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沖田奏音は眠らない  作者: 若蛙
2/6

第2話 リュウ

出会えない、二人の関係


視点:国府田琉


 カナンを拾って1週間程した日曜日の正午。

「悪いね、忙しい所呼んじゃって」

「大丈夫。最近は番組出演も減ったから時間は取れるし」

 この前の礼と近況報告の為、私は日々季を呼んだ。

「結局座敷童ってなんなの?」

「ふつうの女の子だよ」

 そう。カナンは普通の女の子だ。ただ、他の子と育ちが違うだけだ。

 色々と身の上を聞くと酷い物だった。

 母親は自分の世話をさせる為だけの技術は教え込んでそれ以外は育児放棄同然だったようだ。でもって要らなくなったら捨てて勝手にいなくなった。最低な奴もいたもんだ。

 そこから私と会うまでの丁度2年間はホームレスとして生きてきたらしい。人間は存外しぶとく生き残るんだなと感心したし、同時に私に会ったのは最後のチャンスだったのかもしれない。

「つまり捨て子を拾ったのね」

「そういうことかな」

「ちゃんと育てられるの?」

「なんとかなるだろ」

 日々季の心配は最もだ。

 今の私は仕事を全くしてないから殆ど無収入だ。印税収入があるけど以前に比べるとそれほどでもない。貯金は結構残ってるからしばらくは大丈夫だと思うけど二人分の生活費となると割と早く無くなりそうで厳しいかな……

 そうそう、私作曲やってたんだよ。

 ペンネームは“白龍”っていうんだ。カッコイイだろ?

 でも最近はからっきしでさ。ちょっと前なら日々季が凄え売れてたんだけど、私が曲を書けなくなっちまって。そのせいで日々季の人気が減ってきてるんだよな。

「独身で彼氏がいたことも無いのに母親なんてできるの?他人のお世話なんてした事ないでしょ?」

「母親って感じはしねえよ。むしろ私が世話されてる感じになってる」

 カナンは母親にやらされていた事もあって家事全般をそつなくこなしている。日頃洗濯物を溜めてしまったり食事をインスタントで済ませてばかりの私に代わって何でもしてくれる。頼んでないのにやりたがるんだ。

「琉ズボラだもんね」

「言うなよ…カナンに色々やってもらって初めて実感してるんだよ…」

 結構落ち込んだ。ゴミはやっりぱなしだとか洗濯が面倒くさいから着替えなかったりとか色々散らかしてて、いつか掃除しようと思っても全然やらない片づけられない女が私だ。子供に何やらせてるんだろうな…

「ゴメン……」

「別にいいよ。気にしてないし」

 少しデリカシーが無いとは思ったけど。

「で、どうするのその子?」

「まずは学校に行かせようと思ってる。その為に役所行って転居の手続きとかちゃんとして、ついでに保険証も取らないとな。病気にならないなんてことはないだろうし」

「意外。結構考えてるんだ」

 私が勉強を教えてもいいんだけど正直そんなに頭は良くない。私にできる事といったら音楽くらいで、それなら人に負けない自信はあるが。

「オーディション受かって一人で都会に飛び出してきた時に色々苦労したからな。この手の役所の手続きなんかは慣れてるんだ」

 思い出す。お金を貯めながら独学で音楽を学んで、歌手になりたいって言ったら反対した両親への反発で一人で上京した時の事を。

 今を思えばかなり浅はかな考えだったかもしれないけど、一応はヒット曲を作って日の目を浴びたんだ。まあ、自分で歌ったわけじゃないしペンネームだしで誰も私だって気づいてないだろうけど。



 私の名前は国府田琉。うだつの上がらないミュージシャンだ。

 私の所属していた風間プロモーションは小さな芸能事務所で、昔とある大人気アイドルのマネージャーをしていた人が独立して設立した会社だ。私達が所属する前まではフリーのタレントのマネジメント代行が主業務だった。つまり、私と日々季が初めての正式な所属アイドルだった。

 18歳の時、私はこの事務所のオーディションに受かった。

 念願の歌手への第一歩!だったんだけど、私が思っているのとは違っていて。私が受けるオーディションを間違っていたのか、事もあろうか柄でもないのにアイドルをやる事になっちまって。

 その時に出会ったのが今でも付き合いのある親友の神田川日々季だ。私なんかもよりずっと可愛くて性格も良くて、そんなのがずっと隣にいたもんだから私は何で自分がオーディションに受かったのかさっぱりわからなかった。見た目はそれなりに美人の自信はあるけど可愛いって感じじゃないし、愛想を振りまくのは嫌いだからオーディションの時の質問の受け答えも横柄だった筈なんだよな……

 さっきも言ったように私はアイドルなんて柄じゃない。歌ったり楽器演奏したりは得意だけどダンスはさっぱりだ。シンガーソングライターなら向いてると思うんだけどな。そういえば日々季はダンスは上手かったっけ――


「琉はいいわね。歌が上手で」

「何言ってんだよ。日々季はダンスが上手いじゃないか。私はダンスが全然ダメでさ」

 私は歌は上手いけどダンスが全然ダメで、日々季はダンスは得意だったんだけど歌唱力はプロとしてはあんまり上手くはなかった。お互いチグハグで苦労してて、そのせいかデビューして2年してもリリースした曲はあんまり売れなかった。

 私が売れないのは自分に問題があるってわかっていた。

 正直なところ私は自分がアイドルやる事に納得していなくてマーケティングには協力的でなかった。だからテレビ局のお偉いさんやら大御所芸能人やらからは嫌われていた。私は媚びるのが嫌いでいつだって反抗的だ。

 最も、レッスンは真面目にやっていて最初は見られたもんじゃないダンスもかなりマシになってきてたし、並行して楽器演奏も腕が(なま)らないように練習は欠かさずにやってた。ギターもキーボードもドラムも出来るんだぜ。だから或る日我慢ならずに私たちのプロデューサーの根本に言ってやったんだ。


「私はアイドル路線じゃ絶対売れねえよ。頭沸いてんのか」

「とりあえずその態度がマシになれば少しは変わるだろ。実力は間違いからな」

 と、こんな感じで話が全く通じやしねえ。実力は評価してくれてるのはそりゃ有り難かったけどさ。

「私もそう思うわ。意地張らなきゃいいのに、勿体ないじゃない」

 日々季、お前がそれを言うのはマジで止めろ。私は本当にイヤなんだよ。

 そこで私は聞き返してやった。

「じゃあさ、何で日々季は売れないんだよ」

 日々季は頑張ってる。私と違って真面目にマーケティングに協力してるし、色んな所で気に入られているって聞いてる。歌もレッスンを続けてデビューしたばかりに比べてかなり上手くなった。人柄が受けてるからバラエティー番組なんかには少しは出演できている。なのに曲は全然売れやしない。

「俺もさっぱりわからん」

「即答かよ。ちょっとは考えてから言えよ……」

 根本と一緒に悩んじまった。

「ごめんなさい。私の努力が足りないのよ」

 そんなことない。日々季は私の数倍努力してる。

 よく考えろ。何が悪い。

 歌唱力、は見違えるほど良くなった。私も上手くなるようにレッスンや自主練に協力した。その甲斐あってその辺の売れてるだけのアイドルなんかよりも間違いなく上手い。

 ダンスは問題ない。というか、ここは私じゃケチのつけようがない。

 性格、は私より良いから考える事じゃない。さっき言ったように色んなところで評判は良い。マーケティングに差し障る事は無い。

 となると最後の問題は……

「曲か」

 どんなに歌が上手くても人当たりが良くても曲がダメなら売れない。

「……それ言うのか」

 どうも気まずそうな顔をしてるな……まさか、

「テメーもしかして分かってて見て見ぬふりしてやがったな!」

 厳密には曲が悪いわけじゃない。曲と日々季のイメージがズレてるんだ。日々季の表現力の問題かもしれないけど、これは路線変更をしたがってる私が言うと墓穴を掘る気がする。

