13 治癒術士
皇都グルーンの治療院では、若い独身の治癒術士たちは大抵、寮に住み込みで働いている。
エレインも同様に女子寮に住み込みなのだが、一応、出世頭とされていた。ひどい時には面と向かって言われてしまうこともある。
(ルフィナ様に直接つかせて頂いて、指導を受けてもいて、そりゃ、やっかみぐらいは受けるよね)
今日もエレインはルフィナとともに外回り勤務なのだった。
「わぁ」
今年で19歳になるも、エレインは無邪気に声を上げてしまう。
(ここが皇弟クリフォード殿下と聖騎士セニア様のお屋敷かぁ)
純白の外壁に水色の屋根を持つ、美しい屋敷だ。外壁も屋根も晴れ渡る空の陽光を存分に照り返している。
愛妻家のクリフォードが、妻セニアの髪色や鎧の色に寄せた色合いにさせたのだという。
(私なら、でも、さすがにここまで露骨にされると恥ずかしくて嫌かな)
感心しつつもエレインは思うのだった。
「あなたのそういうところ、なかなか直せないわねぇ。もう19歳なのに」
困り顔でルフィナが告げる。
エレインはルフィナの付き添いなのであった。
「そういうところって、どういうところですか?」
首を傾げてエレインは尋ねる。自分の何かを直そうとしていることくらいはずいぶん前から気づいてはいた。
「うーん、なんて言ったらいいのかしらねぇ」
ルフィナ自身がしっかり説明してくれないから分からないのである。
(そもそもルフィナ様にだって、直さなきゃいけないところが、いっぱいあると思う)
人のふり見て、我がふり直せである。
いつまでも立ち話をしてはいられない。
2人で正門をくぐって、庭園を歩き始める。広い庭園を抜ければ屋敷に辿り着けるのだが、敷地が広大なのでどうしても時間がかかってしまう。左手側には練兵場も見えるのだった。
正面入口が近付いてくると、エレインは執事の出迎えがいつも憂鬱なのだった。
「ルフィナ様、お待ちしておりました」
黒髪の執事が恭しく頭を下げる。端正で格好の良い中年男性だが、目つきが少し怖くて鋭い。しかも腰にはなぜか立派な鞘に入った剣を吊っているのだ。
「メイスン。あなたに頭を下げられると、かえって気分が悪いわね」
ルフィナがメイスンに対して、いつも通りにそっけなく告げる。他の人には絶対に見せない対応なので、最初はエレインもとても驚いた。当然、頭を下げ返すこともしない。
「それは、私のほうがゴドヴァン様よりも剣技が上だからですかな?」
同じく無礼とも思えるほどにメイスンが断言するのだった。
「あら、引き分けで、しかもゴドヴァンさんのほうが優勢なように、私には見えたけど?」
やはりツンケンとルフィナが返すのだった。
どうやらこのメイスンという執事は騎士団長ゴドヴァンと手合わせをしたことがあって、剣については比肩する腕前らしい。
「ゴドヴァン様の方が派手に振り回すので、素人目にはそのように映るのでしょう」
負けじとメイスンも失礼を返す。つまりはルフィナを『素人』呼ばわりである。
「それに、私は神聖術も使えるのですよ?」
更にはメイスンが加えて勝ち誇る。
「それを言うなら、ゴドヴァンさんも氷の魔剣を遣うのよ?」
ルフィナも負けじと言い返す。
「それは武器が強力なだけではありませんか」
メイスンが嘲笑する。
子どもの喧嘩とも思えるような口論を上司と顧客の執事が始めてしまった。
エレインは困って両者を眺めることくらいしか出来ない。
「2人ともいい加減にしてくださいっ!」
新しい声が割って入る。
赤を基調としたローブを身に纏う、皇帝の弟クリフォード・ドレシアである。かつては聖騎士セニア、騎士団長ゴドヴァン、ルフィナ院長とともに5本もの魔塔を攻略した、炎魔術の達人だ。
「メイスン、お前はなんだって、ゴドヴァン殿とルフィナ殿限定で無礼なんだ?」
クリフォードが呆れた口調で執事をたしなめる。
「なぜだか、お二人の方から挑発してくるからです。一応、身分だけは私が下ですから。申し訳ありません」
悪びれることなくメイスンが言い、わざとらしい恭しさで頭を下げた。
当然、ルフィナもツンとしてそっぽである。
「まったく、ガラル地方の魔塔の時から、そこだけは変わらないのですね」
ルフィナの方に向き直り、クリフォードが苦笑いを浮かべた。その隙にメイスンが屋敷の奥へと立ち去っていく。
「あの人も魔塔に上がったんですか?」
エレインは意外に思って尋ねる。魔塔に上がったのは『魔塔の勇者』4人だけだと思っていたのだ。
