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第8話

 リネットがレックスから視線を逸らす。


 彼は真剣にリネットのことを見つめている。火傷してしまいそうなほど熱い視線から、彼が本気だということはいやというほどに伝わってきた。


 かといって。リネットがこのプロポーズを受け入れることができるかどうか――は、別問題だ。


「レックス殿下。お言葉ですが、やはり私は王子殿下と婚姻できる身分ではありません。どうか、あきらめていただきたく」


 彼を傷つけないような言葉を選び、リネットはやんわりと断ろうとする。


 だって、そうじゃないか。レックスと結婚したら、リネットは面倒な派閥争いに巻き込まれることになる。今は下位貴族だから避けられていることにも、首を突っ込む必要が出てくる。


 それに、これでもかというほどの妬みを向けられることは、確定事項だろう。


(そうよ。こんな平凡な娘がレックス殿下のお隣に並んだら――)


 想像をして、リネットの背筋がぶるりと震えた。


 レイチェルのような華やかで美しい娘なら、周囲は「お似合いだ」と言ってくれるだろう。けど、こちとら平々凡々と言われ続けて十何年である。似合うわけがない。


(いうならば、そう。異国の言葉で月とすっぽん……)


 などと思いつつ、愛想笑いを浮かべる。


 レックスはなにかを考え込むようなそぶりを見せており、なにも言葉を紡がない。


 ……ようやく、あきらめてくれただろうか?


 微かな期待を胸に、リネットは彼を見つめる。すると、彼は名案を思い付いたとばかりに手をたたいた。


「リネット嬢」

「え、は、はいっ!」

「婚姻届けを書いて、教会に提出しよう!」


 ……いや、なにがどうしてそうなるのだ。


 心の中でこれでもかというほど突っ込んでいると、彼はうんうんとうなずく。


「さっさと結婚してしまえば、面倒な手続きもない。それに、周囲に文句など言わせる暇もない」


 確かに、それは間違いない。


 一瞬そう思ったが、リネットにそんな勇気はない。


「王族の離縁手続きは大層面倒だ。誰もそんな面倒なことをしたがらないだろう」

「それはそうですけどっ!」


 なぜだろう。彼と話していると、とても疲れる。


 すでにげんなりしはじめたリネットをよそに、レックスはまた婚姻届けを手に取った。……勘弁してほしい。


「レックス殿下は、どうしてそうも突拍子ないのですか!」

「……そうだろうか?」

「えぇ、どうしてそうなるのかが一切不明です!」


 必死に叫ぶと、彼は考え込む。


 話していてわかったことだが、彼は決して悪い人ではない。ただ、言うならば……そう。頭のねじが飛んでいるのだ。数百本ほど。


「そもそも、女性をいきなり連れ込んで婚姻届けを突き付けるなんて、普通じゃ考えられません!」


 リネットの知る貴族間の婚姻とは、両家の親が納得したうえで決められるものだ。


 そこに子供の意思などないし、好きだから……と結婚することなんてありえない。


(他国では恋愛結婚も盛んになっているけど、まだこの国では浸透していないものね……)


 内心で付け足して、リネットは少しだけうるんだ瞳でレックスを見つめる。


「……そう、なのか。悪かった。しばらく留学していたからか、どうしてもあちらの文化に合わせてしまって……」

「殿下の留学されていた国では、これが普通なのですか?」


 なんとなく、そっちのほうが問題な気がする。


 頬をひきつらせていると、彼はこくんと首を縦に振った。……なんという恐ろしい国。


「俺が留学していた国では、好きな相手と結婚することが推奨されていた。ついでに言えば、好きならばどんな手段を使ってでも手に入れろという文化で……」

「よく陛下や王妃殿下が、そういう文化の国を留学先に選びましたね?」


 もう不敬だとか、そういうことは頭の中から消えていた。


 レックスはきっと、純粋無垢なのだ。そのため、相手の言葉をうのみにしてしまうし、あげくあっさりそちらの文化に染まってしまう。それをリネットはようやく理解した。


(あぁ、このお方は思い込みが激しいのね)


 そっと彼の顔を見上げる。絵本の中から出てきた王子さまと言っても、過言ではないほどの美貌を持つレックス。


 けど、その内面は……かなり純粋無垢らしい。


「まぁ、いいだろ。……とりあえず、リネット嬢には俺と結婚してほしい」

「今までの私のお話、聞いていらっしゃいました……?」


 話が振り出しに戻った。つまり、先ほどからの攻防戦は無意味だったということになる。


 ずきずきと痛む頭を押さえていると、レックスがきょとんとした表情でリネットを見つめてくる。


 ……よくもまぁ、こんな純粋無垢さで生きてこれたな。


(こんなに純粋無垢だと、穢すのもおこがましいと思うのかしら……?)


 貴族令嬢とはいわばハイエナ、肉食獣である。目的のためならば、手段なんて択ばない。


 それすなわち、レックスと既成事実を作ろうとする令嬢だっていただろうに。


(この純粋さに気圧されたのかしら……?)


 ……あり得るな。


 リネットは天井を見上げた。

次回更新は明日です(タブンネ)(o_ _)o))


引き続きどうぞよろしくお願いいたします……!

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