14話「大人の嘘」
茜は悩んでいた。
以前グリーンから、長官の様子を見て欲しいという話をされたのだが、家を引っ越してからは殆んど接点がなかったからだ。
長官……いや、長岡のおっちゃんの好意にいつまでも甘えて居られないと、無理を言って家を移った手前、買い物や食事といったどうでもいい用件では会うことがなかった。
だから急にこのタイミングで「食事をしましょう」なんて言っても怪しいことこの上ないのだ。
「仕方ねぇ、紅太をダシに使うのは気が引けるが……」
そう言うと携帯に手を伸ばす。
短縮ダイヤルを押すと、コールが2回、3回……心の準備が整う前に、相手が出た。
「どうした茜、珍しいじゃないか」
「いや、おっちゃん。あのな……」
つい口淀んでしまう茜。
「何かあったのか?」
「いや、特に無いんだけども。紅太の13歳の誕生日が近いんだが、おっちゃんとあれ以来会ってないだろ? だから一緒に飯を食わねぇかなと思ってな」
緊張からか少し早口に言ってしまい、不自然に聞こえなかったかと茜は心配したが。
「何だしどろもどろに……遠慮でもしてるのか?」
そう答えると豪快に笑った。
どうやら忙しくしている長岡を気遣っているのだと勘違いしたようだ。
「そうか、紅太ももう中学生になる歳か……早いものだな」
そう感慨深く語る口調に、彼が茜たちに不利になるような隠し事をしているとは到底思えなかった。
「よし、出席しよう。日付は3月10日だったかな?」
「ああ、そうだよ。よく覚えてたなおっちゃん」
「我が子みたいなもんだ、忘れるわけがないだろう」
そういうとまた豪快に笑う。
「じゃぁ、夕食を。ケーキなんかはウチが用意するから、おっちゃんは手ぶらで来てくれ」
「おっと、プレゼントくらいは持っていかせてくれよ?」
そして軽く挨拶をして電話を切った。
茜はそのまま携帯を手で包み込むと、壁にもたれながらズリズリと地面に座り込んだ。
「なんだよ、どこを疑えってんだよ」
殆んど2年ぶりに会う事になるおっちゃんは、変わらない態度で自分達と接してくれている。
言葉の端々から、その愛情が聞こえてくる。
「他人の方がラクだろチクショウ」
そう呟いたまましばらくは動かなかった。
約束の日、紅太がもうすぐ卒業する小学校に行っている間に茜は部屋を飾り付けた。
体の大きな長岡のおっちゃんが座るために、テーブルに椅子を一脚増やし、その辺の荷物を自分の部屋に放り込んだ。
紙で輪っかを作り繋ぎ合わせた定番の飾りや、生前母が教えてくれた風を受けると回る飾りなどをぶら下げて。
質素だが、手の入った誕生日会が用意される。
茜の昔の記憶には、家族3人で祝った誕生日会が思い出されていた。
まだ紅太が生まれていない頃の話だ。
父が買ってきた茜の大好きなチョコレートたっぷりのケーキと、母の手作り料理が用意されていた。
茜も学校を休んで、母と一緒に自分の誕生日の飾りつけを手伝った。
その時だけは、単車を転がしていた血気盛んな母のイメージではなく、広告チラシをハサミで飾りにしていく、魔法使いのように見えたのを覚えている。
その時に教えてもらった飾りが、天井からぶら下がっているのを、懐かしそうに見つめている。
きっとこの思いは、紅太にも受け継がれていくのだ。
ボーッとしていると、玄関のチャイムがなった。
「今開けるよ」
茜は急いで玄関へ行くと、金属のツマミをくるりと回した。
「おおっ、なかなか狭いところだな」
長岡のおっちゃんは、鴨居に当たらないように頭を大袈裟に下げながら靴を脱いだ。
普段は小さな靴が二足だけ並んでいる狭い玄関に、男物の大きな革靴がその半分を占領している。
「子供2人で住んでるようなもんだ、このくらいでちょうどいいのさ」
そう言いながら、来客用のスリッパを渡す。
かかとをはみ出させながらも、楽しそうに指定席へと移動する。
「そうだ、このプレゼントなんだがどこか隠すところはあるか?」
おっちゃんの大きな体に負けないくらい大きな包みが置かれる。こんな大きなプレゼント、この部屋のどこに置いても絶対に見えてしまうが。
「あいよ、じゃぁ私の部屋にぶちこんどくわ」
茜はそれを受けとると、特攻服がかけてある自分の部屋を開けた。
「ああ、蛍さんの……まだ取ってあるのか」
茜の部屋に飾ってある特効服等がチラリと見えたのだろう。
