罪人バルナバス《幕間》元婚約者
(カールハインツ兄の元婚約者のお話です)
王宮からの呼出状が届いた。まったく心当たりがない。しかも名前は第一王子王子ムスタファ殿下となっている。人嫌いで有名な殿下だから、当然のこと話したことはない。
昨日王宮では大事件が起こったらしい。我が家は城の舞踏会に招待されるほどの豪商ではあるけれど、身分は平民。だからまだ事件の内容を知ることはできていないのだけど。混乱の極みにある城に、どうして私が呼ばれるのだろう。夫も身に覚えがないという。
もしかしたらカールハインツになにかあったのかもしれない。
私の最愛の人エーデルトラウトの弟、カールハインツ。彼の家族は都にいないから、私に連絡が来たということはないかしら。でもオイゲンがいるのに私に、ということは考えにくい。それならオイゲンにもなにか起きたのかもしれない。
あふれる不安に、矢も盾もたまらず王宮に向かった。
◇◇
城内は騒然とし、まだ混乱の真っ最中のようだった。私が案内されたサロンの前には近衛兵がずらりと並んで警備をしている。どう見てもただ事ではない。やっぱりカールハインツとオイゲンが――。
不安を抱えながら入室すると中にはすでにムスタファ殿下がいて、その傍らにはオイゲンが立っていた。彼の無事にホッとはしたけど、明らかに憔悴しきっている様子に嫌な予感がひしひしとする。
ムスタファ殿下と短い挨拶を交わすと彼はすぐに、私に椅子を勧めた。向かいに座る。
「長い話になる」と殿下。「もし気分が悪くなったりしたら、すぐに教えてくれ」
「はい」
答えてスカートを握りしめる。ああ、カールハインツ。あなたに何が起きたというの?
「あなたの元婚約者、エーデルトラウト・シュヴァルツ氏」
殿下の口から出た名前に、一瞬理解が遅れた。カールではなくエーデルの話なの?
「彼の遺体が発見された」
すっと血の気が下がるのが自分でもわかった。息を整える。
「大丈夫か」殿下の声がする。「横になるといい」
「……いえ。平気です。きっともうダメなのだろうとは、思っていました。彼が私を置いて行方不明のままでいるはずがありませんもの」
エーデルの死を、覚悟はしていた。
だけど信じたくはなかった。
どこかで生きていると思いたかった。
ずびずびと鼻をすする音がして、見るとオイゲンが肩を震わせ泣いていた。
「エーデルはどこでみつかったのでしょうか」と殿下に尋ね、尋ねながらどうしてこの人嫌いの王子が私に伝える役になったのかと不思議になった。
「パウリーネ妃の温室だ」
「え……?」
オイゲンを見る。号泣になっている。
「パウリーネ妃は殺害現場に居合わせたらしい。遺体を自分の温室に隠し、殺人事件を隠蔽するため脅迫状などの工作を行った。本人も認めている」
あの呑気な王妃が?
なぜ?
というか『居合わせた』のなら、エーデルを殺したのは誰?
「殺害犯は」と殿下。「カールハインツ・シュヴァルツだ」
「……聞き間違えたみたいです。もう一度――」
「カールなんだっ!」私を遮りオイゲンが叫ぶ。「エーデルをやったのは、カールなんだ!」
オイゲンがぶるぶると激しく震えている。
「ロッツェ、着席しろ。許可する」
だけどオイゲンはその場に崩折れた。私を見て、
「すまない」と言い、うずくまる。
それから何度も『すまない』と、彼は繰り返した。
本当にカールがエーデルを……。
信じられない。
信じたくもない。
だけどカールとは、私よりもオイゲンのほうが親しい、いえ、親友としてやってきた。
立ち上がりオイゲンの元へ行き、その肩を抱く。
殿下を見る。
「カールとは話すことはできますか」
「ダメだ。別件の主犯だから、そちらの捜査が優先になる」
「別件?」
オイゲンは泣き続けている。近衛兵を見ると、誰もが疲れた顔をしていた。
「順に話す」と殿下。「オイゲン、椅子に座れ。それではご夫人が辛い体勢だ」
「申し訳ありません」泣きながらオイゲンは立ち上がり、ふたりで長椅子に座る。
それから殿下は丁寧に話してくれた。
カールはエーデルに劣等感を抱き、妬んでいたらしいこと。
些細なことがきっかけで、衝動的に殺人を犯してしまったこと。
それをパウリーネ妃に気にいられたこと。
ふたりは不義の仲になりカルラ姫をもうけたこと。
親子三人で暮らすために国王陛下暗殺を、次の王にバルナバス殿下をつけるためにムスタファ殿下の暗殺を企て、失敗したこと。
まるで安物の三文小説のような話だった。だけどオイゲンが号泣している理由はわかった。カールがエーデルを殺しただけでなく、国賊になっただなんて。彼には衝撃的なことだろう。
元来無口な子でなにを考えているのか、わからないところはあった。それでもエーデルを慕っているように見えたし、エーデルも寡黙な弟を可愛がっていた。
そうだ、エーデルはよく
『あいつはすごい努力家なんだ。当主には俺みたいな感覚派より、カールのほうが向いていると思うんだ』
と言っていたっけ。
「……カールは極刑ですね?」
「ああ」殿下がうなずく。
