罪人バルナバス《2》
「ああ、本当に酷い顔だ」
ムスタファが来た翌日、フェリクスがやって来た。いつもの人を食ったような笑顔ではなく真顔だ。彼の後ろにはふたりの近衛兵。元々いた監視と合わせて四人もの兵士に守られている。
「……なにしに来た、裏切り者」
今日はしっかり声が出る。昨日、あれほど屈辱的な思いをしたのにどうしてか、夕食のスープは喉を通ったし、吐くこともなかった。今日も朝食、昼食とスープを完食している。
「裏切り者?」
ムスタファが使った椅子に座り、フェリクスが首をかしげる。
「親友の私を裏切り、ムスタファに与したではないか」
「親友、か」
フェリクスの顔がわずかに変わったが、すぐに元の真顔に戻る。
「君は本当にそう思っていたか? 私はバルナバスが俊傑な王子であることを、より確固とさせるためのアクセサリではなかったか?」
……この男はなにを言っているのだ?
「わかっていないようだな。まあ、いいさ。我々の友情は表面的なものにすぎない、と私は感じていたということだ。――恐らくはオーギュストもな」
「下衆らめ!」
「そういう君はどうなんだ? 己の欲望のために兄と父を殺そうとしたではないか」
胃を巨人に掴まれたような痛みが起きる。せっかく落ち着いていたのに。フェリクスの前で惨めな姿を晒したくない。丸一日ぶりのそれに、歯を食いしばり必死に耐える。
「フェリクス殿下」
咎めるような近衛兵の声。
「ああ、すまん」とフェリクス。
なにが『すまん』なのか。視線を向けるとフェリクスは、冷めた目をして私を見ていた。
「なあ、バルナバス。君は昨晩から食事を取ることができ、吐いてもいないはずだ。なぜだと思う?」
「フェリクス殿下!」近衛兵の声が鋭さを増す。
それを彼は無視し、
「今の君には考える力は残っていないか」
「……バカにするな」
「ムスタファだ」
思わぬ返事。
「ムスタファ……?」
「そう。見かねた彼が君の食事に回復魔法をかけるよう指示した。この部屋でも効力が出るよう、複雑な手順を踏んでいるそうだ」
なんだそれは。
「私が惨めに斬首されるのを見たいのか! それまでは生きていろということなのだな!」
「違う」フェリクスが嘆息する。「聞いていないか。パウリーネ妃とシュヴァルツが今いるのは牢獄だ。身分への配慮は一切無しの、強盗や暴行犯が入る本物の牢」
「なに……?」
近衛兵を見ると、彼らは全員うなずいた。
私が閉じ込められている部屋があるのは、王宮の敷地の隅にある小さな廃宮だ。離宮として使っていないだけで建物としては現役らしく、豪華ではないけれど清潔だ。母上たちもこの廃宮にいるのだと思っていた。
「君はあのふたりと違って、殺人は犯してない。そしてまだ未成年だ。これまでの生育環境を鑑みるに、パウリーネ妃の影響が相当に強いと考えられる。だからそれらを考慮して君には特別にここを用意したんだ」
「……父上だな……」
やはり私を信じてくれたか。これならば――
「違うぞ。すべてムスタファの一存だ」
「まさか」
「ムスタファはな」とフェリクス。「自分が殺されかけたことよりも、マリエットが巻き込まれたことに憤激している。彼は君たち全員を許すことは絶対にないだろう。それに元々君に良い印象も持っていない。それでも彼は、全てを失い気がふれる寸前の君を憐れんでいる」
「私は気なぞふれぬ!」
「ろくに食べることもできず、日に何百回も魔法を試し、一時間おきに『父か誰かが尋ねに来ていないか』と近衛兵を問い詰めることが普通だと思うならば、君はもう手遅れということだ」
全身から力が抜ける。
私がしているのはおかしいことだというのか?
