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沖田奏音は眠らない  作者: 若蛙
6/6

第6話 ブルーバード

人は誰でも幸せ探す旅人の様な物


視点:城島美姫


 7月の最後の登校日。

 ホームルームだけの日が終わり、明日からは夏休みが始まる。

 って言っても、私は転校してから半分も登校してないけどね。

 兄貴の世話の為に田舎から飛び出して早数か月、それなりに仲のいい友達も出来たけど何か違うなーって思ってしまって学校へは足が伸びない。

 私が上京してから一番仲が良いのは多分奏音で、その次が明日葉だからかな?

 奏音は学校に行ってないし、というか同じ学校かもわからないし、明日葉はアイドルの仕事であんまり学校に来ない。

 だから私もつまらないんだよね。

 兄貴のバンドに奏音がいたときはずっとみんなの練習のお世話してて学校には行かなくて、奏音がやめてから学校にまた行くようになったけどあんまり楽しくない。

 やっぱり学校生活に大切なのは友達だったんだなと実感。

 せめて明日葉がもっと学校に来てくれればなー。大事なコンサートが終わってからしばらくは毎日学校に来てたんだけど、同じくらいのタイミングで私が学校に行かなくなったもんだから全然会ってなかった。

 で、今日久々に明日葉に会ったのよ。

 すれ違い過ぎてまさか終業式まで全く学校で会わないとは。

「明日葉、夏休みは何かすんの?」

 学校の帰り路。明日葉に聞いてみるけど、まあ案の定返ってくるのは予想通りで。

「私は歌の仕事あるから、あんまり休まらないと思うな」

 夏休みなんて稼ぎ時だもんな。

 うーん……?それにしても変だね。

 兄貴の話によると、日々季さんは明日葉に学校にはちゃんと行けるようにスケジュール組んでるって話だから、サボってる私より学校来ててもいい筈なんだけど。

 日々季さんと琉さんは基本的に同じ考え方で、琉さんが奏音が学校に行かないのをあんまり良く思ってないように、明日葉が学校に行かないのを日々季さんが良い顔すると思わないんだけどね。

「美姫は何かあるの?」

「無いよ。兄貴の骨折も治ってお世話の必要無くなっちゃったし、また退屈な日々に戻っちゃって」

 実際には奏音と遊んでた(?)んだけど、学校には兄貴のお世話って事になってる。ただのサボりじゃ心象悪いしね。

「昇さんの腕、もう大丈夫なの?」

「明日葉にも迷惑かけたねー。もう心配無いよ」

「良かった。そうそう、この前のテレビ出演、私見たよ!昇さんカッコ良かったなー」

 ……明日葉、兄貴に気があるっぽいんだよな。私板挟み?トライアングラーの真ん中?

 厄介事にならなきゃいいけど。

「どうしたの?」

「いや、何でもない何でもない。ちょっと考え事」

 兄貴の愛の告白は多分受け入れられた、と思う。

 はたから見てると何も変わってない。二人で並んで歩いてても手を繋いでるの見ないし、目を離すとイチャついてるわけでもないし、スキンシップ過剰になってるなんてことが全然無い。

 相手が私の同い年だからって遠慮してるのか兄貴?奏音ちょっと背低いからロリコンに間違われかねないけどさ。

 それにしてもあの身長差は悲劇だね。年齢差以上に身長差が厳しいね。あれじゃ背伸びしてキスもできゃ耳におでこも付きゃしない。

 もう四六時中抱き付いてるくらいじゃないと埋まらないねアレは。

 うんうん。いや、何が埋まらないんだかは私も知らんけど。

「大丈夫?今日の美姫おかしいよ?」

「私が変なのは平常運転の証拠よ。いちいち変人を気にしてたら芸能界なんて居らんないよ」

「よく知らない癖に何言ってるの。変な人なんていないよ」

 そりゃ日々季P(ピー)は真面目だし、マネージャーも怠け者だけど仕事はちゃんとやってるみたいだし。

「おっと、私こっちだから。明日葉またね!」

「またね美姫。予定あいてたら連絡するね」

 分かれ道で別れた私はアパートへ帰る。

 今日はまだ昼。奏音の路上ライブには早い時間だ。


 アパートへ帰って来てもやる事があるわけじゃない。

 テキトーにお昼ご飯を食べた後は何をしようか考える。

 学校サボってただけあって、流石に掃除と洗濯はちゃんとやってたから散らかってはないし、学校の宿題はまだやる気にならないし。

 そうやって気が付いたら昼寝をしていて、起きたら日が沈んで外は真っ暗だった。

 いやいや、7月に真っ暗ってアンタ……

 時刻は20時を指している。

「おっ、時計壊れたか?」 

「んなわけねーだろ」

 兄貴帰ってたのね。

「おはよう兄貴!」

 夜でも元気良く“おはようございます”はギョーカイでは基本だよね。

「もう夜だろうが。晩飯用意したから早く食っちまえよ」

 むむむ、生意気な奴め。ギョーカイジンの癖に。

 さてさて今日の晩御飯は……

 アジの開き、卵スープ、ツナサラダ。

「ふつーだなー」

「俺にそんな凝ったもの作れるか!」

 ま、普段は私が作ってるわけだし、用意してくれただけありがたい。

「ありがと兄貴。それじゃ、いただきまーす」

 うん、美味い。魚屋で買ったアジの開きはやっぱり一味違うね。

 質素に見えるかもしんないけど、私も兄貴も大飯食らいってわけでもないしこんなもんで十分。

 それに兄貴の稼ぎはまだ少ないからね。仕送りあるって言っても都会の家賃は高いし、食費は出来る限り切り詰めてかないとちょっとした贅沢もお洒落も出来やしない。

「ご馳走様。洗い物は私やるね」

 自分の使った食器をもって流しに向かい、洗い桶に入ってる兄貴の分も一緒に片付ける。

「兄貴、今日は雑誌のインタビューだったんでしょ?奏音の事何か聞かれた?」

「聞かれはしたけど、奏音はプロフィール非公開だしな。琉さんの方針もあって何も答えられねえよ」

 男だけのバンドに臨時で入った女の子が目立たないわけはないけど、ライブじゃ男装でステージに立ってたからそんなに違和感は無かったし、CDのジャケット写真には2ndも3rdも写ってないし、さらには2ndシングルの女声ボーカルはスタジオ録音だと明日葉がやってるもんな。

 ライブだけの臨時メンバーってだけにされちゃって、まるで奏音はいない人扱い。

 ちょっと可哀想過ぎない?

