09話「心の支え」
勝利の余韻を味わう暇などは無い。
ピンクには向かうべき場所があるのだから。
「ごめんなさいブルー、後は任せちゃいますね」
そういうと、ドローンに向かってシューターの位置を聞き、去っていく。
「ふぅ、桃海さんが怪我をしなくて良かったですが……」
ブルーは爪によって破壊された銃を見ながら呟く。
今回の怪人はいつもと違って強かった。
相性の問題もあったのだろうが、自分一人だと危なかったかもしれない。
「どうやら、気が緩みすぎていましたね……」
そういうと、一人シューターへと向かった。
怪人は倒したが、その後ろ姿には喜びを感じることはできない。
控え室で待つ茜は、腕組みをしながら同じ場所をくるくる歩き回っていた。
本当であれば自分も戦闘に参加したかったのだが、これだけ人が集まる会場に万が一怪人が来た場合に備えて、本部側から待機命令がでていたのだ。
その判断は昨今の腑抜けた怪人を基準にしたものだったが。
眼鏡越しに聞こえるグリーンの指示や、ブルーのピンチから多少の焦りを感じざるおえなかった。
勢いよくドアを開け入ってきた、桃海の姿を見て茜は駆け寄る。
「桃姉! 怪我はねぇのか!?」
「大丈夫、それより早く着替えないと」
その言葉にほっとしつつも、本当に怪我がないかをちらちらと確認する。
血痕も、手足を庇う動きもない……大丈夫そうだ。
その桃海の服装は、誰でも着れるユニセックスな服装に変わっていた。これはシューターに常備されている替えの服で、現場に向かう際に着ていた衣装のほうは、シューターのカプセルに置いてきてしまっていた。
「衣装替えをする予定だったし、後半の衣装を着て出ればなんとかなるかな……」
桃海はぶつぶつ呟いている。
怪人の懸念が無くなり、彼女の頭はコンサートを成功させる事に集中していた。
「ウチが次の出番までに衣装は戻しとくから、桃姉は急げよ」
桃海は深く頷くと、茜に背を向け衣装を手に取った。
本来のお披露目は、VTuberのキャラクターと同じ服装で出ていく予定だったが、目の前の衣装はスポーティーさを感じさせる、短パンに丈の短いジャケットといった衣装だ。
後半のダンスのある曲に合わせたもので、桃姫のキャラクターカラーのピンクと白でコーディネートされている。
桃海は急いでその衣装に袖を通す。
そしてあることに気づいた。
怪人を倒したことで興奮状態になっているのか、時間が押して余計な事を考える暇がないからなのか……
不安も手の震えも全く感じない。
先程から背後にいる茜の心配とは裏腹に、今が桃海の最高のコンディションかもしれない、と思うほどだった。
桃海は少し恥ずかしそうに背中越しに親指をたてた。
さっき茜が自分にしてくれたように、心配なんてしなくていいよ、と返したのだ。
茜にも伝わったのか、それを見届けると衣装を取りに控え室を出ていくのだった。
控え室から表に出たところで、茜は一人の中年男性に声をかけられる。
「あのぉ……」
「あぁ!?」
ついいつもの癖で睨み付けてしまい、中年男性がたじろぐのがわかる。
普通ならこんな子供みたいな身長の女性に凄まれても、そこまでオドオドすることはないだろうが、必要以上に挙動不審だ。
しかし、男は意を決したように用件を切り出してきた。
「さっきぶつかったの覚えてるかな? あの時俺のチケット、君が拾っちゃったんだよね」
茜は言われるまで思い出せなかったが、そういえばこのおっさんとぶつかったな、とポケットをまさぐる。
チケットが2枚出てきた、一枚は桃海に貰ったものだが、もう一枚は知らない座席番号だ。
これは言うとおり、完全にこっちの確認ミスだと気付き、バツが悪そうにおっさんにチケットを渡す。
「マジか、悪い、急いでたんでな」
大人に対する口の聞き方ではないが、茜は素直に認めて謝る。
それにホッとしたのか、少し気安げに話しかけてくる男。
「君、桃姫ちゃんの関係者なの?」
チケットを受け取りながら、中年男性はそう聞いた。
茜としては初対面のおっさんと話す趣味も、時間も無いのだが、豆粒ほどの罪悪感があったのか、すぐに振りきろうとはせず、改めて目の前の男を上から下まで観察した。
がっしりとした体つきは、ボディービルかアメフトでもやっていたのだろうか?
