第5話 とある、少女の日常に。
今日は今までの、どんな時より素晴らしい
視点:城島昇
専門学校を卒業して1年。
ついに俺たちはチャンスを手に入れた!
専門学校で音楽の勉強をして、そこで会った仲間たちとバンドを組んで3年。
インディーズでのリリースを学生時代からしていたが全く何の芽も出ないままだった俺たちが、ついにメジャーデビューへの切符を手にした!
軽音楽のコンテストで俺たちは渾身のオリジナル曲“404”を演奏し、得られた結果は2位。
絶対の自信で確信していた優勝を逃し、意気消沈していた俺たちにその女性が声を掛けてくれたんだ。
「ねえあなた達、私達の所へ来ない?」
それが俺の人生の転機だった。
俺の人生の、最も大切な出会いがあった。
城島昇、21歳。ロックバンド“タイムトラベル”のリーダー。それが俺だ。
今話題の大人気アイドル“遥明日葉”。そのプロデューサーである神田川日々季にスカウトされ、俺たち“タイムトラベル”は風間プロモーションの所属になった。
他のバンドメンバーはどう思ってるかはわからないが、俺は風間プロの所属になれたのはこれ以上なく嬉しかった。
遥明日葉の大ブレイクで今最もノってる芸能事務所でもあり、以前は神田川日々季もブレイクさせている。だけど俺がこの事務所に拘りがあるのはそんな理由じゃない。
昔、この事務所からデビューし、全く売れないまま引退したアイドルがいた。
“国府田琉”。俺はこの人が気になっていた。
遥明日葉のバックバンド“Wall Breaker”のギタリストに同姓同名の人物がいて、その人がその“国府田琉”だという。
俺は“国府田琉”に影響されて音楽を始めた。
だから俺は事務所に初めて来たとき、神田川さんに“国府田琉”の事を聞いた。教えてくれたのは“Wall Breaker”にギタリストとして所属していることだけで、どういう経緯でアイドルからギタリストになったのかは教えてくれなかった。
“国府田琉”に一体何があったんだ……?
俺は、それが知りたかった。
メジャーデビューの1曲目のリリースを終え、俺たちは1か月後に控えた、新曲の発表も兼ねたライブの為の練習をしていた。
俺たちのプロデューサーも神田川日々季さんだ。遥明日葉のプロデューサーも務める傍ら、俺たちのプロデュースもしている。メジャーデビュー1曲目はチャートで10位に入れたが、それはプロデューサーの手腕によるプロモーションの巧さにあると思ってる。
俺たちはそんなプロデューサーの働きぶりへの敬意もあって“日々季姐さん”と呼ぶようになった。
リリース2曲目はコンテストで2位を取ったときに演奏した“404”と決めていたが、日々季姐さんはそれじゃインパクトが弱いから完全新曲を作れって言ってきた。“404”は……3曲目でいけるか?
「おつかれさま。調子はどう?」
日々季姐さんが俺たちの練習場所に様子を見に来た。結構頻繁に来るが、遥明日葉の方にはマネージャーの根本さんが付いてるから問題はあまりないらしい。
「絶好調っすね」
俺たち“タイムトラベル”は4人のバンドだ。
俺はボーカル兼エレキギターで、あとはベースギターの翔、キーボードの鉄矢、ドラムの光彦だ。
作曲は俺だけじゃなくてみんなでやる。まあ、大体は光彦が作詞して鉄矢が作曲なんだが。
「新曲はどう?」
「完璧ですよ!」
鉄矢が強気で言うが、光彦は歌詞がどうにも納得できてないらしい。
「やっぱり書き直していいですか……?」
「あれでいいじゃない!私はOKだしたでしょ?」
日々季姐さんは結構強引な所がある。光彦は未完成だって言ってたのにそれをそのまま採用してさ。
「姐さん、新曲の披露はもう少し待って下さい。俺が演奏に手一杯で歌えなくて」
鉄矢が調子に乗って俺のパートを難しくしたせいで、指と口が上手く回らない。俺は歌うのは得意だがギターは自分でも驚くくらい上達しない。
俺にもあの人くらいの腕があればもっと上手くいったんだろうが……
あの人は凄い。CDこそリリースしてないんだが、投稿サイトで見た動画ではギターの複雑な演奏をしながら歌っていた。俺もああいう風になりたかったんだ。ここ2年くらいは投稿もしなくなって、今は何をしているか全然わからないが。
「あんまり難しいみたいだったら考えなきゃだめよ?出来ない事はライブで披露できないでしょ?」
「はい、すんません」
姐さんは強引だが適度に手を抜けといつも言っている。もうちょっと厳しくていい気はするんだけどな。
練習が終わって、俺は借りているアパートへの帰り道へ向かう。
その途中に駅前の大きな広場を通るんだが、そこではよく色んなストリートミュージシャンやパフォーマーがいる。俺にしてみればそんな所で何かしているだけじゃ何も変わらないように見える。中途半端な行動力の化身だ。
そんな中で俺は一人だけ気になってる奴がいる。
そいつは俺の中学生の妹同じくらいの歳の女の子で、そんな奴が一人でアコギを担いでよく弾き語りをしている。
いつからだったか。俺が学生の頃にはいなかったはずだ。去年も見ていない。
多分、今年の春からだ。
高校生でもないような女の子が一人で歌っている。
そんな歳の子が歌っているのが物珍しいのか、それとも本当に歌が上手いからか、そいつは他のパフォーマーの誰よりも人を引き付ける。
俺も気が付いたら、ずっと聞いていた。
古い歌。新しい歌。誰も知らないような歌。流行っている歌。その日の気分で好きなのを歌っている。
歌い終わって、前に置いてあるギターケースに投げ銭を入れる人はそれほどいない。
けど俺は毎回五百円玉を入れる様にしている。少なくとも、それだけの魅力を感じる歌だと思う。
「あっ、五百円……ありがとうございます!」
俺がギターケースに五百円玉を投げ入れると、彼女は笑顔でお礼を言ってくれた。
その笑顔は俺の生意気な妹よりも随分と可愛く見えて、俺も顔が綻んじまう。
「何ニヤニヤしてんの。気持ち悪い」
「いたのかよ!」
こいつが俺の妹だ。名前は美姫。中学3年生だ。
俺は専門学校に入る為に一人で上京してきたが、美姫は俺のメジャーデビューが決まったと聞いて両親の許しを貰って俺の住むアパートに押しかけて来た。それ以来、俺は妹と二人暮らしだ。
両親には俺の私生活はあまり信用されてないらしく、仕事で忙しくなってだらしなくなるだろうと、俺の目付け役で妹を寄越したそうだ。田舎に居るのも退屈だからと喜んでやってきた。大昔じゃねえんだから、喫茶店だってカラオケだって映画館だってあるだろうによ。
「兄貴ああいう子がタイプなの?そりゃ確かに可愛いけど……年下すぎない?私と同じくらいでしょ?」
「そんなんじゃねえよ」
俺はただ歌を聞いてるだけだ。本当に歌が上手くて、聴き惚れたんだ。
「ねえ兄貴、今日の晩御飯何がいい?」
「なんでもいい」
「それ一番困るやつー!」
そんないい加減な事を言ったからか、その日の晩飯はテイクアウトの牛丼になった。
駅前の広場で歌う名前も知らない女の子は平日の夕方によく現れる。毎日ってわけじゃない。
いない日は少しがっかりする。この場所に足を運ぶのはすっかり日課になっていた。
「いつも聴いてるね」
「お前もだろ」
知らない内に美姫も一緒に聴くようになった。美姫も学校が終わるといつもここに来ている。
「私は兄貴よりも前から聴いてるもんねー」
「そうかよ」
毎日聴いている内に気づいたことがある。
あの子は遥明日葉の曲だけは歌わない。流行している曲は必ず歌っているように見えて、遥明日葉の曲だけは絶対に歌わない。