 明日葉は兄貴の曲に参加できるって喜んでたけどね。

「こんなんじゃ奏音はいつデビュー出来るんだか」

「気長でいいんじゃないか。奏音はまだ14歳で、琉さんも日々季姐さんもデビューは18歳だったわけだしな」

 学校にも行ってないみたいだし、まるで普通に人前に出られない呪いでも掛かってるみたいよね。

 呪いかー。

「兄貴、奏音とキスした?」

「おまっ、バカ!まだそこまで進んでねえよ!」

 顔真っ赤で慌ててるよコイツ。これじゃあ当分お姫様の呪いは解けそうにないね。

 ……あっ、ヤベ。

 寝過ごして奏音の歌聴きに行くの忘れた。


 

 さて、日も変わって今日から夏休みである。

 洗濯も終わった。

 掃除も終わった。

 宿題も……いや、それは終わってねえ。

 やる気しないなあ。とりあえずやる気のある限りやっていこっか。

 ……

 …………

 ………………

 ダメだー!やる気にならんんんん!

 でも他にする事無いんだよねえ。10分持ちゃしないよ。

 学校行ってない奏音ていつもこんな感じなのかな。

 ……そうだ、奏音の家行こう。暇だし。

 思い立ったが吉日。私はそそくさと支度をして奏音の家へと向かうのであった。


 玄関までは少し遠い、門に付いているインターホンのボタンを押すと、ピンポーンと音が鳴る。

『どちら様ですか』

「ごめんくださーい。城島美姫です」

 インターホンから聞こえる声は間違いなく奏音だ。

『美姫?どうしたの突然うちに来て』

「いやー、暇で暇で……」

『今開けるから、玄関まで来て』

 初めて来たけど、奏音のお家は大きいね。

 ガレージの横の門を通って、玄関まではちょっとした階段になってる。

 2階建てかな?地下あるって言ってたっけ?部屋数も多いし、豪邸ってこういうのを言うのかな。

「やっほー、来ちゃった」

「遊びに来てくれたんだ。入って!」

 笑顔で迎えてくれる奏音は可愛いねえ。兄貴が惚れるのもわかるなー。

 ぐえっへっへ。今日は奏音を私が一人占めだ。悪く思うなよ兄貴。

「誰が来たんだ?」

 前言撤回。この人いたわ。兄貴の恋の最大の壁がいたわ。

 2階への階段から琉さんが下りてくる。

「どうも琉さん、お邪魔します」

「美姫か。遊びに来たのか?嬉しいなー!」

 琉さん、まるで子離れ出来ない母親のような反応だね。私の兄貴に対する雑な態度とは全然違うや。

 兄貴もいい大人なんだし私が何も言わなくてもちゃんとしてるでしょ。いやあ、立派に育ったね。

 逆?私が世話されてるって?違う違う。私が兄貴のお世話してるの。

 私は奏音に案内されてリビングへと向かう。

 流石豪邸、リビングも広い。立派なソファーに大型テレビ、スピーカーも良いの置いてる。

 アパート暮らしが惨めに見えて来ますね……

「麦茶でいい?」

「麦茶!?高級な麦茶があるの!?」

「TVでよくCMやってる麦茶だけど……」

 私の大袈裟な反応にちょっと引く奏音。家も家具も豪華だからそう思っちゃうじゃん?

「奏音イイトコのお嬢様じゃん。良い生活してるんだろうな~」

「そんなこと無いよ。それにお家の事は全部私がやってるし、お嬢様っていうよりもメイドさん、かな?」

 奏音がメイドさんなら琉さんは……奥様?

 琉さんに扱き使われる奏音を想像する。

 ……すっごい褒め倒してそう。

 やっぱり奏音がお嬢様だね。

 奏音と色々生活について話してみると、家具は家相応に良い物をそろえるようにしてるけど、食生活は私たちとあんまり変わらないらしい。

 この前魚屋で買ったアジの開きが美味しかっただとか、野菜や果物は旬の物は安くて美味しいとか。

 金持ち向けのスーパーには行ってなくて、私と同じように商店街やその辺のふつーのスーパーで買い物をしてると話していた。

「ワンルームマンションでの生活から抜け出せなくて、あんまり高い物を食べてもよくわからないから勿体ないって思うし、実はお家も突然大きくなったから落ち着かないんだよね」

「なるほど、急に金持ちになって戸惑ってる感じか」

 私もいつかそうなるんだろうか。

 兄貴はそんなに稼げるようになるかね。2ndシングルは惨敗だったし、3rdシングルはそこそこ売れてるけど1stシングル程じゃないって兄貴言ってたもんな。

「無理だな」

「何が?」

「兄貴。豪邸建てられる程稼げるようになるとは思えん」

 目指すはライブバーのマスターの現役時代の様な大ヒットなんだろうけど、あれが出来るのはボーカルやってる兄貴じゃなくて作曲担ってる鉄矢さんだね。兄貴の作曲てかなりイマイチだし。プロデュース業とか絶対無理でしょ。

「でもお金持ちになると金銭感覚狂って大変だってマスターさん言ってたよ」

「確かに。この家も家具で苦労してるもんね」

 実は安物買えないから家具代で困ってるんだと。

 奏音の家、というか琉さんのこの家は、琉さんが作った芸能事務所“オフィス国府田”の事業所も兼ねている。そのせいで、良い家具を揃えて誰が来ても良いようにしないと客に舐められる、と思って気を使ってるんだって。

 見栄の維持も金持ちの苦労なのかもしれん。

 金があるから高い物買わなきゃいけないって本末転倒だよね。

「でも、私は毎日ご飯が食べられればそれで十分。それに暖かい物が食べられるって、いいよね」

「流石に欲が無さすぎない?ご飯毎日食べてるんだよね……?」

 まさかあの琉さんが奏音に虐待を……?家事で失敗するとご飯抜きとか?普段の過保護は仮面で、だから奏音は自分の事をメイドさんだなんて?

「奏音、ご飯に困ったらいつでも言ってね……。私いつでも食べさせてあげるからね」

「おい。勝手に誤解すんなアホ」

 げえっ!琉さんいつの間に後ろにいたの!

「その怖い物見たような顔やめろ」

「あっ、はい」

 誤解されたままじゃ嫌だからか、琉さんは奏音の身の上を教えてくれた。

 お母さんに捨てられてホームレスやっていたところ、琉さんに拾われて一緒に暮らし始めたという事だった。兄貴はこの事知ってるのかな?

「マジか。シンデレラかよ」

 お金持ちに見初められて家なき子からお嬢様だ。まあ、奏音は性格良いし可愛いからねえ。歌も上手いし、楽器も演奏できるし。

 天が二物どころか三物、四物くらい与えてる感じ。私に一つくらい分けてくれ。不公平すぎるよ、神様。

「人を意地悪な継母みたいに思った癖に何言ってやがる」

「それは勘弁してください……」

 一緒に暮らしてまだ3年くらいか。思ったよりも付き合い短いんだ。

 でも本当の姉妹みたいに仲が良くて……撤回!前言撤回!家族だから仲が良いなんて限らない!

