2-1よく分かる魔法講義(序)
一晩考えた。
正解はわからない。最初からどうしようもないのだ。なら、手段にこだわっている場合じゃない。
できることを全部やる。その上で、無理だとわかったら諦めればいい。
ミュディオンとミュディア様を救うためには、その可能性が低くてもやるしかない。
いや、
やってみせる。
「英雄を説得する?」
朝の料理中にウルシエラに切り出す。
調理中は普段のやたら露出の激しい服ではなく、家庭的で肌を覆う服に身を包んでいる。
「物理的に倒せないなら、もうそれしかないだろ。時間はかかるかもしれないけど、オルロットと行動を共にして、彼の考えを変える」
世界が英雄に味方するなら、英雄を味方にすればいい。それができれば予言の成就を止められるはずだ。
「んー。うん。なるほど」
スープの味見をして、ウルシエラは頷いた。
「それで?また運べばいいの?」
「いや、その前に会話術を教えてくれ。」
「会話術?」
「昔からこういう言い方すればいいとか教えてくれたし、淫魔は人とすぐに仲良くなるの、得意だろ?」
「まーね。ワンチャン初対面とかざらだし?むしろザル?おサル?」
「そう言う能力を教えてくれ。」
「うーん、でもなー。」
「ウルシエラ。どうにか英雄を止めたいんだ。力を貸してほしい。」
んーとあごに手を当て、ウルシエラは料理の火を止める。それからこちらを向いた。
「繰り返すけど、ゾダンだったら止められるはずだよ?わからない?」
止められなかったじゃないか、と言おうとして、止められた。口に細い指先が触れる。
「できないとか言わないの。まあそれでうまく転がるかどうかは私は知らないけどさ」
指が離れる。どう答えればいいか迷っていると、ウルシエラがため息をついた。
「まあ、いっか。教えたげる。このウルシエラさんに任せなさい。」
左右の腰に手を置いて胸を張る。それからびっと人差し指を立てた。
「題してー、」
ぼん、とウルシエラが爆発した。
でかでかでかでかでん!と謎のドラムロールが聞こえる。
煙から出てきたのはメガネをかけ支持棒を持った教師風のウルシエラだった。
「今日からできる!淫魔式・どんな鈍感男でも恋に落とす魔法!」
ぱっぱかぱー!とどこからか謎のラッパ音が吹いた。
どんな魔法なんだよこの演出は。
「まずどうすればよいのだですかウルシエラ先生!」
「落ち着きなさいミュディアくん!がっつきすぎると嫌われるぞ!」
「どっから沸いて出たんですかミュディア様。」
「ふっ。わらわの耳は魔王城内のどんなささいな音も逃さぬ。こうして駆けつけるのは当然のことよ!」
「ミュディアには後で教えるから帰ってね。」
「なんだとー!?わらわを省く気か!?まおー差別か!?」
「後で女子用のもっとすごいの教えるから、初心者男子用のレクチャーは遠慮してねー。」
「そういうことならやぶさかではない。」
ぼん、と爆発し、ウルシエラが元の姿に戻る。
よし、まずはご飯食べてからにしよう。さっ食堂行っくよー!