「薄々そんな気はしていた…けど、俺たちの営業力じゃ今のお前たちに新しく曲を提供してくれる人を探すのは難しいんだよ……」

「テメーそれでもプロデューサーかコノヤロー!」

 根本の襟に掴み掛る。右手が上がりかけたけどそこは我慢した。

「落ち着いてよ琉。私がちゃんと歌えてないって事でしょ。私が悪いのよ」

「んなわけあるか。コノヤローの怠慢だろうが!」

「じゃあどうするのよ!」

「それは……」

 私は黙っちまった。その通りだ。どうするのかさっぱりわからん。だから考えた。

 無い物ねだりは出来ない。だが無い物が必要だ。どうする。

 ……そうだ。無いんだったら。

「私が作る」

「は?」

「は?」

 現状の唯一の最適解。

 人を頼れないなら自分を頼るんだ。これしかない。

「私が日々季の曲を作る!絶対に間違わない、日々季に合った最高の音楽を考える!」

 そう大見得を切ったのが、私の地獄の始まりだった。 


 実は作曲自体はいつもやっていた。殆ど趣味みたいな物だったけど、自作の曲を動画投稿サイトに上げたりしていた。

 ……再生数は全然伸びなかったけど。

 ある時はインストだけで、ある時はボーカルシンセサイザーなんかも使って曲を投稿してた。世の中には凄え人がいるもんで、私がいいとこ数千の再生数なのに、上手い人は数百万の再生数だとかそっからプロになったりとかしてた。全然世界が違う。

 そんな私に売れる曲なんてのはそうそう簡単に作れるものじゃない。

 とある有名作曲家が「アイドルのデビューシングルにミリオン売れる曲を作れ」などと無理難題を吹っ掛けられたって逸話があるけど相当な難産だったそうだ。数多の実績ある人でこれだ。私みたいな無名のアイドル崩れがおいそれと売れる曲が作れてたまるか。

 けど見栄を張った以上はやるしかない。この作曲には日々季だけじゃなくて私の去就もかかっている。

 日々季はどんな奴だ。日々季にはどんなメロディーが合う。日々季なら使っても違和感のない言葉は何だ。この曲には何を求める。何を込める。

 そうやって私は何日も、何週間も悩み続けた。

 何曲も作ってあれでもないこれでもないと、私だけじゃなくて根本や日々季と一緒に選んで、それでも全然決まらなくて。

 詰んだ。

 

「ダメだ……全然決まらない……」

 過去最高の出来になったものはあった。けどそれだけじゃ駄目だった。

 趣味で作る音楽じゃない、商売で作る音楽だ。どんなに良い曲でも売れなきゃダメだった。

 売れなければ引退。芸能活動2年目で初めてぶつかった高い壁。プロのミュージシャンというものがどれだけ困難を極めるかを身をもって思い知らされた。

「期限だって迫ってるのにどうすりゃいいんだ……」

 社長に言われた締め切りまであと1週間。これまでか……

 そう私が頭を抱えているときに、日々季はヘッドホンで何かを聴いていた。

「何聴いてんだ?」

「……琉、私これがいいわ」

 日々季が指した曲は私が投稿サイトに上げるつもりで作っていた作りかけの曲だった。

「それはまだ完成してないし、何より日々季のイメージとは違うし」

「ううん、私これがいい。だって、とっても琉らしいんだもの」

 音楽には作曲者毎のクセのようなものがある。同じコードや同じ音節を無意識で多用したりする。初めて聞いた曲なのに知ってる曲に似てる時あるだろ?で調べたら同じ作曲者だったとか。そういうやつだ。

 日々季はこの曲を私らしいと言った。確かにいつもの私の作る曲って感じだけど、それだと日々季には合わないと思う。

「なあ、今までの作ってきたのとコレは結構違うか?」

「うん。琉、無理してるなって、そんな感じする」

 言われてみれば、確かに私は日々季のイメージを重視して作曲していて自分のクセは極力出さないようにしていた。けどそれは私の作風じゃ売れないと思っているからだ。

「根本さん。私、これにします」

「待ってくれよ。それはまだ完成してないし……」

「じゃあ完成させて」

 その時の日々季の言葉は、とても強く感じた。日々季がこんなに強く出るのは初めてだった。

 その言葉に圧されて私はその曲を完成させる事にした。

「大丈夫か国府田?あんまり無理はするなよ」

「日々季が決めたんじゃ仕方ねえよ。ほら、決まったんだからさっさと営業行け無能」

「決まっても曲が出来てないんじゃ営業出られないだろアホ」

 日々季は“私らしい曲”が良いと言った。だから私はいつも通りに作った。けど、大ヒットを目指す曲なりに気を使った。編曲は社長の伝手でかなり有名な人にしてもらったらしい。

 その曲は私達の願いを込めて“花火”と名付けた。

 不発弾だった私たちの最後になるかもしれない、最高の打ち上げ花火を願って。


「はいこれ。デモボーカル」

 デモボーカルってのはデモテープの事だ。日々季に歌ってもらう前にとりあえず私が歌ったお手本のような、要するにサンプルだな。昔はテープだったからデモテープっていうんだけど、今はテープなんて全く使わないから私はデモボーカルとかデモ音源とか言ってる。

「ありがと」

 私は仮歌を歌っていたとき、編曲でかなり良くなっててやっぱりプロはすげえなと思った。私の半人前の曲が一端のプロの曲に聞こえる。音も良い。やっぱり曲を作るなら金がないからってDTMの音源をフリーで済ませるのはダメだな。あるいは全部自分で演奏して録音するか……

「……ねえ琉」

 デモを聴き終わった日々季が声をかけてきた。

「どうした?わかんない所でもあったか?」

「何でこの曲を自分で売ろうと思わなかったの?」

 そりゃこの曲は日々季の為に作ったわけだし。自分で出すなんておかしな話だ。

「惨めね私……こんな上手い歌聴かされて。私こんなに上手く歌えないわ……」

 そんなつもりは全くない。そりゃお手本なんだから聞きやすいほうがいいよなって真面目に録音はしたけどさ。

「何言ってんだ。その曲はお前の為に作った曲だろ」

「でも私なんかより琉の方が……」

「私じゃ上手く歌えてるだけだ」

 音楽の魅力は上手いだけじゃわからない。表現とか声質とか、とにかく色んな要素が合わさって最高のポテンシャルを発揮する。“花火”は日々季の為に作った曲だ。日々季が最大の魅力を発揮できるように作ったから私じゃその魅力は引き出せない。

「いいか日々季。この曲はお前が選んでくれた私の自信作なんだ。私も頑張って曲を作った。あとはお前の歌にかかってる」

「琉……」

「頼むぜ日々季」

「うん。私、頑張るね」

 ……私はウソをついた。正直あの曲に自信は無い。いつもの私の曲は全然再生数が伸びない。そんな底辺作曲家が自信なんて持てるか?

