18話「決断の時」
「なんだと!」
ムキムキに肥大した身体に、ピチピチのTシャツを着た男が、締め切った部屋で大声をあげている。
彼の胸では可愛らしいピンクのキャラクターが、これでもかと横延びしていた。
「MASTのピンクがVTuber桃姫だと公表しやがった!」
それは虎太郎にとって衝撃の事実。
実名などは当然伏せられているが顔は公表しているし、今後もリアルでコンサートの開催もするだろう。
そんなところにエーデルヴァイスが怪人を送り込まないわけがない。
憎きライバルなのだから。
だがそんなことより第一声は、ピンク=桃姫だと知っているのは世界で自分だけだという、密かな自慢が崩れたことで発せられていたのは、ここだけの話だ。
虎太郎は頭をふると、今後の展開について考えた。
「桃姫が狙われるのはほぼ間違いないよな……だがそうなると俺が倒しにいかないと……いやしかし、俺はその時は客席に居たい!」
虎太郎はハッと気付いたような顔でまた頭をふる。
「違う違う。俺は彼女を、MASTから抜けさせたいんだ。MASTさえ無くなれば、彼女は自由に羽ばたける筈だ」
虎太郎が怪人を先回りするのも、数々の襲撃を上層部にかけるのも、MASTの必要性を問うためのものだ。
実際にこの数ヶ月で、ネットは荒れに荒れている。
「新ヒーロー登場、MASTより頼りになる」
「MASTに税金払うの勿体ないって、無課金ヒーローに乗り換えだ!」
その波及は海外にまで及び、ニュースにさえなった。
気長に続けてさえいれば、もっとその渦は大きくなるだろうが……桃姫が危険にさらされる可能性が高まった以上、もっと急がなくてはならない。
虎太郎は居ても立っても居られず、血沸に連絡を取った。
「おや、どうしたんだい?」
「8月10日までにMASTを潰そう!」
「無理だよ。なんなのさぁ、その具体的な納期はぁ」
即答で無理だと返されるが、虎太郎はそれで引き下がる訳にもいかない。
8月10日は、桃姫の2回目のコンサートが開催されるのだから!
「いやしかし……」
しかし、MASTを直接叩き潰しにいく訳にもいかない。桃姫に怪我でもさせたら……それどころか運悪く……。
言い淀む虎太郎の代わりに、血沸が面白そうにつぶやく。
「決断ってのはぁ、いつも正しいとは限らないでしょぉ?」
急な会話の変転について、虎太郎は慣れていた。
自分には分からないが、博士の中ではこちらの考えや返答をも考慮にいれて、一つ先の会話が展開されているのだと理解していたから。
「でも、自分が思う正当な理由ってのがあればぁ、正しいと思い込むことはできるんだよぉ」
通信機越しにでも、彼女のテンションが上がっているのがわかる。
血沸という女は、他人の感情について物凄く興味を持つ。会話自体も「こう言えばどう感じるか」という実験だと思っている節がある。
「君はぁ、どうしたいのぉ?」
決断を迫られる時なのか……。
虎太郎はすぐに答えることはできなかった。
焦らされたと思ったのか、それとも早く答えを聞きたいと勝手に焦れているのか、血沸は通信機越しに悶えているようだが。
「いまのエーデルヴァイスを壊滅させることはできるのか?」
────前回博士と話してから、一人でずっと考えていた。
エーデルヴァイスが居るからMASTも存在する訳だが、そのエーデルヴァイスもまた新しい機関に置き換わるのであれば、何度潰しても意味がない。
どうせ実験施設以外は実態のないハリボテの組織なのだから。
しかし特殊な技術を扱う部署だ。
そう何度も何度も河岸を変えることなど出来はしないだろう。
準備期間も必要になるなら、新体制が出てくる度に潰していけば、いずれ解放されるのではないか?
それに、このからくりを知った日から、心の奥でチクチクと痛むものがあった。
虎太郎が捕まった時に泣いてくれた同僚。
あいつもこの馬鹿げた組織の歯車でいい訳がない。
もちろん他にも、真実を知らされてないヴァイスが沢山生活している。
エーデルヴァイスという居場所を潰してしまうことにはなるが、人間に戻って、普通の暮らしをして欲しい……人殺しの手伝いなどさせたくない。
「虎太郎君。君なりの理由が、この決断を産んだんだねぇ。私はそれに全力で応えてあげよぉじゃないかぁ」
虎太郎の葛藤を知ってか知らずか血沸は答える。
快い返事をもらい、自分を奮い立たせるために頬をパシッと叩いて気合いをいれた。
しかし、やる気はあっても頭が回らないのは、いかんせんおつむのできが悪いから仕方がなくて……その辺は博士にご助力願うしかない。
「特に作戦なんか無いんだが」
「そうだろうねぇ」
「だが命と体は張れるから、考えてくれねぇか?」
「そう来ると思ってたよぉ」
丸投げになってしまったが、頭の悪い虎太郎にも分かりやすく作戦を練ってくれた。
悪いやつじゃないのかもしれない。
ちょっとイカれているだけで……。
────桃姫二度目のコンサートは、MAST内でもすんなりと受け入れることの出来ない問題になっていた。
いつになくピリピリとしたムードが、MASTの待機場所に漂っている。
「で……こんな状況の中。桃姉はコンサートをすんのか?」
前回のコンサートの成功をうけ、二度目のコンサートが8月10日に予定されていた。
もちろんブラックタイガーが出る以前からあった計画だ。