しかし、肌は真っ白だ。お日様の下でスポーツをやっているとは思えないほど焼けていない。無論、ボディービルダーの線もなさそうだ。
顔は悪くない。40代前後か。
しかしその目は、人と深く関わらない者独特の、光のない目をしていた。
「まぁ、同じ職場ってとこだな」
この目を、茜は知っている。
2年前の、川浪兄妹がこんな目をしていた。
まぁネット経由で、女の尻を追いかけてる中年男性なんて、ろくなもんじゃない。こういう目をしているなら尚更だ……と、茜は早々に話を切り上げ「チケットすまんかったな」とだけ言って走り去っていった。
────あの子が、レッド!
黒崎虎太郎は会話をしたその相手が、身長や口調からMASTのレッドだと確信した。
きっと正体を隠すために、若干のボイスチェンジ機能があの仮面には付いているのだろう。
そうでなければ彼が、桃姫の声を間違える筈がない。
憎い敵である彼らの尻尾を、ひょんな事から捕まえてしまった虎太郎。
「報告すべきか……いやしかし……」
エーデルヴァイスは時に殺しもする組織だ。
怪人に至っては仲間と敵の区別くらいしかつかない者もおり、理性的ではない。
実際、1代目グリーン、2代目イエローは、怪人に敗れて殺された経緯もある。
スーツを着ていない一般人である今のレッドなら容易に片付けることができるだろう。
しかしそうなると、エーデルヴァイスが桃姫をも攻撃対象と見なすのは当然の流れだ。
「いっそ俺がいまこの手で……」
茜が走り去った方を振り向き、拳を強く握る!
しかし、その手の中のチケットが「クシャリ」と音を立てて潰れた。
その小さな音に、心も一緒に握りつぶされそうになる感覚に陥る。
「……本当に良いのか? 彼女の大事なものを壊した手を……彼女に向かって振れるのか?」
壊せるわけがなかった。
虎太郎にはもう、どうしようもなかった。
……どうしようもないほど彼の心は桃姫に惹かれていたのだ。
────20年前、彼が全てを捧げた女性は、彼を裏切って大きな借金だけを残して消えた。
騙される方が悪いのよと笑いながら。
何の取り柄もない人間が、一生働いても到底返せる額ではない借金。
全てが終わった。
自分のこれからの人生は、死んだ方がましだと思える日常を何十年も続けていくだけ。未来に光など一縷も無かった。
そんな時。
怪獣が町を襲った。
歩くだけで全てをなぎ倒して行く。
その圧倒的な力に魅了された。
全てを壊したい。
あの怪獣のように!
半年後、その怪獣はエーデルヴァイスという組織を旗揚げし、怪人を使って人間を拐い始めたのを知ると、虎太郎はそれに嬉々として飛び込んだのだった。
今でもその火は心の奥に灯っている。
だが復讐心だけでの20年は長すぎる。
さらに組織の弱体化、傲慢でだらだらとした実態。
燃えていた火は水を注され、いまや風前の灯だ……気力だけでその火を絶やすまいとしてきただけ。
そして。
その気力の源が桃姫だった。
毎日のように頑張っている姿を見て励まされ、自分のやる気を奮い起こさせてくれた。
そんな桃姫を悲しませることが、虎太郎にはできる筈がない。
「そうだ、俺はいま黒崎虎太郎なんだ、ヴァイス342号じゃぁない」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと。
レッドが走り去った方向を睨むのをやめ踵を返す。
そして、いまかいまかと熱気に沸く会場へと歩を進めるのだった。