 けど、日々季を鼓舞する為にウソをついた。それに日々季が選んだ曲だ。私は日々季を信じてあの曲を世に送り出す。


 1か月後、“花火”はリリースされた。

 結果から言うと……大ヒットだった。

 発売1週目の売り上げは凄惨なもんだったけど、口コミや日々季を気に入ってくれている先輩芸能人達によるSNSやテレビ番組での発信もあって徐々に知名度が上がっていきロングセラーになった。

 

「デビュー以来最高の売り上げを更新し続けてる。DLも好調だ!やったな神田川!」

「はい!ありがとうございます根本さん!」

「うるせーな。根本は大した事してねーんだから静かにしてろよ」

 とはいえ、喜ぶ二人を眺めてるのは悪くない。

「けどいいのか国府田。作詞作曲に本名使わないで」

 単純に恥ずかしいって理由で私は“白龍”というペンネームで記してもらうようにした。作曲家として大成するのもいいかと思ったけど、私がやりたいのは歌手であって作曲家じゃないからな。いつか自分の名前で歌手ができるようにって願いもあった。

「でも何で“白龍”なの?」

「白龍ってのはな、龍の中でも特に空を飛ぶ速度が速いんだ。だから他の龍からは絶対に追いつかれないんだと。だから私は日々季の乗る龍になって他の奴らを追い抜いていきたいんだよ」

 これはテキトーに思いついたものにこじつけただけの理由だ。けど自分の名前の“琉”の語呂に合ってたりとか、たまたまハクリュウの韻が有名な作詞家に似てるってのもあって悪くないと思ったんだ。


 それから私は日々季のシングルの表題曲を全部作曲することにした。

 本当は全部の曲をやりたかったんだけど、根本の奴は流石に私一人じゃ限界もあるからってのと、楽曲提供したい人を無下に断れないからってシングルの表題曲だけになった。

 曲が売れたことで私は結構有頂天になって調子乗ってて、日々季の曲をちゃんと書けるのは私しかいないって思って他の人に書かせるのはあんまり良い気がしなかった。

 思えばあの時、根本が私に無理するなって言ったのは気を使っての事だったんだな。普段の私は根本の企画力や営業力がクソだからって罵りまくってるけど、人の事はちゃんと見てくれててマネジメントは優秀な奴だと思ってる。

 だから私が後々スランプになるのも分かってたんだと思う。


 日々季の知名度が上がった事でファンも増えて曲の売れ行きも安定してくるようになった。

 新曲をリリースすれば毎回チャートに乗るようになった。日々季もテレビやラジオの出演が増えて忙しくなった。

 私はそんな忙しそうな日々季を見ているのが嬉しかった。同時にそれは、私にとっては重いプレッシャーになって圧し掛かる。

 絶対に外せない。

 “あの”神田川日々季だ。誰もが知ってる大人気アイドルの新曲を私は作ってる。私はそんな重圧に苛まれながら曲を作っていた。所詮は駆け出しの作曲家、レパートリーの限界も自分が思っている以上に早く来た。

 でも外せない。ファンを失望させられない。だから何としても書いた。限界まで追い込まれた私が生み出した曲は我ながら良い曲ばかりだったと思う。

 けど(つら)い物は辛い。いつしかノイローゼになった私は深酒をするようになった。

 元々人並みに比べて多く呑むタイプだったが、それが酷くなって毎日呑んだくれていた。

 二日酔いの日も多かった。日々季に心配をかけせたくはなかったから事務所に顔を出す時はそれを悟られないように振る舞っていたけど、根本は気づいてただろうな。あんまりいい顔してなかったし。

「禁酒しろ」

「イヤだね」

「……無理な時はちゃんと言えよ」

「無理なんてしてねえよ」

「もう2年近く投稿してないだろお前」

 ああそうか。日々季の曲を作るようになってそんなに経ったんだな。仕事の作曲に手一杯で自分の事なんて全く考えてなかった。

 好きでやってた筈なんだけどな作曲。今じゃもう呪いの様な事になっちまって。

「そうだな。久々に何か投稿してみるか」

 息抜きがしたいって思ったんだ。とはいえしばらく作曲は休みたい。だから私がやったのは、自分の曲を歌うって事だった。変な事じゃない筈なんだけど私には随分と久しぶりだ。

 実は“花火”の仮歌の件もあって自分では歌わないようにしていた。私が歌うと日々季のストレスになる気がして、仮歌は全部ボーカルシンセサイザーになった。日々季は少し残念がってたけど、どうせ仮歌だ。サンプルなんてテキトーでも大丈夫だろ?

 

 投稿するのに流石に本物の音源は使いたくはないから全部打ち直した。アレンジも自分用にやった。なんだ、私ちゃんと編曲できるじゃん。でも結局作曲してるのと変わんねえな?まあいっか。

 金があるのをいいことにDTMの音源も色々買ったりもしていた。だから昔作ったのと今のとじゃ全然質が違う。実際の楽器演奏でなくても音楽は金がかかるものだと感じる。ボーカル音源も一通り買ってる。知らない内に種類がいくつも出ていて、なんかブームになってたらしい。まあ、私には関係ないか。

 普段はボーカルシンセサイザー使ってるから自分が作曲したのを歌って投稿するのは始めてだ。けど歌った曲を投稿するのは初めてじゃない。一応アイドルだしね、過去に出したシングルくらいは投稿してる。

 そういえば最後に私が曲出したのいつだっけな……うわ、私が日々季に曲作り始める直前じゃん。書いてくれた人には悪いけど、この曲嫌いだったなー。

 今回投稿するこの曲を歌うのは2度目だった。仮歌を作ったとき以来だ。

 歌うのは“花火”に決めた。せっかく歌うなら私の出世作がいいからってこの曲を選んだ。

 その時は活動してるかどうか全くわからないアイドルの歌った曲なんて、いくら元が大ヒット曲でも誰も注目しないと思ったんだ。どうせいつも通り。自己満足が出来ればそれでよかった。だから気持ちよく歌ってやった。やっぱり歌うのは楽しい。どうせならギターも弾いてやろうって調子にのって演奏までした。私にはシンガーソングライターの方が向いてるんだなって再認識した。

 その時の作業は今までになく楽しかった。忘れていたものを思い出した気分だ。

 そして私は“歌ってみた”ものを投稿した。一応私と白龍は別人てことにしたいから動画タイトルは“『花火』歌ってみた”にした。見栄を張ってカバーなんて絶対に言わない。

 動画って言っても音楽と1枚絵しかないから大層なものじゃない。けど、結果的に編曲に時間をかけちまったから割と手は込んでる。

「伸びそうか?」

「伸びねえよ。伸びてたまるか」

 根本は随分と気にしてるけどこれは所詮は私の道楽、遊びだ。

「シングル行けると思うんだけどなぁ」

「出せるわけねえだろバーカ」

 私は笑いながらいつもの様に根本を罵ったが、褒められるのは悪い気はしない。根本の人を見る目は確かだからそういうところは信頼してるんだ。だから売れるって言ってくれたのは結構嬉しかった。でもこれは日々季の曲だから売るなんてことはしない。

 そんな私の道楽が暫くして少し困ったことになった。


「誰か再生数工作してない?」

 工作ってのは冗談だけどさ、それでもやっぱり伸びすぎだ。コメント数も。普段の10倍以上伸びてる。再生リストでこの投稿だけ明らかに桁がおかしい。さらにその影響で昔のシングルの再生数も少しだけ伸びてたり、ボーカルシンセサイザーのブームの影響もあってか相乗効果で自作曲も伸びていた。歌ったのは日々季のヒット曲だし少しくらいならとは思ったけど、さすがに10倍は訳が分からない。