 私と兄貴はこんなに仲が良いわけじゃないし。

 ……でも、子供捨てる程腐ってるなんてのはあるわけない。お母さんは兄貴が心配で私を送ったし、私も兄貴と二人での生活は結構楽しくやってる。

 やっぱり、本物の家族じゃないと気兼ねなく出来ないか。

「それに金持ちになったのは奏音が来てからだよ」

「シンデレラじゃなくて青い鳥拾ったんです?」

「青い鳥の意味間違ってんぞ」

 あれ?幸せの青い鳥じゃなかったっけ?

「奏音の人生はハードなんだかイージーなんだかわからん」

「普通に生きてるお前の方が余程楽じゃねえかな」

 普通ねえ。このまま中学卒業して、高校行って大学行って、OL?

「詰まんねえ人生だな」

 ありきたりだ。制服着て書類持ってる私を見たいかっての。

「そうかな?私は普通がいいな」

 これは私が持たざる者なのか、はたまた奏音が持たざる者なのか。

 なるほど、青い鳥の正体はこれか。きっといつか所か今出会ったぞ青い鳥。

「焼き鳥にして食べようと思います」

「美姫何言ってるの?」

「お前は私か」

 琉さんもOLをやる自分をイメージ出来なくて、それで音楽の道に行ったそうな。

 そういえば学校で進路決めろって言われてたな。私は学力低いから底辺校しか行けないけど、本当に考えなきゃいけないのはもっと先だ。でもさあ、中学生じゃそんな先わからないってば。

「奏音はメジャーデビュー目指してるんだよね?」

「うん。いつになるかわからないけど、いつか必ずデビューしたいなって」

 健気だ。それに向かって努力もしてるし、兄貴が応援したくなるのも良くわかる。

 奏音はそれしか道が見えないのかもしれないけど、私よりも随分先を見ているのは間違いない。

 それに比べれば私は何もせずになあなあに生きてる。

 兄貴は何時からギター持ってたっけ。14歳だったかな。

 私は所詮はサボり癖があるだけの中学生。それ以外は特に目立った特徴は無い。

 青い鳥を焼き鳥にするのはまだ待った方が良さそうだ。

 将来の夢って必要だったんだな。


 その夜、迎えに来た兄貴に青い鳥の事を聞いてみた。

「兄貴、幸せの青い鳥って探したら見つかるかな?」

「青い鳥は探して見つけるもんじゃない。気が付いたらそこにいるもんだろ」

「それじゃあ汽車乗ってもみつからないじゃん」

 古いアニメソングの歌詞、間違ってない?

「何言ってるのか、わけわかんねえぞお前」

 私も何言ってるのかさっぱりわからん。

「……じゃあさ、探しに出たら何が見つかるかな」

 青い鳥は探しても見つからない。だったら人間は何を探して生きてるんだろ。

 幸せの象徴って何だろうね。

「……ガンダーラ」

「ガンダーラ?」

 少しして出てきた兄貴の答えだ。

「探しに旅に出るのはガンダーラじゃないか?何でも夢が叶うって歌われてるだろ、ガンダーラ。でもよ、ガンダーラへの旅路は険しいから、もしかしたら、部屋で青い鳥を眺めてた方が案外楽な人生かもな」

 確かに自分から喜んで苦労するなんて変な生き方よね。

 でも、苦労した分だけ夢を叶えた時の喜びは大きいんだろうな。

 兄貴も琉さんも、みんな凄い努力してミュージシャンになったのかな。

「でも、険しいなんて歌われてたっけ?」

「あれ、違ったかな。ほら、西遊記で三蔵法師が有難いお経を取りに旅に出ただろ。あれのゴールがガンダーラじゃなかったか」

 西遊記。お坊さんが3匹のお供を連れて天竺へ向かう修行の旅、だっけ。

「兄貴はガンダーラ見つかった?」

「……牛魔王が倒せねえな」

 誰の事かね、それ。

 結局私はどうするんだろうね。

 籠の中の青い鳥を愛でるか、ガンダーラを目指して旅に出るか。


 翌日以降も夏休みの間はほぼ毎日奏音の家に遊びに行き続けた。

 あの家居心地いいんだよね。奏音も嫌がらないし。

 琉さんは毎日に遊びに来る私に対して流石に「飯をたかりに来てるのか」と嫌味を言う様になったけど、あんまり悪くは思ってないみたいなんだよね。

「奏音ー、今日のお昼なにー?」

「素麺と冷やし中華どっちがいい?」

「素麺の気分かなー」

 もはや自分の家の様にお昼ご飯を聞く私。

 奏音も私が来ると思って私の分のお昼ご飯も用意してくれるんだよね。

 だから私はお言葉に甘えて毎日遊びに行くわけだ。

「じゃあ素麺にするね」

 どれどれと素麺を見ると小綺麗な木箱に入っていた。高そうだ。

 乾麺は黒い帯で束ねられている。

「これ凄い良い奴じゃないの?」

「貰いものだからわかんない。琉がお中元で貰ったの」

 こんな小さな芸能事務所の社長でもお中元貰えるんだ。

 なるほど、起業も悪くないな。

 ……そんな頭は私には無いけど。

「すぐ出来るから、2階から琉呼んできてくれる?」

「わかったー」

 私は2階へ行って琉さんの部屋の扉を叩く。

「琉さーん、お昼ご飯だよー」

 部屋の外から声を掛けてみたけど……返事が無い。

 作曲中はいつも返事しないって奏音が言ってたっけ。

 しょうがないから勝手に入るとしよう。

「失礼しまーす……」

 中に入ってみると、琉さんはデスクでパソコンに向かっていてヘッドホンをしていた。そりゃあ聞こえないわけだ。

 何の作業だろう。やっぱり作曲中なのかな?