歌い終わったところで、俺はいつもの様に五百円玉を置きに行く。
「いつもありがとうございます、五百円」
「良いもん聞かせて貰ってんだ、当然だろ」
彼女と話せたのは、ちょっと嬉しかった。
「最近は女の子と一緒にいますね。彼女さんですか?羨ましいな」
会話のついでの社交辞令だってわかっていたけど、あいつの事を“彼女”って誤解されるのは身の毛がよだつ。
「妹だよ。酷え誤解」
「そうだったんですか。ゴメンナサイ」
そう言って謝る彼女の笑顔が可愛くて、それが俺に向けられたものだって思うとちょっとドキドキした。
会話を終えて美姫の所へと戻る。その時の俺の顔は普通だったと思う。
「嬉しかった?」
「何がだ」
「別にー?」
見透かされている……。
あっ。名前、聞けば良かったな。
ライブまであと2週間。俺はとんでもない失態を犯した。
趣味のバイクでのツーリング中に事故を起こしてしまった。何に浮かれてたのか、前方不注意でトラックに気付くのが遅れ、急に避けた事で減速が間に合わずガードレールに突っ込んだ。巻き込まれた人はいない単独事故だったのは不幸中の幸いだ。
が、この事故が原因で俺は左腕を骨折。全治2か月と診断された。
後遺症の心配はないって医者は言ってたが、リハビリは必要らしく、またギター弾けるようになるまでは早くても3か月かかるって事だった。
「お前は馬鹿か」
事務所に報告に来た俺に根本さんが罵る。返す言葉も無い……
「昇さん!?大丈夫ですか!?酷い怪我……」
事務所に入ってくるなり声をあげたこいつは遥明日葉。珍しいな、明日葉と事務所で会うなんて。
「左腕だけだからな。生活にはそんなに影響は無いよ。美姫には散々文句言われたけどな」
明日葉と美姫は同じ中学校で同じクラスだ。俺の怪我の事も美姫から聞いて、心配になって事務所に来たらしい。
「ライブは再来週だけどどうするんだ。まさか中止にするのか?」
目下の問題はそれだ。
検査によると左腕を骨折している以外は特に大きな問題は無い。つまり歌う事は出来る。ライブをする為に必要なのは俺の代わりにギターを弾いてくれる人だった。
「Wall Breakerの人、誰かお願いできませんか?」
この事務所で融通が利くのは明日葉のバックバンドだけだ。再来週って聞いて駆け出しのバンドの手伝いを受けてくれる人は外部にはいない。
「そうですよ!摩耶さんとかお願いしてみたらどうでしょうか?」
確かにあの人に手伝ってもらえれば安心だ。普段はベースだが偶にセカンドギターもやってるって話だ。
「明日葉、お前自分のライブいつか知ってるか?」
「はい!来週の土曜日と日曜日です!あっ」
そうか、練習の時間が全然無い。
明日葉のライブが終わってその翌週しか練習の時間が取れない。バンドスコア作って渡すだけじゃない、セッションの時間も必要だ。
「そういうことだ。同じ理由で国府田も無理だな……」
根本さんが頭を抱える。気晴らしか、根本さんは喫煙室へと向かっていった。
俺の代わりのギタリスト。専門学校の同級生との連絡は取れないわけじゃないが難しい。事務所も違うとか、予定が合わない可能性もあるし、正式にプロとは言えない奴もいるし悪いが信頼が出来ない。
色々考えていてなんとなく駅前の“彼女”の事が頭をよぎったが、ギターの腕がよくわからない以上論外だ。
なんでこんな時に思い出したんだよ……俺……
「大丈夫ですか昇さん……?こんな時、私が手伝ってあげられればいいのに……」
気持ちは有難いけど明日葉は楽器は全く使えない。それにお前も来週ライブだろ。
答えは出ないまま、俺は事務所を後にした。
そうして今日も俺は駅前に来ている。美姫は先に来ていた。
「兄貴もバカだね。ライブ控えてるのに事故なんて」
おう、俺は大バカ者だよ……と思いながら、深いため息をついた。
「ちょっとー!言い返してくれないと調子狂うでしょー!」
そんな元気も無えよ……
駅前では今日も彼女の歌声が聞こえる。俺たちは半ば指定位置と化した場所で彼女の歌を聞く。
ふと彼女を見ると目が合って、彼女は俺に右手で手を振ってくれた。
俺はそれにつられて左手で返そうとするが……上げようとして激痛がした。
「~~~~~!?!?!?」
声にならない声で唸る。
「うわ痛そう」
うん。間違いない。自分でギター弾くってのは無理だな。
ホントどうするんだろうな、代わりのギタリスト。
「そういえばあの子、今日は兄貴たちの曲も歌ってたよ」
「へえ、嬉しいじゃないの」
俺が来る前に歌ってくれたらしい。折角だし聞きたかったな。
そこで俺は美姫に千円札を渡す。
「多くない?」
「いいんだよ。ほら、渡してきてくれ」
骨折して格好が付かないと思って、美姫に代わりに渡してきてもらう事にした。今日は千円なのは俺たちのバンドの曲を歌ってくれたお礼みたいなもんだ。
美姫は千円札を渡す時に彼女と何か話していた。俺も話したい、とは多分思ってない。思ってないんじゃないかな。……ま、ちょっとだけ思ったりした。
「いつも何話してたんだ?」
「ただの女の子の雑談だよ?今日はこれのこと」
美姫が俺の左腕をつつく。
「~~~~!?!?」
めちゃくちゃ痛いからやめて!
「すっごい心配してたよ?だから早く直さないとね」
「そ、そうか?そうだな!」
その時の俺、満面の笑みだったと思う。
「マジキモイ」
うるせえ。そんなのわかってらあ。
その後、バンドの練習場所で仲間たちにも説明し、丁度そのとき日々季姐さんもいたから色々と説明をした。
日々季姐さんは「ギタリストなら心当たりがある」と、とあるバーの名刺をくれた。
“Rainbow²”。妙な名前の店だな……?
背に腹は代えられない状況、俺は藁にも縋る想いでその店に向かった。
……美姫と一緒に。
「何でお前がついて来るんだよ」
「ライブバーってどんなところかなって」
日々季姐さんがよく行く店で、音楽に携わる色んな人が集まるって事だった。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。どんな人かね。
「兄貴、ここだよ」
名刺を確認する。店の名前は間違いなかった。
扉を開けると、カランカラン、と扉に付いたベルが鳴る。
まだ開店して間もないのか、店内にはまだお客さんはいなかった。
……いや、いた。
カウンターテーブルの右端に、およそ店の雰囲気とは不釣り合いな女の子が一人座っていた。
「兄貴、あの子もしかして……」
間違いない、駅前のあの子だ。どうしてこんなところに。
美姫と話していると、彼女は俺たちが店に入ってきたことに気付く。
「リュウ、お客さんきたよー!」
彼女が声をあげて店の人を呼ぶ。
「お、おう。わかってるよ」
カウンターの女性はどうにも接客慣れしてなさそうな感じだった。
いらっしゃいませ、は無い。印象良くないよな、そういうの。
「ごめんなさい!リュウ一人でお店やるの慣れてなくて!」
「いや、それは良いんだが」
店員でもないのに、なんでこの子が取り繕ってるんだ?
「空いている席へどうぞ」
「それじゃ、カウンターで」
俺は美姫と二人で、彼女とは反対側の端に並んで座る。
「よう、何飲む?兄さんの方はこれサービスな」
無愛想な女はそう言って俺に水の入ったグラスを出してきた。
……水?サービスなのに?
「……気が利いてますね」
「だろー?」
ん?今ちょっと笑ったな?
まあ飲むか。と、俺はグラスの中身を飲んだ、が。
「~~~~!?!?!?!?」
「兄貴どうしたの!?」
なんだこれ!?めちゃくちゃ辛い!喉がすげえ痛い!!!アルコールじゃねえかあああああ!!!
