13話「エーデルヴァイスの真実」
エーデルヴァイスの構成員342号こと、黒崎虎太郎は自分の人生を嘆いていた。
たった一度のワガママが、自分の20年を台無しにしたこと。
予想はしていた筈なのだが、もしかしたら気付かれないのではないか、恩赦があるのではないかと、心のどこかで考えていたのかもしれない。そんな、甘い考えの自分に嫌気が差していた。
「お前どうなっちまうんだろうな」
一緒に仕事をしていた同僚がそう溢すので、顔を見上げるとマスクが涙で濡れていた。
こんな自分の事を心配して泣いてくれる奴がいるのかと、少し笑えた。こんなに人情にあつい奴だったのかと。
鉄格子が組まれた小さな部屋がいくつか並ぶ。
見ての通りの牢屋だが、普段は粗相を働いたヴァイスの懲罰房として使用されている。
虎太朗はその一つに身柄を拘束された。
最後まで付き添った同僚も、他のヴァイスに連れていかれてしまい一人になる。
心細さに、また後悔がグルグルと頭を支配してくる。
今回やったことは違反という域を越えていた。
私用で怪人を二匹も死なせ、沢山のヴァイスをそれに荷担させたのだ、軽い罪で終わりはしないだろう。
同僚と顔を会わせることは二度とないのかも知れない。
だが、そんな感慨に浸る暇も与えず、すぐにまた声がかかった。
さっきとは違うヴァイスが虎太郎を何処かへ連れていくようだ。
アリの巣のような構造の本部基地の中でも、いっそう深く降りるエレベーターに乗せられると。まるで地獄まで続いているのではないかと思わせる程長く潜りはじめた。
20年も生活していた虎太郎にとっても初めての階層だ。
「どこへいくんだ?」
その問いにヴァイスはこちらを向くと、薄ら笑いを浮かべて返事をした。
「科学実験部だ。室長がお前を実験材料にでもするんじゃないか?」
へっへっへと嫌な笑い声を上げるヴァイスに嫌悪感を持ってしまい、たまらず顔をそらしたところでエレベーターの扉が開く。
廊下が真正面に続いているようだ。
左右はガラス張りだが、スモークになっていて中を伺うことはできない。
名前だけしか聞いたことの無い科学実験部。どんな実験をしているのか、噂すら流れてこなかった。
本当に一部の者しか知らない部署なのだろう。
その場所へ向かって、虎太郎を引っ張る男の肩には、5と数字が書かれていた。
一桁台……相当な幹部だ。
廊下を突き当たりまで進むと、いかにも博士だという雰囲気の女性が待ち構えていた。
しかし白衣はボロボロで、髪も短かったり長かったりいい加減だ。
「お連れしました、血沸博士」
そう言うと、No.5は虎太郎を無造作に床に突き飛ばした。
手を縛られている虎太郎はもちろんバランスを崩してその場に這いつくばる。
血沸と呼ばれたその女は、笑顔で大きく頷いた。
「ご苦労さぁん、そこに置いといて帰っていいよぉ」
その女は一桁台のヴァイスに対して、常に高圧的な態度を崩さなかった。
ヴァイスが戻ったあとも、博士は虎太郎を笑顔で見ながら、一言も話しかけてこない。
これからどうなるか、不安で仕方がないというのに、まるで正解を焦らすクイズの司会者のようにこちらを見詰めたまま、なにか言いそうで言わない時間が続く。
その状況に痺れを切らしたのは虎太郎の方だった。
「俺はこれからどうなるんだ?」
反応を観察して楽しんでいるのか、嬉しそうにニヤニヤしながら、その女は言葉を発した。
「上からは、キミを新たな怪人の材料にしろって言われてるんだよねぇ」
「怪人の材料って……それはどういう事だ?」
「キミくらいの数字のヴァイスなら知らなくても当然だけど。怪人ってのは人間が素材になっているんだよねぇ」
虎太郎の顔がみるみる真っ青になる。
彼が若い頃からヴァイス構成員を増やす目的でさらってきた人間たちや、違反を犯して追放された事になっている元ヴァイスの仲間たちが、その材料になっているのではないかと考えたからだ。
「ザッツライト! なかなか鋭いねキミはぁ」
なにかを言ったつもりはないが、顔色で真実にたどり着いたと察したのだろうか。
血沸は手を叩いて喜んでいる。
「ついでにキミにもう一つ絶望を見せてあげるよぉ!」
博士は虎太郎の顔を、張り付いたような笑顔のまま観察しながら、壁のボタンを押した。
すると、窓ガラスのスモークが薄れ、透明になっていく。それは足元の床もだった。
透明になったガラスから見えたのは、半径200m程度の筒上の空間。
そして足元には巨大な容器に入った灰色の塊が見える。
「君の足の下に居るのが、君が長く崇拝してきた総統様だよぉ」
意地悪く笑うその声が聞こえないほど、虎太郎は驚いていた。
博士に言われるまでもなく、この灰色の塊が、そうなのだと一瞬で理解できたからだ。
総統は、膝を抱えた体育座りのような格好で、何かの液に満たされた容器に浸けられていた。
「顔、見に行く?」
博士がそう言いながら、通路の最先端までパタパタと走っていく。足元にはいつから履いているか分からないほどゴワゴワになった、モコモコスリッパを履いている。
彼女に促されるままに、虎太郎も後について行く。
そこにはガラス張りのエレベーターがあり、総統の横をゆっくりと降下した。
20年前、虎太郎が見た総統そのものだ。
ビルを一撃で粉砕する長い尻尾も透明の容器の構造に沿ってくるりと顔の方まで延びてきている。
到着と同時に、手を縛られているにも関わらず自然と走り出してしまう。何度もつんのめりながら総統の顔の前に到着した。
しかしその顔を見て全身の力が抜けたように、その場に膝をついてしまった。
エサを待つ鯉のように、口をパクパクさせるだけで、言葉を紡ぐことができない虎太郎に、遅れてきた博士がこう言った。
「総統はもう死んでいるんだよねぇ」
彼は完全に理解してしまった。
もう信じているものはここにはないのだと。
「少し昔話をしようか」
すると博士は勝手に語り始めるのだった。
────20年前、総統は海へと逃れた。
かに見えたが、その時点で総統は死んでしまっていたのだ。
原因は窒息死。
地上に降り立った総統は、苦しみ踠いていた。
別に街を破壊しようとした訳ではなかったが、結果的にそうなってしまったのだろう。
日本政府はその死体を秘匿した。
何故か?
