1-7誓いの日
ウルシエラと接触して魔王城へ帰還する。謁見の間に一人で行くように言われ、ウルシエラと別れた。言われたとおり謁見の間に向かう。
報告を終えるとミュディア様は嘆息した。
「失敗したか。手柄の横取りすらできんとはな。」
「すみません、僕のミスです。頭目さえしっかり倒せていれば」
「いや、それはどうであろうな。やつが真の英雄であれば、そなたがどう行動しようが、拝命式は行われたであろう。」
苦々しい顔でミュディア様が続ける。
「信じがたいことだが、やはりそうか。」
「やはり?」
「英雄は不正攻略のような存在だ。父様、……先王ミュダーザも英雄オルシャと相対したとき、オルシャに都合のよいことがいくつも起き、ありえない奇跡をいくつも見たと聞いている。世界は英雄に味方するのだ。」
「世界が味方する、ですか」
「そうだ。他の予言には英雄の元には一人一人仲間が集うとあった。しかしゾダンが見たように、その仲間らしきものは危機に面識のない英雄に手助けした。まるでそれが最初から定められていたかのように。そうだな?」
仲間の出現も予言されていたのか。確かに、あれはこちらの勝利を妨害したようにしか見えなかった。
「真の英雄というものには人々が、あるいは運命が、世界が味方する。どんな障害もなんてことはなくなってしまう。そういうものなのだ。そのことは予言にも記されている。」
本当にでたらめだ。一体どうやったら止められるんだ、そんなの。
「どう致しましょうか。」
「――――わらわに考えがある。そなたはもうよい、下がれ。」
その顔はどこか寂しそうに見えた。
久しぶりに魔王城の自室に横になる。
きっと今日も夢は覚めないのだろう。
近代の生活から離れてまだ数日だというのに、現実世界の記憶が日増しに薄れていく。
いや、あちらが夢だったのならそれは当然だ。
それ自体には不思議と悲しみも失望もない。
ただ、少し残念に思う。
突然途切れてしまう夢ならば、僕はもう少しできることがあったんじゃないか?
僕は明日も同じ日が来ると思っていた。
そんなことは誰も、保障してくれていなかったのに。
だからこの世界では、せめて今日できることをするんだ。
それは、魔族が、いや、僕によくしてくれた人達が、黙って滅ぶのを見過ごすことじゃない。
改めてそう考え、眠りについた。
ああ、あの夢だ。悪夢。思い出したくない悪夢の中だ。その中に僕はいる。
火の海も、凍てつく氷も、狂った鬼も、笑う悪魔も、泣き叫ぶ声も、おびただしい数の死体も、きっと地獄にあるものなら何でもあった。
だからここは地獄だ。
地獄で人は生きられない。
なぜ、僕は歩いていたのだろう。
この地獄から逃れるためではなかった。
なぜならその地獄は優しかった。僕が知っている地獄よりも、よほど。
ようやく悪夢が終わるのだと喜びこそすれ、逃げようとなど思うはずがない。
それでも歩き続けたのは何のためか。
燃え盛る海の中央にある広場で僕は彼女に出会った。
「――――、子供か。」
きっと、探していたのだ。
僕の罪を裁いてくれる誰かを。
「わらわが憎いか?」
彼女は冷徹な顔をしながら、そう聞いた。
憎しみは無いといえば嘘になる。彼女が来なければ多くの人が死ななかった。
「いえ、」
けれど、その冷徹の顔は彼女にふさわしくなかった。
無理をしてそんな顔をしているのだと思った。
僕が見てきた人たちのように。
「この国は、滅ぶべきでした。だから、あなたは悪くない。」
こちらの返答に虚を突かれたのだろう。
その後のやり取りの間、彼女は冷徹な顔を崩した。
名前のこと、身の回りのこと、少しの間会話をして、最後には彼女はこう告げた。
「――――ゾダン、そなたに罰を与える。」
死ぬことを覚悟していた。
そうなることが当然だと思った。オルフィンはそれだけのことをしていたと知っていたから。
あるいは死ぬことで開放されたかったのかもしれない。この悪夢から。
