1-1早すぎたラストバトル
ふああ、とあくびをして身を起こす。
夢から覚めたなら、起きて、歯を磨いて、日常を初めないと。
部屋を見渡し、殺風景な部屋をぼうっと見つめる。
ベッド以外何一つない、簡素な部屋。現実時間でいえば7年ほどここに住んでいるすっかり見慣れた場所だ。
靴を履いて立ち上がり、洗い場へ向かう。
よくしなる小枝を加工して作られた歯ブラシを手にとって歯を磨く。
さて、困ったぞ。
いつもは一日が終われば夢が終わり、現実に帰ることができた。
今日はそれが、ない。
夢が二日続くのは初めてだった。僕、『ゾダン』の世界の日常を開始しながら、考える。
どうしたものか。もう一度眠ればなんとかなるかな?
でも朝の仕事もあるし鍛錬もしなくちゃいけないから寝る暇ないんだよな。よく昼寝してるミュディア様と違って。
楽観的な性格の自分でも割と困ってしまっている。
木のカップで口をゆすぎ、魔術で作られた鏡を見る。
短く切った金色の髪に、一房混じった黒の髪が前に垂れている。
頭のてっぺんに跳ねた一筋の毛を押し付けるが直らない。こんなとこに現実を反映しなくてもいいのに。
諦めて顔を洗う。冷たかった。この夢には五感の全てがある。痛覚まであるのは止めてほしい。
よく洗った後、布で顔を拭いた。あまり吸水性は良くない。
とりあえず朝ごはんの支度しないと。夢だからと怠けると後でミュディア様にいろいろ言われる。お腹すいたとか。
「さて、と」
まずは水の確保だ。城外の遠く離れた泉から引いた水は濃い魔力を帯びておらず美味い。ミュディア様はそれを好む。
汲んで戻るまで二時間はかかる。くっそ重い甕に入れて夜も明けないうちからその距離を歩くのだ。日に何日も往復する。奴隷の僕に最初に与えられたブラック企業も真っ青の仕事だ。
それも最初のころの話。
厨房の蛇口をひねると水が出てきた。
水路の確保を進言してからはずいぶん日常が楽になった。
長くしなやかな竹みたいな木でできた水道から届く水は冷たい。
ひしゃくで受け止め、調理台の右手の床に撒く。
床には粘着質の水溜りがぐにゃぐにゃとうごめいていた。スライムだ。
スライムは水を受け止め、離れた位置へ動き出した。
それから並んで置かれた○と×が書かれた板の○の方に乗る。
「お疲れ様。また昼に頼むよ」
スライムはいったん板の外に出た後で○に戻り、それからぐにゃぐにゃと城の外へ歩いて(?)行く。
毒見役だ。
このスライムはピュアスライムと言う種族で有害な毒素を判別できる。体内に入れたあらゆるものを分解できるので死ぬこともない。これほど安全な毒見役もいない。
泉の水の精霊に異変があったら伝えるように契約しているはずだけど、念のためだ。危険かどうか確認するのに越したことはない。
手を洗い、鉄鍋に水を入れ、スープの出汁を取る。ミュディオンは海に面しているので海藻類が取れた。魔族の多くはそれを食べていなかったが、乾燥させて保存も利く出汁として今では産業として成り立っている。水生種が広範囲から採取し、乾燥に強い種族が干している。
魚類も豊富で、タコやイカはいないがうまみのある魚は多い。大きな貝類などもあり、人間界より美味いのもあった。
魚介のスープを暖めていると、厨房の扉が開いた。
入り口には女性が一人。
露出の高いバニースーツみたいな格好に、ニ―ソックスとハイヒ―ル。
髪型も派手で、やたら蛍光色でキラキラしたピンク色のふわふわの髪をツインテールにしている。
やたら長いまつげと派手な化粧、右目の下には五芒星のマークが浮かんでいる。メイクを落とせば無くなると教えてもらったことがあった。
淫将ウルシエラ。ミュディアさまの腹心、魔人族を統べる四大魔将の一人だ。
「はよーゾダン!いえーい」
両手をがばーと振り上げてこちらに挨拶してくる。完全に無駄に高い深夜のテンションだった。軽く手を上げて挨拶する。
「おはよ。また朝帰りなの?」