食事の後で、郊外にある平野へ空中輸送された。
ミュディア様に聞かれない距離まで移動する必要があったらしい。
「そんじゃー青空アピール教室、はっじまるよー!」
魔法で現れたよくわからない板を前に、ウルシエラ先生が何かを書き始める。
『まず目で殺す。後は誘えばおっけー』
ほんとにただのアピール術だった。二行で終わるのはいかがなものか。
「最終的にはこれだね。ここまで成長してもらう。いい?」
「いやアピールして付き合う方法を聞きたいわけじゃないんだけど」
「なっなんだって!?」
がーん、と大げさなリアクションをする。
「淫魔にそれ以外の何を聞くというのか!?」
「うまい会話のやり方だよ」
「会話のうまい下手なんか言ってすぐにわかるようなもんでもないよ。」
「そりゃそうだ。」
「まあ、波長を合わせるって事かな。オルフィンの亡霊は国を失って落ちた心のまま、魔族への復讐心に染まってるはず。その気持ちを量らないと、まともな説得は難しいと思うよ。」
「やっぱりウルシエラでも無理なのか?」
「まーねぇ。気をそらすくらいが限界じゃないかな。落ち込んでるだけの状態ならもう、それはそれはいろんな手段があるんだけど」
ぐふふ、といやらしい笑みを浮かべるウルシエラに聞いてみる。
「強い芯を持った人間に、声を伝えるにはどうしたらいい?」
「冷静な判断ができる状態なら、事実の説明だね。まあ、オルフィンに連れて行くことかな。アレは、――――うん。見たほうが早いし。」
なるほど、と頷く。
「他には?」
「好きになってもらうのが一番だね。好きな相手の話は聞きやすいもんだよ。どんな生き物もそう。」
「確かに。でも、どうやったら好きになってもらえるかな。」
オルフィンを出てからほとんど魔族としか交流していない。人間としっかり絆を築けるのか、少し不安だった。
「かんたんかんたん。興味持たせる・驚かせる・楽しませる。恋愛感情なんて中身はたった三つだよ。」
カカカカッとボードに書き込みながら、もう片方の手で順に一本ずつ指を立て、三本たった指を横に揺らす。
それからぐっと握って力説した。
「後は――――魅力!」
魅力の文字が書き込まれ、ぼん、と再びウルシエラが爆発する。
中から出てきたのはやたら胸元の強調された、しかしボトムスは清楚な印象の衣装に身を包んだ、美しい女性だった。
もちろん中身はウルシエラなのだけど、見た目が変わるだけでもだいぶ違う。
「服装、化粧、体系、そして何より、それらを超えてあふれ出す魅力が人の心をぐっと掴むのだ!」
無茶なことを言う。
「そんな突然魅力が高まったら苦労しないよ。それこそ、魔法でも使わないと」
ぼん、と元の格好に戻り、ウルシエラが中空に浮かぶ。
「うーん、魔法。魔法か。」
器用に尻尾を上に伸ばし、飛んだまま足を掴んであぐらをかくと、ウルシエラがこちらに向かって首をかしげた。
「ゾダンはさあ、魔法って何だと思う?」
「そりゃ、何もないところから火を起こしたりするものだろ?」
宮廷魔術師たちが初歩として教えるものは火を扱う魔術だ。だから真っ先にイメージするのはそういったものになる。
「それ、魔法なんて呼ぶようなことかな?」
「へ?」
「例えばさあ、人間は枯れ枝を集めて火を起こせるじゃん。それを魔法と呼ばないのはなぜ?」
「ええと、それはだって、不思議なことじゃない、から?」
「でもさでもさ、魔法って私たち魔族にとっては不思議なことじゃないんだよ。なのになんで魔法って呼ぶの?」
考えたこともなかった。
「うーん。魔力を用いているかどうかが違うってことかな。」
「そういうのならわかる。でもさ、魔力ってほんと、何にでもあるんだよ?」
ウルシエラは両手を開いて胸の辺りに持ってくる。それから腕を組んだ。
「土にも、水にも、火にも、風にも、ほんとになんでも。あらゆるものはこの魔力で動いている。」
「そうなの?」
「そうだよ。だってそうじゃないと生きていられないもの。生命の本体は魔力なんだよ?」
ふよふよと上下に飛びながら、人差し指を立ててウルシエラが力説する。
「だから、枯れ枝が燃えるのも、言ってしまえば私の感覚では魔法の一部なわけ。なのになんで人間は、私たちの技術を魔法なんて呼ぶのかな。」
「人間にとってそれは特別なものなんだよ。」
「そうかなあ。」
たん、と地上に降り立つと、ウルシエラは両手を広げた。
「私は魔法って、特別な何かじゃあないと思う。」
そしてくるくると回りだす。