けれど彼女が告げた罰はあまりにも重く、そして正しかった。
「わらわの奴隷として生きよ。」
そうして、僕は魔王―――ミュディア様と出会い、ようやく悪夢は終わった。
久しぶりに夢を見た。いや、何度も見ていたような気もする。
忘れもしない、ミュディア様の奴隷になった日の夢だ。
「ゾダン、いるか?」
寝汗を拭き、朝の支度と食事を終え、鍛錬に向かおうかと考えていたところで、ミュディア様が来た。
「はい。どうしました?」
「あー、」
ミュディアさまは腕を組み目を逸らすと、とんとんと指で組んだ腕をたたいた。
「その、だな。えっと」
ちらちらとこちらへ視線を向けてくる。
「?どうしたんです?」
「わらわは少し暇している。」
「?そうですか」
静寂が訪れた。ミュディア様はなんか言いたそうにこっちを見ている。
少し考え、ようやくその結論に至った。
「暇ならどこか行きませんか?」
ミュディア様はぱあ、と喜んだ顔をした後、咳払いをひとつした。
「わらわは魔王だからなー。そう簡単に町に降りるわけにはいかん」
「ええと、いろいろ回ろうと思うのですが、人間が一人で歩くと危険かもしれないので、ついてきていただけませんか?」
われながらちょっと苦しい。いつも一人で買出しに出てるし。
しかしまおーさまは納得してくれたようだった。
「そういうことなら仕方ないな。うん、仕方ない」
ぱん、と手を合わせると、ミュディアさまは笑顔で言った。
「準備が終わったら城門の外で待ち合わせるぞ。よいな。早くだぞ。」
軽やかな足取りで部屋を出て行くまおー様であった。
前にウルシエラと買った服を着て城門へ向かう。
「遅いではないか。」
不機嫌ぶってミュディア様が口を尖らせた。
普段の強そうな衣装とは違って、ちょっと抑え目で清楚風味な衣装に身を包んでいる。すらりとした体躯によく似合っていた。
「すみません、ちょっと行き先をまとめていて。」
「そうか。まあ別に怒ってはないからな。ちょっとやってみたかっただけだ」
ふふっと息を漏らして笑いながら、ミュディア様が歩き出す。長い髪が風に揺れ、その横顔にしばし見とれた。
「?早く来い。時間は短いぞ」
「はい」
「そうだ。今日は特別に敬語を使わないことを許す。いつもゾダンはわらわには敬語だからな」
「いいんですか?」
無意識に敬意を払うと、ミュディア様は眉間にしわを寄せて怒った。
「やはり許さん。禁止する。敬語は禁止だ。よいな?」
「わかりま……わかったよ」
「それでよい」
満面の笑みでミュディア様がうなずく。
「それで、今日はどこに行く?」
「食材の仕入れと、あとできたら服飾も見に行きたい。いい?」
今後も人間領内に行くなら変えの服が何着か必要だった。洗って使いまわすにしても見ておいたほうがいい。
「よい。昼食は町で取ろう。では服から見に行くか。」
淫魔の営む服飾店は魔族たちで賑わっていた。
「そうだ。わらわが選んでやろう。」
我が主はそんなことを言い出した。とめるべきか迷ったが、やばくなったらそうしようと思い留まる。
「これはどうだ?」
思ったより地味な服を持ってきた。まあ悪くないかもしれない。自分だったら選ばないけど、たまにはそういう服もいいだろう。
「よさそう。これにしようかな」
「待て、他にも持ってくる。」
何着か持ってきて悩んでいたが、最終的には最初の一着を選んだ。センスがだんだんひどくなっていったからだ。
「わらわは最後のも良いと思うのだが、まあそれもいいか」
最後のはない。なんか派手な絵の具を塗りたくったような服だった。
他にも何着か自分で選び、人間領でも問題なさそうな服装を整える。
「ミュディア様は買わないの?」
「服か。いつもはウルシエラに選んでもらっておる。どうもわらわのセンスはなってないそうだ。」
確かにちょっとズレている気がする。
「でも、一着くらい自分で選んでみたら?」
「そうか?では少し時間をくれ。」
少しして、十数着の服を持ってきた。ちょっと多くないか?
