11 フェルテアの公子
「どうなってるんだっ!くそっ!」
2000もの軍勢を送り出したのに敗走してきた、との報告を受け、ミュデス公子は毒づいた。父であるフェルテア大公邸の執務室である。
「ミュデス、お前が言うから解任して追放したというのに、聖女クラリスがいなくなってから、状況が悪くなる一方ではないか」
父のフェルテア大公がオロオロして告げる。
温厚なことだけが取り柄の父だ。有事の際にはまるで頼りにはならない。他の貴族が付け入る隙となりかねなかった。
「あの女が呪っているのでしょう。魔塔が立つなどと、あの女のせいに決まっています」
ミュデスはハッキリと言い切ってやった。
一応、フェルテア公国内では、聖女クラリスを解任したということになっている。解任し、幽閉したところ、処刑を恐れて逃げたのだった。まるで聖女らしくない。
「だが、我が国の神聖教会からも、抗議の文面が届いている。至急、聖女クラリスを復職させよ、と。そうすれば魔塔も消えると言うぞ」
父の大公が僅かな希望にすがりつくようにして告げる。あまりに愚かなので、ミュデスとしては同情してしまうほどだ。
「信心で魔塔が消えるなら、隣国のドレシアもアスロック王国もああはならなかったはずです。倒すには軍事力しかないのです」
ミュデスの正論に、父の大公がグッと押し黙る。
決断力も強い意志も何も無い父親なのだった。一国の元首としては、あまりに力不足だ。
ドレシア帝国もかつて5年前、大規模に軍を動員して魔塔を倒したという事実がある。隣の大国に比べて、国力の劣るフェルテア大公国にとって、2000というのは大変な数だ。
「2000もの軍が敗走したのだ。どうするというのだ?最早フェルテア大公国だけではどうにもならない」
泣きそうな顔で父が更に尋ねてくる。泣き顔そのままにドレシア帝国に泣きつくつもりなのだろうか。
「また、攻めるのです。いくら犠牲が出ようとも、国を守るためですから」
呆れ果ててミュデスは告げる。終わらせなければ終わらない。寝ていても、他の誰かが魔塔を攻略してくれている、などということはまず起こらないのだから。
「2000で駄目だったのです。次は3000を出しましょう」
ミュデスは頭の中で勘定をする。ドレシア帝国が五年前に差し向けた軍勢も、自国内のさほど酷くない魔塔には1000程度であった。
(私はその倍を出した。だが、失敗したのなら、3000もいれば十分なはずだ)
そんなつもりはなかったが、2000というのは、自分が魔塔を侮っていた、ということなのかもしれない。
「そんな軍費、どうやって捻出するというのだ」
動揺もあらわに父が言う。本当に自分では何も考えない男なのだ。
「税を上げるしかないでしょう。民を守ってやるためなのです。文句は言わせませんよ、この私がね」
ミュデスは胸を叩いて言い切った。具体的には徴収、という形になるのかもしれない。
「いっそ、魔塔を倒したことのある、ドレシア帝国に助勢を頼んでは」
なんとも情けなく、そして恥知らずなことを言う父親である。
(まったく、こんな男が私の父親であり、この国の大公だというのか)
心底、ミュデス公子は自らの父親を軽蔑する。自国のことは自国できちんとやるべきだ。
「ドレシアの軍を招き入れれば、そのまま、この、首都のフェリスまで攻め落とされるかもしれませんよ」
あえて父の不安を煽るようなことをミュデス公子は告げてやった。アスロック王国に続き、フェルテア大公国まで併合される、父には恐怖だろうと思ったのだが。
「ドレシアにそのつもりがあれば、我が国など、とっくに滅ぼされているだろう。寒冷で資源の乏しい我が国には領土とする魅力がないのだ。まして、今は魔塔などという面倒なものまであるというのに」
なんとも情けないことを父親が元首でありながら口にする。