「大地が木々を支えるのと、水が木々を潤すのと、火が木々を燃やすのと、風が木々を揺らすのと、何にも変わらない、世界を形作る事実。」
こちらを向いて動きを止めると、ウルシエラは左ひじを右手で押さえ、人差し指を立てた。
「魔法はね、魔族として生まれたものにとっては、ただのなんてことない当たり前の法則なんだよ。」
立てた指が突然こちらに向けられる。
「得体の知れない法則に『魔』法なんて名づけて自分たちの理解できる法則以外は認めないなんてのは、人間たちの悪い癖だと思うなー。」
そもそも魔王領でははるかな昔、魔法という分類はなかったらしい。
聞くところによると、昔、人間たちが魔族の扱うものを見て、魔法という名称を用いた。それに魔族も習ったんだそうだ。
「人間が勝手にそう結論付けてしまっただけで、魔法なんて、誰にでも扱える法則でしかないのにね。」
「でも、魔法が使えない人間もいるよ?」
「確かに使えないやつもいるし、相性もあるけど。寒いとこが好きな人がいれば、暑い場所のほうがマシって人もいる。低音で死ぬ動物も、高温に耐えられない生き物も。そういうもんでしょ?何も変わらないよ。」
なんとなく納得する。魔族にとっての魔法は、人間とは捉え方がまったく違うのだろう。
「だから、魔法を拒もうとする人間は理解できない。あるんだから使わないと損じゃん?戦場で武器を選り好みする戦士なんてこの世のどこにもいないでしょ?」
確かにそうだ。できるならどんどん使ったほうがいい。
「という訳で、この際、魅了強化の魔術を覚えてもらうよ。これで誰でも異性に大人気だー!」
「いや、そういうのはちょっと。」
「ええー!?玉突いてないのかよ!?淫魔のおねーさんが魅力的すぎてやばくなる魔法を教えてやろーと言うんだぞ!?」
本当にやばい結果になる未来しか見えないのはなぜなのか。
一応、僕にだって性欲はあるし性愛もある。
でもそれはまあ、おいといて。
「残念だけど、僕には無理だよ。」
「何言ってんのよ。ゾダン以外にはできないに決まってるでしょ。それに、ミュディアの期待を裏切る気?」
そうはしたくないけどしょうがない。なにより、女性の気持ちとかよくわからないし。それはもう、本気で。ミュディア様とかほんとわけわからないし。
「そっちの方向で篭絡するなら男淫魔にやらせてよ。」
「それは無理だってば。いい?ルチャスの予言は必ず実行されるの。魔族が撃つ全ての策は英雄によって打ち砕かれる。だから、あんたしかいないの。私が人間を操ってもだめ。」
ばばーん、とウルシエラが謎の効果音を発した。
「あんたの意思が、世界を救うのよ。」
「わかったよ。でも、僕、魔法が使えないみたいなんだ。」
「は?」
「才能がないみたい。だからどんな魔法を教えられても生かせない。」
「へ?そう?そんなわけないと思うけど。」
「昔教えてもらったことがあったけどさっぱりわかんなかったよ。」
こちらの世界では魔法が一般的に認知されていて、習うこともできる。魔王領にもいくつか魔法屋があり、教えを請うことができた。
けれど成功したためしがない。そういう人間も、一定数いる。
「うそー。そんなはずないー」
ぐい、とウルシエラが顔を寄せる。
「何?」
「ちょっと脱いで」
硬直する。何を言っているんだこのエロスの塊は。
「いや、意味がわからないけど」
「触診する。場合によっては契約するよ。」
そう言うとウルシエラは僕の服を瞬時に脱がせた。
「触診?契約?」
気づいたら上半身裸だ。あまりの早業になんの反応もできず、遅れて恥ずかしさが襲い掛かってきた。
「ひゃあああ!?何すんのさ!?」
「いーからいーから、おねーさんに任せなさい。」
そう言うと胸に手を置いた。ちょうど心臓のある位置だ。
「我、盟約により本質を繋ぎ合わせん《ア・フラシャヤ・ヴールメルド・グザインクス》」
何事かを唱えると、ウルシエラの細い指先が触れた胸に感触がなくなる。
見下ろして驚愕した。
ぞぶり、と僕の体内に沈み込む手が見えたのだ。
「ちょっ!?えっ!?だいじょうぶなのこれ!?」
慌てるこちらに笑顔でウルシエラが答える。
「だいじょ―ぶだって。これでもあたしは淫魔の中の淫魔、契約者数淫魔No.1、一緒に堕落したい魔族一位の淫将ウルシエラさんだぞ☆」
まったく大丈夫そうじゃない歌い文句を言いながらウルシエラは腕を伸ばし、二の腕の中腹までが体内に沈み込んだ。
感覚こそないが気味が悪い。
ふと、ウルシエラの表情が止まった。
「――――え?」
笑顔が消え、驚いたように真剣な表情になる。