「着るからちょっと見てくれないか?」
「はい。」
試着室の前で待つ。着替えるたびミュディア様がコメントを求めた。
「少し地味だな。ゾダンもそう思うよな?」
「しかしスカートがひらひらすぎるなこれは」
「胸がきついぞ。もう少し上のサイズはないのか」
「少し露出しすぎか?どう思う?」
「動きやすくはあるな。悪くない」
そんな感じで次々に着替え、たっぷり時間がかかった。
さんざん試着したうちの一着を買うことにしたようだ。
あまり僕のコメントは役に立っていなかった気がした。
けれど決まった服は似合ってると褒めたものだったから少しは付き合った意味があったかもしれない。
「ふふ、わらわが選んで服を買うのは久しぶりだ。」
心が弾んでいるのが見て取れた。嬉しい限りだ。
「昼食時だな。魔王のメイド亭へ行くか?」
「うん。行こう。」
「いらっしゃいませー。」
店内に入るとメイド服姿の魔族が席に案内してくれた。
昔の店員が魔王城に勤めていたころの名残らしい。宮廷の料理番から受け継がれた料理の味と本物の魔王のメイドが伝えた接客は確かだ。
客の入りもよく、店内は楽しげな声であふれていた。
席についてメニューに目を通す。
「サンドイッチはいかがですかー?」
「じゃあそれをもらおうかな。」
「わらわはチーズサンドとケーキを頼む。」
「お飲み物はどうなさいますかー?カップル用のグラスも用意できますがー。」
ミュディア様はちら、とこちらを見た。それから咳払いをする。
「そういう関係ではない。」
「普通のでお願いします。」
「むー。わらわも普通のでよい」
飲み物の注文を終え、待っていると見知った顔が店内に入ってきた。
「お、ゾダンじゃねえか。よう」
長いこと町に出ているうちに顔見知りは増えた。そのうちの一人に挨拶される。
数人で食事に来たらしい。挨拶を返す。
「やあ、ロッド。食事か?」
「おう。今日はこれから淫魔のところへ遊びに行くからよ、精をつけねえとな。どうだお前もたまに。」
「遠慮しとくよ。連れもいるし」
見ればミュディア様がものすごいジト目でロッドをにらんでいた。そのことに気づいてか気づかないでか、ロッドが耳打ちしてくる。
「おい、ゾダン。誰だよこのミュディア様に似たいい女は」
「ミュディア様だよ。」
「なんだ、ミュディア様かー。」
ほっと一息ついた後で、ずざざっ魔族たちは引き下がった。
「ミュミュミュミュ、ミュディアさまー!?」
「その方ら、いつも淫魔の遊び場に入り浸っておるのか?」
淫魔の遊び場というのは男女の遊び場だ。淫魔に骨抜きにされるのが大好きな物好きな男たちがよく向かっている。
「いや、そんなことは。週に何度かって程度で。へえ」
「そのたびにゾダンを誘っておるのか?」
「い、いや違う、違うんだ魔王様、俺はこいつに男の道を教えてやろうと」
ピク、とミュディア様のこめかみが歪む。
「淫魔にうつつを抜かす男の道などどこにもないわー!」
そして怒鳴った。あまりの怒りに般若のように見えた。
「ひいいいいいい!」
力に満ちた魔族たちは逃げ出した。その途端、矛先がこっちに向く。
「そなた、そういうところに行っているのではないだろうな。」
「行ってたら魔王城に戻れませんよ。夜は閉まってますから。」
「ならばよい。だめだぞ。」
口を尖らせるミュディア様にうなずく。そこで食事がきた。
「ミュディア様ー、着て頂けたのはあり難いのですがー、他のお客様のご迷惑になりますので店内ではできれば静かにお願いしますー。」
「む、すまん。」
メイドに叱られる珍しい王様の図だった。
ちょっとしょんぼりしたミュディア様に食事を促す。
「食べましょうか」
祈りを捧げ、口をつける。
「うむ、これはうまいな。」
「外で食べるのは久しぶりじゃない?」
「そうだな。わらわ普段魔王城から出んし。出ても外で食事は取らん。携帯食を準備するほうが安上がりだしな」
なお準備するのは僕かウルシエラである。
「そう言えばなんであまり出ないの?何か魔王城の維持に必要とか?」
いつも暇そうにしているのに外に出ないのは気になった。
「しょんなことはないぞ。」
もぐもぐしながらまおー様が言う。
「わらわがいつも町に出てぐうたらしているところを領民に見せたら士気が下がるであろう」
そういうものか?
