10 護送任務
フェルテア公国の魔塔出現から3日が過ぎた。
シェルダンは軍営の執務室で簡素な椅子に腰掛けている。眼前の机上には地図を広げていた。広大なドレシア帝国と、その北方にあるフェルテア大公国のものだ。
(まったく、面倒なことばかりだ)
シェルダンはため息をつく。
これから隣国が乱れる。魔塔の魔物が溢れてくるのだ。対処しないわけにはいかず、第4ギブラス軍団だけでは難儀するだろうから、やむを得ず、シェルダンはアンス侯爵に出動の打診をしていた。
「失礼します」
扉をノックされた。声の主はバーンズのものだ。
「入ってくれ」
シェルダンは短く告げる。ふと、自分の腹にはいつも通り、アダマン鋼の鎖鎌を巻いていることを思った。
(流星槌も自宅にある)
だが、昔と違い、自分は魔塔上層へ上るつもりはない。長年、バーンズを昔の自分と同じように仕込んできた。持っている素質こそ違うものの、バーンズがどうなれば魔塔上層でやっていけるのか。そこを考えてきたのだった。
「相変わらず、凄いですね」
壁中を覆うゴシップ誌を見渡して、バーンズが言う。
昇進した数少ない利点の1つは部屋が広くなり、ゴシップ誌を大量に置けるようになったことぐらいだ。
「まったく、面倒なことになった」
バーンズの振ってきたゴシップ誌の話題を無視して、シェルダンは切り出した。苦々しさを隠そうとも思わない。
「魔塔のことですか?」
バーンズが直立して尋ねてくる。軍務中、前腕には手甲鈎を仕込んでいるのだった。バーンズと同じく元部下であり、通信技士となったリュッグが考案したものだ。
(敵をいち早く察知して、隠れて不意をつく。それが出来るバーンズにはちょうどいい装備だ)
シェルダンが教えたわけでも、考えたわけでもない。入れ知恵もしなかった。バーンズ自身が自分の適性を見定めて選んだ武器である。
「聖女の方だ。聖山ランゲルに行きたい、などと言い出している」
シェルダンは座ったまま告げる。あまりに意図が見え透いていた。
(大神官様に会いたいのだろうが、段階を幾つもすっ飛ばしている)
祖国に魔塔が立った。だから、倒したい。だが、自力では倒せそうにないので、聖騎士セニアの助力が欲しいのだろう。
(だが、クリフォード殿下もシオン陛下もセニア様を安売りするわけもないし、特に今は駄目だ)
シェルダン自身ですら、セニアの派遣には反対するだろう。
(それに、まだフェルテアの軍が魔塔攻略に失敗したわけでもないというのに)
まだ助力を乞うべき段階ではない。だというのに、聖女クラリスがドレシア帝国からの援助、ことに聖騎士セニアの派遣を勝ち取るために、聖山ランゲルの大神官による口添えを欲しているから忌々しい。
「当初の予定通り、といえばそれまでの気が、俺はしますけど」
遠慮がちにバーンズが言う。
「多分に意味合いが変わった。元々は自身の、聖女としての正当性を担保してもらうためのものだった。だが、今度はおそらく、魔塔攻略をドレシア帝国に肩代わりさせるよう、大神官様を通じて依頼するつもりだな」
シェルダンは若い部下に告げる。
自分の立場としては『勝手に行け』なのだが、そうもいかないのだった。或いは行かせない方がいいのかもしれない。
(あの娘には使い道がある)
本人も自身の価値については気づいていないのかもしれない。シェルダンとしては、しかし、教えてやる筋合いもなく、可能な限り、関わり合いになりたくないのだった。だから今は距離を測っている。
「道中、何かあるといけないから、護衛をつけることとなった。上からの指示でな」
シェルダンは地図の脇に置いていた書面を渡す。
「俺の隊に?」
バーンズがうんざりした顔で言う。
「最初の経緯もあるし、一個分隊で要人を護送するなら、お前の分隊が一番いい」
本当はバーンズ本人もわかっているはずだ。相応に腕利きを揃えてやったのだから。