「今回のブラックタイガーとの一件はMASTの信用問題にも繋がっている。ここで目眩ましにイベントを行い、支持票を獲得したいと考えて居るのでしょうね」
「何も解決してねぇのに、お祭り騒ぎかよ。会場の真ん中に怪人でも出てくりゃ、MASTの信用も地の底だろうが!」
蒼士の分析に対して、気にくわない態度を取る茜以外は、特に口を開くことはない。
当の桃海本人は、何故かすまなさそうに下を向いて言われるままになっている。
現実問題、MASTの存続を危ぶむ声も世間に流れている。
怪人を倒すことだけで成り立っていた「存在意義」が揺らいでいるのだから仕方がない。
「だいたい、MASTにアイドルが居ますよ、応援してねーって、そんなんで変わるもんかねぇ?」
椅子の背もたれに体重をかけて、二本足でゆらゆら揺れる茜の態度と言葉に、明らかに不満を持つ蒼士が反論する。
「いまや桃海さんはインフルエンサーです! いつ敵に回るかわからないブラックタイガーよりも、彼女の声の方が皆には通る筈です!」
激しく抗議をしてずり下がった眼鏡を直しながら、息を整える蒼士。
「ハァ? インフルエンザだ!? 何の関係があるんだよ!」
頭に血が上り叫ぶ茜に、そっとローズが耳打ちする。
「インフルエンサーってのは、影響力のある人って意味の英語よ」
「ぅ分かってるわぁそんな事ぉ!」
絶対分かっていない。
「第一、あれだなぁおい、蒼士は上寄り過ぎるんだよ。自分で物を考えねぇのかよ!」
「それはどういう意味ですか!」
照れ隠しで目の敵にされちゃたまったものではない。大抵は冷静沈着な蒼士もさすがにカチンと来たようだ。
実際インフルエンサーも知らないやつに、考えなしと言われれば頭にもくるだろう。
「それが正しいんかって事だよ。お前自身コンサートには心配事はねぇのかってこった」
「私がなんと言おうと、上で決めたことは実行されるでしょうし、その懸念点を解消するために、私たちMASTがその警備に当たるという事でしょう」
茜は感情論で物を言っているが、この言葉が話の芯を捉えていることは何となく分かる。
だが、感情論で相手が応えない限り、彼女の気持ちは収まることはないのだ。
「でもさ、本当にコンサート中に怪人が出てきたらどうするの?」
その緊張のつばぜり合いの中に、ローズが議論を放り込んだ。
自分の味方をしてもらったと思ったのか、茜がニヤリと口を歪ませたのに対し。
蒼士は少し考えてからそれに返答する。
「……政府は、多少の犠牲も構わないと考えているのかもしれませんね」
その言葉に引っ掛かったのは茜だ。
立ち上がり、胸ぐらを掴まんばかりに食って掛かろうとするが、ここで彼女が行けば話がややこしくなりそうだと、ローズがそれを制して代わりに言う。
「そんな事になればMASTの存在はますます危うくなっちゃわないかしら?」
腕組みしてウンウンと頷く茜を無視して、蒼士はローズの目を見て返す。
「いいですか、人が死んだのはあくまでも怪人のせいです。それを最小限の被害で留めるのが私たちの仕事ですよ」
どうとでもとれそうな、納得しかねる内容に、ローズも顔をしかめた。
「じゃぁ、仮称怪人レーダーを持ってる、ブラックタイガーが現地に来る可能性はどうするの?」
そうだそうだと指差す茜はこの際無視だ。
「もちろん、今度は負けるつもりもありません。……しかもその戦闘でブラックタイガーが運悪く人を傷付けたとしたらどうでしょうか?」
「ブラックタイガー批判が高まるわね」
「彼を民衆の敵に仕立て上げる事が出来れば、逆に彼がいる限り、私たちのお取り潰しも無くなる……そういうシナリオもあるかもしれませんよ」
理詰めでこられると弱い茜は、悔しそうに地団駄を踏むしかない。
「そのシナリオがうまく行くことを願うわ……」
犠牲者を容認する政府の考え方に、いまだ納得はできていないが、彼らの考えを改めるには自分達が力不足であることを、ローズは分かって引き下がった。
茜は不満そうだが、蒼士を論破出来るほどの発言を思い付かずに、仕方なく椅子に座り直す。
議論が落ち着き、思い思いに今後の事を考える静かな時間の中。
本当の当事者である桃海は、未だに下を向いて押し黙っていた。
はじめは、MASTの……みんなの居場所を守るために、桃海は正体を公表したのだが。
今では政府の道具として扱われている気がしてならない。
夢にまでみたアイドルという立場も、今ではなんだか薄汚れて、輝きを失っているように思えた。
しかも、なにも知らないファンを、そんな事に巻き込んで……運が悪ければ死んでしまう人も居るかもしれないなんて。
しかしそれを言えないでいるのは、コンサートがMASTを守るために開催されるという名目があるからだった。
やらないと、アイドルの立場も、この場所も奪われてしまうという、強迫観念に囚われてしまっていた。
みんなが大手を降って、お気楽に「大丈夫、大丈夫」って言ってくれれば気持ちも軽くなるのだろうけど。
茜も自分の事を心配して反対してくれているし。
蒼士だって、桃海一人の責任じゃないぞと、責任転嫁の先を作ってくれている。
だけど、現実問題は簡単には割りきれない。
私は本当にみんなの前で笑顔で歌えるのだろうか?
嘘の笑顔でみんなを騙しきれるのだろうか?
そんなことばかりが頭をめぐっていた。
MAST、政府、虎太郎の想いがぶつかるコンサートまで残り一ヶ月を切っていた。