「根本、何か変な事しただろ」

 いや、根本は何もしてないだろうけど何か知ってそうだから聞いた。

「俺じゃない。日々季がSNSで発信してた」

 日々季のアカウントか。確かにファンも増えてフォロワー数も多くて何万人もいる。あんなところに発信されたら拡散も早い。

 アカウントを覗く。

『私の親友の琉がアレンジとカバーをしてくれました!とても素敵な曲になったから聞いてください!』

 流石売れてるアイドルの発信力は違う。この投稿の“いいね”数ときたら数万だ。日々季の投稿についてるコメントもかなりの数だ。けど一つ疑問があった。

「日々季に教えてねえぞこの動画」

「お前の数少ないフォロワーの一つが神田川日々季公式だろうが」

 そんなのは知ってる。でもこの動画は私自身もSNS発信してない。そもそもここ数年どのSNSも使ってない。

「おはようございまーす」

 そうしていると日々季が事務所にやってきた。多忙な日々季が事務所に来るのは今となっては珍しい。1か月ぶりくらいだろうか。

「お疲れ。なあ日々季、私の投稿した動画なんだけどさ」

「“花火”でしょ!やっぱり琉はすごいわね!」

 いや褒めて欲しいわけじゃないんだよ。

「誰に聞いたんだ?根本以外には教えてないんだぜ?」

「事務所の公式アカウント。酷いじゃない琉、私に教えてくれたっていいのに」

 事務所の公式アカウント?そりゃあ確かに事務所の公式アカウントの発信とか発言なんて普段はあんまり拡散されねえけど。大体事務所で知ってる人は……あ。

「根本テメー」

「俺は何もしてない。社長に何してるか聞かれたから報告はしたけどな」

 事務所の広報にやられたのか。本当はこっそりやりたかったんだけどな。まあ、再生数が伸びて悪い気はしないけど。

「で、いつ発売するの?」

 日々季は聞いて来るが私はそんなつもり一切無い。

「売らないよ。権利者に無許可でアレンジしてるし」

 そうだ。作曲した白龍は許可してない……自分だけどな、白龍。

「そんな屁理屈でごまかして!」

「無理だろ今更。私は売れないアイドルのままでいいよ」

「そんなの嘘よ」

「……嘘じゃない」

 ウソだ。

 私はここではっきりと言い返せなかった。だってさ、間違いなくこの歌を作ってるときの私ときたら楽しくやってたから、その、否定はできなかったんだ。

 だから私は……歌うのをやめた。私が歌うと日々季を困らせる。だから、純粋に作曲家として生きていくことを決めた。

 本当はもっと歌いたかったな……私。


 私は不器用だ。自分の曲を作りながら日々季の曲まで作れない。この事はちゃんと日々季に言った。でも日々季は「だったら私が諦めるわ」って。そんな事させるか。 

 日々季は今絶好調だ。この勢いをキープしなきゃいけない。かなり傲慢な考えかもしれないけど、私は他の作曲家を全く信用してなかった。日々季には私が作ってやらなきゃいけないって思っていた。

「路線変更、今ならできるんじゃないか」

「そんな暇無えよ」

 根本だけじゃなく、事務所の色んな人が私の活動を色々と評価はしてくれてたみたいだ。実績を作った今ならシンガーソングライターとして売り出すのも行けるんじゃないかって話だ。でも、今更そんな提案を飲んでくれても嬉しくもなんともない。その時の私は日々季に曲を作らなきゃならないという使命感で一杯だった。

 

「事務所辞める?」

 あれから日々季の次のシングルが発売された翌日に私は根本に言った。

「今まで通り“白龍”として作曲は続ける。けど、私自身のアイドル活動は終わりだ」

 どうせ何もしていなかった。久しぶりに動画を投稿してからそんな気にもならなかった。

「どうせファンなんていないからな。誰も惜しまないだろ」

「いるじゃないか一人。お前の熱狂的ファン」

 日々季の事か。

「私のたった一人のファンの為に日々季を犠牲に出来ないだろうが」

「神田川なら犠牲にするだろうな」

「そんなの私が許さない……」

 こうして私の歌手生命はジレンマを抱えて終わった。

 私は道楽で投稿した歌で自分にトドメを刺しただけだった。結局何も変わらない。自分から地獄に歩いて行っただけだ。

 22歳の夏だった。


 事務所を辞めてもすることは変わらない。日々季の為に曲を作るだけだ。

 22歳で独立してフリーの作曲家になる、って言うと聞こえはいいけど、実際には自分の芸能活動から逃げ出しただけだ。

 でも作曲からは逃げられない。むしろ作曲だけに集中するという意識のせいで今まで以上に「売れなきゃいけない」というプレッシャーが強くなって酷いストレスになった。今までの“売れないアイドル”という肩書は気休めとして働いていたようだ。やる事は全然変わってないのにな。

 それは日常生活にも表れてきて、根本の様に私を見る人がいなくなったから私生活は荒れ放題になった。部屋は掃除しないからゴミだらけで、ストレスが溜まって酷いときは1日中酒を呑んでるし、着替えを面倒くさがって下着を何日も取り替えない事もあった。

 それでも作曲だけは真面目にやってたらしくて、日々季は或る日ついにシングルチャートの初登場1位を記録した。

 その時の記憶は無い。嬉しかったのは覚えてるけど、自分が作った曲の実感が無い。そもそもどんな曲だったのか覚えてない。

 日々季は度々私の部屋に様子を見に来ては掃除や洗濯をしてくれた。その度に日々季は「いくら琉でも女を捨てるような生活はやめなさい」と言っていた。

 私に世話を焼いてくれるのはありがたかったけど、その時の私にとって日々季はストレスの種でしかなかった。作曲は自分で始めたことだから妬んでも恨んでもなかったけど、それでも顔は見たくないって疎ましく思っていた。日々季の顔を見ると作曲を思い出して気持ち悪くなる。なんでこんな事になっちゃんたんだろ私は……

 ストレスで自分を見失っていた私は1年程の記憶が曖昧だった。ヤバい薬でもやってるんじゃないかって1回だけ様子見に来た根本に言われたっけな。

「最近日々季来ないけどどうしたんだ?」

「お前相変わらずクソ野郎だな……」

 根本によると私は日々季に「日々季なんていなければよかった」なんて言ったらしい。

 マジか。しかも根本の話し方からすると実際にもっと酷い言い方をした様だ。

 ……思い出した。日々季に何か言ってしまって、泣きながら飛び出して行った事があったんだ。

「私死んだ方がいいな」

 救いようがない。誰か私を殺してくれないかな。それとも自殺でもしようかな。

「国府田、無理だったら言えって前にも言ったよな?」

「大丈夫。私はまだ……大丈夫……」

 ウソだ。

 いつもそうだ。私は自分の弱音を言えずに強がって、勝手に潰れて。

 今だって少しでも自殺を考えたんだ、普通じゃない。

 ゴメン日々季。私もう無理だ……

「呑みすぎには気をつけろよ」

 そう言って根本は出て行った。

 余計なお世話だ……クソ……


 その日の夜。酒を切らしたからと外に買いに出た。

 壊滅的な私生活を送ってはいるが金だけはある。日々季様様だ。

 私は安い酒は飲まない。そんな安い酔っ払いにならないようにしている。無駄に高尚な矜持だ。

 ……違うな。酒を選ぶくらいの余裕は持ってないと、本当に意識を失っていそうだったんだ。

 私は24時間営業のスーパーに行って酒を見繕って、その帰り道、缶ビールを開けて飲みながら歩く。すっかり癖になっちまったなコレ。

 夜も更けてきて殆ど人の歩いていない時間。冷たい夜風が酔った体に気持ち良い。

 とても静かだ。聞こえる音といえば時折通る自動車と電車の音くらいだけだった……いつもなら。

 その日はこんな時間に似合わない女の子の歌声が聞こえてきたんだ。しかも歌っているのは一人だけの声で、少し寂しそうだった。

 迷子かな、って思ったけど泣いてるわけじゃない。なんというか、寂しさを紛らわすために強がっているような歌声だ。

 私と一緒だ。本当は辛いのに必死に強がって一人で無理して、それでも何もしないよりはマシだから気は紛れる。

 気になって辺りを探してみたんだけど何処にも女の子の姿は見当たらない。探し回った後には歌声は聞こえなくなっていた。気のせいだったのかな?