長岡が懐かしむような、悲しむような、そんな声でそう呟くが、プレゼントを部屋に置いた茜は努めて平静に返す。
「母ちゃんの形見だからな、そんな無碍にはできねぇよ」
そして部屋の戸を閉めた。
紅太が帰ってくるまでもう少し時間がある。
茜は台所に立って、お茶を用意してテーブルに戻ってきた。
「ありがとう、遅れないように急いで来たから喉が渇いてしまったんだ」
お礼を言うと一気に飲み干した。
緑茶の最適温度は紅茶や珈琲より低いが、それでも一気に口に入れるのは、おっちゃんくらいだなと少し笑った。
「おっ、久々の笑顔だ」
そういうおっちゃんもなかなかの笑顔だ。
「仕事はどうだ?」
唐突に振られて、一瞬茜は固まったが。
「順調だよ、皆とも仲良くやれてるしな」
「そうか? 蒼士君とは上手く行っていないと報告が上がってるぞ?」
にやにやしながら言う。
「報告あるなら聞くこと無いだろうが」
茜は子供のように拗ねて、腕を組んで横を向く。
それがまた楽しいのか、長岡は続けて話しかける。
「現場の声っていうかな……茜がどう感じているかってのは、わかんないだろ実際」
そういうことなのだろう。
拗ねられる謂れもない。
「まぁ概ね順調ってことで。それよりおっちゃんは……いや、長官ってのはどんな仕事してんだ?」
茜にしては自然に話を持っていったほうだ。
というより、純粋に気になっただけかもしれない。
「長官か? 飾りみたいなもんだよ。亡くなった人や、家が壊れた人に頭を下げて回るだけの役職さ」
ハハハと渇いた笑いを発しながら、自分で急須のお茶を湯呑みに注いでいる。
「街を救ってんだ、感謝こそすれ謝る必要はないだろうが」
むっとしたようにそう言い放つ。
人の良いおっちゃんが、頭を下げるのを想像すると少しいらっとしたのだ。
「いや、それでも誰かのせいにすることで、少しでも前を向ける人も居るんだよ」
悟ったかのようなその言葉に、嘘偽りはなかった。それは10年間暮らしてきた茜だからこそ、確信できた。
おっちゃんに隠し事はない。
それがわかっただけでも茜の荷は軽くなった。
「おっちゃんがワリ食わねぇように、これからも被害は最小限でやっていきますよ」
彼女なりに丁寧にそう言うと茶菓子を勧め、紅太が帰るまではたわいもない昔話に花を咲かせたのだった
────茜にとって、紅太の成長ほど嬉しいものはない。
姉とはいえ10も離れている幼子の面倒をずっと見てきたのだ。母親のような心境でそう感じることもある。
思えば両親もおらず、贅沢な暮らしをさせてあげれている訳ではないが、紅太は真っ直ぐに育ってくれている。
これは自分がそうあって欲しいと願ったことだが、大いに紅太自身の努力の結果だ。
自分よりも小さな体で、自分よりも強いものを持っていると茜はいつも感じているのだ。
「──紅太、すごく喜んでたぜ」
「ああ、あの顔を見ればわかるさ」
はしゃぎつかれて、テーブルでうとうとし始めた紅太を、布団に寝かせて戻ってきた茜。
急須に残った出涸らしをシンクのゴミ箱にひっくり返すと、茶筒を取る。
カサカサと小さな音を立てて、茶葉が急須に滑り込むのを見ながら、ふいに幸せを感じてしまい「フッ」と自嘲ぎみに笑った。
「どうした?」
茜の一挙手一投足を見ていた長岡はそれに反応してくる。
「おっちゃんの迷惑にならないようにって家を出たんだが、今思えば強がってただけかも知れねぇなと思ってさ」
「どうした心境の変化かな?」
長岡の方は少し楽しそうに質問を返す。
彼にとっても、茜達の成長は喜ばしいものなのだろう。
「今日の紅太の顔みてたら、意地張っておっちゃんと距離置こうってしてたのがバカみたいだって思ってさ」
茜にしては抑えた声で、電気ケトルの沸く音に邪魔されそうなほどだった。
「去年だって誕生日はあったんだ……チャンスはいくらでもあったんだ。なんで呼ばなかったんだろう」
後悔というよりは、自分の子供っぽさを恥じているような口ぶりだ。
「ははは、来年も再来年もあるんだ。一回なかった分、来年からは倍祝えばいいじゃないか」
これも豪快に笑って吹き飛ばす長岡。
……そうだった、2年の間に忘れてしまっていたが、この人はいつもこうだった。
根拠や理由などは無くても、ただポジティブに笑い飛ばしながら、なんとかやってきたのだ。
「ま、そういうこったな」
肩の荷がふわりと軽くなったのを茜は感じたのだろう、語気がいくぶん優しくなったように思える。