「魔心が、燃えていない?」
「え、おい、どうしたの?」
こちらの声には答えず、
「なにこれ?……こんな生命は存在しない。少なくともこの世には。」
ぎゅ、とウルシエラが心臓を握りこんだ。
痛い。
心臓を直に掴まれている感覚。ほんのわずかにでも動けば自分が死ぬことに気づき、背筋を恐怖が襲う。
「ウルシ、エラ……い、た、い……」
彼女の視線はこちらではなく、胸の奥に注がれている。
魔力を発しているのか金色の目がぎらぎらと輝いた。
初めて目の前の淫魔に恐怖を覚えた。彼女はこちらの声など聞いてもいない。
ただわずかに心臓を握り、脈動を操るように強弱を変える。
「ご……ふ……っう、る、しえら……」
「黙れ。死にたいのか、人間。」
普段の調子からは考えられないような冷たい声。
死にたくない、と答えようとして、反射的に止めた。今何かを口に出せば本当に死ぬような気がした。
『――――魔心に血が通っていない?だとしたら死んでいる?なぜ?レモェなら何か――――いや、今どうにかしないと、命に、――――』
ふと、不思議なことにウルシエラの切羽詰った声が響いた。彼女は口を開いていないのに。その額を走る汗が朦朧とした意識の中に妙に印象づいた。
一筋の光が胸からほとばしり、心音が大きくなった。
やがて輝きが収まり、ウルシエラが腕を抜き取る。
心臓が抜き取られるのではないかと思ったが、そういったことはなかったようだ。もう痛みも苦しみもない。
「っぶねー!らくしょー!さすがウルシエラさんじゃねー?」
ウルシエラが額の汗をぬぐい、いつもの調子で騒がしくなる。
「マジ焦ったー!初めて見たよ、魔心剥離。いくら私でも、初見は焦るって」
「こっちも死ぬかと思ったよ。いったい、どうしたんだ?」
「魔心、……えっと、心臓の魔術領域へのアクセス経路、魂?みたいなもんが止まってたんだよ。こんな状態でいたら三日と持たないって」
「?????なに?どういうこと?」
「うーん、わかんないか。」
ふー、と
「さっき言ったように、生命の本体は魔力なんだよ。――――そこに繋がる道が、寸断されてた。」
「これじゃ魔法なんか使えるはずがないよ。魔力に繋がっていなかったんだから。でも、これで使えるようになると思う。」
「えっ、と――――じゃあ、」
困惑する。ウルシエラの説明を振り返って、そんなはずはないと思った。
しかしウルシエラはこちらの言葉を、いつからできるか聞いたのだと考えたようだった。
「でもすぐには無理かな。2、3日様子を見るよ。今日はもう休んだほうがいいと思う。」
聞きたいことはたくさんあった。
しかし、今は、心配そうなウルシエラに頷いておくことにする。こちらに害を与える気なら、僕はとっくに死んでいるはずだった。
「わかった。じゃあいったん休むよ。」
なんにせよ、魔法が使えるなら助かる。武器はひとつでも多いほうがいい。倒すべき相手は強すぎるからだ。
領内へ戻り、謁見の間にいるミュディア様へ報告にあがる。
「ゾダンか。方針は決まったようだな。」
「はい。」
「英雄を説得する、と言っていたな。すまない、聞こえてしまった。」
「ええ。そのつもりです。」
「できるのか?英雄の故郷は、魔族に、いや、――――わらわに、滅ぼされたのだぞ。」
「やってみせます。少し、いえ、かなり時間がかかるかもしれませんが。」
ミュディア様は目を閉じ、瞑想するように沈黙した。
「――――」
そう簡単にオルロットの意思を曲げられるとは思えない。
行軍が続けば、隠れ住んでいる各地の魔族にも被害が出るだろうし、場合によっては大きく迎撃に出ることもあるだろう。
最悪の場合、王都にも被害が出るかもしれない。いや、ミュディア様が危惧したように全滅する可能性さえある。
しかし、開かれた目は穏やかだった。
「やってみよ。」
「よろしい、のですか?」
「答えは決まっている。最初からな。」
す、と立ち上がると、ミュディア様はまっすぐにこちらを見下ろした。
「わらわは、そなたに賭ける。」
自信に満ちた顔で、ミュディア様は微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「安心しろ、フェアな賭けでわらわは負けた事がない。」
強がりだ。
神々に操作された運命の賭け事に、それは通用しない。
けれどミュディア様は僕に賭けると言ってくれた。
なら、応えるだけだ。
「はい、必ず賭けに勝たせます。」
「ふふ、よく言った。――――任せたぞ、わらわの騎士よ。」