盛大にむせている俺の様子を見て女は大声で笑っている。
「て、てめー!これ何盛った!?」
少しして落ち着くも息切れだ。
まさしく俺は毒を飲んでいる。今までこんなに辛い飲み物があっただろうか。
「スピリタスのショット」
「ショットて、水用のグラスに並々注ぐもんじゃねえだろ!」
「やーい、引っかかってやんの!」
チキショーめ……勝ち誇ったような笑い顔がムカつくぜ……
「ねえ、スピリタスって、何?」
「世界一アルコール度数の高いお酒なんだって。……大丈夫ですか?お水どうぞ」
美姫の疑問に、俺に水を持ってきてくれた彼女が答える。
なんでそんな酒がこんな店にあるんだよ!
クッソ、頭も痛くなってきた……
「リュウ、なんでこんな悪戯したの?」
「なんか、敵な気がした」
「お客さんにそんなことしちゃダメだよ」
彼女に怒られている無愛想な女を見ているのは愉快だった。年下に怒られてやんの。
少しして落ち着いた俺は席を彼女の隣の席……ではなく一つ開けた席に移った。隣は無愛想な女が座らせてくれない。
「あんた、いつも駅前で歌ってる子だろ?」
「はい。いつも500円ありがとうございます」
俺の事を覚えてくれていた。
「そのニヤけ顔を止めろ。ぶん殴るぞ」
マジか。俺そんなに浮かれてるのか……
「もういっそぶん殴られた方いいんじゃないの?」
美姫の悪態も慣れたもんだぜ。……「任せろ」って声がカウンターの向こう側から聞こえた気がする。
そうだ、彼女にはいくつか聴きたい事があったんだ。
「なあ、名前聞いてもいいかな?」
「ヤダ」
女、お前じゃねえ。
「奏音だよ」
後ろから声が聞こえる。
「美姫、お前知ってたのか……」
「何度か話してる内に教えてもらったんだ」
知ってたなら教えてくれても良かったよな?すまし顔でジュース飲んでるのが腹立つ。俺、女運悪いのか?
それから奏音に色々話を聞いた。ギターをやっていること。最近ストリートミュージシャンを始めたこと。ストリートミュージシャンを始めた理由は教えてはくれなかったけど。
「妹と二人でバーって、今日は特に誰の演奏もねえぞ」
この店でよくミニライブがされてるのは日々季姐さんから聞いている。でも、今日の目的はそれじゃない。
「ギタリストを探してるんだ。俺の代わりにギターを弾いてくれる腕利きのギタリストだ」
俺は事情を女に話した。ライブのこと、事故のことを。女は結構真剣に聞いてくれていた。
「バカかお前は。一人でやる音楽なんてDTMくらいだろうが」
ああわかってるよ、俺は大バカ者だ。大事な時期に大怪我して仲間や事務所の人に迷惑かけて。
「奏音、再来週の予定どうなってるっけ?」
「リュウは明日葉ちゃんのライブが来週あるでしょ?」
「アタシは大丈夫だよ」
なんだ?来週ライブ見に行くからって、それ関係あるのか?
「リュウのギターはちょっと早いってよく摩耶さんに言われてるでしょ?ちゃんとセッションしなきゃ他の人が困っちゃうよ?」
「奏音……そんな事言うようになるなんてお前随分成長したな……アタシは嬉しいよ……」
奏音に言われて悩んでいるようだった。
ん……?今、摩耶さんて言ったな……リュウ?琉?
「あんた、もしかしてWall Breakerの国府田琉か!?」
「そうだけど?」
なんでそんな人がここでバーテンなんてやってるんだ!?
ここは日々季姐さんに教えてもらった店で、となると日々季姐さんは琉さんがここでバーテンやってるのは知ってた筈だ。ということは、日々季姐さんは琉さんにやってもらえって言ってるのか?
「うーん、こんなバカのバンドでもプロの舞台だからなー。セッションに時間取れないのはなー」
琉さんは悩んでくれている。1週間も練習に時間が取れなくてもいい。琉さんが来てくれればきっと大丈夫だ!と、俺は思っていた。
「うん。やっぱり駄目だな。明日葉のライブで半端になりかねないし、そんなことになったら日々季と摩耶がうるさいもんな」
琉さんがダメなのか。となると、日々季姐さんは誰の事を言ってたんだ?
「琉さんが紹介できる人はいないんですか?こんなバカ兄貴ですけど、流石に見過ごせなくて」
お前ら、流石にバカって言い過ぎじゃね?正しいけどさ。
「アタシはおっさんと違って交友関係は狭いんだよ。……そうだ」
誰か心当たりがあるのか……?
「奏音、行ってやんな」
「私?」
「もうアタシと同じくらいには弾けるようになったろ?」
「そうかなあ」
奏音が俺たちの手伝いを?
確かにストリートミュージシャンから始めて成り上がった人はいる。けど、俺は奏音の腕を疑っているわけじゃないが、俺たちのバンドのサポートをしてもらうのとは別問題だ。
藁にも縋りたいのはその通りだが、だからと言って間に合わせを望んでいるわけじゃない。
「疑ってるなお前?」
「まあ、そりゃあ、そう、です」
「どうした?」
目の前にいるのが俺が目標にしていた“国府田琉”という事実に接し方がわからなくなっている。
なんせ出会いは最悪だ。
「もうちょっとしたらおっさんたちも来るから待っててくれよ。そしたら見せてやるよ」
何が始まるんだ?
待っている間に何人か常連らしき人も何人か店に増えてきた。
奏音は琉さん一人じゃ大変だろうとメニューを取るなどの手伝いをしていて、琉さんは常連に「今日は1曲演奏するからよかったら聴いていけ」と案内していた。
1時間ほど待ったか。
バーのマスターである工楽修司先生や、Wall Breakerのリーダーでベーシストの福田摩耶さんがやってきた。
「ただいまー!琉ちゃん一人でお店大丈夫だったー?」
「何がただいまー、だ。テメーは客だろうが」
「殆ど毎日いるんだから別にいいでしょ?」
琉さんも摩耶さんも思っていたイメージが違う……もっとクールなイメージだったんだけどな二人とも。
琉さんは思った以上に口が悪くて、摩耶さんはその琉さんを茶化して遊んでいる。
まあ、仲が良さそうって印象は間違ってなかったかな。
「悪い。おっさん、摩耶、演奏の準備してくれ」
「何すんの?」
「奏音の腕を、そこのバカに見せてやるのさ」
たった1曲だけだが演奏が始まる。
奏音がボーカルとギター、摩耶さんがベース、工楽先生がキーボードで、琉さんがドラムだった。
琉さんは楽器を選ばないとは聞いていたけど、ドラムを見るのは初めてだな。
「奏音ちゃん、何にするの?」
「何がいいかなー……」
悩んでいる奏音に、琉さんの提案が入る。
「“Re;New”にしよう」
この時の琉さんは妙に語気が強かった。
“Re;New”は明日葉のデビュー曲だ。チャートでは初登場1位を飾った曲で、明日葉の人気を決定づけた名曲だ。
「でも……」
奏音は渋っている。
俺はストリートライブで奏音が明日葉の曲を歌っているのを聞いたことはない。美姫に聞いても歌っているのを見たことは無いと言っていた。
流行歌は一通り歌うらしいが明日葉のだけは何故か歌わない。
もしかしたら、奏音が初めて明日葉の曲を歌うのを聞くことになるのかもしれない。
「あれはお前の曲だ。聴かせてやれよ」
お前の曲?どういうことなんだ?