まあでも行政が完全にミュディア様抜きで回っているから、そこに来られても困るかもしれない。現にメイドたちはちょっと困ったし。
「でも、服屋は喜んでましたよ?」
「そうだな。もう少し視察に来ても良かったかも知れん。わらわも服を見るのは楽しいし。」
ケーキに手をつけながら、ミュディア様はうんうんとうなずいた。
「おいしいものを食べに来るのも好きだ。」
それは本来、城内で得られるはずのものだ。普通の城主であればお抱え料理人に豪華な食事を作らせて贅沢している。
でも魔王城ではそこらへんの魔族と大して変わらないものを食べていた。逆に町で食べないなら食事としては質素かもしれない。
「今後はもっと町に出たら?」
「……そうだな。考えておこう。」
そのためにも英雄をどうにかしないと。
大通りに出る。自然豊かな大通りはたくさんの魔族が行きかっており、そこらじゅうで楽しげな音楽が流れていた。
妖精たちが小さな楽器を奏で、精霊たちが思い思いの歌を歌っている。
樹木には樹精が寄り添い、ゴブリンたちが右へ左へ踊りまくっていた。
道を行く人々の顔に暗い色は無く、隣を行く仲間と笑いあっている。
虐げられた人間もいなければ、他者を理由無く攻撃する輩もいない。
これが魔族の都だ。悪魔の都、荒廃した地獄と人間たちに歌われたミュディオン。その真の姿だった。
ミュディア様は何かを考えているように、立ち止まり人々を見つめていた。
その横でまた歩き出すのを待っていると、ふと、声をかけられる。
「おう、小僧か。」
「ゴライグ。やあ。」
大柄でごつごつした体躯の魔族、オーガだ。
僕が魔王城に来てからの知り合いで、魔王城に農作物を安く納入してくれている。
「いっちょう揉んでやるぜ。きな。」
ゴライグは通りから外れると、くいくい、と指で挑発してきた。
ミュディア様を見ると、興味深々で見守っている。
仕方ない。
ゴライグに向かって駆け出す。
体格に差がある相手と戦うときは、まず懐にもぐりこむことだ。
大振りのパンチをかわし、相手の力に逆らわず投げ飛ばす。巨体が宙を舞った。
「大丈夫か?」
「ちっ。もうかなわなくなっちまったな。がははは。」
草に寝転んだゴライグは、差し出した僕の手をつかんで起き上がった。
「お前がここに来たときはこんなちっこくてよわっちいやつだったのにな。がはははは。」
人差し指と親指で小ささを示してくる。
「そんなちっこくはなかったよ。」
「そうか?ま、魔王軍最高戦力と訓練してるんだ。強くならねえほうがおかしいわな、がははは。」
「ゴライグも一緒にする?」
「あー遠慮するわ。まあ俺も今は農夫だ。戦士としては引退みたいなもんだからな!がははは!」
ミュディオンではさまざまな魔族が協力して事業に従事していた。
巨人族が畑を耕し、魔人族が野菜の種や苗を植える。果樹園では妖精が実をもぎ、力のあるものが運ぶ。
力のある魔族は農業や採掘などでは人間をはるかに超えた効率を上げることができる。
それまでばらばらに暮らし、好きなように生きていた魔族はミュディア様の指揮の下、体制の改善に尽力した。
魔力を帯びた土地の野菜は豊作になり、石だらけで荒れた平原には麦畑が並んだ。
そうしてようやく誰かを襲わなくても十分に足りるようになってきた。
獣人種が牛や豚たちを平原で飼いならし、子孫を残させた後、感謝しておいしく頂く。鳥類の卵と肉も安定して得られるようになった。もちろん必要な分だけだ。
水産と農業を産業として魔人種は行商に出ている。
淫魔を初めとする魔族は交易でできたお金で布類などを買い揃え、服を作っている。
