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天命  作者: 三木弥生
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序章

ぽつぽつと小さく窓を叩く雨音がする。

ソファに浅く腰掛け頬杖をつきながら読むともなく本を見つめていた彼女の耳は容易く雨音を捉え、ふと外を眺める。そろそろ顔を出そうかとしていた月を隠して空は薄暗く、美しく整えられた樹木の葉が雨粒に叩かれ柔い風に撫でられ揺れていた。


風も雨も大した勢いはない。きっとすぐにでも止んでしまうだろう。そう思って彼女は少し落胆しながら立ち上がり、明日の結婚式の為に用意されたドレスを見つめる。青いそのドレスは彼女が参列者として身に付ける為のものであり、決して純白を纏う事を許されない。

彼女は深い青色から目を反らすとため息をつき、手にしていた魔導書を書庫へと戻すべく部屋を出た。



ーー明日の主役はこの国の王女と勇者だ。



かつてこの国は荒廃していた。魔王に侵略され国中には魔物が溢れ、人心は惑い、国土は荒れ果て実りはなく、そう遠くない未来の滅びを誰もが予感していた。

だが、一人の少年がその未来を変えた。海の彼方から訪れた彼は国を脅かす妖魔を退け、民を救い、平和をもたらした。そうして共に世界を救うべく立ち上がり、共に旅をしてきた彼女がその背中に恋をするのにそう時間はかからなかった。

旅の果てに魔王を打ち倒した彼は「勇者」の称号を、そして彼女は「賢者」だと国中から称えられた。

そして、勇者には爵位や称号だけでなく「王女」も下賜された。


ざぁ、と一層雨音は強くなり、思わず彼女は足を止める。先ほどまでとはうって変わり空は重く厚い雲に覆われ強い勢いの雨粒が叩き付ける勢いで降りしきっている。


ーーこのまま明日の式なんてなくなってしまえば良いのに。


国を救った英雄と王女の結婚は民にこれからの復興へと大きな希望を与えるだろう。誰もが祝福している婚姻だというのに、それを喜べず疎んでいる己を彼女は自覚していた。そうした己が恥ずかしくうつむきながら歩みを進める。

大きな屋敷を、爵位を、名誉を手に入れても決して満たされる事のない渇きと痛み。

それが例え政略的なものであろうと、建前だけだとしても、王女がどれだけ優れた人格だろうと彼らが世界に受け入れられていたって関係ない。


愛する人の結婚式に参加しなければならない。

胸の痛みを抑えることも出来ずに、彼らの前で明日笑って過ごす事が出来るだろうか。


書庫へ着いた彼女は書棚へ本を戻そうとする手を止めじっと見つめる。

解読中の魔導書。まだ半分も解読出来ていない古代語で書かれたそれは今では失われた秘術ーー不老不死や死者蘇生、時間遡行などが記されていると言われている。現実的ではない、どうせ偽物だろうと思っているが、明日の事を考えると眠る気にもなれずパラパラと捲る。

そう、彼らの事を考えたくはない。

今だけでも忘れていたい。


ーーこんな想いを抱えているなど誰にも知られてはいけない。


ふと涙がこぼれ落ちる。パタパタと音を立てて魔導書が滲んで慌てて拭う。


ーー悲しい。悲しい。

悲しみの感情をコントロール出来ない。涙が止まらない。

じわりと涙に濡れた魔導書がふっと淡く光を放つ。

何か魔法が発動したのだろうか。逃げなければ、と普段ならば危険を感じるよりも先に反射的に動く筈の体はしかし指一本動いていない。そして、不思議なほど何も感じない。恐怖も苦しみも、焦燥もない。

あるのは悲しみだけ。


そうか、と彼女は思う。もう自分は全てを諦めているのだ。彼の隣にいることも、生きることさえも。

次第に光は大きくなり暖かな温度をもって彼女の全てを包み込み、心地よい眠りへと誘う。

ああ、と彼女はため息を吐いた。


ーーこのまま目覚めなければ良いのに。

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