牛の首
あなたは「牛の首」という怪談をご存知だろうか。
博識な諸兄ならば言うまでもないものと思われるので内容は割愛するが、これからお話しするのは、かくも恐ろしい「牛の首」という怪談を甘く見た一人の男の末路である。
私の知人に怪談話が好きなWという男がいた。
彼は当然の流れでひとつの怪談に辿り着き、その内容に深く興味を持った。
しかし、それは題ですら口にすることを憚られる「牛の首」だった。
Wは私にその怪談の真相を聞かせて欲しいと言って頭を下げた。
私は当然「牛の首」の仔細を知っていたが、Wに教えることはしなかった。
茶飲み話のような気軽さで口にして良い話ではないのだから。
私は「牛の首」の内容を教える代わりに、重ね重ね深追いせぬようにという忠告を与えた。
それはそれは、丁寧に。何度も。根気よく。
Wは不服そうな顔をしながら毎回空返事をした。
そのやり取りも十回を超えた頃だろうか。
Wはホクホク顔で私の前に現れた。
曰く、「牛の首」の真相を自力で突き止めたのだという。
聞いてもいないのにしたり顔で自分の聞き知った話を披露するWを、私は苦々しい気持ちで眺めていた。
「牛の首」は、とある民俗学者が東北地方のとある村で蒐集した怪談である。
その村のはずれにある四つ辻では、夜中になるとしばしば首のない馬に乗った鎧武者の亡霊が目撃されていた。
鎧武者の亡霊は刀を鞘から抜き、今にも斬りかかって来ようかという殺気を放ちながら辻を往復するので、村人は怖がってその四つ辻に近付かなくなった。
ある日、村で一番度胸がある男が肝試しに四つ辻へ向かい、鎧武者と遭遇した。
男は鎧武者の前に立つと「何故この四つ辻へ現れるのか」と問うた。
すると、鎧武者が答えて言う。
「馬の首を探しているのだ」
男が「自分が探してやろう」と答えると、鎧武者の亡霊はその日大人しく姿を消した。
翌日、村人総出で四つ辻の周りの草むらを掘り返してみると、朽ちた獣の頭蓋骨がひとつ出てきた。
男は晩に四つ辻へ向かい、鎧武者に掘り出した獣の頭蓋骨を差し出した。
すると鎧武者は男に礼を言い、四つ辻を東へ向かった先にある山で一番高い木の根元を掘るように言って消えた。
鎧武者の指示に従って木の根元を掘るとあの亡霊が身に付けていたのと同じ兜と、壺に入った小判が出てきた。
村人はその場所に鎧武者の亡霊を祀るための道祖神を立て、それがのちに「馬頭観音」という名で広く全国の道祖神として伝わったのだそうだ。
この話、本来の題は「午の首」という話なのだが、民俗学者の助手が書き記す際に誤って「午」を「牛」と書きつけてしまったためこの題となった。
意気揚々とWが語る「牛の首」を聞くうち、だんだん笑いが込み上げてきた。
それほどまでに彼の仕入れてきた話はでたらめで、真実と遠くかけ離れていた。
Wの自信はどこから来たのかと不思議に思って問いただしてみれば、それはインターネットの某掲示板で得た知識だという。
それも、複数回、さまざまな人物から聞き知った話を総合的に組み立てて道理の通るよう再構築して作り上げたようだ。
それにしてもまあ、よくもこう一貫した話となるようなパーツを見付けてきたものだ。
私は感心してWに正しい答えへ繋がるヒントを与えてしまった。
その翌日のことである。
改めて真相に辿り着いたと思われるWの変死体が発見された。
その死にざまは、怪談「牛の首」で語られるものと瓜二つだったという。
この一連の出来事で己の軽率さを恥じた私は、もう二度と他人に「牛の首」の本当の中身を伝えぬと心に刻んだ。
もし仮に、私のように「牛の首」の真相を知っても死なずに済む方法を知り得る者があれば話はまた別だが、そのような者であれば自ずと「牛の首」の真相にも辿り着くことができよう。
それほどまでにこの話は危険なのである。
仮にこの話を読んだ諸兄の中に「牛の首」に興味を持った方がいたとして、決して深入りせぬようにしていただきたい。