今では淫魔が創始した魔界産のラブ&ダブルピースブランドは人間界でもかなり人気があり、王都テルミニアで店を構えるほどになった。オーダーメイドの注文もある。
他にも細工したり、人間が行える産業は大体やっていた。まあまだそういった文化に慣れていないし、まだまだなところはあるけれど。
大通りを行きかう魔族たちはそんな様々な仕事に就いた人々だった。
「じゃあ、ここで失礼するぞ、ミュディア様にもよく言っておいてくれ」
ゴライグと別れ、ミュディア様と合流する。
「もういいんですか?」
「ああ。行こう。」
二人並んで歩き出した。
ミュディオンにはあまり娯楽施設がない。
力の余った魔族は決闘してみたり、さっき見たように通りで集まって歌って踊っている。
唯一の娯楽施設といえば、走破場だ。
同一種族や別種の魔族がトラックを一蹴する速度を競う。
人間で言えば競技場で、登録すれば誰でも参加できる。健全な場所なのだが、競い合う以上どうしても賭け事につながりやすい。
「さー張った張った!次のレースは3-6が堅いよー!」
こういう輩が賭け事の胴元をやっていることも多い。
テルミニアで聞いたうまい話には賭け事もあったが、どうやら人間領では禁止されていないらしかった。
一応、魔王領では賭博を禁止している。
「おっゾダンじゃねえか。こっちにくるのは珍しいな。」
「ちょっとね」
「お前も一口乗れよ。おっそこの美人さんも、一口のらねえか?」
「また闇賭博をやっておるのか。」
「ゲゲーッ!ミュディアさまー!?なぜここにー!?」
「後で摘発するからな。反省書を書いて置けよ。まったく、何度逮捕してもなくならん。」
「へ、へえ。反省しました。もうしません」
「いや、やってもらう。わらわも参加するぞ。よいな?」
「へ!?いや、それだけはご勘弁を」
「だめだ。それとも今すぐここで灰燼と帰すか?わらわはどちらでもよいぞ?」
「わ、わかりました。命には変えられねえ。」
レースの出走者と過去の戦績のメモが渡される。これを見て予想するらしい。
「ゾダンはどれだと思う?」
「勝率とコンディションから見ても3-6辺りがいいのかな?オススメもされてたし。」
「いや、3-6は走者を見た限りありえぬ。競争賭博は感情と能力とコンディションだ。更に外的要因、要するに八百長もある。筋肉の老化状態や疲弊度、空気の状態との相性なども読まなければな。一番は未来を読むのだ。」
饒舌に語るミュディア様の目はらんらんと輝いていた。
あらゆることがぽんこつなミュディア様にも得意なことがある。
それが賭博だ。
この魔王様は洞察力と判断力が異常発達している。数キロ離れた先に見える魔族が風邪気味かどうかを判断できる。それどころか未来予知じみたことまで可能だった。
前に魔王城の財産を何倍にもして帰ってきたことがあった。そのときに楽しそうに語っていた。
「じゃあ同じのに賭けようかな。ミュディア様はどのくらい賭ける気なの?」
「全財産を賭ける。」
「ええっ!?ちょっいいの!?」
「わらわを信じろ。わらわは魔王だぞ?」
普段のぽんこつ加減を知っているとあまり信頼できない。しかし胴元は明らかにびびっていた。
「ぜ、全財産、ですか?」
「魔族の総資産にはほど遠いが、お前にとって決して少ない額ではあるまい。」
「わ、わかりやした。おい」
胴元が何かしようとした瞬間、ミュディア様が呪文を唱えた。
「――――」
パキィイン、と高い音が響いた。何らかの魔法障壁が生まれ、レース場と外部とのやり取りが遮断される。
「当然、賭けた後の指示はご法度だぞ?」
胴元が冷や汗を垂らす。大方、3-6に無理やり勝たせる指示を出す気だったのだろう。