「……琉が言うならしょうがないか」
1分くらいか、結構長い時間考えていた。
演奏が始まった。
この曲はギターでの弾き語りを前提としたものじゃないからか、リードギターがかなり派手に入る。だが奏音は難なく弾きながら歌っていた。ボーカルとギターの音が結構違っていたはずだ。弾くときに釣られかねない。
俺はあんなに器用に出来ない。作曲している鉄矢にいつも「もっと簡単にしてくれ」と言っているくらいだ。
間違いなく、奏音のギターは俺よりも上手かった。歌もそうだ。街で聞くんじゃ判りづらかったが、反響を計算して作られているこのライブバーの店内ならよく判る。紛れもなくプロの歌唱力だ。
だが、俺はこの演奏に違和感を持った。
――嵌り過ぎている。
明日葉の曲なのに、こっちがオリジナルのよう聞こえるんだ。まるで奏音の為に書いた曲の様に。
この違和感は以前もあった。
4年前、琉さんが日々季姐さんの“花火”をアレンジして動画サイトに投稿したのを聴いた時だ。あの曲もアレンジがあったとはいえ、琉さんが自分の曲を歌っているようにしか聞こえなかった。
演奏が終わって、カウンターの席に戻ってきた奏音に俺は聞いた。
「なんで明日葉の曲だけは歌わないんだ?」
「……嫌いだからかな」
愛想笑いで言ったわかりやすいウソに、俺は何も言わなかった。
奏音は“タイムトラベル”の臨時メンバーとして参加することになった。
日々季姐さんは俺が自発的に動かなかった場合、初めから奏音を俺の代理として指名するつもりだったらしい。確かに、時間があって腕も立つギタリストという意味では他に適材はいない。
「よろしくおねがいします」
奏音は日々季姐さんに連れられて俺たちの練習スタジオに来た。琉さんは奏音に手伝ってもらう為の条件の一つとして「日々季に必ず同伴させること」を付けた。なんでも男だけの所に女の子を一人で行かせられるか、ということらしい。
「そりゃそうだよね。心配だもんね」
「なんでお前がいるんだよ……」
奏音が参加してからというものの、美姫が学校をサボって俺たちの所に来るようになった。
「学校行けよ……」
「だってつまんないんだもん」
美姫は奏音と同学年だからか仲が良い。奏音にとっては美姫は初めての友達らしく、それを聞いた美姫は構ってやりたくなるらしい。
「日々季さん、明日葉ちゃんの方はいいんですか?」
奏音の心配は最もだ。明日葉はライブまで1週間を切っている。俺たちの様子を見ている余裕はそんなにな筈なんだが。
「奏音ちゃんのことを琉に言われてるから。それに向こうには琉も根本さんもいるから大丈夫」
日々季姐さんは琉さんとは風間プロの所属としては同期だったと奏音から聞いた。
付き合いが長いからか仲も良いが、そういえば琉さんが事務所を辞めて独立した理由を聞いてないな。
先日のスピリタスの一件は、琉さんが日々季姐さんから事前に連絡を受けたから仕込んだことだそうだ。随分と過激な悪戯だな……
「日々季さん、ライブの衣装なんですけど、私も男装がいいな」
「そうね、よく着てる明るい色のスカートだと浮いちゃうわね」
男くさいバンドに女子中学生を入れるわけだ。確かに衣装で違和感を消すのは大事だ。
「奏音いつも良いの着てるよね」
「日々季さんがよく買ってくれるの。最近は自分で買いに行くんだけど、どんなのがいいのかわからなくて迷っちゃって」
「いいなー。うちは兄貴の稼ぎが悪くてさー」
悪かったな。駆け出しで稼ぎが少なくて。
「だったらお兄さんにもっと有名になって貰わないと。私頑張るね!」
ギターを準備する奏音は楽しそうだ。誘ったこっちも嬉しくなってくる。本当に音楽が好きなんだな。
奏音は俺たちのバンドに参加すると決まってからというものライブバーには来なくなり、ずっと自宅の防音室で練習をしているらしい。駅前の広場のストリートライブも暫くは休むって話だ。
奏音の歌が聞けなくなるのは残念だが俺がバンドに誘ったのが原因だし、これも事故の罰なんだろうな。
「どうだ?」
「はい、チューニングも大丈夫です」
俺たちはセッションを始めた。
バンドでギターを持たずに歌うのは初めてだったが、思った以上に伸び伸びと歌えた。手持ち無沙汰で少し寂しい気もしたが解放感の方が強い。とはいえ、これが癖になるわけにもいかない。ちゃんと怪我を直してギタリストとしても復帰しないとな。
自分のギターパートを弾いてる奴が別にいるってのも奇妙な感覚だ。俺が本来鳴らすべき音が、俺の知らない所で勝手に鳴ってるわけだ。そのギターの音は俺よりも上手くて悔しい。
だが、悔しい以上にその演奏に惚れこんでしまった俺は、奏音が欲しいって本気で思う様になった。
「ダメだ」
「何でだよ」
俺はセッションが終わった後にライブバーへ行って琉さんに言った。
奏音を俺たちのバンドに正式に入れたいと。
「男しかいないバンドに女なんて入れてみろ。サークルクラッシャーにしかならねえぞ」
世界的に有名なとあるロックバンドは女一人にぶっ壊されたって逸話がある。でもそれは所詮は逸話で誤解だ。そういうイメージが拭えないまま独り歩きしてるだけだ。
「それは……必ずそうなるわけじゃないだろ」
「なるよ。現にお前がそうなってる」
俺が、何になってるってんだよ。
「あんたが俺を信用してないだけなんじゃないのか」
「落ち着け。信用してなきゃ奏音を貸すわけねえだろ」
我ながら酷い悪態だ。けど俺、なんでこんなに奏音に拘ってるんだ……?
「いいか昇。アタシはお前を信用してる。だけどな……」
そう言いながら琉さんは俺の襟元を引っ張り、俺の耳元で小さな声で言う。
「もし奏音を泣かせるような事をしたらぶっ殺すからな」
琉さんが真剣な剣幕で脅すその言葉は、本気だった。
間違いない、奏音に何かあったら俺はこの人に殺される。
けど俺は奏音を泣かそうだなんて思ってない。思う訳がない。むしろ奏音を泣かす奴がいるなら俺がぶっ飛ばす。
俺は奏音の笑顔を見たいんだ。ただそれだけだ。それ以上の意味は無い。
ギターを弾いているとき。歌っているとき。そんなときの奏音はとても楽しそうで。俺はそんな笑顔をずっと見ていたい。
けどそれは、家族でもない異性に向けたその心の意味は……どう考えたって……
「俺……もしかして……」
「それ飲んで落ち着け。サービスだ」
琉さんは少し笑って、俺にグラスを出してきた。
俺はそのグラスの中身を一気に飲み干そうとする、が。
「~~~~!?!?!?」
「また引っかかってやんの」
またスピリタスかよ!!!!!!
ちきしょー……指さして笑いやがって……
あー!喉痛えぇぇぇ!
