麓に到着したとの報せを、大神官レンフィルは、聖樹近くの本殿で受けた。
(本当に間が悪い)
大神官たるもの、機嫌に左右されてはならないのだが、自分の機嫌は今、すこぶる悪い。
フェルテア公国に魔塔が立ってしまったからだ。
「大神官様、聖女クラリスの処遇はどのように?」
上位信徒の一人、禿頭のピートが尋ねてくる。
「会うけど怒る。フェルテアの聖女は好きになれない」
そっけなくレンフィルは告げる。
ただ祈るだけの存在だ。長年、歴代聖女の働きにより、フェルテア大公国を平和に保ってきたのだが。
(意味がないとは思わないし言わないけど。それでいいっていう考え方は問題)
かねてからレンフィルは思っていたのだった。
(それで国境のテコ入れにあの人を持ってかれちゃったんだもん)
自分も18歳になった。優れた血は残さなくてはならない、という素敵過ぎる教義のおかげで、実は大神官も結婚は出来るのだ。
(もう一押し、もう一押しだったのよ)
レンフィルは奥手の相手を書状1つで持っていかれるという状況を作った、聖女クラリスに文句の1つも言いたいのだった。
「ま、言えないけどね」
レンフィルは呟く。
信徒の目を通して聖女クラリスの様子をうかがう。護衛の剣士が1人に加えて、軽率歩兵の一個分隊が随行している。
自分は聖山ランゲルの清浄な空気の中に限って、信徒の目を通じて離れたところを見たり、人の心をんだりすることが出来るのだった。
「へぇ、珍しい経歴ね」
シャットンという護衛剣士についてレンフィルは思う。いかにも腕のたつ剣士という風貌だ。
「あのエヴァンズについてた従者だったのね」
更にレンフィルは呟く。旧アスロック王国の王太子だった男である。
エヴァンズ王子本人は悪いところの多い男だったが、シャットンを見る限り、表に出せなかった美点も幾つかあったらしい。
(シャットン本人は、悪い人間じゃないわね)
レンフィルはしばらく観察して結論付けた。
他の軍人についても順繰りに心を覗いていく。衛生兵に元魔術師といった、一風変わった人間の多い編成なのであった。
極端に悪い人間はいない。
バーンズという歩兵の隊長だけが若干の曲者だが。
(昔、セニアが言ってた人の部下なんだ。シェルダンって人の)
実は、かのシェルダン・ビーズリーも妻のカティアとともに聖山ランゲルを参拝目的で訪れている。
(あんなのは初めて)
夫婦揃って、特にシェルダンの方は、心を覗くことこそ出来るものの、複雑なことを考えすぎていて、レンフィルの方が嫌になったのだった。
(良い悪いじゃなくて、複雑って)
とにかく情報量が多過ぎたのである。
セニアとのこともあって、印象に残っていたのだった。
ピートが一般客の訪れることの出来る上限につく。
「上がっていいのは、聖女クラリスとその護衛のシャットン、あとはバーンズだけ。後の人は全員休んでいて」
ピートの口を借りて、レンフィルは伝えた。
大人しく言われたとおりに3人だけがレンフィルのいる本殿へとやってくる。
「お初にお目にかかります、大神官様。フェルテア大公国の聖女の役目を受けました、クラリスと申します」
跪いて、聖女クラリスが名乗る。近くで直に見ると、腹の立つほどきれいな女だ。
「初めまして。ここへ何をしに来たの?」
レンフィルは自らは名乗りもせず、あえて壁をつくって告げる。薄く笑みを作っていた。自分の笑みはどこか冷たく見えるらしい。
跪いていたクラリスが顔を上げる。たじろいだ表情を浮かべていた。
「フェルテアに私の不徳で魔塔が立ちました」
それでもきっちりと切り出すのであった。どうやら肝は据わっているらしい。
護衛のシャットンが何か言いたげだが、睨みつけて黙らせる。
「で?私は咎めなくてはならないのかしら?」
意地悪くレンフィルは尋ねる。
本来ならば咎めることではない。魔塔が立つのは致し方のないことなのだから。
光があれば闇がある。魔塔は立つと厄介なものだが、努力及ばず立ってしまうのはどうしようもないことだ。
「はい。私のせいですから」
咎めても何にもならないと分かっていて告げたのに、真顔で返されてしまった。
どうやら咎めろというらしい。
「それになんの意味があるの?今、魔塔の恐怖に震え、怯えている人々に、それは何の救いをもたらすの?」
レンフィルは自然と咎めてしまうのだった。
ある意味、相手の言う通りにしているのである。
「それは、でも」
クラリスが俯いて口ごもる。大した考えもないのに物を言うからこうなるのだ。
「かつて、聖騎士セニアは、父を失ってなお、神聖術の存在すら知らない頃から、剣技だけでもって、必死に戦い続けていたわ。そしてあきらず、幾つもの試練を乗り越えて自分を高めて、最古の魔塔をも倒してみせた」
レンフィルは自分の見てきたありのままを告げる。
護衛のシャットンが再度身じろぎした。よく知られている話だ。アスロック王国出身としては思うところもあるのだろう。
「私は彼女のような人間のほうが好きね。力も貸してあげたくなる」
実際に僅かながらの手助けはした。聖剣オーロラを覚醒させたのである。
「その、セニア様の御力をなんとか借りたいのです。大神官様からドレシア帝国へお口添えを願えないかと」
恥知らずにもクラリスが言う。
「セニアは妊娠しているのよ?妊娠しているセニアを戦わせろって言うの?」
呆れ果ててレンフィルは告げる。
だが、どうやら聖騎士セニアの妊娠をクラリスは知らなかったらしい。
「それは」
クラリスが驚き顔で言葉に詰まる。
「大神官様、聖女クラリス様はフェルテアの民を救いたい一心なのです。民のため何卒、御力を」
シャットンも口出しをしてきた。魔塔を倒すことの大変さを知っているだけに真摯な思いが滲んでいる。
「セニアの力をでしょう?それは感心出来ることではないわね」
むしろ許せないことだ。新たな生命を何だと思っているのか。
「一国の命運よりも優先すべきことだと」
シャットンが険しい顔で言う。いざとなれば他人の都合よりも自分の都合だ。人間の真理ではあるのかもしれない。
「他に力を尽くすべき人間がいる以上はね」
レンフィルはすげなく告げる。
「魔塔を、倒すのに必要であるのは聖騎士の御力です」
黙り込んでしまった聖女クラリスに代わり、シャットンが言い募る。
魔塔で国が滅ぶ。身に沁みて知っているだけにシャットンとしては黙っていられないようだ。
「そうとも限らない」
レンフィルは笑ってしまった。
「あなた」
聖女クラリスに声をかける。
「正当な手段で聖女に選出されたのよね?あのベルタンの水晶球で?」
レンフィルはフェルテア公国の聖女選出の儀式を思い出しつつ尋ねる。
「はい。緑色に光らせたということで、この役目を賜りました」
顔を上げてクラリスが答えた。
「他の人は皆、青色で」
聖女クラリスが重ねて説明する。
(あの水晶球は魔力に反応して青色に光る。そして)
全て分かっているだけにレンフィルとしては腹立たしくなってしまう。
「じゃ、あなた、魔力と法力、両方持っているんだから、自分が戦いなさいよ」
思わずはっきりとレンフィルは断言してしまい、クラリスからもシャットンからも目を見張られてしまうのであった。




