1 聖女糾弾
シェルダンからは新聞かゴシップ誌に日々、よく目を通すように言われている。
(俺は新聞のほうがいい)
ドレシア帝国第1ファルマー軍団軽装歩兵連隊第6分隊隊長バーンズは、びっしりと文字の書かれた新聞の紙面に目を通していく。
進軍先の野営地だが、本営に届いた数部の新聞を借り受けて読むことが出来るのだ。
まだ21歳と若い自分が大真面目に新聞を読んでいると面白がるような視線を向けてくる者も多い。そんなものは当然に無視である。
(俺だって、もういい年だから)
世間の動きには関心を常に払わなくてはならない。
ドレシア帝国では珍しい、金髪に緑がかった瞳、もともと小柄だった身長は伸びて、やっと人並みにはなった。
(ただ、どうにも、噂話を集めました、みたいなゴシップ雑誌は苦手だ)
硬い文面だが新聞のほうが頭に入れやすいのである。
『フェルテア大公国の元聖女クラリス出奔か?』
大きく第一面に書かれている見出しをバーンズは再読する。
フェルテア大公国とはドレシア帝国の北方にある隣国だ。国土は狭いものの、情勢の安定して平和な国家であった。寒冷で資源にも乏しいことからドレシア帝国も制圧しようとしなかった歴史がある。
元々バーンズは知らない国だったが、簡略な歴史なども書かれていた。新聞というのは勉強にもなるのである。
「隊長、これへの対処をするために、わざわざ皇都を出ることにしたのかな」
ポツリとバーンズは呟く。
第1ファルマー軍団では軽装歩兵連隊だけが皇都から出動し北の国境付近に展開している。バーンズ自身もこの新聞を読んでいるのは森の中だった。近くには6人の部下が待機している。
「ん?どうしました?」
部下の1人、長身のヘイウッドが尋ねてくる。よく食べ、よく喋る男だ。任務中は『兵糧が不味い』といつも文句を言う。そのくせ、誰よりもよく食べるのだ。今年で24歳になる。年長という感じがしない。
「隊長が『隊長』って、自分のことをおっしゃってたんですか?」
さも可笑しいことかのように、へらへら笑ってヘイウッドが言う。
なかなか失礼な物言いだ。
バーンズは借り物の新聞紙を丁寧に折り畳み、立ち上がると、無言でヘイウッドの脛を蹴り飛ばす。
「イテッ!」
脛を押さえてうずくまるヘイウッド。
バーンズは無礼な部下を冷たく見下ろす。
「俺が誰の話をしようと勝手だ。口を慎め」
指揮権は自分にあって、隊の運用を考えるのも自分だ。何かあった時の責任も取らなくてはならない。
(舐めてる)
無礼なことを言えるのは自分を甘く見ているからだ。やるべきことはきちんとやっているつもりだから、当然、無礼を許すわけにはいかないのだった。
「全くだ。若いが隊長はよくやってる方だ」
副官のマイルズも味方をしてくれた。左のこめかみから頬にかけて、縦に一本線の傷跡があるいかつい男だ。だが見た目は怖い割に、真面目かつ懸命に頑張っているとバーンズのことは認めてくれる。26歳になるのだという。
「隊長は世情からきちんと総隊長の意向を読み取ろうとしている。何も読み取ろうとしないお前が冷やかすな」
赤茶けた髪をした年嵩の部下ビルモラクも貫禄を滲ませて言う。
他に木の幹に寄りかかってぼんやりしている少年兵士がピーターであり、線の細い体つきの若者がマキニスだ。ピーターが17歳と隊で最年少だが、マキニスが21歳と、バーンズと同年である。
「俺も隊長のことは認めてんすよ。ただ言葉選びが」
ようやく復活したヘイウッドが身を起こす。『認めてる』という言い回しも若干引っかかるのだが。
「だから、それをしっかりやれ。隊長がやってなかったら俺が殴ってたぞ」