アルバイトの店員が出してくれた水を一気に飲み込み、なんとか平静を取り戻す。
「お前!マジでふざけんなよ!」
店に来る度に俺は琉さんに悪戯をされるが、クソ真面目な話をしてるときすらやってくるのは考えもしなかった。この人はこういう人なのか。どんどんイメージが崩れていくな、俺の好きなミュージシャン……
「大事な娘をテメーみたいな情けないヤローに渡せるかバーカ!」
「情けないは余計だ!」
――それに、そんなの言われなくても判ってるよ。
琉さんも奏音が好きだから、俺に悪戯したり、俺たちのバンドに入れるのを反対してることくらい。
その週の土日は明日葉のライブがあった。
俺は明日葉から招待券を貰っていたが全く行く気にならず、美姫に行ってこいと渡した。
明日葉のライブってことはWall Breakerの人達もライブに出ているってことで、つまりライブバーは店休だった。
リハーサルもあり、店は金土日と3連休だ。
だけど俺はこの土曜日、なんとなく気になって店に向かってしまった。
扉には“Close”のプレートが掛けてあるが鍵は掛けてはなかった。
扉を開けて入ってみると、やっぱりというか、奏音が一人でギターの練習をしていた。
「よう」
「昇さん?今日はお店お休みだけど……それにまだお昼だし」
「ちょっと散歩で通りかかってな」
下手なウソだな。奏音に会いに来た、ってそんな事言えないよな。
「今日は明日葉ちゃんのライブですよね。昇さんは見に行かないんですか?」
「ほら俺、腕まだ治ってないだろ?会場で他の客の腕とか当たると痛くてさ」
貰った招待券は関係者席だからそうはならないけどな。同じ言い訳を美姫にしたけど冷たい目で見られた。その後「頑張ってね」って。……何だよ頑張れって。
「今日も練習か?」
「うん。本番で失敗しないようにもっと頑張らないと」
店で練習していたのは音の響き方がなるべく本番に近い状態で聞きたかったかららしい。確かに自宅の防音室だと、狭くて音が響きすぎてわからないか。
普段の俺より真面目だ。それに俺よりも上手いし。
俺も腕が治ったら下手になったって言われないように頑張らないとな。
「奏音は明日葉のライブ見に行こうって思わないのか?」
「うん。それに今は、自分の練習しないといけないから」
「何で明日葉の事嫌いなんだ?」
「理由なんてない。嫌いだから、嫌い」
前もそうだった。明日葉の事を聞くと、何か話したくない事があるようにウソをつく。
「明日葉と何かあったのか?」
「何も無い。会った事無いから、あるわけない」
琉さんも日々季姐さんも奏音と明日葉は面識が無いとは言ってた。でも、二人には何かあったんじゃないのか?奏音の態度は嫌っているって態度じゃない。
奏音の音楽に明日葉はいない。入ってこないように追い出している感じだ。
一人で黙々とギターを弾く奏音の奏でる音は、思えばいつも寂しそうだ。
けど、街で歌ってる時は違う。誰かに聴いてもらおうって、それが好きで楽しそうに歌っている。
そういえば奏音、俺たちのライブの日を楽しみにしてて、その為に真面目に練習している。きっとお客さんに楽しんで貰いたいんだって真面目なんだ。それに、自分のギターも聞いてほしいんだろうな。
琉さんに根を詰めすぎるなって怒られてるって、それくらい練習してて。
「なあ奏音、街に歌いにいかないか?」
「でも練習しないと」
「気晴らしだ。もう1週間やってないだろ、路上ライブ」
真面目なのもいいけど、たまには自分の音楽もやらないとな。
俺は強引に奏音を連れ出した。
奏音はギターを、俺は申し訳程度に店に置いてあるハーモニカを借り、二人で店を出る。
腹が減ったからとファミレスで飯を食って路上ライブのエネルギーを蓄える。
後で日々季姐さんに怒られそうだが、そんなのは気にならなかった。
同じ事務所の稼ぎ頭が大事なライブの日だってのに路上ライブをやるのは中々背徳感があるな。
今日は土曜日。
普段は平日しか路上ライブはしないから土曜日にやるのは初めてで、奏音はいつもと違う人通りに緊張していた。
「大丈夫かな……?」
「いつも通りにしろよ。そんなんじゃステージじゃ演奏できないぜ」
俺のその一言で持ち直したのか、奏音はパンって自分の両頬を叩いて気合を入れてギターを構える。
「……ねえ昇さん、私が喧嘩を売るって言ったら付き合ってくれる?」
「物騒だな。まあ、今日は琉さんはいないから、俺が付き合ってやらないとな」
奏音は笑顔で俺に応える。
目を閉じて大きく深呼吸をし、意を決する。
「よし!」
そして演奏を始めたのは――“花火”だった。
これ自体は不思議な選曲じゃない。だけどこの曲は、今日の明日葉のライブの1曲目の曲だ。
次に歌ったのは明日葉のライブの2曲目の曲だ。そして次は3曲目、4曲目と歌っていった。
奏音は明日葉のライブの曲を全部知っていたかのようにプログラム順に歌っていく。
そうやっている内に俺たちの周りに人は沢山集まってくる。
初めて奏音の歌を聴く人も多かったと思う。いつも聴いている人もいたと思う。1週間ぶりだと待っている人もいた。
今までで一番人が集まっていた。
そして5曲目。ライブの5曲目はデビュー曲の“Re;New”だ。
奏音は歌うかわからない。演奏を始める前、奏音は口を開いて話し始めた。
「次で今日は最後にします。……この曲は私の挑戦。自分であげちゃったものを今更返してなんて言えないけど、それでもこれは私にとって大切な曲だから、今日、今歌うのは嫌味かもしれないけど、歌いたいから歌います。聴いてください」
そして弾き始めたコードは“Re;New”だった。
奏音が自発的に明日葉の曲を歌うのは初めてだった。
俺がそばで聞く奏音の歌は紛れもなく“奏音の歌”で、この前バーで聴かせてもらった時と一緒だ。嵌り過ぎる違和感。だけど今日は違和感以上に“奏音の歌”だっていう説得力があった。
今日の演奏はアコギ用にアレンジしてあって、間奏には琉さんがエレキでやってるソロパートを即興ながらハーモニカを入れた。
俺は路上ライブをするのは初めてだったが、二人でやったからか思った以上に楽しかった。
いつもより人も多かったから投げ銭も多い。
終わった頃には日も沈みかけていた。一応俺がメジャーデビューしていることもあって、妙な噂が流れないようにと早々に駅前広場を後にした。
路上ライブを終えた後、奏音は俺を家に招待してくれた。
今日は琉さんがいないから大丈夫って事だけど、もし早く帰って来てしまったらどうしようかと戦々恐々だ。間違いなく怒るだろうな……
「昇さん、スパゲティでいい?」
「何でもいいよ。俺はご馳走になる身だし」
奏音は手際よく調理を進めていく。家では家事全般をやっていて、料理も慣れている様だ。
琉さんは毎日奏音の手料理を食べている、って考えたら羨ましくなった。
奏音の背中を眺めながら、夫婦ってこんな感じなのかな、と考えたが、今時嫁さんに家事を全部やらせるのは古い考えだよなと思い直した。
「奏音、なんか手伝う事ないか?」
一人で気まずくなって、何かしたくなった。
「もう出来るから大丈夫」
情けないな、俺。
少し待っているとスパゲティが出てきた。在り物で作ったナポリタンだ。
初めて食べる奏音の手料理に俺は心躍る。
「いただきます!」
誰かに取られるわけでもないのに俺の持つ箸は早い。
「もっと落ち着いて食べればいいのに」
「悪い……」
そんな俺が可笑しいのか、奏音は俺を笑って見ている。
……いいなこの感じ。
美姫と二人で飯を食ってる時と違って安らぐ。
そんな落ち着いたひと時に、俺はもう一度聞きたかった事を聞けなかった。
けど、奏音は自分から話してくれた。
「ねえ、昇さんは琉の曲好き?」
「琉さんの?動画サイトにあげてるやつか?」
琉さんが時々ボーカルシンセイザーを使った曲を上げているのは知っていた。昔は全然再生数が伸びなかったらしいが、日々季姐さんが引退した時の曲“Reunion”がヒットしてからは随分と伸びるようになって、何曲か音ゲーに採用されたらしい。最も、俺はそっちの方面は詳しくない。
「……そっか。みんな知らないんだっけ、琉のペンネーム」
琉さんのペンネーム……俺は心当たりがある。
「もしかして“白龍”のことか?」
「あれ?昇さん知ってたんだ」
「いや、なんとなく、そう思ったんだ」
“花火”の琉さんのカバーを聞いたときの違和感はわかる人にわかるものだった。
あれは間違いなく“セルフカバー”だと。
日々季姐さんが現役アイドルだった頃、何人かの作曲家によって提供はされていた。その内の二人が“白龍”と“国府田琉”だ。
だけどこの二人の作曲の癖は全く一緒に感じた。まるで同一人物だ。インタビューでは完全に別人だと工楽先生が断言してるから確証は全くない。それでもあの二人が同一人物だと疑う人は少なくなかった。