「魔、魔王様、どうか手加減を、どうか」
「4-7、これに全掛けだ。」
胴元はがたがたと震えだした。魔王の全財産一点掛けだ。当たれば配当金はとんでもない額になる。
「なに、わらわが勝つとは決まっていない。外れるよう、神にでも祈れ?」
魔王様は悪魔的な笑みを浮かべたのだった。
レースが始まり、3と6の目印をつけた魔族が先行する。4と7は後方から機会を伺う形になった。
カーブを曲がっていくうちに、それらの距離は近づいていき、最終コーナーでは3、4、7の順で並んだ。
「いけー!刺せ、刺さぬか!刺さねば国が倒れるのだぞ!魔族の雄姿を貴様が見せるのだ!」
最後の直線で4と7が猛然と追い上げてくる。
十分に距離を稼いで1、2着についた。そのままゴールラインを超える。
見事4-7が的中した。
「やったー!わらわの勝利だ!次はこれを全掛けだ!」
「も、もうねえよ!許してくれ!あんたフェアな賭けで外したことねえじゃねえかよ!」
「だめだ。どうせ荒稼ぎして魔族の財産を独占しておるのだろうが。今日は骨の髄までしゃぶらせてもらう。」
「や、やめてくれー!俺はこのさき七代遊んで暮らしたいだけなんだ!」
「こやつらの財産を根絶やしにするぞゾダン!」
ノリノリだった。めっちゃ楽しそうである。
「うん、やっちゃおう」
乗っておく。機嫌を更に良くしたミュディア様は、ばっと手を広げると、周囲全ての観客に向かって宣言した。
「魔王特権でこのときだけ賭け事を許可する!皆わらわに全賭けせよ!残りの全レースはわらわが乗っ取った!喜べ!貴様たちの負け分は後日再分配する!悪は滅びみんな豊かになる!皆で勝利し祝杯を挙げようではないか!
うおおおおー、ミュディアさまサイコー!と会場中が歓声を上げる。
「破産しちまう!勘弁してくれー!」
胴元が絶叫した。予言してもいい。彼は破産する。
悪が滅びる頃には町は夕焼けに染まっていた。正義のまおー様はもちろんご満悦である。
「ふー。遊んだ遊んだ。やはり賭け事は楽しいなあ!何度壊滅させてもなくならないのも分かる!」
「絶対遊び方間違ってるよ。」
「そうか?でもわざと負けるのはわらわの主義に反する。」
言ってから、ミュディア様は夕焼けをぼうっと見ていた。
「……もう、終わってしまったな。もう少し遊びたかったが。」
やや気落ちしたミュディア様に提案する。
「なら、外壁に上って夕焼けでも見ない?」
「そうだな。それもよい。行こう、ゾダン」
さっさと階段を上っていく。一日中歩いているのに元気いっぱいだ。慌ててついていく。
広い魔王領は赤く染まり、良い景色だった。
「良い景色だな。」
「はい。」
「……付き合ってくれてありがとう。ゾダン。今日は楽しかったぞ」
「つき合わせたのは僕のほうです」
「こら、敬語に戻っておる……まあよいか。日も暮れた」
言葉を切り、並んで外壁のヘリに腕を置いて夕焼けを見る。
なんとなくいい雰囲気だった。恋人同士ならキスのひとつもするかもしれない。
しかし魔王様は悪魔的な笑みを浮かべた。
「夕暮れ時は闇と光が交わるとき。得体の知れぬものに出会うとされている。」
逢魔ヶ時だ。魔族の中で暮らしているといつもそうだけど。
「つまり、」
長い髪をかきあげた。夕焼けに黒の線がいくつもなびく。
「――――決闘の時間だな」
「なんですかそれ」
「魔導球鎧はあるか?」
ミュディア様は強敵を前にした虎みたいにわくわくしていた。ため息をつく。
「持ってきていますよ。念のために。でも武器はありませんよ?」
「では、――――」