 けど、その歌声が聞こえたのはその日だけじゃなかった。

 夜に出かけると毎日じゃないけど歌声は聞こえてくる。それはいつも違う曲だった。誰かが歌っているのは間違いない。でも姿は見つからない。

 いつしか私はその歌声を聴くのと、歌声の主を見つけるために外に出るようになっていた。

 姿の見えない誰かは間違いなくいて、私は彼女の声を聴くのが楽しみだった。

 今日は何処にいるだろうか。昨日はここで聞こえたな。最近は毎日聞こえるな。……1週間くらい聞こえないけど何かあったのか?聞こえない日は心配だった。

 

 ある朝、ゴミを捨てに外に出たときに近所のオバさん方がしていた噂話を小耳にはさんだ。

 なんでもこの辺に女の子のホームレスがいるんじゃないかって話だ。けどこの辺に住んでる人は誰も目撃してないんだと。なるほど、歌声の正体はこれか。

 それにしてもホームレスか……大変だな……

 そこで私は“差し入れ”をすることにした。

 夜、私はコンビニでお菓子とジュースを買って、あとは手紙をビニール袋に入れた。

“いつもかわいい声で歌っているあなたへ”

 これでわかってくれるかな。

 歌が聞こえてきたら道の真ん中にわざとらしく置く。このあたりはこの時間なら車が通ることはあんまりないから大丈夫な筈。

 置いたら一度部屋へ戻って時間を潰すことにした。1時間くらいで大丈夫かな。

 いつも探しても見つからないんだ、多分あの子は用心深い。部屋に戻ったのは警戒されないためだ。

 そして1時間後に同じ場所へ戻ってみると、そこに色々入れて置いた袋は無かった。ちゃんと拾ってくれてるといいけど。

 それ以降私は度々歌声の主に差し入れをし続けた。向こうから私を探してくれるかと思ったけど、まあそんな事は無いか。いつか会えると良いな。

 

「こんちわー」

 或る日の昼過ぎ、私は久々に事務所に顔を出した。今はフリーだから所属してないけどな。

「おはようございます、だろ」

 事務所には根本がいた。

「私その業界の慣習みたいなの嫌いなんだよ」

 昼間だってのに何で朝の挨拶しなきゃならいんだよ。テメーの起床時間なんて知るかっ!ってな。

「何の用だ」

「企画の提案」

 ちょっと思いついたことがあったんだ。

「なんだ、言ってみろ」

「日々季も呼んだから、来たらな」

 それから2時間くらいだったかな、結構待ったと思う。

「おはようござ……」

「お疲れ日々季!」

 嫌いな慣習を遮る為に日々季が入ってくるなり直ぐに声をかける。

「琉ゴメン、収録長引いちゃって」

 今や日々季はバラエティやら歌番組やらで引っ張りだこだ。猫の手も借りたいくらい忙しいんだ、ちゃんと来てくれればそれでいいさ。

「話があるって何?まさか変な事言わないでしょうね」

 日々季は少し不安そうな顔をしてるけど、今から私が提案するのはそんな不吉な事じゃない。

 ……でも、一緒に嫌な話をするかもしれない。

「日々季、アルバム作らないか?」

「アルバム?」

「一度も出してなかっただろ」

 日々季がデビューして5年。それなのにアルバムを一度も作ってなかったんだ。初のアルバムを出すには遅い位だ。

「……そうだな。ベストアルバム出すか」

「だとさ。プロデューサーは乗り気だぜ」

 っていうか根本、何で一度も企画しなかったんだよ。やっぱり無能か。

「収録曲は私に選ばせてくれますか?」

「偉い先生方は拗ねるかもしれないけど……まあ、そこは俺が何とかするから気にするな」

「はい!よろしくお願いします!」

 こうして日々季の初のアルバムの発売が決定したわけだけど、私が提案しなきゃやるつもりなかったのか?

「それじゃ早速選曲するか!」

 あらかじめ私が作っておいた全曲のリストを広げる。選曲は勿論全部日々季が決めた。日々季が選んだ曲は……


「全部私の曲かよ!せめてデビュー曲くらい入れろって!」

「いいのよ。私のお気に入りだけにするんだもの」

 私が日々季に曲を作り始めて今日までの3年、私が日々季の為に作った曲だけが入ったアルバム。ちょっとだけ恥ずかしいな。

「琉、今なんて言ったの?」

「え?」

 私何か変な事言った?

「前だったら“私の曲”なんて言わなかったじゃない」

「……そうだっけ」

「そうよ。いつも“日々季の曲”って、私の曲って言ってたから」

 それは当たり前だ。だって私が書くのは“日々季の曲”だから変な事じゃない。

「……琉はいつも私の為に書いた曲を“日々季の曲”っていうけれど、私はいつも“琉の曲”だと思ってた。だから私は琉の書いた歌を色んな人に聞いてもらいたくて一所懸命に歌って、琉のお陰で私は人気者。だけどそのせいで、私を一番想ってくれる友達はいなくなっちゃった。だから私は大勢のお客さんに囲まれていてもいつも独りぼっち。ねえ……琉はどうしたら私の隣に戻ってきてくれるかな……」

 違う。私はいつだって日々季の隣に居たつもりだ。私は日々季の隣に居続ける為に曲を書き続けたんだ。でも、本当は途中から私なんて必要無いって思ってた。もう私がいなくても日々季はやっていけるって。だから私は、私は……!