 作業中の琉さんの顔は真剣そのもので、いつもの口が悪いお姉さんという感じじゃない。

 その表情はとても真面目で凛々しい。

 こりゃあ兄貴が逆立ちしたって敵わないね……

 作曲中の兄貴なんてこんな格好良くないからね。すぐ煮詰まってるもんな。

「まあ、こんなもんか……美姫?いつの間に入ったんだ?」

 ヘッドホンを外して、ようやく私に気付いてくれた。

「お昼ご飯ですよ」

「もうそんな時間か。すぐ行くよ」

 

 3人でテーブルで素麺をすする。

「琉さん、午前中は何をしてたんですか?」

「明日葉の次のシングルの作曲。リリースは多分秋ごろになると思う」

「……?何で琉さんが明日葉の曲作ってるんです?」

「あっ、ヤベ」

 ネタばらしをされた。明日葉の曲を書いてる“白龍”は琉さんだって。

 本人は既に公然の秘密だと思っているせいか、最近はこんな感じで色んな人にバレてるらしい。

「何かみんな隠し事多くないです?私だけ知らない事が多いというか」

 私は所詮一般人だから仕方ないのかもしれないけど、兄貴も琉さんや奏音の事になると余所余所しくなるんだよね。

 明日葉だってテレビや雑誌で宣伝してる以上の事は全然教えてくれないし。

 言えない事があるのもわかるんだけどね。

「企業秘密とか社外秘とか、色々あるんだよ」

「それはそうですけど」

 秘密を知るには果たしてどうするべきか。

 蛇の道は蛇……なるほど。

「私もそっち側になる、とか?」

「ド素人がどうすんだよ」

 確かに。

 私はミュージシャンやってる兄貴の妹ってだけで、私自信は特に手に職無いんだよね。

 今から何か始めても、いつになったら奏音に追いつくやら。

「うーん……アルバイトとか?」

「アルバイトに社外秘漏らせるわけないだろ」

「ごもっともで」

 でも親しい友達が、大人気アイドルとデビュー控えたシンガーソングライターでしょ?

 私、釣り合わないな。兄貴の妹じゃ箔にはなりゃあしないよ。

「なんか私だけ何も出来ないみたいで嫌だなー」

 私にそんな才能は無いし、始めた所ですぐ飽きるに決まってる。

 日々の自分を振り返るとそうなる自分しか想像できない。

「何か出来れば偉いってわけじゃないし、別にいいんじゃないかな」

 奏音はフォローのつもりか。

 その通りだと思うけど、私はこのままだとつまらない人間のままな気がする。

 このままじゃ、部屋にいる青い鳥すら見つけられそうにない。


 夕方になり、私と奏音は駅前の広場へと向かう。

 今日は路上ライブをやる気分だと言うから私も付いていくことにした。

 まあ、私はいつも通り眺めてるだけなんだけどね。

「ありがと奏音、宿題手伝ってくれて」

「私何もしてないよ?全然わからなかったし……」

「一緒に悩んでくれるだけでもいいよ。一人でやるよりは進んだし」

 学校の宿題をちゃんとやれって琉さんに叱られたからやった。結構うるさいんだね、こういう所。まるでお母さんみたい。

 ふと思った。

 奏音は学校には行かないのか。

 学校に籍はちゃんとあるからいつでも登校できるらしいんだけど、奏音はどうしてか行く気にならないんだって。

「ねえ、何で奏音は学校行かないの?」

「私友達いないし、それに学校みたいな所慣れてないから、上手くやっていけるか自信なくて怖いんだ……」

 聞けば小学校すら1日も行ったことが無いという。そりゃ怖いのも分かる。

 けど、転校してきた私もアウェイながらなんとかやって行ってるし、きっと奏音も大丈夫だと思うけどなあ。

「奏音どこ中?」

「家から一番近いところだから……」

「区立第3?」

「確かそこだったと思うけど」

 私の通ってる学校だ。

 ……そういえば私のクラス、出席番号に欠番があるんだよな。

 確かあれは4番の“大山”と6番の“神谷”の間だったような。4番はあるから縁起担いでるわけじゃない。

 ん?“沖田”なら間に入るな?

「もしかして、3-B?」

「3-Bだったような……。なんで美姫わかるの?」

 もしやこれは……間違いない!

「奏音!私と同じクラスだ!」

「美姫と……同じクラス?」

 これなら奏音も学校に来れる!何か困った事があっても私が奏音を守ってやればいいんだ!

「ねえ奏音、夏休み終わったら一緒に学校行こう!」

 友達がいないと学校行く気にならないってのは、今の私が正にそうだ。

 明日葉がいないと話し相手も少なくて退屈だけど、奏音とずっと一緒なら怠けずに頑張れる気がする。

「……そっか、同じクラス」

 おや?あんまり乗り気でない?

「ダメ?」

「……考えとくね」

 それ、ウソついてる笑顔だな。兄貴と一緒で、私もその笑顔は嫌いだぞ。

 私はそんなに頼りないか。

 気持ちはわからなくもないけどね。小学校すら行ったことないのに突然中学に行けるわけないってのは。

 でも、そのままじゃ部屋の青い鳥で満足するだけになっちゃう。

 だから私が三蔵法師になって、奏音を閉じ込める五行山の封印を解いてガンダーラを目指すのさ。

 GO!WEST!ってね。

 青い鳥はどうしよう。しばらくは可愛がってやるか。


 

 8月。

 残りの夏休みも1か月を切ってしまった。

 これはマズイ。1週間近く悩み続けたのに五行山の封印の解き方が思いつかないのだ。

 ちなみに宿題は全て終わった。奏音にずっと手伝って貰ってたからね……

 方法が分からず悩み続け、気晴らしに宿題も出来ない。

 私がそんな状況の中、琉さんが重大発表があるからとライブバーに知り合いを出来るだけ集めていた。私もとりあえず行くことにした。

「8月一杯をもって、wall Breakerを解散します!」

 摩耶さんが発表していた。

 ……解散?

 ”Wall Breaker”って明日葉のサポートバンドでしょ?解散したら明日葉どうなるの?

「はい質問」

 私が手を上げる。

「なんでここに明日葉来てないんですか」

 こんな発表なのに明日葉はいない。無関係ではない筈だ。

「呼んだよ。けど親御さんがうるさくてな」

 マネージャーがそう言うなら仕方ないか。

 今は夜の20時。中学生が一人で出歩くには確かにちょっと遅い時間かもね。

 明日葉の親って妙に束縛キツイよな。過保護とはまた違う感じで。

「9月からはちゃんと人が決まるまで暫くは“タイムトラベル”に収録を頼むことになるが、大丈夫か城島?」

「日々季姐さんから聞いてますからそれはいいんですけど……WB、何で解散を?」

 それそれ。誰かが捕まって活動できなくなったわけじゃないしね。

「山田さんが所属する楽団で忙しくなるみたいなのよ。それと……私も結婚が決まってね」

 摩耶さんが結婚?