この状況を抜け出すための努力ではないか。
「珠の浄化に力を貸すならば減刑というのも、ムスタファなりの救いだ。君の魔力ぶんぐらい、他で補うことができる。協力すると見せかけ邪魔だてする可能性がある君を使うより、私やヨナスの故国の魔術師を使うほうがよほど安全だ」
フェリクスの言葉がゆっくりと脳内に行き渡る。
彼が言うことは正しい。昨晩私は、まさしくそれを考えていた。罪人として扱われるくらいならばあの珠を割り、この城に混乱をもたらしてやる、と。
「国王としては判断が甘い。反逆者は年齢がどうだろうと毅然と処刑すべきだ」とフェリクス。「だがムスタファはまだ国王ではないからな。救いようのない愚かな弟を憐れむことぐらいは、許されるのかもしれない」
だから君に会いに来たのだ、と言ってフェリクスは立ち上がった。
「きっとなにひとつ理解していないだろうと思ったからだが、事実、そのとおりだった。バルナバス。君にまだ王子としての矜持があるのなら、なにを選択しようとも最後まで毅然としろ。憐れみを乞い事態の好転を願うなぞ、君のプライドに障るはずだ」
私の返事を待たずにフェリクスはさっさと部屋を出て行った。自分の言いたいことだけを口にして、なんと自分勝手な男なのだ。
立ち上がり、壁際のベッドの元へ行く。天蓋どころかろくな装飾もない簡易なそれに倒れ込む。寝具も粗悪品で寝心地が悪い。到底王子にふさわしいものではない。
王子としての矜持?
そのように扱われていないのに、どうしろというのだ。
――だが。
母上の謀は失敗した。母上はこの幽閉部屋よりももっと酷い、牢獄にいるという。
「母とカールハインツが牢獄にいるのは事実か」
ベッドに伏せたまま、声に出す。と、
「事実です」
との返事が返って来た。
「刑の執行はいつだ」
「答えられません」
なんだそれは。
王子が質問をしているのだぞ、と怒りが湧き上がる。
心の中で罵倒を繰り返し続け、それからふと
「あのふたりは本当に愛し合っていたのだ」
と呟いた。
母上が父を裏切っていると知ったときは、多大なるショックを受けた。今現在も複雑な胸中ではある。それでも母上がカールハインツとの幸せを望むならそうさせてあげたいと思うほどに、ふたりは深く愛しあっていた。
寡黙なカールハインツが、カルラを父として抱きしめたいと言ったときの切実な表情も忘れられない。不義を咎める気持ちより、道を踏み外した彼への憐憫が勝ったものだ。
それに私は、母上のように永遠に若く美しい姿でいたかった。友人の母親たちが、年々年老いて醜くなるのは恐怖だった。いつかは私もああなるのかと――。
突如、大切なことを失念していたと気づき、跳ね起きた。近衛兵たちを見る。
「カルラはどうなる」
父の子ではないカルラ。彼女は国王暗殺未遂犯の娘だ。よくて身分剥奪、悪ければ処刑もありえるかもしれない。どうして今まで考えが及ばなかった。
「カルラ殿下のお立場には、なんの変化も起こりません」
「殿下にはシュヴァルツ元隊長の処刑も秘されます」
「全てムスタファ殿下の采配です」
「そのような情け深いお方なのです」
ふたりの近衛兵が交互に言う。口調には敬意がにじみ、その目は私を軽蔑している。彼らはムスタファを尊敬しているのだ。
「そう、か」
「……今回の事件は、あなたがたの周囲にいた者たちに、特に大きな衝撃を与えています。ムスタファ殿下はお忙しい中、彼らにも目を配りときには自ら赴いてショックを和らげようとなさっています」
明らかな非難と賞賛と。
吐き気が込み上げてくる。
ベッドに突っ伏して、それをやり過ごす。
私がどれほど苦しんでいようと、近衛兵たちは誰もなにも言わない。手を差し伸べてきたのは、ムスタファだけだ。
フェリクスの最後の言葉が脳内に蘇る。
ああ、そうか。私はもう、戴くに足る王子ではないのだ。彼らにとって私は、罪人のくせに自らの処遇に納得できずに弱者を装う、卑怯者なのだろう。
◇◇




