第6話
(なんなの、この人――!)
心でつぶやいて、リネットはついつい一歩足を引いてしまった。
壁にかかとが当たる感触に、現実に戻ってくる。
(そうよ。ここはお話を逸らしましょう。そのあと、ゆっくり訳を聞いて――)
冷静さを欠いてはならない。
こういう相手の場合、ペースに巻き込まれてはならない。果たして、レックスにはどんな思惑があるのだろうか。
(どういう思惑であっても、私は乗らないわよ!)
万が一、リネットの性格が夢見がちであったなら。ここで喜んでレックスのプロポーズを受け入れただろう。
玉の輿、シンデレラストーリー。ここら辺の言葉が適切か。
とにかく夢を見ることができる娘なら、喜んだはず。
ただ、不運にもリネットが現実主義者だったというだけだ。
「れ、レックス殿下。一度、落ち着きましょう。そうです。お話し合いをすると分かり合えますわ」
……これでは命を狙われ、命乞いしているみたいじゃないか。
口にしてから理解し、リネットは血の気が引くような感覚に襲われた。
王族に対して無礼すぎる言葉遣いだ。それに、王族にこんなことを言うのは不敬。
リネットがサーっと顔を青くしていると、レックスは考え込むそぶりを見せた。
(まさか、私をどういう罪に問おうか考えている――!?)
ネガティブな考えしかないリネットは嫌な想像をしてしまう。
唇がわなわなと震えた。周囲の人間たちはここぞとばかりにひそひそ話をしている。
誰か一人くらい、助けてくれてもいいだろうに。
(まったく、貴族とは薄情な生き物ね……!)
こぶしを握り、リネットは心で悪態をつく。
そのとき、ふいにすぐそばから「よし、わかった」という声が聞こえた。
リネットははっとする。そうだ。今助けを乞うべきは、周囲の貴族に対してではなく、レックスに対してだ。
「ぶ、無礼をお詫びいたします。なので、どうか――ぎゃあっ!」
リネットの謝罪の言葉など、レックスは聞こうともしなかった。
彼は謝罪の言葉を最後まで聞くことなく、リネットの身体を抱き上げる。
まるで重たいものでも運ぶかのような。到底女性を運ぶ抱き方ではない。
ついでに、リネットの悲鳴も貴族令嬢があげるべきものではなかった。
「わ、私をどうするのですか!? お、お詫びはいくらでもしますので――!」
これはとにかく、命乞いをしなくては。
不敬くらいで命を取られることはないだろう。せいぜい財産の一部を没収するレベルだ。
もちろん、それは恐ろしい。アシュベリー子爵家は裕福とはいえ、貴族の中では貧乏な部類だ。
「リネット嬢。先ほど、キミはお話し合いをしたら分かり合えると言ったな?」
レックスが真剣な声で問う。どうやってもごまかせそうにないため、リネットは観念して「はい」と答えた。
(やっぱり、不敬で罰せられてしまう――!)
しばらく留学していたということもあり、リネットは彼の性格をよく知らない。
そもそも三年もたてば人間にはある程度の変化があるものだ。以前の情報があったとしても、役に立たなかっただろう。
「で、殿下! 謝罪はいくらでもします。なので、罰するのはおやめください!」
ここが社交の場であるということなど、リネットの頭からはすっぽりと抜けていた。
見苦しいと思われてもかまわない。ここは命乞いをするべき場面だ。
(罰せられるなど、冗談じゃないわ!)
リネットが控えめにも暴れると、レックスはさも当然とばかりに踵を返した。
途中、キャロラインと視線が交わる。彼女はころころと声をあげて笑っている。
意味がわからない。
「まぁまぁ、レックスったら」
すれ違う際に聞こえてきた彼女の声は、ひどく楽しそうだった。
リネットの身に突如降りかかった不幸を喜んでいるのだろうか? いや、そんな性悪な女性だと思いたくない。
「レックス殿下っ――!」
「悪いが、少し大人しくしてほしい。俺だってキミを落としたくないんだ」
どうやら、このまま暴れると落とされるらしい。それを悟り、リネットは暴れるのをやめた。
床に落ちたら絶対に痛い。ここは我慢だ。我慢して、レックスの説得を試みなくては。
「で、でんかぁっ!」
しかし、さすがに周囲の視線が痛すぎる。リネットは顔を両手で覆う。
一人百面相なんて間抜けな姿を見せたくなかった。
そもそも、貴族令嬢は感情を表に出さないのがたしなみ。リネットのように感情が表に出てしまう娘は――完ぺきとは程遠い存在なのだ。
続きは明日です(多分)
どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします……!