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榛名辿シリーズ

彼の完璧な未来予想

作者: 糸木あお

榛名辿の穏やかな日常のサブキャラクター二挺木善が主人公のお話です。

 俺は辿てんに出会うまで自分が芸能関係の仕事をするなんてこれっぽっちも思っていなかった。中高とハンドボール部で県大会まで行ってスポーツ推薦で入れる大学に入学だって決まってた。でも、あの日、辿に出会ってから俺の人生は変わった。


 辿には才能があった。本物の天才だった。そのかわりに他のことはへたくそで全く出来なかった。いや、掃除炊事洗濯は得意だ。でも、こちら側のどこからでも切れますと書いてある袋はいつも伸びきって開けられず結局ハサミを使うような男だった。保険や携帯電話の契約も引っ越しも全部俺がやった。知らない人に電話をかけることが彼にとっては耐え難い苦痛なのだ。


 辿とは共通の知人を通して知り合った。不器用で大人しい男だと思った。いつも暗くて、ボソボソ喋る。勉強は苦手で運動も苦手だった。だから、辿が自殺未遂したとき他に迎えに行く人がいなくて俺が行ったのも偶然だった。辿はずぶ濡れで泣き笑いの顔をしながら、先輩、おれ失敗しちゃいましたと言った。


 それから、辿を家に連れて行ったら窓際に古いアコースティックギターがあったので、気分転換をさせるべく何か弾いてみてと言ったのだ。これもほんの気まぐれだった。俺は適当に有名な曲のコード進行とかを弾くと思っていた。


 だけど、辿はいきなりオリジナルの曲を歌い始めたのだ。すごく上手いわけじゃないけど妙に魅力がある歌声。本人よりも饒舌なギター、深く海の底に沈むような歌詞。鳥肌が立った。辿がこんなに素晴らしいものをその頭の中に隠し持っていたなんて思っていなかった。その日から俺は辿の曲を世界に知らしめるために活動を始めた。


 自分のためだけに歌う辿をなんとか言いくるめて音源を録音して、今まで全く触れたことのなかった編集ソフトを使って見様見真似でミックスやマスタリングをした。


 それをCDに焼いて手売りしたり、レコード会社に送ったり動画サイトに投稿したりした。レコード会社に送った分は反応がなかったが、動画がSNSで拡散されて少しだけ有名になった時、別の会社からオファーが来た。


 CDを全国発売する前から辿には熱心なファンがいた。彼らは早く辿にお金を払わせて欲しいと望んでいた。俺はそれが嬉しかったし、やっぱり辿はこの道に進むべきだと思った。


 勉強も運動もコミュニケーションも苦手な辿が就活するよりもミュージシャンになったほうが生活ができると考えたのだ。煩雑なことや交渉は全部俺がやれば良い。辿には気持ち良く曲を作って規則正しい生活を送ってもらう。それは完璧な計画だ。


 辿の病気は一生完治しないけど、薬を飲み続ければ感情の波を減らせる。俺は辿のために出来ることはなんだってやった。なぜなら俺は辿の世界で一番のファンだからだ。


 辿は気持ちの浮き沈みが激しいので季節の変わり目はずっと眠るか死の魅力に取り憑かれている。そんなある日、辿の親戚だという女の子が訪ねて来た。ひょろりと背が高く、ショートカットの黒髪に涼しげな黒い目をした女の子だった。


 辿とは正直全然似ていなかった。女子校にいたらめちゃくちゃモテそうなタイプの子だなと思いながら見ていると、彼女は眠り続ける辿のことをじっと見つめていた。その目が暗くて深い夜の森のようで少し怖いと思った。

 

 辿について話していると興味はあるけど、俺のことは殺してやりたいという顔をしていた。彼女はきっと辿のことが好きなんだろう。辿は無自覚に人を狂わせるタイプなのだ。結局親戚の子は3時間くらい滞在したあと、手土産の大きなバウムクーヘンをちゃぶ台の上に置いて帰って行った。