お茶を注いだ湯呑みをテーブルに置いた時、隣に置いていた携帯がブブブブと震えだした。
未だに旧式モデルを使っているこの携帯はおっちゃんのものだ。
数瞬おいて茜の携帯も震えだす。
二人は顔をあわせて、お互いに背を向け携帯に出る。
「長岡だ……そうか、怪人が……」
「ナンだよてめぇ、そっちで片付けろ!」
二人ともがそれぞれに対応したあとに、顔を見合わせた。
「近くに怪人が出たらしいな」
茜が落ち着きの無い様子でそう発すると、長岡は既に落ち着いた雰囲気で返す。
「ああ、怪人は私を狙っていたようだ」
その言葉に、茜がテーブルに乗り出す。
「ああ? どういうこった!?」
「私の家が襲撃されたと報告があった、私が留守にしているのを知らなかったのだろう」
不幸中の幸いということか。しかし、茜は止まらない。
「ウチらにはそういう情報は来てないぞ!」
「余計な心配をさせないためかもしれん」
「だが、目的がおっちゃんだったらそれから守るものウチらの仕事だろうが!」
歯軋りをするかのように力強く噛み締める。今にも暴れだしそうな雰囲気だ。
対して、長岡は静かに落ち着いている。
「MASTは皆のための組織だ。私一人を助けるために他を疎かにしてはならん。それにあくまでも推測だ。運悪く今回が俺の家だっただけかもしれん」
その言葉に二の句を次ぐ事はできなかった。
確かに知ってしまった以上、おっちゃんの身を最優先に考えてしまう。
それが悪い結果を生んでしまえば、長岡本人がツケを払わなくてはならないだろうから。
「他に報告は?」
悩んでいる茜に事務的にそう伝える長岡。
「今回の怪人は初見らしいじゃねぇか、しかも見た目はほとんどヴァイスのままって……どういう事だ?」
「それに関しては調査中だ。グリーンからはどう聞いてる」
監視に気付いているグリーンが、内情をどこまで「公開」しているかはわからなかったが。盗聴されているこの電話に掛かってきた内容だったら漏らしても大丈夫ということだろう。
「能力がわからない以上全員で対抗するべきだとさ」
「いい判断だ、では早速現場へ向かってくれ」
そう言いながら、長岡もここに来たときに鴨居のフックに掛けていたコートを羽織った。
「おっちゃんが狙われてんのに、外に出るのか!?」
「ここにいて万が一の事があってはいけないだろ?」
そう言いながら襖の奥で寝ている紅太の方を見ている。その目は何かを守る慈悲深い気持ちで溢れていた。
それを汲み取った茜は「ありがと」と呟く。
先にいく長岡に遅れまいと、通信眼鏡を手に取り玄関を出る茜。
コートを着た大きな背中は、すでにアパートの階段を降り始めている。
その背中にどうしても聞いておかなければいけないことがあったのだ。
「……他にウチらに隠し事はしてねぇか?」
狙われているのが長官だということを、他のメンバーは知らないだろう。
こういう些細なことでも、上層部と自分達との間に思想の違いを生んでしまいそうな気がするのだ。
否定さえしてくれれば良かった。
「あるさ」
だが肯定をする長岡。
「あるに決まっている。だがそれは自分達を守るためじゃない。君たちを守るためのものだ」
こっちを振り返ることはなかったが、それははっきりとした意思から生まれた言葉だった。
「それでもっ! ウチらは真実を知りたい!」
まるで叫ぶように茜が責める。
信じるという気持ちだけでも守りたいのだ。
「子供は……真実を求めるが、大人は理想を求める」
空を見上げるように仰ぐ長岡の言葉を、茜は理解しかねた。
「真実は時に残酷なこともある。
理想は、いつも正しい手順で叶えられるものではないからだ」
「それはどういう……」
茜の言葉を書き消すように、轟音が耳に届く。
目線をあげると、土煙が上がる場所を視認できた。
「茜、行ってこい」
階段を急いで降りながら長岡が命令する、それは長官らしい言葉で、部下である茜の心を震えさせた。
「救ってこい! お前はヒーローだろ!」
茜は走り出す。
階段の最後5段を一足で飛び降りると、一瞬よろけながらも走りを止めることはなかった。
その後ろ姿を細めた目で追いながら長岡はため息をついた。
「宿命を背負うのは、俺達大人の仕事の筈なんだがな……燕子」
そう呟き、コートを襟立ててその大きな姿を闇へと溶かして行くのだった。