「日々季に……捨てて欲しかったんだ」

 そうだ。だからあんな事を言って嫌われたがった。『日々季がいなければ、こんな辛い思いしなくて済んだのに』って……

「琉……?」

 私は勘違いしてたんだ。日々季に私が必要なんじゃない、私に日々季が必要だったんだ。

 日々季が売れ続けることで私は自分の音楽をなんとか続けていられて、その為に日々季を理由にしてた。最初は確かに日々季の為と想って始めたことだけど、いつからか自分が音楽を続けるためになってた。日々季を理由にして自分の身勝手だったのを認めたくなかったんだ。

 本当は一人立ちしなきゃダメだった。だけど、一人で歌ってそれで売れなくなって、世間から忘れ去られるのが怖かったんだ。本当はどこかでちゃんと諦めなきゃいけないって分かってたのに、それを認められなくて日々季から離れられなかった。

「私、もう日々季に曲を作るのを辞めようと思ってアルバムの提案をしたんだ。アルバムに入れる曲で私の必要かどうかわかると思ってさ」

 認めるのが怖かった。だから日々季がきっと私に現実を見せてくれるって、捨ててくれるって思った。でも、日々季は私の作った曲しか選ばなかった。

「私が今でもステージに立てるのは琉のお陰。だから、いつだって琉の為に歌っていたわ。もし琉が曲を書くのをやめるなら、私も歌うのをやめる」

 本当は私はいつだって自分の事しか考えてなくて、日々季の事なんて全く考えてなかったんだ。でも日々季はいつも私の事だけを考えてくれていた。私の為に独りで歌ってくれていた。

「ゴメン。ずっと日々季に無理させて」

「いいの。琉は私に沢山夢を見させてくれたから」

 私も日々季もスタートは一緒だった。けど、チグハグだった私達二人は知らない内にお互いに足りない物を求めてた。

 私は日々季の様に可愛くもなければ人当りが良いわけでもない。日々季は私の様に音楽に多芸でもないから歌う事しかできない。そんな私達二人作り上げた偶像が“大人気アイドルの神田川日々季”だった。これは二人のどっちかが崩れれば消えてしまう脆い夢で、それが消えないように二人とも無理をしていた。

「根本、私止めるよ。曲作るの」

 もう日々季に甘えるのはやめよう。一度開き直ってやり直さないと私は前に進めないとやっと気づいた。

「決断が遅い。俺は最初から言ったはずだ。無理だったらちゃんと言えってな」

 人の事をよく見ている癖に大事な事もどうでもいい事も全部人に丸投げするのがコイツだ。

 でも本当は、どうすればいいのか促してくれていた。私は意地を張っていただけだった。

「だが……突然引退されるのは困る。神田川はうちの稼ぎ頭だからな」

 そんなに大きくない芸能プロダクションだからなココ。あれから所属する人も増えない所か私が退所したから減ったし。日々季の稼ぎが無くなったら左団扇とはいかないもんな。けどさ、言いたいことはわかるけどデリカシーは皆無かよ。ちょっとくらい感傷に浸らせろ。

「が、落ちぶれるなら仕方ない。俺のプロデュースの失敗だからな」

「何が言いたいんだよ」

「好きにやれって言ってるんだ。売れる必要は無い。お前らのやりたいようにやれ」

 根本は笑いながらそう言った。

 客受けなんか気にせずに好きに歌って好きに売れって事だった。本当なら出来もしない事をやろうとするな、自然にやれ。その結果の人気低迷ならそれが本来の実力だ、という事らしい。

「……どうなっても知らねえぞ」

「暴れ馬の相手に疲れたんだよ。それに俺だって嫌いな取引先に頭下げてんだ。これでレコード会社のあのハゲ頭を見なくて済むって考えりゃ気が楽になるぜ」

 酷えなコイツ……やる気無えのかよ。

 でもこれが、私と日々季の再スタートだ。


 後日、日々季のベストアルバムが発売された。

 収録された曲は“白龍”が作曲したもの全部と、“国府田琉”が作曲して動画投稿サイトに投稿した曲の中でそれなりの再生数になってた曲のカバーだ。新録のカバー曲は日々季が歌いたいっていうから収録された。私は偏屈だから、カバー曲の編曲を“白龍”名義でやって全くの別人感を出してみた。

 私と日々季の、二人の初めての、そして多分……最初で最後のアルバムだ。

 人気が陰らない内に発売したもんだから結構売れた。新録は選曲の理由がイマイチわからずインターネット上で物議を呼んだらしい。知らない内に引退した売れないアイドルの自作曲、そうでなければ無名のミュージシャンの曲なんか入ってた所で普通は嬉しくないもんな。そんな話題を尻目に私は数年ぶりにSNSで発言をした。

“ごちゃごちゃうるせー!”

 良い気味だ。何も知らずに騒いでる奴らを見ているのは中々に愉快だ。

 その二人、同一人物だぜ。ってな。


 発売日の夜、私は歌声を探した。CDを届けたかったからだ。

 私が一つの決心をしようと考えたのはあの歌声のお陰だ。その結果が良い物であれ悪い物であれ自分の身の振り方を考える必要があると考えたのは、あの歌声の主から感じた何としても生きようという意思からだ。だからアルバムを作って区切りを付けたかった。

 生きてさえいればリスタートは何時だってできる。

 以前偶々入ったライブバーのマスターはそう言っていた。



 都会の裏路地にある、少し広めのライブバー。

 カウンター席といくつかのテーブル席を抜けた先には演奏用のステージがある。

 作曲に詰まりやさぐれていた私は、何でもいいから酒を呑みたいとはしご酒をしていて、最後に入った店がそこだった。

 それほど明るくしていない店内にはお客さんはいなくて、カウンターにマスターらしき人が一人でいただけだった。

「お客さん初めてだね。これは私のサービスだよ」

 そう言って出してきたのはただの炭酸水だ。サイダーでもない、風味すらないただの炭酸水。

「ありがと。随分気が利いてんな」

 皮肉には皮肉で返す。私はアルコールが飲みたいんだよ。

「お客さん、君はまだ20そこそこだろ。世の中にはもっと歳を食って取り替えしのつかない人もいるけど、いくつになっても生きていれば何とかなるもんだよ。若ければ尚更ね」

「おっさんは苦労したのかよ」

「その内話してあげようかな」

「もう来ねえよ。店入ってすぐ説教されて印象良いわけねえだろ」

 こんな文句を言い返したけど、気が付けば週1回くらいは行くようになってた。ここはライブバーだしな、毎日じゃないけど色んな人の歌や演奏を聴けるし、マスターとこうして話すのも楽しい。

「おっさん、もし私が仕事失くしたらここで雇ってくれよ」

「いいよ。その代わり仕事を絶対失くすんじゃないよ」

「雇う気ゼロかよ」

 思えばマスターはあたしの悩みに気付いていたのかな……


 色々思い出しながら歩いているといつの間にか歌声は聞こえていた。歌っていたのはアルバムに新録した曲だった。アルバム発売前からラジオでよく流されてたもんな。やっぱり自分の曲を誰かに覚えて貰えているっていうのは嬉しいもんだ。

 あの子がラジオを持っているかどうかは、自宅近くであった廃品回収のいざこざと先日の差し入れの袋に一緒に入れた電池がちゃんと持って行かれていた事で確証はあった。彼女は要らないものはその場に置いていく。以前ルーズリーフを入れっぱなしにして置いてしまった時にルーズリーフが出されて道に置いてあった事からわかった。……つまり手紙はちゃんと読んでもらえているって事か。

 今日の差し入れはビスケットとオレンジュース、それに日々季と私のアルバムだ。

“日々季がついにベストアルバムを出したんだ”

 ……字が躍ってる気がする。

 そしていつもの様に置いていく。

 聴いてくれるといいな、CD。


 アルバムの発売後、そりゃあもう偉い作曲家の先生には酷く嫌味を言われたらしい。今まで提供していたのに1曲も収録しないのは何事か、ってな。

 それでその先生との契約はお終いになったとさ。私知らねーぞ。

「あのデブ、最近は落ち目のくせに態度だけはデカいんだからよ」

 わかる。根本の言う事スゲーよくわかるぜ。最近ホント売れないよなあの人。態度だけはデカいってスポーツ新聞に書かれてやがんの。

 ちなみにこの先生は編曲をやってくれていた人は違う人だ。社長によると私の書いた曲の編曲をやってくれていた先生は「当たり前でしょ。日々季ちゃんの曲で白龍くんより上手く作れてたの誰もいないでしょ。僕も1曲くらい歌って欲しかったけど彼を超えられる曲が書けなくて。悔しかったなあ」と言っていたらしい。その話を聞いた時の私は嬉しすぎてニヤケ顔がずっと治らなくて、1時間以上事務所のビルのトイレで笑ってた。我ながら気持ち悪すぎる。