 これまで、俺が辿のことばかり面倒を見ると言って彼女に振られた。これで3人目だ。でも、結局辿のことを優先するから仕方がない。最後に付き合っていた彼女には二挺木にちょうぎくんは私のこと好きじゃないでしょ?と言って振られた。そんなことはない、ちゃんと好きだった。でも、辿より優先順位が低かったのも確かなのだ。


 次は辿を支えることに理解がある人と付き合おうと心に決めている。俺は才能があるものを優先する。だから、多分、俺は冷たい人間なのだろう。


 あと、これは色んな人から誤解されているが俺は辿のことを恋愛的な意味で好きというわけではない。ただ、辿の才能を愛しているのだ。


 辿は機械にめちゃくちゃ疎いのでSNSなんて勿論やっていない。だから俺が運営している。辿はファンに愛されているのですぐに反応が来る。写真を載せればファンが運営している生存確認のサイトが更新される。


 辿のファンは言動がわりと過激だけど本人に危害を加えるタイプではないので、とくに対策はしていない。そもそもライブやイベントもやらないので接触の機会はない。家は特定されているっぽくて2度引っ越したけど付き纏いや泥棒や盗撮は今のところない。どうやらファンの間で不可侵条約のようなものがあるらしい。前に家の中に盗聴器があるかどうかも業者を入れて調べたけれどそちらも問題なかった。


 辿はガリガリに痩せていて情緒不安定で社会性は全くなかったが、掃除や料理に洗濯といった家事はとても好きで体調が良い時はゆっくりと丁寧に過ごしている。梅干しを漬けたり、ベランダに家庭菜園を作ったり、糠味噌で漬物を作ったり、コーヒー豆を自分でゴリゴリと挽いて入れたりする。


 物がもともと少ない部屋なので床もトイレもシンクいつもピカピカだし、リネン類は清潔だった。俺が知る限り2週間に1回カーテンを洗うのは辿だけだ。そういった家事全般が終わるとギターを弾いて曲を作る。このご時世なのであまり長い時間会ったりはしないが辿にとっては丁度良さそうだった。


 辿はこの間、頭のおかしいファンの恋人に酷い目に遭わされて一時的に具合が悪くなっていたがやっと持ち直したようだった。辿が音楽をやめた方が良いかと聞いてきた時、俺は自分の欲求を優先して音楽を続けて欲しいと言った。辿が辛かったり苦しんで曲を生み出すことも知っている。それでも、辿の作品に救われる人間はたくさんいるのだ。もちろん俺もそのうちのひとりだ。


 そんな事を考えているとパソコンのメールボックスに新着の知らせが来ていた。そこには新曲のデモ音源が添付されていて、本文には確認お願いしますとだけ書かれていた。そのメールは簡潔で辿らしいと思った。


 俺は添付ファイルを開いてから外付けの大きなスピーカーで鳴らせるように設定をした。いつも辿の新しい曲を聴くときは緊張する。優勝がかかったハンドボールの試合よりもずっとドキドキする。


 でも、辿の曲を世界で初めて聴く栄誉を貰えるのはものすごい幸運で役得だ。再生ボタンをクリックしてから目を瞑る。少し寂しい響きのアルペジオから始まってそこに辿の歌が乗る。俺は今、とても幸せだ。この先もきっと辿が曲を作る限り俺は幸せだと思う。もし、神様がいるなら、辿に出会わせてくれた事にお礼を言いたい。


 あと10回くらい聴いてから辿に感想とどういうアレンジにするかを相談するメールを送ろうと考えた。

読んでくださってありがとうございます。評価や感想、ブックマークなどいただけるとやる気が出ます。


榛名辿の穏やかな日常、彼女の完璧な箱庭、榛名辿の騒々しい非日常、彼の完璧な未来予想をまとめて榛名辿シリーズにしました。シリーズのリンクから読めるようになっています。シリーズ外ですが指切りげんまん、嘘ついたら絶対に許さないときみには一生かなわないにも鬼映美子ちゃんがサブキャラクターで登場していますのでそちらもよろしくお願いします。

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