「私はね、琉の作った曲は全部好きで、全部歌える」
「ってことは、明日葉の曲も全部歌えるのか」
「うん。でも、私は明日葉ちゃんの曲は歌っちゃいけないと思ってて、だから歌わない事にしてる」
「……何があったんだ」
奏音は口を閉ざしてそこからは話してくれない。でも、今日の路上ライブで気になる事を言っていたのを俺は覚えている。
「あげちゃった曲、ってどういうことだ……?」
それにバーでの演奏の時、琉さんは“Re;New”は奏音の曲だと言っていた。
奏音はうつむいて話してくれない。
俺は話してくれるまで黙って待っていた。10分くらいして、奏音は口を開いた。
「Re;Newはね、私が琉に貰って、私が明日葉ちゃんに上げた曲なんだ」
奏音はうつむいたまま、静かに口を開いた。
それは誰にも話してはいけない、一人で抱えなければいけない辛い真実だった。奏音は自分のデビュー曲だった筈の曲を明日葉に上げる事で、全部失くしてしまっていた。だから今は一人で歌うしかなかった。
ストリートライブは、奏音が一人で出来る背一杯の音楽活動だった。
――そんな事も知らないで何度もしつこく聞いて。俺、最低だ。
俺は奏音に何をしてあげられるんだろうか。
「奏音。もしよかったら、俺たちのバンドに……」
わかってるよ。こんなの間違ってるって。
けど、奏音が一度諦めるしかなかった夢を俺が支えてやれる方法は他に思いつかない。
「イヤだよ私。どっかのヨーコさんみたいになりたくはないもん」
奏音は背一杯の強がった笑顔でそう俺に言った。
俺は奏音がウソをつく時のこの笑顔が、大嫌いだ。
俺が土曜日に路上ライブでハーモニカを吹いていた事は案の定SNSで広まっていた。
だからって何か厄介事が起こったわけでもなく、強いて言えばバンド仲間にからかわれたくらいだ。
とはいえ土曜日は明日葉のライブだったわけで、日々季姐さんには何か小言でも言われるかと思っていたが全くそんな事は無く、月曜日にバンドの練習の様子を見に来た時には何事も無かったかの様に振る舞っていた。
「おはようございます……あれ、奏音は?」
日々季姐さんは一人で来た。いつもなら奏音を連れてくる、というかそういう約束だった筈だ。
「奏音ちゃんなら……」
「おいっす」
「おはようございまーす」
奏音は琉さんが連れて来た。明日葉のライブが終わって時間が出来たからか?
それにしても何しに来たんだ?
「昇、次のライブでこれやってくれってさ」
琉さんは俺にスコアを渡してきた。
そのスコアには“作曲:白龍 編曲:工楽修司”と書いてあった。
「新曲……ですか?」
読む限りでは俺の知らない曲だ。新曲だとすればいつの間に書いたんだ?
「先週の内に白龍とおっさんが二人で作ったんだってよ」
奏音が俺たちのバンドに参加すると決まってからすぐ作曲にかかったと話していた。
作曲を一晩で終わらせ、その後すぐに工楽先生に編曲を頼んだらしい。編曲が上がったのがついさっきで、そのせいかデモは無かった。
「お前の怪我が治ったときに一人で弾き語りさせる為に作った曲なんだけど……ってどうした?」
何だこの曲……
スコアを読めば読むほど琉さんの言うような曲じゃないとわかる。
俺はパート譜をそれぞれ渡していく。各々楽譜を読んでいくが皆俺と同じ感想を持つ。
「琉、これ読んだ?」
「見てないけど、何で?」
奏音の言う事は最もだ。これは、ギター一丁でやるような曲に仕上がってない。
言うなれば“工楽サウンド”バリバリの曲だった。完全に工楽先生の趣味で染まった編曲だ。
鉄矢が試しにキーボードのパートを弾いてみるとそれがよくわかる。
「おお……完全に“G.S's”の音だ」
琉さんはちょっと喜んでいるが、この曲を1週間無い時間で仕上げるのは俺たちには難しすぎた。それに……
「琉さん、この曲ボーカル二人になってませんか?」
「そんな風に書いてな……なってる」
何を考えたのか、工楽先生は殆ど違う曲に作り替えてあった。
歌詞とメロディーこそ琉さんの作曲そのままらしいが、作り替えてデュエット曲になっていた。しかももう一人のボーカルは女声だ。
「おっさん、とんでもねえ仕込みをしたなコレ」
「日々季姐さん」
「女声ボーカルなら探さなくてもいるでしょ。ね?」
日々季姐さんは奏音を見る。
工楽先生は奏音を巻き込む為にこんな編曲をした様だった。
「でもそういうわけには」
“タイムトラベル”は男だけのバンドだ。基本的に女はいないし、だからこの曲を貰っても演奏の機会は限られる。ちょっと困った事になるな……
「いいんじゃねえの?」
「でも、俺たちのバンドには女声ボーカルはいませんが」
「昔、G.S'sがミュージカルみたいなコンサートツアーやったの知ってるか?そん時の曲に女声パートがあるんだけどG.S'sには女はいないから、そのライブの為だけにわざわざ海外で女声ボーカリストのオーディションやったんだぜ」
その話は聞いたことがある。
そのコンサートで演奏された曲を収録したアルバムは何週にも渡ってチャートに残り続けてロングセラーになった、言わば“伝説のコンサート”と今でも話が上がるくらい有名だ。
「最高の音楽の為にメンバー以外のボーカルがいたっていいだろ」
「試しにやってみようぜ、みんな」
いつもの編成に、ボーカルは俺と奏音で演奏する。
難しい曲で初演奏は上手くいかなかったが、その曲は間違いなく今度発表するつもりだった俺たちの新曲よりも完成度は高いと確信した。同時に、俺たちはベテランの作曲に圧倒され、自分たちの未熟を実感する。
「俺もこんな曲作りたいな……」
「やっぱりあの曲の歌詞は未完成だよな……」
試演が終わって鉄矢と光彦は落ち込んだ。二人には悪いが、俺もあの新曲は半端だと感じるようになった。
「琉さん、この曲俺たちが貰っていいんですか?」
「いいけど、条件ある気がする」
「条件?」
「多分だけど、おっさんはこの曲の女声ボーカルに奏音以外の起用をするのは怒るんじゃねーかな」
琉さんも想像でしかないってことだが、ここまで露骨な仕込みをすることは一度も無かったらしい。
この曲自体が奏音が俺たちのバンドの臨時メンバーになる事を切っ掛けとして書かれた曲だった。工楽先生も思う所があってこんな編曲にしたんじゃないかと琉さんは考えていた。
「日々季姐さん、今度の新曲これで行きませんか?」
こうなっては俺たちの作った新曲は自信を持って人前に出せるものじゃない。それに折角だ、大先生の御相伴に預かろうじゃないの。
「もう1週間切ったけど仕上がるの?」
「仕上げますよ。俺たちだってプロですからね」
こんな良い曲貰って発表しなかったら、こんなに情けない事は無い。
「でも、バンドって自分の曲で勝負するもんじゃないんですか?」
奏音の言う事はわかる。俺もそういう拘りはある。全部自分たちの曲で勝負したいと思ってる。けど、大先生方から曲を貰って歌わないのも失礼だ。
「奏音、そんな時代は半世紀前に終わってるよ。拘りを捨てて成り上がったフォークシンガーもいるんだぜ」
焼酎のCMで有名な人の事だな。
意固地になって失敗してもダメだ。人の数だけ音楽のやり方はある。だから俺は遠慮しない。
「琉さん、この曲ありがたく歌わせてもらいます!」
「アタシは持ってきただけだよ。礼は白龍とおっさんに言いな」
そうだった、琉さんと白龍は別の人って事になってたな。
それからライブ当日まで、毎日練習の日々だ。
突然降って湧いた新曲。兎に角時間は無いし駆け出しバンドの俺たちには難しい曲だったが、せめてお客さんに見せられるくらいにはって皆で必死に練習をした。
一番厳しかったのは奏音だ。難しいリードギターをしながらボーカルもしないといけない。
琉さんは「女声ボーカルとリードギターを同じ奴がやるように出来てないけど、今回だけはやらなきゃいけない」って、ずっと奏音の練習に付きっ切りだ。
そうして練習を続けて、セッションが上手くいったのは本番前日の夜だった。
一応間に合った体だが、リハーサル、そして本番で上手くいくかは怪しい。
琉さんはそんな奏音を見て「アタシがギターで入るべきだったかもしれない」と言っていたが、奏音は「私がやらなきゃいけない事だから」と強がっていた。
その夜、練習が終わった後の事。
俺は琉さんに呼ばれて練習スタジオの外で涼んでいた。
「琉さん、奏音は大丈夫だと思いますか?」
「奏音ならやる。信じろ」
元はと言えば俺がバイクで事故ったのが発端だ。琉さんの言う通り、俺は奏音を信じ続ける以外無い。
けど、新曲を貰ったのは奏音がいたからだ。俺がギターを弾ければ、って考えるのは酷いジレンマだった。
「昇、奏音を誘ってくれてありがとうな」
俺に酷い悪戯をしてくる琉さんらしくない。俺に礼を言うなんて、何か悪い物でも食ったのか?