ヘイウッドを睨みつけて副官のマイルズが叱り飛ばすのだった。
マイルズとビルモラクが二人がかりでヘイウッドへの説教を始める。バーンズ自身はもう、ヘイウッドを追及しないこととした。ヘイウッドも悪いところだけの男ではないのである。
「隊長は元々、総隊長の部下だったんでしょう?どう思います?今回の任務は」
紺色の髪を逆立ててている若い部下のジェニングスが尋ねてくる。目尻が少し吊り上がり、凶暴なものを感じさせる男だ。頭には濃紺の鉢巻を巻いている。歳は自分と同じく21歳だった。
「多分、隣の国の聖女様が糾弾されたことに関係してると思う」
いずれ新聞は回し読みにするのだ。バーンズは思うままに答えた。
「そこに関与するぐらいしか、皇都受け持ちの第1ファルマー軍団が、軽装歩兵だけとはいえ、こんな北に出張ることはないと思うんだ」
一応、年が近いからか一番気の合うのはジェニングスである。話もしやすい。ただ少し好戦的なのだった。
(元々、シェルダン隊長の腰が軽いっていうのもあるけど)
動きも鋭く的確なので、第1ファルマー軍団総指揮官アンス侯爵のお気に入りなのだった。
以前からの部下としては鼻が高い。自分もかつて西方の都市ルベントにある第3ブリッツ軍団でシェルダンの部下だった。
(本人はいつも文句と悪口ばかりだけど)
バーンズとしては2人共似た者同士に見えてならない。仕事が出来る、という点も同じだ。
今は本来、北を受け持つ第4ギブラス軍団の管轄区域に駐留している。
(きちんと話は通してあるって。さすがシェルダン隊長だ)
水面下でシェルダンが何を狙っているのか。おそらくは新聞やゴシップ誌の広報以上のことを知っているはずだ。
バーンズにとっても他人事ではない。
「また、特命ですかね」
ジェニングスが舌舐めずりして言う。
自分の周りをベテランや腕利きで固めた。シェルダンからはかなりの頻度で特命を仰せつかるようになったからだ。
「と、特命」
もう一人の隊員がゴクリとつばを飲んだ。唯一、自分より年少の隊員ピーターである。黒髪で大人しい。
(でも体力はあるんだよな。こう見えて)
まだ配属されたばかりである。他の面子よりどう見ても腕前で劣るが、ピーターについてだけは、経験を積ませろということらしい。
ジェニングスも自分も放置しておいた。自分で乗り越えるしか無いのである。
(下手すりゃ、他国に潜入して行う任務かもしれない)
バーンズは頭の中で考えを纏めようとしていた。
かつてのシェルダンと同じように自分には今、6人の部下がいる。元からの部下だったという気軽さからか信頼からなのか、難しい任務も容赦なく飛んでくるのだ。
「若いが、あの総隊長との伝手もあって優秀だ。俺達はやり甲斐がありますよ」
楽しそうにジェニングスが言う。
「俺と違わない年のくせによく言うよ」
バーンズも笑って応じた。
総隊長というのはシェルダン・ビーズリーのことだ。
かつて自分の上司だった分隊長のシェルダンが、現在では第1ファルマー軍団軽装歩兵連隊全体の総隊長となっているのであった。
そして、数日のうちに事態が急変する。
「フェルテアの聖女様、処刑されることになって、さらに幽閉先から逃げたらしい」
険しい顔でバーンズは集合させた隊員たち6名に告げる。
さらにシェルダンからの命令書を読み上げた。
「特命だ。フェルテア大公国に入って、逃げてくるであろう聖女クラリスを保護せよってさ」
バーンズは告げながら内心、密かに舌を巻く。
なぜ、隣国の聖女がこちらに向かうと分かったのか。思いつつもバーンズはどうやって与えられた特命を成し遂げるのか、に考えを移すのであった。