121 閑話〜夫婦の会話、魔塔の外で
(ちょうど、魔塔へ入った頃合いかな?)
苦労しているであろうバーンズを尻目に、シェルダンはカティアや子供たちと過ごす1か月の休暇を満喫していた。
それこそ、眠る間も惜しんで、だ。もともとあまり眠らなくとも良い方ではあった。
今も、子どもたちが寝入った後になって、夜更かしをしている。蝋燭の灯だけで、机に向かっているのだった。
「あなた」
カティアが声をかけてきた。振り向かずとも声の抑揚で微笑んでいるのだろうと分かる。夫婦の寝室だ。カティアの部屋でもあるから、ノックなど要らない。
「あまり、根を詰めすぎないでね」
椅子の肘置きに腰掛けて、カティアが密着してくる。
他ならぬカティアの纏めておいてくれた書類に目を通しているところだった。
「これはこれで面白くてね。軍の仕事ではあまり、目にすることがないことばかりだから」
つまり1000年を超えるビーズリー家の歴史にもなかった文書なのである。ずっと一貫して軽装歩兵であったご先祖たちだ。領地経営の記録など前例皆無である。
(いや、本当に面白い。困ったな)
どうにもならないのが、この好奇心だ、とシェルダンは思う。
結局、聖騎士レナート達との最古の魔塔挑戦から始まり、今に至るまであまり変わっていない。つい、やってみたくなるのである。
(まさか、こんな小難しい領地の経営やら収支の計算にまで興味を覚えるとは)
言葉一つ、言い回しや計算方法一つ一つをじっくり詰めるのが楽しくてしょうがないのであった。
今は領地内で貸し出している共同の農具について、修繕費やら購入費やらの項目に取り組んでいる。
ちょっと分からないところがあって、シェルダンは首を傾げた。
「ふふっ、ここはね」
察してカティアが説明をしてくれる。
よく、自分の視線だけで、どこに詰まってしまったのかが分かるものだ。シェルダンはいつもカティアには感心させられてしまう。
「助かった。おかげで、また次のところへ進めるよ」
シェルダンは書面から目を離して礼を言う。近くに美しすぎる妻の顔があるのであった。せっかく理解しても、もはや書面どころではない。
「貴方が、ただでさえ忙しくて大変なのに、こんなところまで目を配って、助言もしてくれるから。助かってるのは私の方よ」
カティアがはにかむような笑顔とともに言う。
「こんな俺だけど、領民の人々からすれば、領主だからね。やるべきことは、やらないと」
シェルダンとしても、領地に滞在している時ぐらいはカティアの助けとなりたいのだった。
「そうね。忙しい貴方の代わりが少しでも務まっていればいいのだけど」
カティアがとんだ謙遜をするのだった。
「十分、過ぎるほどだよ。帰ってくると快適すぎて、仕事に戻りたくなくなる」
シェルダンは苦笑いなのであった。
もともと社交などにも興味はない。皇都に夫婦で滞在した機会などほとんど無いのではないか。
(あまり、いたいものでもない。特に今は)
シェルダンは思う。階級が上がるにつれて、煩わしいことも増えた。どこからともなく、皇帝シオンやアンス侯爵のお気に入りだというやっかみが聞こえてくる。
(カティアも、そんな俺の妻だからか興味を持たれては、いるようだからな)
シェルダンとしては、当然、妻を巻き込みたくはない。
(そして、俺だって。本人たちの相手もただでさえ大変なのに、いちいち悪口になんぞ付き合っていられるか)
皇都でうだうだと言っていられる連中と違い、自分は忙しいのである。広大なドレシア帝国の全域にまで目を向けると、対処しなければならない問題だらけなのだ。皇帝シオンもアンス公侯爵も忙しい。
シェルダン自身も階級とともに広がる視野と行動範囲に辟易としている。
「貴方のことだから、また、悪巧みをしているのではなくって?」
冗談めかしたカティアの質問でシェルダンは我に返る。そんなことより、今は妻との憩いのひとときなのだ。
「どの件かな?」
シェルダンは微笑んで訊き返す。心当たりばかりなのだ。
「私が気にすべきは昇進の件なんだろうけど?」
さらにカティアが質問で返してくる。質問だけの応酬がなぜだか楽しい。
「今のところ、余程のことがない限り、俺は受ける方向でいるよ」
故にシェルダンは初めて腹の中を明かす。
カティアを安心させてやりたくなった。
(この広い屋敷や領地で、ノビノビと育っている子供たちを見ると、俺も嬉しくなってしまうからな)
無論、ビーズリー家としては褒められた感覚ではない。
(いずれ、是正は必要ではあるが)
お誂え向きにカティアの実家がもともとからの貴族なのであった。
「余程のことって?」
カティアが優雅に首を傾げて言う。薄い夜着を纏っただけの姿である。気づいて、シェルダンはつい見惚れてしまう。もう結婚して5年も経つのだが、魅了されてばかりなのだ。
「一番は、君の反対かな?」
シェルダンは言い切ることができるのだった。
「もうっ」
照れたように笑うカティアが可愛い。だが、シェルダンの言葉も冗談ではない。
家訓に反してでも昇進を飲んできたのは、カティアへの気持ちがあるからだ。夫が能力を正当に評価されて嬉しいと、蕩かすような笑顔で言われるとどうにもならない。
(結果、過大評価を、受け入れてしまった気もするが)
おだてられて、のせられた結果ではないか、とシェルダンは苦笑いである。
「じゃあ、今、考えてるのは別のことね?」
確信を持って、カティアが尋ねてくる。
「そうだよ」
すんなりとシェルダンは頷く。先程から話題と雰囲気がいい加減、こそばゆいのだった。
「なら、魔塔のことかしら?でも、その役目はバーンズという子に投げたのではなくて?」
少しカティアの眉毛の辺りに険が宿る。
ここで『気にしていて自分も上がる』などと仄めかそうものなら、怖いカティアが顔を出す。
無論、そんなつもりはシェルダンにもさらさらない。
「バーンズは優秀だ。問題なく、役割を果たすさ」
強いのではなく、優秀なのである。その違いは大きい。
(奴ならしっかりと見極めもつけられるはずだ)
シェルダン自身も自分なりに情報を揃えて精査はしていた。
「心配しているのは、君のとは少しズレるかもしれないね」
現職の軍人と貴族令嬢では見え方も違ってくるだろう。
「力が足りないってこと?バーンズ君よりも、他の面子かしら?」
これには少しシェルダンも驚かされた。言い当てられてしまったからだ。
「ほぼほぼ、そういうことだね」
シェルダンは否定のしようがない。
1000年にわたるビーズリー家の歴史を紐解いてみても、今回はなかなか厳しいのだった。
「聖女が聞いているとおりのままなら、どうなるか分からない」
シェルダンは陰鬱な気持ちで言い切るのであった。