「父上には自国への誇りが無いのですかっ!」
眼尻を上げて、ミュデス公子は父親を怒鳴りつけてやった。自分の従者も父の従者も親子の言い争いを目の当たりとし、動揺しているようだ。
(早く私に位を譲って、大公としてくれれば良いのだ。他に世継ぎの選択肢もないのだから)
ミュデスはうんざりとして父親を睨みつける。
あまりの愚かさに、この甲斐性のない男が父親であるということすら口惜しくなってきた。自分の下には頭でっかちで脆弱な弟が1人いるだけだ。
(国民もまた頑迷だ。役にも立たぬ聖女の追放などに絶望しおって)
ミュデスはさらに忌々しくなっていた。まるで聖女クラリスの追放が愚挙のようではないか。自分のすることに国民がケチをつけてきた格好である。
聖女クラリスなど、ただ役にも立たない祈りを漫然と捧げてきただけだ。
(祈る真似など誰にでも出来る)
自分の周りには愚かでどうにもならない人間しかいないのではないか。ミュデス公子はいい加減、うんざりとしてしまうのであった。
そもそも神聖教会から選出された経緯にしても不明瞭だ。得体のしれない水晶が緑色に光れば聖女だという。
(それなら、ラミアの方は青く光らせていたではないか。それも、誰よりも強く美しい光だった)
だが、『色が違うからだめだ』ぐらいのことを言われたのである。それはもう、ミュデス公子としては無視することとした。
「だが、ミュデスよ、現に状況は悪くなる一方で」
さらに父が泣き言を繰り返す。聖女クラリスを糾弾するときにも本当に大丈夫なのか、としつこく泣き言を繰り返していたものだ。
「そこを良くしていくのが政治というものです」
ミュデス公子は苛立ちそのままに言い放つのだった。
「聖女も下だらぬ迷信に拠らず、我々、統治者が選ぶべきなのです。ラミアこそ、美しく才能豊かであり、聖女と呼ぶにふさわしい」
ミュデス公子は頭の中で、冴えない偽聖女クラリスと才媛ラミアとを並べて比べる。
(比べるまでもない。ラミアの方が素晴らしい女性だ)
ミュデス公子はつくづく思うのだった。何か重大な研究があるとのことで、聖女に一方的に任命したものの。まるで祈りを捧げるということもしないのだが。
(そもそも祈るのが無駄だからな)
特に不満も無いのでもあった。
「だが、ラミア嬢本人も聖女になど興味も無いのだろう?」
拉致もあかない問いを父が発する。
「聖女というものは、自称するものではありません。自然と周りが敬い、頭を垂れるものなのです」
自分と同じ程度の知性にない者を説得するのは難しい。当然の常識を説いてやるしかないのであった。
「そんなめちゃくちゃな」
案の定、愚かな父親がただ困惑している。返す言葉を思いつくことすら出来ないのだ。
ラミアは妖艶な美女である。今年で19歳になるのだという。
フェルテア大公国のさして有力ではない、ミュデスから見れば下級貴族の娘だった。良縁を求めて首都フェリスの社交界に顔を出すようになり、自分が見初めたのである。
(偽聖女クラリスも顔だけは良かったのだが)
言い寄って口説いたところ、生意気にも拒んだのである。
容姿にも能力にも自信のあったミュデス公子としては、生まれて初めてのことだった。屋敷に呼びつけて抱こうとしたところ、頬を張って逃げたのである。当然、公子たる自分への暴行など許されるわけもない。普通に処断である。
(聖女が大公の息子である私を拒むわけがない)
だからつまりは偽聖女なのである。
そして後ろめたいところがないならば、大人しく処断されればいいところ、護衛をたぶらかして逃げたのであった。
(だが、ラミアならばそんなことはない)
何度か一緒に話をしたこともある。
魔塔を倒した後にどのようにして楽しもうか。早くもミュデス公子は狼狽してばかりの父を尻目に、想像を楽しむのであった。




