第5話
素っ頓狂な声が出た。
まっすぐにレックスのことを見つめる。彼は真剣な眼差しだ。つまり、彼は本気で言っている。
(ちょ、だれと勘違いしているの!?)
真剣さに押され、リネットは心で叫んだ。
けど、先ほど彼は『リネット・アシュベリー子爵令嬢』と言っていた。すなわち、勘違いとは考えられない。
「あ、あの、レックス殿下っ――!」
うつむいて自分の手を握った。
周囲からの視線がつらい。身体中を突き刺すような視線にリネットは身体を震わせた。
「どうした、リネット嬢?」
レックスがリネットのほうに一歩踏み出す。リネットは一歩引いた。
彼の真っ赤な瞳がリネットを射抜く。美しい瞳――なんて思えるような状態ではない。
「ど、どちらさまと勘違いされているのですか――?」
首をぶんぶんと横に振り、リネットは声を震わせながらも告げる。
もしも、自分ではない誰かが婚姻届けを突き付けられ、プロポーズされていたなら。
きっと、情熱的なプロポーズだなぁと思っていただろう。だが、あいにくと言っていいのか、婚姻届けを突き付けられているのはほかでもないリネット自身。笑い事ではない。
「なにを言っているんだ? キミがリネット・アシュベリー子爵令嬢だろう」
彼はリネットの瞳を見つめて、リネットの名前を繰り返した。
どうやら、人違いではないらしい。
もう一度彼が一歩を踏み出した。だから、リネットは一歩下がった。
そんな攻防戦がしばしの間繰り広げられる。周囲の人は興味深そうにリネットとレックスを観察している。
キャロラインに至っては、扇で口元を隠してこそいるが、にやけているのがまるわかりだ。だって、彼女の瞳は面白そうに細められているのだから。
(いや、助けてくださいよ――!)
そもそも、自分は子爵令嬢だ。王家に嫁ぐには身分が足りない。
なんて考えていると、背中に壁が当たった。どうやら、もう後ろには引けないらしい。
「リネット嬢。俺はキミに恋をしているんだ。どうか、ここにサインをしてほしい」
「い、いやいやいやっ! 無理です!」
突き付けられた婚姻届けを押し返しながら、リネットは首を横に振った。
肉食獣に怯える小動物になった気分だ。
(自分にこんな非日常が降りかかるなんて、想像していなかったのに――!)
小柄なリネットよりも、レックスはずいぶん背が高い。自然と見上げる形になる。
真剣な面持ち。真摯な眼差し。やはり嘘をついているとは思えない。
つまり彼は――リネットに真剣にプロポーズしているのだ。余計にたちが悪い。
「れ、レックス殿下! 結婚とは、お互いを知ってからするものでございます。こんないきなり婚姻届けを突き付けられても、困るだけでして……」
自分にしてははっきり断りの言葉を口にできたのではないだろうか。
(そうよ。結婚とは互いをしっかりと知ってからするものよ。だって、取り返しのつかない選択だもの)
心で納得しつつ、リネットはレックスを見つめた。
「……それも、そうか」
リネットの言葉にレックスは納得したようだ。考え込むそぶりを見せる。
彼の憂いを帯びた表情は絵になるほど美しい。こんな状況でなかったら、見惚れていた。
「では、俺と結婚を前提に付き合おう」
「どうしてそうなるのですか!?」
リネット自身は気づいていないが、先ほどの言葉だと、こういわれても仕方がなかった。
だが、冷静さを欠いているリネットがそれに気づくことはない。
「わ、私はレックス殿下の恋人になるには不相応でございます――!」
取れてしまいそうなほど首を振って、リネットは訴える。
そうだ。ミラベルならともかく、自分は平々凡々な子爵令嬢。彼の隣に立つなど、おこがましい。
「――どうしてだ?」
けど、レックスは心底不思議そうだった。
「リネット嬢はとても愛らしい。小動物のようだし、なんとも庇護欲をそそる。……それとも、俺が不満なのか?」
「い、いえ。そういうわけでは――!」
あまりにも悲痛な面持ちで彼がいうものだから、リネットは否定してしまった。
「レックス殿下はとても素敵な容姿をされておりますし、性格だって……その。素晴らしいと思いますわ」
正直、リネットはレックスのことをよく知らない。噂に聞く程度の知識しかない。
「では、結婚してくれ」
「だから、どうしてそうなるのですか!?」
なぜだろうか。彼と話をしていると、とても疲れる。――というか、常識が通じない。
(こういうのを、規格外の人物というのでしょうね……)
身分が上の人間にこんな感想を抱くなど、失礼かもしれない。
だけど、そう思ってしまうほどにレックスは、人の話を聞かないタイプだった。
ブクマ550突破ありがとうございます(n*´ω`*n)♡
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