「奏音にとって初めてのプロのステージだ。こんな機会滅多にないから感謝してる」
奏音がデビューを諦めた事を話してくれたのを思い出した。琉さんも後悔しているか。
「琉さん。奏音のデビュー曲、何で明日葉にあげたんですか?」
「その話、奏音に聞いたのか」
あの曲の作曲は“白龍”。つまり琉さんだ。琉さんが拒否すればそんなことにはならなかった筈だ。
「……奏音を養うためにはそうするしかなかったんだよ」
当時、風間プロは明日葉のプロモーションの為にかなり無理をしていたらしい。約束された大型新人だ。理屈はよくわかる。
それが歌手デビュー直前に曲の提供者がクスリで逮捕されてリリースできなくなったという事だった。
いくら期待されていたとしても、無名の新人と有名な新人では有名な方が優先される。
琉さんは事務所の事を考え、奏音のデビューを諦めて明日葉のムーブメントの維持を優先する選択をした。元々奏音も風間プロに所属する予定だった以上、事務所が潰れちゃ意味が無い。それに、琉さんの収入にも関わる。単純な問題じゃなかった。
「それでもう振り回されるのは厭だからって、アタシは社長を責めて独立資金を全部出させたんだ。世間的には子会社って思われてるけど、実際には設立してすぐに株をアタシが全部貰ってるから完全に独立してるよ」
琉さんは風間プロを辞めたあとはフリーの作曲家として活動していた。その後、奏音のデビューの頓挫を切っ掛けに小さな芸能事務所を開設した。Wall Breakerが琉さんの事務所の所属になっているのは奏音のデビュー計画の名残だった。本来、Wall Breakerは奏音の為のバックバンドだった。
「誰にも言うなよ?」
「何で俺に話してくれたんですか」
「信用してるからだよ」
そう言って、琉さんはスタジオ内に戻っていった。
翌日のライブは問題無く盛況で終わった。
ライブ1曲目の後のメンバー紹介で俺の代理ギタリストとして奏音を紹介した時、観客の反応はどうにも微妙で不安だったが、終わる頃には観客も受け入れてくれたようだった。
が、それはライブの話であり曲の売り上げというわけではない。
1か月後に発売された新曲はCDチャートのトップ10には入ずメジャーデビュー曲から大分順位を落とし、ダウンロードもイマイチだった。
ファンの反応で多かったものは「曲調が“タイムトラベル”とは違う」「ギターの癖が昇と違う」といったコレジャナイ感が大部分を占めていた。
新曲の反響が悪かったのは琉さんも意外だった様だが、同時に納得もしていた。
昔、日々季姐さんの“花火”を発表した時。琉さんは自信のある曲ではなかったが、日々季姐さんが選んだ曲だからとリリースを決めたということだった。
収録をして実際に曲を聴いた後には「これが一番良かったのかもしれない」と思ったと言っていた。結果的にその曲は大ヒットを記録して日々季姐の知名度を爆発的に上げている。
琉さんは「作曲したり歌っている本人がイマイチと思っていても聴いている方はこれが一番と思うかもしれない」という事だった。
曲を琉さんや工楽先生に貰った事は確かに嬉しかったし、俺たちはそれで自分たちの曲に自信を無くしたのは間違っていたのかもしれない。
……とはいえ、CDのカップリングに自分たちで作った新曲も入れているが単独でダウンロードが多いというわけでもなく、鉄矢と光彦が「自信が無い」と言うのも正しかった様だ。
チャート発表の翌日、俺と奏音はバーで並んで座って、落ち込んでいた。
「ダメだったかー」
美姫がチャートを見ながら言う。
まあ、色々考えてみれば当然の結果だったのかもしれないな。俺の席とは別にテーブルで呑んでるバンド仲間たちも「しょうがない」と納得をしてる。
が、今回一番落ち込んでいるのは奏音だった。「ギターの癖が違う」という評判が辛いらしく、いつもは明るい奏音が終始ため息をついていた。
「そんなに気にするなよ。元はと言えば……」
俺が事故ったのが悪いんだし、と言おうとして止めた。これもジレンマだ。
奏音はプロの舞台に立てる事を喜んでいたと琉さんは言っていたし、琉さんも礼を言ってくれた。俺の事故が招いた出会いを悪いとは言えない。
奏音に何て言葉を掛ければ良いのかわからなかった。
「まあ、しょうがねえだろ。売れねえもんは売れねえんだしよ」
カウンターでカクテルを作りながら琉さんが言う。売れない事に慣れている、というと聞こえが悪いが、メジャーデビューは必ずしも成功するとは限らないわけで、失敗を経験してるだけあって言葉の重みが違う。
「お前」
「はい?私?」
「そうお前。カラオケあるから、何か歌え」
琉さんは突然、美姫に歌わせようとする。
「何で私?」
「お前が今一番元気だから」
なるほど、と納得して美姫はステージへ向かう。
何せ新曲の関係者は全員肩を落として落ち込んでいる。
琉さんと工楽先生は結果に納得しつつも悔しさはあるらしい。
美姫は何を歌うか曲名検索で迷っていた以外はすぐに決まった。
「これどっちだろ。こっちかな」
予約が終わり、すぐにイントロが流れる。
イントロ流れ始めると琉さんが突然叫びだす。
「あっ、おいバカ!やめろ!」
「これ好きなんだよね~」
美姫が選んだのは琉さんのアイドル時代のデビュー曲だった。しかもセルフカバーじゃない原曲だ。
なんつー選曲してるんだアイツ……
美姫はカラオケではアイドルソングを良く歌うからかこういう曲調は得意で、結構様になっている。
「アタシより上手いじゃねえか……」
「琉ったら可笑しいの」
慌てたり驚いたりしている琉さんを見て奏音が笑っている。少しは元気になった様だ。
「どうだったー?」
「うん、かわいかった!」
美姫は誇らしげだ。
美姫は歌のレッスンは全く受けてはない素人だが、声質や歌い方もあり、アイドルソングは趣味じゃないって理由であまり歌わない琉さんよりも上手く歌えているのは間違いない。
中々上手い歌であったり、選曲で琉さんが慌てたり、お陰で俺たちの暗い空気は吹き飛んだ。
狙ってやったなら凄いが、まあ、たまたまだろ。
「そういや昇、お前そろそろ腕治るだろ?」
事故からもうすぐ2か月。医者から言われていた全治の期日はもうすぐだ。
俺の腕はもうすぐ治る。
治ってしまうんだ。
「長かったねー。やっとギター弾けるようになるじゃん」
ギターが弾けるようになるって事は代理は要らないって事だ。
つまり臨時メンバーだった奏音の役目は終わる。
「なあ琉さん、やっぱり俺――」
「ダメだって言ったろ」
ダメだってわかってる。仲間にも悪いと思ってる。そんな簡単な事わかってるけど、わかりたくない。