 琉さんが何とも言えない顔してるな……

 結婚先越されて悔しいのか、それともまさか結婚するとは思ってなかったのか。

「摩耶さんおめでとうございます!」

 一番最初に言ったのは奏音だ。素直で良い。

 奏音に続いて口々に「おめでとう」とお店の人や常連さんが言い、拍手が起こっている。

 そうか、結婚もある意味人生の終着点かもしれない。まあ、私には遠い先の話だと思う。女の子だからあと2年もしないで結婚できるようになるけど。

「おまえ!付き合ってる男いたのかよ!」

「相変わらず失礼ね。私は琉ちゃんと違ってやる事やってるわよ」

 うーむ。琉さんと摩耶さんを比べてみると、琉さんは割と女捨ててる感じだけど摩耶さんは女性!って感じするもんな。私もどっちかというと摩耶さんの様な大人になりたい。

 琉さんはイケメンて感じ。スタイル良いんだけどね。背も高いし身体のメリハリあるし。

「ベース辞めちゃうんですか?」

「辞めるわけじゃないけど、今までみたいに専念は出来ないかな。子供も欲しいし」

 要するに、妊娠すると無理は出来ないから一時休止して迷惑を掛けないようにしたいって事らしい。

 この辺は難しいか。音楽活動は簡単に引き継ぎなんて出来ないからね。奏音が兄貴の引継ぎを2週間で済ませたのが凄いのかもしれん。

「そうなんですか。摩耶さんにもっとちゃんとベース教えてもらいたかったです」

「だったらウチに来てくれればいつでも教えてあげられるわよ。暫くは暇だしね」

「いいんですか?」

「ええ。歓迎するわ!」

 ベースギターか。

 確かアコースティックとかエレキは弦が6本あるのが普通なんだけど、ベースは弦が4本なのが普通なんだっけ?あとは弾き方も同じ様に見えて結構違うって兄貴が言ってたな。

 ふむ、ベースギター。摩耶さんみたいに弾けたら格好いいだろうな。

 ベースギターを弾く私をイメージする。

 隣には奏音がいる。

 ……何で?

 そりゃあ奏音と一緒にバンド出来たら楽しいだろうけど。

 ん?

 おお!これだ!バンドをやろう!

 私が!奏音の!ベースギターになる!


 と、思い立ったは良い物の。

「いや、ド素人がいきなりベースギターできるわけないだろ……」

 そもそも楽器持ってないしね。

 重大発表の翌日、冷静に考えてみると中々無理な考えだと思い直す。

 ならば練習をしよう。

 まずは楽器の調達からだ。とりあえず金は無い。

 そうだ、兄貴の借りよう。ずっと使ってないのがあったはず。

 私はアパートの部屋の隅に置かれているケースを開ける、が。

「錆びてない?コレ?」

 兄貴ずっとエレキしか触ってないからベースの手入れしてなかったな。

 弦を触ってみると酷く指が黒くなる。

 交換しないと弾けないね。

 部屋中を探してみるも交換用の弦は見つからない。

 こういう時に相談できるのは……奏音、はダメだ。奏音には内緒にしておきたい。

 となると琉さんなんだけど、奏音と一緒に暮らしてるから相談はしづらい。

 兄貴は論外。

 あんまり話した事無いけど、バーのマスターさん頼ってみるか。

 私はギターケースを担いでライブバーへと向かった。


 って、まだ昼前だろ。

 開いてるわけないじゃん、と思いながらも“Close”の札のかかった扉に手をかけてみると開いた。

 私ってば強運!

 いや待て、必ずしもマスターさんがいるとは限らないぞ。

 ちょっとだけ覗いてみよう。

 恐る恐る中を見渡してみると……、琉さんがピアノの練習をしていた。

 琉さんピアノ弾けないっけ?確かキーボード弾けたよね。

「おはようございまーす」

 まずは元気に挨拶!

「あれ、美姫?なんで店に来たんだ?」

「実は相談がありまして……」

 琉さんなら大丈夫かな。口の堅い人だってわかってるし、色々相談してみよう。

 私は奏音を学校に連れていきたいという事、ベースギターを始めたい事を琉さんに言った。

「酷えなこれ。今度会ったら説教だな」

 琉さんは私の持ってきた錆びたベースギターを見て言う。兄貴、ご愁傷様。

「代わりにそこのケースの持って行きな。これはアタシが直しとくよ」

「持って行け、って。琉さんは私にベース教えてくれないんですか?」

「アタシよりもっと上手い奴がいるだろ?そいつに連絡しとくから、行って来な」

 琉さんの言うベースの上手い人って、摩耶さんかな。

「ところで、何でピアノの練習してるんですか?」

「キーボードとピアノじゃ全然違うからな。アタシもいつかおっさんみたいに綺麗にピアノ弾いてみたいんだ」

 目標を語るときの琉さんはいつも笑顔だっけ。こういう時、琉さんて凄い美人だなって思う。

 それに、プロの音楽家になっても向上心を忘れないってのは凄いな。当たり前なんだろうけど、きっとその内慢心しちゃうもん。兄貴なんか面倒くさがってたもんな。だから曲売れないんだよ。

 私も琉さんを見習わないとね。

「それじゃあ私、摩耶さんの家に行って来ます」

「ああ。頑張れよ」

 私が扉を開けようとしたところで琉さんの言葉が続く。

「それと奏音の事、ありがとうな」

 それが聞こえた私は振り返って、

「当たり前です。奏音は私の親友ですからね」

 そう言って、私は店を後にしたのだった。


 それから私の夏休みの殆どがベースギターに費やされた。

 音楽の知識なんてまるで無い私は、ギターを触る前に基本的な音楽の勉強も並行してやっていく。楽譜が読めないんじゃ演奏なんて出来ない。

 事前に約束した日には摩耶さんの家に行って教えてもらい、それ以外の日はアパートで毎日の練習を欠かさない。

 借り物の楽器だから手入れはちゃんとやる。ちなみに、兄貴はベースギターの手入れをしていなかったことを琉さんにかなり強く怒られたらしい。当然の報いである。

 奏音の家に遊びにも行っている。7月中は毎日行って居着いていたのに8月になって急に来ないんじゃ不自然だからね。こっそり練習する為にも怪しまれない様にするのも必要だ。

 アパートで練習している時は兄貴が色々教えてくれる。楽器を錆びさせた割には結構正確な教え方だった。

 ベースギターを始めて2週間くらいした頃、琉さんに昼にお店に来いって呼ばれた。

「修理終わったぞ。今度は大切に使いな」

 琉さんが兄貴のベースギターを修理してくれた。

 ケースの中を見ると、以前の錆だらけだった姿とは大違いに綺麗になっている。

 私が今まで借りていたバーの備品のベースを琉さんに返すと、琉さんはケースを開けて中を覗く。

「ちゃんと綺麗につかってるじゃないか。関心関心」

 そりゃあ私は兄貴とは違いますからねえ。

「少しは上手くなったか?」

「兄貴はともかく、摩耶さんも褒めてはくれますけど、自分ではさっぱりわからないですね」

 始めた頃に比べればかなり上達してるけど、人に聴いてもらうにはまだ全然。

 いつになったら奏音の隣に立てるかね。

「お前にこのスコアをやろう。課題曲だ」

 何だろこの楽譜。えーと、何々。

 ……“Re;New”

「ええ……これですか」

 明日葉のデビュー曲だ。そりゃあ知ってる曲だけど。

「その内ここでベース頼むから、ちゃんと出来る様になれよ」

 あんまり気乗りしなかったからか、私は返事をしなかった。練習はちゃんとやってみるけどね。

 それから私は、いつもの様に摩耶さんの家を訪ねる。


「もう私が教えられることは無いから、今日でおしまいね」

「えっ、大丈夫じゃないと思います私」

 摩耶さんの家で練習を始めてすぐ、突然の終了宣告。

 全く自信ないよ私!