「それで国府田。次はどうするんだ」

 既にアルバム発売から半年経っていて、その間新曲は作っていなかった。

 この4年近くの活動で私が疲れ切ってやる気が出なかったというのが理由だった。

 作曲をやっていなかったわけじゃない。何か書こうとしてもすぐに飽きる。一度気を抜くとダメなタイプだったみたいだ。

「全然書けないんだよ。何も浮かばねえしやる気も続かないしで」

「燃え尽き症候群か」

「それなー」

 言われてみればそんな感じか。

「まあ、好きにしろって言ったのは俺だ。あんまり気にすんなよ」

「気にはしてねえよ。ただ……何も出来てないのは問題だよなって」

 全く話題になる事をしてないから日々季のテレビやラジオの出演も減っている。

「どうせなら暇な内にライブの企画くらいするべきだったか」

「それだ。何でやらなかったんだよ」

「……忘れてた」

 無能か!コイツいつもこうなんだよ。過去に何度かライブやったけど全部私の発案だったんだぜ。

 ふと外を見る。まだ昼過ぎだってのに真っ暗だった。

「今日はひどい雨が降るって言ってたっけ」

 街路樹を見ると強く風に煽られていた。これじゃ雨降っても傘させるかわかんねえな。よし。

「根本、社用車借りていいか?もうすぐ日々季の収録終わるだろ?」

「ほれ」

 そう言って根本は私に向かって車のキーを投げる。

「って、お前免許持ってねえだろ!」

「この前合宿で取ったよ。暇だったし」

「マジか。日々季はTTVの第1スタジオだ」

「おっけー。それじゃ行って来まーす」


 ビルの地下から車を出す。

 スタジオへ向かっている間に雨も風も強くなって、雨は前が見えないくらいに降っていた。

『……区全域に大雨・強風・雷警報が発令されました。お出かけの際は十分ご注意を』

 ラジオの天気予報から警報や注意報が出てきた。

 酷え天気。やっぱり迎えに行って正解だな。

 その時、あの歌声の事を思い出した。こんな天気の日はどうやって過ごしているのだろう、と。

 雨風に吹かれて大丈夫なのか。風邪引かないか心配だ。何かあったらどうしよう。

 そんな事を考えていたら危うくスタジオを通り過ぎる所だった。日々季はまだ終わってなかったみたいだから駐車場で待たせてもらうことにした。

「よう。お前、国府田琉だろ?運転手にでも転向したのか?」

「何だ、顔が良いだけの芸無しじゃねえか。私はお姫様を待つのに忙しいんだからさっさと帰んな」

 こんな場所で待っていると私を知っている奴がこんな感じで嫌味を言いに来るけど気にしない。確かに私自信は芸能活動をしてないけど、作曲で儲けてるからな。私の方がこんなバカより間違いなく稼いでるぜ。ザマーミロ。

 私は仏心でこの芸無しに構ってやって、30分くらい待った所で日々季が来た。

「ごめん琉、待った?」

「私が来るのが早かっただけだよ。さあ早く乗った乗った」

 私は後部座席の扉を開けて見せる。

「うん。ありがと」

 日々季がちゃんと座ったのを確認して丁寧に扉を閉める。

「じゃあな芸無し」

 私も運転席に戻って発車の準備をする。

「待って、雨酷いし俺も乗せ……」

「百合の間に入ると殺されるらしいから気を付けな。あばよ!」

 偶々インターネットで見かけたスラングと有名な俳優の決め台詞(?)で嫌味を言って車を出した。実際、コイツは事務所も違うし全く関係ない。甘えんなバカ。濡れて帰れ。

「百合の間に入ると殺される、ってどういう意味?」

「……自分で調べて」

 言っておくけど、私は至ってノーマルだから日々季にそんな感情は無い。多分。いや絶対。

「そうだ日々季!ちょっと買い物に付き合ってくれないか?」

 私は慌てて話題を変える。


 そのまま社用車で事務所までの道の途中にあるショッピングモールにやってきた。

 服選びなら任せてって日々季に言われてやってきた店は、私には不釣り合いな結構な値段のする店だった。場違い感が酷い。

「何買うの?」

「髪留め……かなあ」

 髪留めのコーナーでどれが良いかと見繕う。

「琉、こんなの似合うんじゃないかな」

 それは大きなリボンをあしらったものだ。こんな可愛いのは私には似合わないんじゃないか?

「いや、私じゃないよ。小学生くらい……だと思う」

「そうなの?せっかく琉がお洒落するようになったかと思ったのに」

 そりゃ私は安物ばかり着てるけど、最低限のコーデくらいは考えてはいる。

「それじゃ、これは私からのプレゼントね」

「いいよ、似合わないって」

「だーめ。ちゃんと付けてね」

 日々季はこういう所で押しが強いんだよな……

 でも、

「ありがとう。大切にする」

 嬉しいものは嬉しいんだ。日々季がこの時くれたリボンバレッタはそれからずっと大切につけてる。

「私が琉にプレゼントなんてしたの初めてだね」

「それ言ったら私は日々季にプレゼントなんてしたことないじゃないか」

「ううん。私は琉からずっと貰ってたよ」

「え?」

「わからないならいいのよ」

 本当に何の事だろうな。

 それから私はどれが良いかと自分の買い物で悩み続けて、あんまり事務所に戻るのが遅いもんだから根本に怒られたのだった。

 帰る頃には雨は止んでいて星空が見えていた。

 

“たまにはオシャレするのもいいかもね”

 翌日の夜、その日も良い星空だった。

 いつものように手紙をビニール袋に入れて、その中に今日はもう一つ、この前買ったシュシュを入れて置いた。

 髪留めが必要な程髪が長いかという疑問は無いわけじゃなかったけど、ホームレスなら髪は伸び放題だろ。きっとこのシュシュを付けてくれる筈だ。

 ……それにしても、普段お洒落なんて全く無縁の私がこんな手紙書くのは変な感じだ。

 私も少しは小綺麗にしてみるかな。日々季にでも聞いてさ。

 そんな事を考えながら日々季のくれたバレッタを触って、ちょっと可笑しくなった。


 それからしばらく経った24歳の秋頃。

 私は未だに燃え尽き症候群から立ち直れずにいた。おかげで作曲も捗らないし、新曲を出さない事もあって日々季の仕事も今まで以上に減っていた。

 日々季の新曲に関しては社長の知人の偉い先生が心配してくれてたって聞いたけど、その人もその人で「白龍くんより良い曲は作れないし、かといって適当に曲作ろうものなら日々季ちゃんの名前に傷がつくし……」などと言って、曲の提供には積極的ではあったが私と同じ状態に陥って書けなかったらしい。我ながら、追い詰められた人間の底力は恐ろしいと感じる。私もあの時の自分を超えるのは無理だろうなぁ。

 当の日々季はというとバラエティー番組のゲストとしての需要はそれなりにあるらしく、バラエティータレントとして一定の地位を確立していた。仕事が減ったといっても以前の様に忙殺されるわけじゃなくなっただけで丁度良くなっただけと言えるかもしれない。