それは総統という生き物が、地球上の生き物ではなかったからだ。
日本政府はその事実を、自分のものだけにしたいと考えたのだろう。
総統が生きていて見付けられないという事にするために、エーデルヴァイスという組織をでっち上げる。
同時に対抗する怪人対策特殊変身部隊MASTという組織を立ち上げたという真相だった。
「何故そんなことを……」
絶望にうちひしがれていた虎太郎は、次は真相を知りたいという気持ちにも駆られていた。
「簡単さぁ、自分の国だねで処理できるぞって所を見せないと、外国からの干渉があるだろうからねぇ」
「はは……八百長試合を20年も続けてきたっていうのか……」
その管理のために、人生を棒に振ったのかと思うと、自然と涙が溢れてくる。
同時に悔しさや怒りがこみ上げてきた。
そのぶつける先が今では明確に分かる。
「人間を材料にしてたって? 政府がか!?」
吐き気をもよおしながら虎太郎は叫んだ。
しかし、博士は全く目をそらさずに笑顔でこう言った。
「総統の死体を調べると、DNAの配列が人間の2倍の長さがあることが分かったのさぁ。でも、そこがキモでねぇ」
博士は両手を上にあげると、くるくる回り始める。
「総統に見られる特殊なDNA配列は、二つの遺伝子を一つに繋ぐ配列が含まれていたのさぁ。その特性を利用して怪人を作る研究をしたんだよぉ」
そのテンションは最高潮に達したのか、跳び跳ねている。もちろん虎太郎はそんな気分ではない。逆と言っても良い。
黒い感情が胸から沸き上がり、吐き戻すような感覚に襲われていた。
「くそっ! くっそぉおおおぉおお!!」
総統が入れられた分厚い容器に額をおもいっきり打ち付ける。
怒りで痛みすら感じないほど頭がボーッとしている。
「おやおや、やめなって。これから使う大事な体なんだからさ」
その言葉の意味を理解することはできるが、今はただ怒りに変換されるだけだった。
「凄い感情だねぇ、その怒り……私に使わせてくれないかなぁ?」
博士の言葉にその時が来たことを察した虎太郎は、自分の人生が終わるのだと思った。
下らない八百長試合のための、どうでもいい怪人にされるのだろう。
だがそれを受け入れる事はできない!
復讐の二文字が頭の中を駆け巡り、怒りと呼べるかも判らない感情の高ぶりに自分を制御することはできなかった。
目は血走り、獣のような目でそのひ弱そうな女に殺気を放つが、血沸は苦笑しながら制止してくる。
「おっと、勘違いしないでくれよぉ。私は政府の人間ではないんだ、むしろ君たち側だといってもいいんだよぉ」
いまにも飛びかからんとしていたところに、そんな意味不明な事を言われると、頭が混乱してしまう。
「……どう言うことだ」
話し方や考え方から、この女が常軌を逸していることは明白だった。
信用しきれるはずがない。
「私の母がこの研究所の初代所長だったんだけどさぁ、死ぬまでこんなところに閉じ込められて、人間を材料にした非人道的な実験をさせられたんだよぉ。精神を病んで数年前に自殺しちゃった。私に全てを受け継がせてねぇ。私は生まれた頃からこの施設で育ったんだ、頭がおかしくなるのも当然さぁ」
そう一気に言う博士、頭がおかしいのは自覚しているようだ。
しかし、虎太郎は人権を無視したこの場所にさらに嫌気がさす。
「だからぁ、私と手を組んでこの構造をぶっ壊す人材を探しているところだったんだよね」
「この虚構の組織を壊滅させるのか?」
笑顔で博士が頷く。
こんな言葉を言われて、希望を持たない者がいるだろうか?
死を覚悟した人間がすがる手を、こんなタイミングで差し出されて、掴まないはずがなかった。
「……何をすればいい」
「命を私にくれるだけでいいよぉ」
どうせこのまま理性のない怪人になって死ぬだけだった。そんなどうでも良い命など、もう興味はなかった。
その時むしろその先に待ち構えているものに興奮さえしたのだ。
「生きながらに俺の人生は無意味になった。命など持っていけ」
そう吐き捨てる目には、エーデルヴァイスに入ったときよりも、もっと明確な意思が燃えていた。
「その命無駄にはしないよぉ」
その女は厭らしく笑った。