「琉ちゃんに課題曲貰ったでしょ?8月の最後の土曜日、聴かせててもらうわね」

 おのれ、琉さんと一緒に私を謀ったな。いきなりハードル高いぞ。くぐった方が早いくらいハードル高い。

「大丈夫。美姫ちゃんも昇くんと一緒で筋は良いから、練習ちゃんとやれば出来る様になるよ」

 兄貴は怠け者だけど、最近はちゃんとギターの練習してるから腕は上がってるみたいなんだよね。

 まあ、私が本気になれば兄貴を抜かすのなんて余裕だし?

 よっしゃ、一丁やってみるか!

「なんとか聞けるように頑張ります」

 返事は弱気だな美姫。どうした自分。いつもの威勢はどこ行った!

 ……始めて1か月なんだから自信あるのはそれはそれで不安だけどね。

「それと美姫ちゃん。これ、私のベース」

「これ、弦6本ありますね」

 摩耶さんがケースを開けて私に見せる。

 これが6弦ベースってやつか。

 6弦の物があるのは知ってたけど、こんなに近くで見るのは初めてだね。4弦よりも複雑で大変そう。

 兄貴のもバーの備品も4弦で、兄貴のバンド仲間の翔さんが使っているのも4弦だ。6弦ベースは有名だけど、使ってる人はあんまりいないイメージ。

「ちょっと持ってみる?」

「いいんですか?」

 肩にかけてみると、普段使ってるベースよりも少し重く感じる。

 摩耶さんはこんなのを担いで演奏していたのか。そりゃああんな良いガタイになるわけだ。

 こんなの担いで演奏するには体力と筋力要るぞ。

 いや、歌もそうだけど楽器演奏なんてのは本気でやるには筋トレ必要なのわかってるけど。

「美姫ちゃんにそれ上げる。その代わり美姫ちゃんのベース頂戴。交換ね」

「は?」

 いやいや、わけわからん。

 思わず「は?」なんて言っちゃったよ。失礼でしょ。

「あの、これすっごい高い良いやつですよね?私の使ってる兄貴のベースって、ライブじゃ使うつもりの無い練習用だから安物ですよ?」

「でも私はしばらく弾かないだろうし、だったらちゃんと使ってくれる人に上げた方がそのコも喜ぶと思うの」

 ド素人に使われて嬉しいのかな、こんな良い楽器。

「それにこのベースは兄貴ので私が勝手にあげるわけには」

「琉ちゃんがいいって言ってたから大丈夫よ」

 まさか摩耶さんに上げるためにベース修理したわけ?

「だったらそれこそ琉さんに上げればいいじゃないですか」

「琉ちゃんはベース下手なのよ。目立ちたがりだから性格が向いてないのよね」

 確かにベースはやってるの見たことないし、ドラムやらせるといつも色んな人から「早い!」って言われてるな。何使っても演奏中勝手にアドリブ入れる悪い癖もあるし。

 でも、私も似たようなもんだと思うけどなあ。

「奏音ちゃんの隣で演奏するベーシストになるっていうなら、尚更そのコは貰ってもらわないと」

「なんでそこで奏音が?」

 どうも奏音に関しては色んな人がしがらみを持ってるみたいだ。

 私だけ何も知らないみたいで、ちょっと不満というか、親友を自称する癖に何もわかってないみたいで、少し寂しい。

「色々あったのよ」

 誰もその事を話そうとはしないけど、私もそれを詮索しようとも思わない。

 兄貴は多分知ってるんだけど、それでも奏音が自分から話す気になるまで待ってようと思ってる。

 嫌な事聞くの、粋じゃない。

 私が黙って隣に立ち続ければ、いつかきっと話してくれると思うから。

「私何も知りませんけど、だったら遠慮なく貰っていきます。下手でも怒らないでくださいね」

「美姫ちゃんなら大丈夫。大事にしてあげてね」

 

 こうして私のベース道は振り出しに戻る。

 4弦から6弦に増えた私のベースギターは殆ど練習のし直しだ。

 弦が左右に1本ずつ多く、今までとは抑える弦の感覚が違う。

 ただ、私がベースギターを始めてまだ1か月も経ってないのは怪我の功名で、4弦ベースにも慣れているとは言えなかったから6弦への切り替えは意外とスムーズに出来たと思う。

 ……上手く弾けるとは言ってないよ?間違う回数も増えたし。

「ただいまー……ってお前、どうしたその厳ついベース!?」

 兄貴がアパートに帰ってくるなり、練習している私を見て言う。

「摩耶さんに貰った」

「いやいや、普通くれるわけないだろそんな高いの」

「貰った物は貰ったの。くれたんだし、仕方ないじゃん」

 私は兄貴の戯言に耳をくれず、練習を続ける。

 兄貴も奏音も言ってたけど、指が回らないってのが良くわかるようになった。

 ええと、ここはこうして……

「ああ、また間違えた!」

「……美姫、6弦はミュートをちゃんとしないと他の弦が響いて雑音になっちまうぞ」

 うるさい。そんなの知ってる。ベースの事ならもう兄貴より詳しいつもりよ!