 歌わなくなった事に関してゴシップで色々言われるけど、雑誌のインタビューでは「白龍先生か工楽(くらく)先生じゃなきゃ新曲は歌いません」と書いてあった。

 ……あれ?いつも社長が言ってた偉い先生て工楽先生だったのか!大昔に一世を風靡したバンドのリーダーだった人で私も憧れてた人だ。数年前に突然引退して音沙汰無しになったって話だけど、社長こんな人と連絡取れたんだな。それに私の曲がこんなすごい人に編曲してもらってたなんて、なんだか申し訳ないな…

 この時、アルバムを出してから1年は経っていた。

 

 作曲をしない私は仕事もせずに部屋に引きこもる毎日。そうでなければ気が向いた時に風間プロの事務所に顔を出しては何もせず時間を潰してから部屋に帰ってくる。根本はそんな私を見ても特に何も言ってこない。日々季は気にしてくれているけど曲の催促をしてくるわけでもない。

 これからどうしようか。両親とは喧嘩別れをしてるから今更実家には戻りたくない。結局落ちぶれた私を見て「それ見たことか」と馬鹿にされるのも嫌だ。

 貯金を崩して生活するのもいつか限界は来る。

 ……仕事、探さなきゃな。

 私の部屋に履歴書なんてものは無い。アルバイト用でもいいから買ってこないとな。

 食い物も冷蔵庫から無くなる頃だったからそれも含めて買い物に出る事にした。

 どんな仕事が良いかな。とりあえず接客は私には向いてないだろうな。ファミレスの調理とかか?料理は出来なくはないけど殆どやらないしな。音楽だけしかやってなかった私には普通の仕事はどれもハードルが高く感じた。

 普通ってなんだろ。大学出てOLやる事か?いつだって反発してばかりの私だ、組織に縛られた生き方は出来ないだろうな。

 ここだってそうだ。スーパーマーケットで買い物をしながらお客さんや店員を眺めていて、そんな風に思ってばかりだ。

 自分が悪いわけでもないのに客に文句を言われて、それで頭を下げて。そんな生き方、私は(いや)だね。

 ……けど、そんな私の為に頭を下げてくれている人がいたわけだよな。アルバイトが失敗をして、それを店長とかが謝って。そんな風に根本にしたって社長にしたって、私がただ曲を書いているだけでしかない時に色んな人に頭を下げてくれていたんだろうな。

 気が付けば私も24歳だ。とっくに成人してるのにそんな自覚は全くない。

 結局、自立していないから誰かに依存して生きていたんだ。音楽にしたって日々季にしたって。

 今の私の手元には何も残ってない。自分を守る為に自分で全部手放した。だから私も空っぽの存在だ。何も出来ないのはきっと、空っぽだからだ。

 毎日を目的も無く過ごして、夢も無く生きて、そんなんじゃ大人の階段は登れない。私は大変だったかもしれないけどきっと苦労はしていない。大金を稼いでも全く成長できなかった私は中途半端な成功者だ。

 どれだけ考えても、大人の道なんて見えてこない。

 どれだけ歳を重ねても私は子供のままだった。

「ありがとうございましたー」

 気のない店員の挨拶を背にスーパーを出ようとしたとき、見慣れない張り紙がしてあった。

“明日は台風警戒の為お休みします”

 そういえばテレビでそんな事を言ってたな。猛烈な勢いの台風が来るから不要不急の外出は控えろって。

 でももう10月末で季節外れもいい所だ。こんなに遅れて台風が来るなんてどうなってんだか。

 まあ、部屋から出る気の無い私には関係ないか。

 ……いや、関係あるな。

 しようか。不要不急の外出を。

 その買い物をする為に、振り返ってもう一度店の中へと入った。


 翌日の天気は正に予報通りだった。

 朝の内は穏やかだったが、夕方に近づくにつれ雨は強くなり夜には大荒れだった。閉めた雨戸が雨風に揺さぶられてうるさい。

『各自治体からの発表では、不要不急の外出は控えるようにとの発表があり……』

 テレビにしても自治体にしてもうるさい。必要な事がある人はあるんだ。人の生活に関わるような仕事をしてる人たちは休むわけにはいかないだろうし、それこそ役所の人達はご苦労さんだ。

「私も出かける準備をしますかね」

 こんな暴風では傘は役に立たない。レインコートの用意はある。後は携帯電話と財布。

 さあ、探しに行こうか。座敷童を――


 雨と風で感覚が鈍い。冷たく強い雨が私の身体に叩きつける。音なんて聞こえやしない。

「どこだ……どこにいる……」

 私の声も聞こえているかわからない。

 その歌声は家を持たない。こんな天気の日はどうやり過ごしているかわからない。今までだって酷い天気の日はあった。けれども今日は格別だ。

「うわ、ゴミ箱飛んでる……」

 大き目のゴミ箱が空を舞っている。猛烈な風が色んなものを吹き飛ばしている。

 ガシャーンという音が近くで鳴って、そっちの方を向いたら割れた瓦があった。

「マジかよ……」

 あんなの当たったらただでは済まない。

 私は急いで歌声を探す。

 少なくとも私の部屋からそれ程離れていない範囲に住んでいるとは思った。だけど私が知っているのは声だけだ。顔も、髪形も、背丈も知らない。私はあの子の事を何も知らないんだ。

 でも一つだけ目印がある。いつか日々季に付き合ってもらって買ったシュシュだ。このシュシュはいつかこんな日が来た時に探し出すための目印にする為に送ったものだ。きっと付けてくれている。いや、付けていてくれ。

 そう祈りながら私は探した。あの子の歌声が良く聞こえる場所。歩道橋の下。トンネルの中。そして、鉄橋の下。

 どんな屋根の下も雨やゴミが吹き込んでいる。あまりの雨風の強さで屋根なんて意味を成さない。雨宿りの場所なんてどこにもない。

「どこだ!どこにいるんだよ!」

 私は叫ぶ。強すぎる雨風が私の声をかき消す。聞こえない。

 まだだ。まだ探していない場所がある。探した場所ももう一度探す。絶対に、絶対見つける。

 歩き回る内にレインコートなんて意味がなくなっていた。私の服は水浸しだ。でも、そんな事は気にならない。

 何度だって同じ場所を探す。屋根のある場所を探す。見つからなかったらどうしようなんて考えなかった。そして――

「見つけた……」

 見つけた場所は住宅地のはずれの鉄橋の下だった。

 沢山のびしょ濡れのタオルを纏って寝ていたその少女は私のあげたシュシュを付けていた。

 私がタオルを引っぺがしてみるとその子はボロボロのカバンを抱いていて、その中にはボロボロの服やタオル、その奥には小さめのCDラジカセと日々季のアルバムが入っていた。

 間違いない。この子だ。

 触れた手は冷たくなって震えていて、私は思わず抱きしめた。

「よく独りで頑張ったな……!」

 レインコートを脱ぎその子を背負って、その上からまたレインコートを羽織った。濡れないように背負うにはこれしかない。雨が強すぎて全然前なんか見えやしない。豪雨の中街灯を頼りに急いで自分の部屋まで走る。

 マンションのロビーに着くころにはレインコートは風で飛んでいって失くしていた。気にすることじゃない。あとは部屋まで行くだけだ。

「ん……」

 背中から女の子の声がした。

「起こしちゃったか?大丈夫だ。もうすぐ着くからな」

「うん……」

 私の身体に掴まろうと力を強める小さな手が、とても愛おしかった。

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