何事かを呟く。どんな魔術なのか右手が輝き、そこにはナイトブレードが握られていた。
「ほれ」
差し出された剣を受け取る。
「来い。決着をつけようではないか、ゾダン。」
つい数日前にボロ負けしたというのに、無茶なことを言う。
まあここまで付き合ったんだ。口を挟むのはやめよう。
「魔導外装」
「『決闘舞台≪バトルフィールド≫』」
互いの呪文が重なり、黒い鎧が身を包み、夕焼けの外壁が切り取られた。
ミュディア様と対峙し、剣を下段に構える。
機をお互いに計り、呼吸が重なった瞬間、動いたのは同時だった。
駆け出したこちらに魔王の指先が狙いをつける。瞬時、体をひねって回転した。
今までいた場所を赤い線が走り、大地を蹴ってその下を潜り抜ける。二本目の線が走った。
二本の線を挟んだほうへ魔王が移動する。迂回すれば近づけない。
だから飛んだ。ナイトブレードを地面に刺し、二本の線の上を飛ぶ。その寸前、剣を赤い光が縫いとめた。
中空で体を捻り、赤い光をかわす。できたのはそこまでだ。
複数の同時に走った光をかわし切れず、僕は空中に縫いとめられた。
「”降参です。”」
「ふむ。少しは動きが良くなったか?」
「”まだ全然ですよ。かないません。”」
「であろうな。……手を抜いたほうが良かったか?」
「”いえ。それでは意味が無いでしょう”」
魔法が解除され、もとの外壁へ降り立った。
「魔導球縮」
鎧を解除し、今の戦いを振り返る。
――――糸口が見えたかもしれない。
そうだ。ミュディア様は言った。「かわすしかない」と。
それはミュディア様自身が『《イルフー》』の攻略方法はないと考えていることを意味している。
けれどそれは間違いだ。必ず攻略できる。
空間を把握し、全ての斜線を理解する。そして、使えると思った手を幾つも隠しておく。
少しずつ特性を理解し、勝つ手段を探るんだ。
負けっぱなしではいられない。
まだ時間はある。英雄が魔王領に来るまでに、勝てる方法を編み出さないと。
考えている姿を、不満と受け取ったのか、ミュディア様は咳払いをした。
「こほん。――――そうだ。今日は楽しかった。そなたにはなにか褒美を与えなければならんな」
「いえ、そんな。もったいないお言葉です」
「そうはいかぬ。」
城壁の縁に腰を預け、ミュディア様は言った。
「……宝物庫のものをなんでも持っていくがいい。できる限り換金できる財宝を持て」
「そんなわけには。一体、どうしたんですか?」
「気にするな。全て無くなるものだ。残ったものは民衆へ配分する。それほど多くはないが少しは足しになるだろう」
言葉の意味がわからず、口をつむぐ。
ミュディア様は目を閉じると、思い返すように言った。
「七年だ。――――そなたの罰は終わった。」
閉じられた目が開く。そこには寂しげな気持ちが見て取れた。
「どこへなりと行くがよい。」
「なぜ、突然そんなことを?」
「そなたが人間だからだ。何もわらわに付き従うことはない。」
「どういうことです?何をする気なんですか。」
「ミュディオンは、……良い都だ。魔族の可能性の都だ。悪いやつもいるし、血の気の多いやつもいるし、欲望に忠実なものもいるが、皆笑っていた。生きることを楽しんでいた。――――最後に、平和なミュディオンをそなたと回れてよかった。」
瞬きをして、ミュディア様は微笑んだ。
「わらわは運命を受け入れることにした。」
「運命を、受け入れる?」
「そうだ。」
夕焼けを背にしたミュディア様が、オルフィンで見た冷徹な顔を見せる。
「―――――ミュディオンを、滅ぼす。」
あまりのことに思考が追いつかず、目を見開いたまま停止した。