「ええ。シェルダンの代わりにね。全く、役に立たなかったけど」
忌々しげにルフィナが言うのだった。
(すごく、強そうに見えるけど)
曖昧にエレインとしては頷くしかなかった。
「もういいです。とりあえずセニアを診て下さい」
クリフォードが先に立って歩く。
妊娠している聖騎士セニアの定期検診でルフィナとエレインは訪れたのである。妊婦の診断にルフィナ自ら出向くというのは破格のことだ。
「ええ。放っておくと、また、暴れかねないものね」
ルフィナも歩きながら苦笑いだ。
果たして、セニアの部屋に辿り着く。そして本当に暴れる準備をしていた。
「何をしてるんだ!」
クリフォードが、早速、愛妻のセニアを咎める。
水色の髪をした美女が白銀の鎧を身に着けようとしていた。
「あなた、私、妊娠して肥ったみたい。鎧が入らないの」
下腹部以外は細身のセニアが大真面目なしかめっ面で告げる。
妊娠しているのだから当然のことだ。
「まさか、君、魔塔を倒そうなんて考えてないだろうね」
クリフォードがセニアを寝台に座らせて、自身も隣に腰掛ける。
「だって、あなた一人を行かせるわけにはいかないもの」
セニアがさらりと妙なことを言う。
「いや、私も今のところ、行く気はないよ」
呆れた口調でクリフォードも告げるのだった。
「え?」
対して心底意外そうにセニアが告げる。
「あなたのことだから、魔塔を燃やしてやるって、勇んで行きそうなのに」
セニアの言うようなところがクリフォードに無いでは無いらしい。プッ、とルフィナが吹き出していた。
魔塔を倒した功績に可憐な容姿、卓越した剣技に神聖術と優れた点も多々知られている聖騎士セニアだが、実際に接してみると、とぼけたところも多い人間なのである。
(だいぶ、慣れてきたけど)
どうやらフェルテア大公国に魔塔が立ったことを何らかの経緯で知ったらしい。夫が参戦すると決めつけ、更には自分も戦いに出ようと決心したのだろう。
「聖騎士の務めだ、と言い出さなくなっただけ成長したかな」
クリフォードが苦笑いだ。
「魔塔である以上、私が倒しますって、昔の君なら駆け出していたね」
以前のセニアにはクリフォードもルフィナも苦労させられたようだ。
エレインにもよく伝わってくる言葉だった。
(どの道、行こうとしているのなら愚かだわ)
妊娠しているのだ。お腹の赤ちゃんを大事にしなくては駄目だと思う。
「セニア様っ!」
エレインは声を上げた。
セニアがビクッとする。なぜだか自分のことを苦手としているのだ。
(失礼しちゃう)
エレインとしてはそこからして気に入らないのだった。
「せっかく旦那様との間に生命を授かって、一番大事な時に、馬鹿なことを仰ったり、しようとしたりしては駄目です」
エレインは両拳を腰に当てて告げる。
「でも、エレイン、私、迷ってるの。私じゃないと倒せないなら、フェルテア大公国はかなり酷いことになるかもって」
こそっと自分にセニアが告げる。
なぜ、自分が聞いて良くて、クリフォードやルフィナに聞かせないようにしているのかが分からない。
「本当にそうなるまで、気にしては駄目です」
いつまでも話ばかりではいけない。
ルフィナの使う器具を準備しつつエレインは告げる。
聖騎士や聖女という人種には一風変わったお人好ししかいないのであろうか。
「はっきり言うわねぇ。さすがエレイン」
ルフィナが他人事のように言う。
友人なのだからルフィナ自身がはっきり言うべきだ。
「ルフィナ様もギリギリまで休みを取らなかったし、セニア様を笑えませんものね」
皮肉たっぷりにエレインは告げる。
「若くて、まだ仕事のことしかないから、そんな風に言えるのよ。エレインったら仕事一筋で、好きな相手もいなければ、恋をしたこともないんでしょう?」
ルフィナが反撃を試みる。
「いますよ、好きな人ぐらい」
自分も年頃なのだ。エレインは言い放ってやった。
「嘘っ!誰なの?」
驚いた顔でルフィナが尋ねてくる。
仕事に来たのだ。何を好奇心を露わにしてくれているのだろうか。
「ルフィナ様、お仕事をしてください」
エレインは自身より15歳上の上司をたしなめる。
「あ、私も聞きたい」
寝台に横たわり、セニアがぼそっとたわ言を言う。
「知りません」
エレインはうんざりして告げた。
好きになったのもつい先日だ。まだ名前も人柄もよく知らない。
(どうやって、距離を詰めようかなって。他人じゃなくなろうかなって、まだそんな段階)
エレインは作業を行いつつも思いを巡らせるのであった。




