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くたばれハーレム  作者: 夏目くちびる
くたばれハーレム

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009(月野ミチル)①

 009(月野ミチル)



 物心がついた時、私は教会にいた。



 白い壁に青い三角屋根と十字架、主祭壇のあるホールには小さなパイプオルガンが置かれたり木製のベンチが二列に並んでいたりして。そこは、宗教を知らない人が教会と聞いたとき、すぐに思い浮かべられるような分かりやすいゴシック様式風の教会だった。



 母親は、修道女だった。どうやら父親に捨てられたショックで精神を病み、失意の底で赤ちゃんだった私を抱きながら街を彷徨っていたときに勧誘を受け信者となったらしい。



 当時の幼い私は、彼女の信心深い姿を見て、あんなにも尽くせるのなら神様は本当にいるのだろうと思った。いつも誰かのために精一杯働いて勤勉に尽くす姿が誇らしかった。



 それに、私に父親はいないけど、同じように駆け込んできた母子家庭の子がいたから心細く無かったし、何より神父が優しかったから父親からの愛に飢えることもなかった。



 いつも褒めてくれたし、勉強だって教えてくれた。何かを知ることは、知らないことを増やすことだ。私は、謎が増えていくたびに世界が広がっていくような気がして楽しかった。



「ミチル、頑張るんだよ」



 小学生になったとある日。



 聖歌隊のソロパートを務めることになった私は、毎日毎日歌の練習をしていた。それはもう必死で、決死で、けれどやり甲斐はあった。誰よりも大きな声を出せるように努力した。誰よりも綺麗な声を出せるように努力した。



 歌って、歌って、でも全然辛くなくて。今思えば、私にはそういう才能があるのだと思う。努力を辛くないと思える才能。楽しくはないけど、苦しくもならない才能。



 目的のためにやらなければいけないことを、気兼ねなしにこなせる才能。そういうモノが、私には生まれながらにあるんだと思う。



 そうやって歌っていたとき、ホールから見える中庭で母親と神父が話しているのが見えた。パイプオルガンで伴奏するシスターさんから目を離して二人を見ると、瞬間、神父が母親のベールの中に顔を強引に突っ込んだのだ。



 その時、多分二人はキスをしていたんだと思う。今までに何度も、中庭や教会裏で神父が修道女にキスをしていたのを見ていたから、きっと母親も同じように儀式的な何かを受けているのだろうとその時は考えた。



 けれど、私が本を読めるようになってそのキスに矛盾があると分かった。分かってしまえば、好奇心を抑えることなんて出来ない。



 だから、私は拙い言葉で神父に尋ねた。



「神父様とママは、神様の教えに背いているのではないのですか?」



 ……彼は、醜い言葉を羅列した。



 あれらは決して純潔に背く行動ではないこと、神様を裏切っているワケではないこと、宗教を個人のための力として使っているワケではないこと。ウンザリするような、知っていれば誰でもおかしいと分かるような言葉で幼い私を説き伏せようとした。



「そうですか」



 聖書を一冊読み終わる頃、私はこの教会の存在意義について考えるようになっていた。母親を救ってくれた神様を、なぜ宗教家の神父が裏切るのか。その理由が知りたかったから。



「信じなさい。信じる者は救われる」



 つまり、母親は足元を掬われたのだ。



 なぜ、私に父親がいないのか分かった。母親は頭が悪かったのだろう。真面目で、勤勉で、普通の生き方をして普通の男と恋愛をしていたのなら普通に幸せになっていたに違いないのに。ただ頭が悪くて、危ういバランスで成り立つこの世界の、ほんのちょっと悪い方向へ転がってしまっただけ。



 ならば、反対側へ転がらなかった理由とは何なのだろう。なぜ神様は真面目で勤勉な母親を普通の幸せに導いてあげなかったのだろう。神様を信じた今でも父親が迎えに来ないのはなぜだろう。運が倫理的に正しい方角へ向かないのはなぜだろう。



 ……私は、途端に教会が怖くなった。



 そして同時に、教会の外には何があるのか気になった。初めて外の世界に目を向けた。学校も教会と繋がりのあるミッション系の一貫校だったから、10歳になったその日も外の景色を知らなかったのだ。



 しかし、いつしか聖歌隊のリーダーとなった私は責任に縛られて身動きが取れなかった。小学生ながらに私たちの歌が地域のためになっていることは分かっていたし、教会の運営資金に貢献していることも知っていた。



 私が歌をやめれば、ここにいる子供たちが不幸になるかもしれない。それが嫌で、神父や母親に事の真意を問うことは出来なかった。



「ミチルちゃん。あなたも、もうすぐ儀式だね」



 その日曜日のミサのあと、一つ年上の先輩であるチサトちゃんが言った。



「儀式?」

「うん、女の子は12歳の誕生日に神父様へ身を捧げるの」

「どうして?」

「神父様に処女を捧げなければ純潔になれないから」



 嘘だ。



 聖書にそんなことは書かれていない。第一、司祭に捧げ物をするという事自体が私たちの宗教の教えから逸脱している。信じるモノは神様であって人ではないのだから、本来ならば信者はみんな平等であるハズだ。



 それなのに、神父へ捧げなければならないというのは矛盾している。私は、チサトちゃんの言葉によって教会への不信感を確信めいたモノにした。



「おかしいよ、そんなの」

「でも、そうしないと外の世界に行かなきゃいけないんだよ。お母さんが酷い目にあった世界なんて、不幸しかないに決まってるよ」



 つまり、それが神父が子供たちを洗脳する手立てだった。身を捧げなければ再び母親を不幸にすることになる。私たちだってどうせ不幸になる。そうやって意識を縛り、教会へ反抗する意識を確実に摘み取っていくのだ。



 ……その悪意に気づくことが出来た理由が聖書を読んだことだなんて、本当に皮肉な話だと思った。



 でも、だからといって逆らう気にはなれなかった。この頃には神父のことなんて嫌いだったけど、母親は彼を敬愛しているみたいだったし。他の子もみんなやっていることならば、個人の感情で否定することも憚られる。



 どれだけ疑っても、外の世界に行く恐怖に比べればマシ。そこのところの意識については私もみんなと同じだった。ただ怖くて、教会の中ですら知らないことばかりなのに、外に出てしまえばどうなるのかなんて考えたくもなかった。



 ……12歳の誕生日。そして、教会へあの子が来るまでは。

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