「分かりました」
素直にバーンズが頷く。かつての自分より、はるかに素直なのがバーンズの美徳だ。
「こっちはこっちで、北部の援護に向かう。魔物との戦いになるだろうから、お前ばかりが大変なわけでもないぞ」
笑って、シェルダンは伝えた。
「魔塔出現直後に魔物が多く溢れてくる。どうせフェルテアは持て余すだろう。で、そのまま南の我が国へ流れてくるってわけだ」
多量の魔物を第4ギブラス軍団単独では捌き切れない恐れもある。到達までに時間がかかるので、シェルダンは明日の出立と決めていた。
「隊長、また、そんなきちんと気を回したら、アンス侯爵に褒められますよ?」
バーンズが嫌なところをついてくる。確かに事の経緯を説明して、出動したい旨を伝えた時には大変なこととなった。
「仕方ないだろう。放っておけば北の民に犠牲が出る。それは軍として防がないとな」
肩をすくめて告げるにシェルダンは留めた。
「分かりました。でも、あのシャットンって人が本気で抵抗したら、7人がかりでも難しいかもしれないです。こっちはこっちで」
バーンズが自身の懸念をしっかりと伝える。
21歳。自分が聖騎士セニアらと魔塔に上ったのと同年だ。新兵のときとは見違えるほど優秀な人材となった。
「彼が暴れるとしたら、あの聖女クラリスを害する場合だけだ。行きたい場所へ行くための護送ともなれば、感謝こそすれ、暴れることはないさ」
シェルダンは手をひらひらと振って告げる。『暗殺しろ』という任務でもないのだ。
バーンズも納得して頷く。とりあえず話は決まった。
「分かりました。ところで、隊長は今回の魔塔、どう思いますか?また、昔みたいに戦わなくちゃいけないんですか?」
つとバーンズが尋ねてくる。
任務の話は終わったから、個人的な話をしたいらしい。
「以前、俺は何本か上がったが、あの時は聖騎士セニア様の存在とアスロック王国の腐敗があって、ドレシア帝国も被害を受けていたからな」
ドレシア帝国にとって倒す必要があったから、倒したのである。アスロック王国との戦いに伴って得られた領土を平穏にするため、魔塔攻略をなさねばならなかった。
「俺としては、上がりたいものじゃない。あれは死ぬかもしれない。あまりに危険だ」
下層が弱くとも魔塔の主だけが強力、ということもあるのだ。中がどうなっているかも、外からではわからない。
「倒さなくていいなら、倒さずに済ませたい。今回は上手くすれば、ドレシア帝国への被害を抑えられる。国として、極力、戦力を貸し出すわけにはいかないんだ」
シェルダンは結論づけた。聖騎士セニアにクリフォード、ゴドヴァンにルフィナも差し出したくはないだろう。
(陛下のことだ。ペイドランはもっとだ)
シオンの胸の内もほぼ正確にシェルダンは読み切っていた。
「つまり、魔塔はフェルテア大公国が倒すべきだってことですか?」
バーンズが腕組みして考え込みつつ尋ねる。
「そうだ。まして、倒したがっている本人がやるべきだ、と俺は思うな」
シェルダンは頷いた。つまりは結局のところ聖女クラリス本人が倒すべきだと思うのだ。
「分かりました。其の辺もしっかり頭に入れて、聖山ランゲルに送り届けてきます」
やはり素直にバーンズが頷く。
「任務続きですまん。護送任務が終わったら、部下ともども長い休暇を与える」
シェルダンははっきりと宣言した。
21歳、自分にとってはカティアと結婚した年齢である。だが、バーンズが誰かと交際しているという話は無い。ちょっと心配になっていたのだった。
(誰か休暇中に良い相手でも見つけてこい)
シェルダンは思いつつ、バーンズを送り出す。
自身も軽装歩兵部隊全体で北方へと進軍していった。
そして果たして3日後、フェルテア公国の軍勢2000が魔塔攻略に、着手し失敗したとの報告が手元に届くのであった。