「私のような者にまで詳細をご説明いただき、ありがとうございます」
「いや、本題はこれからだ」と殿下。「最低でも向こう五年、暗殺事件はパウリーネとその手下の庭師のみの犯行ということにする」
「……カールは?」
「カルラ王女がカールハインツ・シュヴァルツに心酔している。彼女はまだ五歳だ。母親のことも当面は病気療養による面会謝絶と説明するが、いずれは明かす。大好きな人間がふたりとも犯罪者だとなったら、姫は精神の安定を崩すかもしれない。そのための措置だ。
シュヴァルツのほうを隠すのは、パウリーネのほうに余罪が山とあるゆえ。彼女は相当数、殺人を犯していると思われる」
「カルラ殿下は……」オイゲンがえづきながらも声を絞り出す。「カールに憧れ、カールになることを夢見ている。ムスタファ殿下のご厚情なのだ……」
殿下を見る。
「そうだ。私は妹を守ることを優先する。そのためにエーデルトラウト・シュヴァルツ氏殺害犯についても最低五年、公表しない」
これまでの話によれば、カルラ殿下はムスタファ殿下とはまったく血は繋がっていない。その妹を守る……
「結果的にご夫人に苦痛を強いることになる。申し訳ない」
ムスタファ殿下が立ち上がり、頭を下げた。
「なりません、王子が平民に!」
侍従らしき人が叫ぶ。
オイゲンも驚いたのか嗚咽が止んだみたいだ。
「……もしこれが七年前なら、怒ったかもしれません。六年前でも。ですがあれからもう、八年も経ちましたから。それに犯人を見逃すわけでもありませんし……」
「心遣い、感謝する」そう言って殿下は座った。
「カールは可愛い弟でした。……信じたくないから五年というのは、かえってよい期間かもしれません」
オイゲンの嗚咽がまた聞こえてきた。
◇◇
中庭からかすかにムスタファ殿下の声が聞こえた。カールハインツの処刑が終わったらしい。
殿下はエーデルの元婚約者である私に、かなりの配慮をしている。殺害犯を公表しない代わりに希望をひとつ叶えると言われた。悩んだ末、カールの遺体と対面させてほしいと願った。
表向き、カールは特命で外国に行くことになっているという。処刑は非公開かつ内密。
これではカールが本当に死んだのか、わからない。今回ははっきりと死を確認したい。
そう思ったから、願った。
殿下はふたつ返事で了承してくれた。
殺風景な白い部屋を見渡す。礼拝室なのか、壁に木の十字がかかっているだけで、家具は私が座っている一人がけの椅子しかない。その他にあるのは簡素な棺だけ。罪人用なんだろうな。見るからに安い作り。申し訳程度に薄い布が敷いてある。
昨日対面したエーデルの遺体は、どうやったのか近衛の制服を身に着け豪華な棺に入れられて、近衛総隊の旗と国旗が掛けられていた。
複数の足音が廊下から聞こえてくる。
来た。
開け放したままの扉からオイゲンと担架が入ってくる。その上に載せられたカールハインツはシンプルな服を着ていて、制服ではなかった。魔法で止血しているのか、あまり血で汚れていない。ただ膝には砂がついていた。
近衛兵たちの手でカールが丁寧に棺に移される。
終わると、オイゲンが膝から崩れ落ちた。棺にしがみつき、声を上げて泣いている。私がムスタファ殿下に呼び出された日、彼は私に言った。
『エーデルの仇は私が討つ』と。
担架を担いできた隊員たちも、それぞれ棺に取り付いて泣いている。
裏ではどうあれ、表のカールは良い近衛兵だったんだ。エーデルが望んだような。
「失礼します」
突然、声がした。入口に女の子が立っている。息が切れているから走ってきたみたいだ。
「マリエット」と若い近衛兵が呼んだ。
彼女は私のもとに真っ直ぐにやって来て、
「侍女のマリエット・ダルレと申します」と名乗った。
「お願いがございます」
「お願い?」
「はい。こちら」と彼女は手の中のものを見せた。ハンカチ――だけど、なにか包んであるみたいだ。「カルラ殿下の御髪です。棺に納めさせていただきたいのです」
「どうして私に許可を? ――いえ、これも私への配慮なのですね」
侍女がうなずく。
「どうぞ。いれてあげてください」
「ありがとうございます」
侍女は頭を下げると棺に向き合い、襟元の下にそれを入れた。
「ありがとう、マリエット」とオイゲンや近衛兵が言う。
罪人であるカールは、葬儀はされないと聞いている。王家に反逆したのだから当然なのだろう。きっと本来なら副葬品などもってのほか、というところかもしれない。
エーデルなんて八年も誰にも弔われず、ひとり淋しく埋められていたのに。彼の亡骸には誰もしがみつくことができなかったのに。
ぶわり、と。
私の内でなにかが膨れ上がった。
私の最愛の人、エーデルは死んだ。殺された。彼が愛した弟に殺されて!
カールが憎い。
だけれど今更カールを恨むこともできない。カールは可愛い弟だった。
立っていられなくなり、その場に座り込む。エーデルの死を聞かされてからもまったく出ることのなかった涙が、とめどなく流れ落ちる。
会ったばかりの侍女が優しく私を抱きしめた。