 はぁ……今日はダメだね。ちょっと息抜きしよう。

 スマートフォンのメトロノームを止め、ギターをケースに入れる。

「美姫、そのベースちょっと見せてくれないか」

「ヤダ。これは私が摩耶さんから貰った大切なベースなんだから、いくら兄貴でも無理」

「そんなかよ……って、これ摩耶さんが使ってた奴じゃねえか!」

「何よ今更。見ればすぐわかるでしょ」

 摩耶さんから貰った音楽の魂。

 誰であっても触らせるわけにはいかない。これは私のだ。私のベースギターなんだ。

 何のつもりで私に愛用のベースをくれたのかはわからないけど、譲り受けた私は守っていく義務がある。

 楽器も、意思も。

「摩耶さん、その楽器くれる時何か言ってたか?」

「奏音の隣に立つならこれを使えって、それだけ」

「……そっか。頑張れよ」

 やっぱりだ。兄貴は奏音に何があったか知ってるんだ。

 悔しいな。こういうところで彼氏に勝てない。

 他の誰に負けてもいいけど、兄貴にだけは負けたくないな。

 何に嫉妬してるんだろ、私。



「お昼ご飯ですよー」

 課題の発表日まであと1週間と迫ったある日、私はいつもの様に奏音の家にいた。

 そしていつもの様にお昼ご飯の為に琉さんを呼びに行くも、返事が無いから勝手に部屋に入る。

 部屋に入ってみると、琉さんはやっぱりヘッドホンをしていた。

 今日もパソコンに向かって作業をしている。

 何をしているのか、悪いと思いながらも画面を覗く。

 集中している時の琉さんは誰が来ても殆ど気づくことはない。部屋に入ってくれば見える筈なのにね。

 うーん、画面を見てもさっぱりわからん。これが“ですくとっぷみゅーじっく”って奴か。

 私はそんなの聴かないから知識すらない。楽器だけじゃなくてボーカルまでパソコンのプログラムで出来るんだっけ?

 兄貴はよく聴いてるみたいで、琉さんを知ったのもそれが切っ掛けだっけ。

 にしても何を作曲してるんだろ。明日葉の新曲はもう上がったってこの前言ってたような。

「うおっ!?お前何時からいたんだよ!」

「ついさっきです。お昼ですよ」

「わかった。一緒に降りるよ」

 ……集中しすぎも危ないね。


 私と奏音、それに琉さんで食卓を囲む。

 今日のお昼はお蕎麦だ。

 市販の乾麺を買ってきて茹でた、何処にでもあるような蕎麦をめんつゆに浸けて食べる。

 うーん、素朴。

 お金持ちとは考えられない素朴な食事だ。考える事は私も奏音も一緒で親近感が湧くね。

「今度は誰の曲ですか?」

「アタシのアルバム用の新曲。8年もやってるとサイトに投稿した曲も結構溜まってきたから、CD作って即売会でも出ようかと思って」

 そんなのがあるのか。

 聞けばインディーズとは別に個人やサークルで作って即売会に出たりダウンロード販売するみたい。

 今回は動画投稿サイトにあげたものをいくつかまとめて、でもそれだけじゃつまらないから新曲も入れるって事だ。

「秋頃のイベントに応募したけど当選できるかわからねえけどな」

 イベントに参加するのに抽選があるのか。大変だな。

 でも琉さん一応有名人でしょ?無名の一般人と同じで大丈夫なのかな。

「琉凄いんだよ!ゲームセンターのゲームに曲が採用されてるんだ」

 音ゲーって奴か。私も偶にやる。今度調べて遊んでみるか。

「日々季のついででちょっとずつ再生数が伸びてったんだ。日々季がいなきゃ今頃どうなってたか」

 日々季さんて兄貴のバンドのプロデューサーだけど、琉さんの親友なんだっけ。

 琉さんが作曲家として成功したのは日々季さんがアイドルとして成功したからだけど、日々季さんが言うにはアイドルとして成功したのは琉さんの曲のお陰て話だ。

 そして今は日々季さんのプロデュースするアーティストに琉さんが曲を作っている。デビューしてから今までずっと二人三脚なんだね。

 いいなあそういうの。お互いをずっと信じあう親友て感じで。

「それとは別に、自分で歌ったり知り合いに歌わせたアルバムも出そうかと」

 ミュージシャンは芸能事務所とは別にレコード契約してることがあって、それが結構面倒くさいらしい。兄貴と明日葉のレコード契約はあんまり融通が利かないって話だ。

 琉さんはそういうのを嫌ってある程度自由に出来るようにレコード契約をしてるんだとか。

「とりあえずアタシと奏音だろ。おっさんと摩耶はやってくれるって言ってたし、日々季は大丈夫だけど昇は……名前出さなきゃ誤魔化せるか」

 危ない橋渡ろうとしてるな?

「テキトーに名前をアルファベットぽくしときゃバレねえだろ」

「それ、レコード会社の人にバレて怒られたりしない?」

 バレるバレる。あ、でも琉さんが“白龍”名義で作曲しててバレてないから大丈夫か。

 ……実はバレてるって話だけど。

「で、レコーディングなんだけどさ。美姫出てくれるよな?」

「へ?私ですか?」

 そんな気なんて無かった私に突然話が振られる。

「歌えば良いんです?」

「ん?ああ、そうか、そうだな」

 言葉をぼかす琉さん。もしかしてベース?

 危ねえな。奏音にバレる所だったじゃん。

 あんまり自信は無いけど、個人製作なら素人が参加しても大丈夫かな。

「やってみようかなー」

 この安請け合いが後に私を苦しめるのだった。知らんけど。

「美姫も歌うんだ。楽しみだな」

 その天使の様な笑顔を止めろ。目覚めそうだ。

 琉さんのアルバムに参加することが決まった以上、今までよりも真剣にやらないといけないか。

「ねえ美姫。来週の土曜日にお店でライブやるんだけど見に来てくれる?お報せ急になっちゃって予定付かないかもしれないけど……」

 おっ。もしかして私の出るライブかな。奏音にはそう伝わってるのか。

「摩耶さんと一緒に演奏できる最後の機会なんだ」

 摩耶さんもしやあのベースでライブやるのか……

 兄貴びっくりしそうだね。

「もちろん行くよ!頑張ろ……じゃない、頑張ってね!」

 私も結構口が軽いね。危ない危ない。


 こうして私は試験の日を迎える。

 1か月ほど練習し続けた私のベースギターは少しは様になったと思う。練習の成果は何度か琉さんに見てもらったし、課題曲が出来る様になってるのを確認したらもう1曲やれって楽譜を渡されてしまった。鬼かよアイツ。

 1曲が2曲に増えただけじゃ大したことないかもしれないけど、私にとっては一大事だ。新曲を1週間で仕上げた兄貴や奏音の苦労が分かった気がする。

 さて、私のベースギターは五行山の封印を解くことが出来るか……

 運命の時が来た。


「こんばんはー」

 開店と同時に私は兄貴と店に入る。

 店内には既に奏音と琉さん、それに摩耶さんも来ていた。

「摩耶さん、いつも使ってるベースはどうしたんですか?」

 摩耶さんが取り出したのは兄貴の使っていたベースギターだ。

 全然違うし、奏音が気にかけるのも当然だ。

「あっ、あれね。偶には4弦もいいかなって」

 誤魔化すの下手糞か。奏音ちょっと困ってるぞ。

 さてさて、私はどこで楽器の準備をしようかね。

 私の出番は最後の2曲。そして“Re;New”は今日のライブの最後の曲だ。

 満を持して登場するのが私。

 ……自信ないよ?