「“タイムトラベル”のファンに奏音は要らないって結果出たろうが。おとなしく諦めな」
俺たちの新曲の売れ行きが奏音の存在を否定する。俺たちのバンドにとって奏音は余計な存在だってわからされた。
奏音がいなくなっても元に戻るだけだ。でもそれが、本来の俺たち“タイムトラベル”だ。
バンドはそれで良い。
けど俺の、俺自信の拘りが奏音を離したがらない。
「情けない男に奏音はやれない。――だから、立派になりな」
そうだった。琉さんは初めて会った時から俺の事を真面目に考えてくれている。ギターだって本当は自分で入るつもりで考えていた。最初から俺やバンドの事を考えてくれていた。
奏音の事もだ。臨時メンバーを許したのだって飽くまでステージを経験させる為だ。プロデビューとはまた別の話で、もし正式加入させてサークラになろう物なら一生のトラウマだ。加入を許さないのは俺だけじゃなくて奏音を守ろうとしての事だ。
立派にならないと、いつまでも情けないままでは迎えに行けない。
「アタシの野望とお前の恋は別の問題だろ。一緒にすんなよ。テメーの力なんて要らねえよ」
はっきり言われるのも癪だな……
俺だって奏音の力になりたい。
――俺は、奏音の事が好きだ。
“奏音の為”なんて言って自分の恋心を認めないなんて、ホント、俺は情けない男だ。
「兄貴、私先月『頑張って』って言ったよね?」
確かあれは……奏音が一人で店で練習してた日か。アレ、そういう意味だったのか。
……そうだな。玉砕してみるか。
俺は自分の決意の為、最後に奏音に一仕事頼むことにした。
俺は日々季姐さんに“404”のリリースを急ぐように頼んだ。
“俺の腕がまだ治っていない”という免罪符がある内に、この曲を収録したかったからだ。
予定では俺の腕が治ってからで、リリースまではあと1か月もあった。
“404”は俺がリードギター兼ボーカルの為にギターパートを少し簡単にしていた。かつて俺たちがコンテストで1位を取れなかったのはそれが原因じゃないかと思ってる。
だから俺以上の腕を持っている奏音にギターパートを完璧にやった上でリリースしたいと考えている。
「あなた達のファンは奏音ちゃんのギターは嫌いなんじゃないかしら?」
「だったら研究させますよ。俺の下手糞なギターを奏音にね」
奏音には俺たちの曲を聴きかせて模倣させた。
既に上等な腕のギタリストに自分以下の腕の奴の模倣をさせるなんていい気はしないと思うが、奏音は結構楽しくやっていたらしい。収録だけじゃなく練習も俺のギターを貸した。
今回は完璧だ。俺は、俺たちは自信があった。俺たちが賞を取った曲の完全版だからな!
そして再びリリースの日を迎える。
その頃には俺の腕の怪我は治っていて、自分でギターを弾けるようになっていた。
勿論、テレビの出演でも自分でギターを弾く。
完全な形になった“404”は俺がギターを弾きながら歌わなければならないが、今までの俺のギターの腕じゃ足りない。
弾けないのでは格好が付かない。だから俺は、奏音や琉さん、さらに摩耶さんも付きっ切りで練習をした。病み上がりの練習量じゃないと言われたが出来ないとは言えない。
そうだ、俺が奏音にギターを弾かせてリリースしたのは俺自信の逃げ道を防ぐ為だ。
もう難しいなんて言ってられない。
ここでやり遂げないといつまでも情けないままだ。
病み上がり初のテレビ出演。そこで俺たちは“404”を演奏する。
鉄矢も、光彦も、翔も、俺のギターが不安だとは思っていたが同時に信じてくれた。だから俺は絶対にやり遂げる。
いつも俺たちの曲を書いてくれている鉄矢は「俺の作曲が完成するにはお前にかかっている。頼んだよリーダー」と言っていた。今まで無責任だったな、俺。
テレビ局のスタジオでカメラの前に立つ俺たち。
司会者が俺たちを紹介し、俺たちは演奏を始める。
俺は何を歌っている!どこを歌っている!指が回ら……回せ!
出来ないなんて言えないんだよ!俺は!
やり遂げろ!そうじゃなきゃ!ロックじゃねえだろうが!
そんなロックな状態の俺は――
やり遂げた。
演奏の終わった俺はもう二度とやりたくないと思ったが、同時にこの曲こそが俺たち“タイムトラベル”だと感じた。
今まで俺の失敗に付き合ってくれてありがとう、奏音。
後日、俺は駅前に奏音を呼び出した。
今までのお礼と、俺の決意の為に。
「昇さん、テレビ見たよ。格好良かった」
「ありがとう。奏音のお陰だ」
俺の事故から始まり、奏音に出会ってから起こった出来事は、俺に足りないものを気づかせた。
奏音が入った事で起こった失敗は俺の奮起に繋がった。もし奏音がいなければ、俺はいつまでも情けない男だったかもしれない。
「奏音、前に俺が聞いた事なんだけどさ」
「言ったでしょ。私、どっかのヨーコさんみたいになるのヤダよ」
言った言葉は変わってなかったが、その意味は正反対だったと思う。
奏音のその笑顔はウソを付いていなかった。奏音もあの時の失敗で学んだ様だった。
俺はこの笑顔が大好きだ。
「一応聞いただけだ。良かった、断ってくれて」
「なにそれ。まるで私がいない方がいいみたい」
言い方間違ったか?でも他に言いようが無いしな……
ちょっとだけ怒る奏音に対し、取り繕う様に、というわけではなく俺の本音をぶつける。
「俺は、奏音にずっとそばに居て欲しい。バンドじゃない。俺のそばに」
「……え?」
「俺は!人一倍優しくて、何にでも一生懸命で真面目な、奏音が好きだ!」
人通りの多い駅前。広場の端で、俺は奏音への愛を告白した。
その声は少し大きかったのか、道行く人の何人かが振り返ったらしいが俺は気づかない。
俺が見ているのは奏音だけだ。
「ふぇ!?あ、あの、私、こういうときどうしたらいいのかわからないの」
俺の突然の告白に奏音は戸惑っていた。それはとても困っているような反応で、嬉しいとか恥ずかしいとか、そういうのとは違う様に見える。
俺は肩を落とす。奏音から俺はそうは見られてないって事だったのか。
失恋てこういう気持ちなんだな……
「だから、その、少しの間抱きしめていいですか?」
「えっ?」
奏音は俺の返事を待たずに俺の身体に抱きついた。俺を抱きしめるその両腕の力は強い。
「奏音……?」
「やっぱり好きな人の胸の中って安心するんだね……」
それは親の愛情を知らずに育った奏音の、愛情の確認と表現の方法だった。
俺はそれに応える様に奏音を抱きしめる。
「私も、いつも私を見てくれてる昇さんの事、大好きだよ」
昼間の駅前広場。俺と奏音は二人、気が済むまでずっと抱き合っていた。
「あいつら恥知らずなんですかね?」
「アタシが知るかよ」
知った声が聞こえた気がしたが、俺たちの耳には入らなかった。