冷や汗が零れ落ち、ようやく言葉を搾り出す。
「―――――は?」
「他に方法がない。どうあがこうと成就される運命予言を変える唯一の手段。それは予言の成就の先取りに他ならない。」
「予言の成就の先取り?」
頭が追いつかない。オウム返しに聞くのがやっとだ。
「そうだ。英雄の仲間が集うときが速まったように、魔族を先に滅ぼす。」
「待ってください。そんなこと、」
「――――、先に終焉した魔族を終わらせることはできない。予言の逆転だ。そう、」
こちらの静止など聞かず、ミュディア様は続けた。
「魔族の繁栄は恐ろしき魔王によって終わり、」
胸の前でこぶしを握る。
「英雄にわらわは倒される。」
拳の向こうにあるのは決意に満ちた表情だ。
「おそらくこれなら運命のつじつまあわせは起こるまい。ミュディオンを離れた魔族は人間の里に隠れ住ませる。全員とは行くまいが、全滅は避けられるはずだ。」
「ミュディア様は、」
ふ、とミュディア様は儚げに笑った。
「死ぬであろうな。――――オルフィンを滅ぼした報いを受けるときがきたのだ。何もそなたが気に病むことはない。ゾダン」
「死なせません。」
「……そなたは人の元へ戻り、わらわが魔族を滅ぼしたことを広めよ。それでこの伝承は、終わりだ。」
「嫌です。」
「……詩人が新たな事実を語れば予言は予言ではなくなる。それこそが、運命を書き直す唯一の方法だ。」
「断ります。」
「ぐぬっ」
意固地になったミュディア様が泣きそうな顔で叫ぶ。」
「わらわのめーれーだぞ!最後くらい、素直に聞かぬか!」
「聞けません!」
それきり、ミュディア様は言葉を切った。夕焼けの陰になった顔は良く見えなかったが、その瞳は潤んでいるように見えた。
どうにか諌めようと、言葉を紡ぐ。
「先代魔王様は、英雄がどのような存在であれ最後まで戦ったはずです。」
「そうだ。だからわらわも、最後まで一人で、」
「そうしたのはあなたが死ぬ未来のためではなかった。違いますか?」
反論できず、ミュディア様が沈黙する。それから目を逸らした。
「む、う……困った。」
ミュディア様は目を閉じ、ふうと嘆息した。
「そんなことを言うな。わらわの決意が揺らぐ」
「ええ。どうか考え直してください。僕はこのミュディオンを、第二の故郷を、滅ぼさせるわけにはいきません。」
人間領域に住む魔族に人間との絆があるように、僕にも魔族との絆があった。そのことは今日ではっきりした。何の罪もない彼らの平和を壊してはならない。
しかしこちらの進言は聞き入れられなかった。
「他に手はないのだ。今ならば、魔族の被害は少なく終えられる。」
き、と眼光が鋭くなる。
「わらわは、一時の希望にすがりついて、民を危険にさらすわけにはいかぬ。それが魔王としての、――――ただ、父様の娘だというだけで、わらわについてきてくれた、皆への最低限の礼儀だ。違うか?」
その目には力強さがあった。
「そなたに止められようともこの決定は覆らぬ。言ってみよゾダン。それでもわらわを止めるか?」
年頃の女性のように歩き回り遊んだ彼女はもういない。そこにあったのは王城に座し国を預かる、正しい王の姿だった。
「いえ、止めようがないみたいです。」
「……それでよい。では、」
「ですがその前に、もう一度チャンスをください」
「……チャンスだと?どうするというのだ?聞かせてみせよ」
「それは、――――わかりません。ですが」
夕焼けの赤の下で、僕は主に誓った。
「必ず、予言を変えて見せます」
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