「大丈夫か美姫」

「平気!兄貴よりは上手いからね!」

「下と比べるな……上を見ろ、上を」

 強がる余裕があるなら大丈夫と自分に言い聞かせる。

 ガンダーラへの道は険しい。でも一人で目指すわけじゃない。仲間と一緒に目指すから多分そんなに怖くない。

 もっとも、今回は私が三蔵法師だ。ベースギターってそういうポジションだと思う。

 バンドを支えるためには私がしっかりしなきゃいけない。私がブレるわけにはいかない。

 ベーシストにかかる重圧を実感する。こんな重圧を感じながら難なく演奏できる摩耶さんは凄い。琉さんの最も信頼するベーシストだったというのも分かる。

 でも私は言わばそのベーシストの弟子なんだ。自信を持て美姫。最高の師匠の下で培った技術を見せてやれ。

 そしてライブが始まる。

 私の心は果たして出番まで生きているのだろうか。

 初めてのステージは緊張に押しつぶされそうで怖い。

 ……そうか、だから奏音は学校に行けなかったんだ。

 自分は周りに合わせられるのか。周りは自分に合わせてくれるのか。

 学校は一人で生きる場所じゃない。一人で生きている人もいるけどそんなのは特殊な例だ。そんな特殊な例でも誰もがお互いを見ている。全くの他人じゃいられない。嫌でも関わっていかなきゃ行かない。

 だから私は決めたんだ。

 奏音のベースギターになるって!


 チューニングの確認をした後の私は客としてカウンターテーブルの席でライブを聴く。

 ライブの選曲は全部奏音によるもので、古い物から新しいものまで様々だ。奏音の趣味だから明るい曲が多い。歌詞の意味もちゃんと重視するみたいで、皮肉めいた曲は嫌いだと歌う事は殆どない。

 だからかな、聴いてると元気になるのは。もしかしたら、奏音が歌い始めた理由にもかかっているのかもしれない。

 今回のライブは“Wall Breaker”の引退ライブも兼ねている。

 曲の合間に挟まれるMCは引退にちなんだトークも多い。ドラマーの山田さんの本業であるオーケストラの楽団が仕事が忙しくなるけど楽団では何を演奏するのかとか、摩耶さんの結婚相手がどんな人だとか。

 ライブが進み、残り2曲になったところでMCが入る。

「摩耶さん、今日はいつものベースギターじゃないですけど、どうしたんですか?」

 言われてみればとお客さんも気付く。よく見てる人は気づくみたいだけど、あんまり楽器に興味ない人は気が付かないか。

「弾く機会も減るかと思って人にあげちゃって」

「ええっ!?あれ、すっごく高くて良い物ですよね!?」

 奏音も驚くよね。お客さんもびっくりしてるよ。

「摩耶、あのベース幾らだったんだ?」

「特注品で60万だったかな……」

 特注品?60万?

 いやいや、高いだけならいいよ?特注品て何さ。

 私そんなの貰っちゃったの?

「大事な楽器だったんですよね?どうして人に上げちゃったんですか?」

「大事な楽器だから、かな」

 強いプレッシャーを感じながら、私はベースギターの準備をする。

 もうすぐ私の出番が来る。

「私の出番はこれで終わり。あとは、彼女に任せるわね……美姫ちゃん!」

 呼ばれた私はギターを持ってステージへと上がる。

「美姫……?」

「私よ!」

 私には不釣り合いな高級ベースギター。服に着られてるってこういう事なのかもしれない。

 それでもこれが私の楽器。摩耶さんから受け継いだ、私の音楽の魂だ。

「美姫、いつの間にベースなんてやってたの?」

「今月から。ちょっと思う事があってさ、摩耶さんに教えてもらってたの」

 これから演奏が始まる。

 私の指は緊張で震えていて、ちゃんと弾けそうにもない。

 ステージから見る客席はとても広く見える。

 ――これがミュージシャンの見る景色か。

 それでもこのお店の広さは兄貴が普段立っているステージよりも小さくて、明日葉はもっと大きなステージに立って歌っている。私が初めて立ったこのステージなんてきっと大した事無い。

 だから、こんな事で怖気づいてるわけにはいかない。

 ……よし!

「奏音、私初めてだけど頑張るよ!」

 私の初演奏が始まる。

 8月に入ってから毎日練習し続けたんだ。セッションは琉さんに少し付き合ってもらったくらいしかやってないけど、きっと大丈夫。

 私の1曲は“G.S's”のヒット曲だ。この曲の練習は時間が足りなかったけど、ベースの目立つ所があるから必死になって練習した。

 ボーカルは摩耶さんだ。摩耶さんが本来演奏していたパートを私が演奏し、摩耶さんはボーカルだけをしている。

 私の指は自分が思っている以上に自然に動く。何の戸惑いも無い。

 自分の音を聞き、人の音を聞き、バンドの支えとなる“土台”を私が担う。

 私の演奏はまだ未熟だけど、それでもなんとか出来たって、自信を持って演奏が出来た気がした。

「美姫凄い!6弦ベースは私も使ったことないのに、そんなに上手く弾けるなんて!」

「そうかな……?」

 奏音に褒められるのは嬉しい。

 ただ練習の成果を見て褒めてくれるんじゃない。一緒に演奏して言ってくれるっていうのが実感として嬉しい。

 それと、お客さんから貰う沢山の拍手は、少し恥ずかしかった。

「ねえ奏音。奏音に何があったのか知らないけど、私は奏音のベースギターになりたい」

 これは私がベースを始めた本当の理由。それと、初めて分かった奏音の恐怖。だからこそ改めて言える。

「だから、私と一緒に学校に行こう!嫌な事、辛い事があっても、私が支えてあげるから!」

「……うん。私、頑張るね!」

 奏音はほんの少しだけ考えて、笑顔で応えてくれた。

 ベースはみんなを支える音楽の“土台”。私はそんなベーシストの様に、奏音の初めての学校生活を支えてあげたい。

 ガンダーラを目指す私は、奏音の封印を解いて旅に出る。

 でも、後から考えたんだ。

 学校生活っていうのは本当なら些細な日常で、身近にいる青い鳥なんだと思う。

 だから私たちは籠から逃げた青い鳥を探しに行く。それならガンダーラを目指すよりは、きっと楽だから。

「奏音、最後の曲だよ!」

 “Re;New”

 それは青い鳥を取り戻すための、私たちの再出発の歌だ。

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