第4話
誰もがレックスを熱心に見つめる中、彼は周囲に微塵の興味も示さなかった。
彼は淡々と一定の歩幅で足を前に進める。途中、キャロラインといくつかの言葉を交わす。
その後、彼は会場内を見渡した。楽団が奏でる音楽と合わさって、彼のその姿はまるで舞台の一幕にも見える。
「――と」
レックスがなにかをぽつりとつぶやいた。
リネットは耳がいい。それは音楽に通じていたことも関係するのかもしれないが、生まれつきでもあった。
人の声を聞こうとしなくても、聞いてしまう。リネットは幼少期からこの癖に悩まされてきた。
それはときに心無い言葉を聞いて、落ち込むことにもつながる。けど、役に立つときだってあるのだ。
(今、レックス殿下はだれかのお名前をつぶやいたわ)
先ほどの彼のつぶやきは、短かった。
レックスがぎゅっと手を握ったのがリネットにも見えた。
悔しそうに眉間にしわを寄せる姿も、整った顔立ちと合わさりとても美しい。周囲が見惚れ、感嘆のため息をこぼす。
いち早く現実に戻ってきたのは、美しい令嬢だった。彼女の家は名家であり、王家の者と婚姻するのに申し分ない身分だ。
彼女は以前からレックスの婚約者候補の筆頭であり、幼少期からレックスとは付き合いがあるという。
「レックス殿下」
彼女――レイチェル・エクランド侯爵令嬢がレックスのほうに一歩を踏み出した。
その際に彼女の美しく輝く吐く銀色の長い髪がリネットの視線を奪った。
「――お似合いだわ」
だれかがレックスとレイチェルを見てこぼした。
レイチェルは社交界でも人気の高い令嬢だ。それは家柄もあるが、一番は彼女の容姿。
この国に語り継がれる『建国の女神』のようだと言われる彼女は、笑み一つで男性を虜にするほどの美貌の持ち主だった。
「レックス殿下、ご無事の帰国、安心しましたわ。わたくしもレックス殿下とお会いできて、大変うれしく思います」
深々と頭を下げ、レイチェルが言葉をつむぐ。
しかし、レックスはレイチェルの様子を一瞥し、すぐに興味を失った。
かと思うと、彼はまた周囲を見渡した。彼の様子は誰かを探しているようだった。
「レックス殿下?」
レックスの様子を怪訝に思ったのか、レイチェルが彼の顔を覗き込む。しかし、レックスは一言「失礼」とだけ言い、レイチェルの側を通り抜けた。
彼は自身の衣服のポケットを漁り、紙切れのようなものを取り出した。
一体、なんなのだろうか?
(というか、レックス殿下は今、レイチェルさまのことをないがしろにしたわよね――?)
この点が不思議だった。
二人は幼馴染といっても過言ではない関係のはず。なのに、レックスはレイチェルにこれっぽっちも興味を示さなかった。
ぼんやりと二人を見つめていると、周囲の令嬢たちがざわめきだす。
なぜならば――レックスが、下位貴族の令嬢たちが集まる場所に足を向けたためである。
「れ、レックス殿下がこちらにいらっしゃるなんて――!」
声を上げたのは一体だれだったのか。
リネットはそっと視線を下げた。もしかしたら、下位貴族の令嬢たちの中に彼の『お気に入り』がいるのかも――。
そんなささやきを聞きつつ、リネットは「ふぅ」と息を吐く。
周囲の令嬢たちのように、リネットが色めき立つことはない。だって、不相応だとわかっているから。
自分がレックスに見初められることなど、一生ない。それくらいリネットは理解していた。
「――おい」
近くで男性の呼ぶような声が聞こえてきた。
どうやら、声をかけられている令嬢はリネットのすぐそばにいるらしい。
他人事のように考えつつ、リネットがゆっくりと顔を上げた。すると、そこには――美しい人がいて。
「……え?」
彼、レックスの視線はリネットにだけ注がれていた。
驚いて頬をひきつらせていると、レックスは「こほん」と咳ばらいをした。
周りの視線が痛いほどにリネットに突き刺さる。側にいるレックスの視線も、ひどく真剣で。
リネットは自分が場違いだと思ってしまった。
「――リネット・アシュベリー子爵令嬢」
レックスがリネットの名前を呼ぶ。どうして、彼はリネットのような平凡な貴族令嬢の名前など憶えているのだろうか?
いろいろと思うことはありつつも、リネットにできることは深々と頭を下げることだけ。
ひざを折り、ドレスの端をちょんと持って一礼をした。
「存じていてくださり、光栄でございます」
当たり障りのない返事をして、リネットは彼の目を見た。
そのルビー色の目が微かに揺れているのがわかる。
彼は意を決したように手元の紙をリネットに突き付けてきた。
リネットはきょとんとしつつ紙に書かれた言葉を無意識のうちに読み上げる。
「婚姻、届け?」
それは婚姻の際に教会に提出する――婚姻誓約書だった。
「どうか俺と結婚してくれ!」
「――はい?」
次回更新は明日の予定です(o_ _)o))
どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします……!