呆れて言うと、ダブルピースで答える。心から楽しそうな笑顔だ。
「もち!ライフワークだし、かわいい子みつけたんだー!」
「またか」
彼女の種族、淫魔≪サキュピース≫は人間が決めた魔族の一種で、寝ている男性を夢の中で誘惑し精を搾り取る。その中でも頂点に立つ彼女はそれはもうすごくて、口付けだけで骨抜きになるらしい。
魔王城から飛べる人間の町に忍び込んでつまみ食いをしており、近隣の男性は親子孫三代に渡りほぼ彼女の虜にされている。そうでないのは王城に住むものくらいか。
「ほどほどにしなよ」
「朝ごはんはー?」
「スープの準備中」
「そっかー。任せていー?」
本来は料理好きなウルシエラの担当だ。いないときは僕が代行している。
「うん。昨日下準備してたのでいいんだろ?」
「そうそう。じゃあウルシエラさんはこのまま寝るよー」
トン、と飛び上がり、ふよふよと厨房を出て行く。開いた背中には魔術で小型化した、こうもりのような羽がひらひらしていた。魔族は呼吸するように魔法を使う。
それを目で追って、スープの続きに取り掛かった。
両手にトレイを乗せ、厨房から食堂へ向かう。
魔都ミュディオンの中心に位置する魔王城は広く、静かでさびしい雰囲気に包まれている。
人間の城なら考えようもないが、華美な装飾は一切なく、シンプルな作りで無駄がない。
それは人についても言える。廊下を歩いても誰ともすれ違わない。数人が並んで歩けるだけの広さがある廊下は差し込む日差し以外に何もなかった。
ミュディオンはかつて人間に陥落させられ、今の位置に移動した。その際に限界までコストカットした結果、戦時以外は王城に人がほとんど誰もいなくなったらしい。
メイドたちは飲食店を営み、戦士たちは今では農業を営みつつ鍛錬しているし、魔獣も草原を元気に走り回っている。
いつ外敵に襲われるか分からないというのに、普段城内にいるのは7人もいない。そんな城は人間から見ればありえない。
それが可能なのは魔王の絶大な力によるものだ。
「ううーわらわはおなかがへったぞー。」
絶大な幻滅を引き起こさせながら魔王さまはテーブルに突っ伏しておられた。魔族の勇敢な戦士が見たら卒倒、いや、「またか」ってうんざりすると思う。
「お待たせしました、ミュディア様。」
ウルシエラに叩き込まれた給仕のキラキラ笑顔で配膳を始める。
ミュディア様は反射的にがばっと起き上がり、半目を見開き輝かせた。
「おお、待ちわびたぞ!よくやった!」
「パンと焼き魚、ポタージュと肉のソテーになります。」
「うわーおいしそーっ。」
よほどおなかがすいていたのかちょっと素が出ている。よだれも出ている。
「ダイエット中でしたっけ?」
「そおだ。夜におかしを食べるのをやめている。身が引き裂かれるほどの苦しみだ」
そこまでか。というか夜におかしを食べるのはよくない。
「なら肉は減らしたほうが?」
「わらわをころすきかきさま?」
「滅相もありません」
この世の終わりみたいな顔をしたミュディア様に答え、もう片方のトレイに重ね、置くべきかどうか迷った。
「?早く席に着かぬか。」
なんとなく、それは躊躇われた。いつもそうしていることなのに。だから聞いてみる。
「本当によろしいのでしょうか、奴隷が同じ卓について食事をするなどと。」
人間では考えられないことだ。しかしミュディア様は口を尖らせた。
「何をいまさら。ずっとそうしてきたではないか。早くしろ。冷めるであろう。」
「寛大なお心に感謝します。」
そう言って座ることにした。親しい家族がそうするようにすぐそばの席だ。
「そうであろう。わらわはまおーだからな!」
やけに嬉しそうにミュディア様が言った。
ふふふ。しかしこれはうまそうな肉だな。
目の前の皿に恍惚としながらミュディア様は悪魔的に笑う。
では、わが血肉となる贄に、
それから笑みを消して目を閉じ、、頭をわずかに下げた。
――――感謝を。
両手をあわせて握り、神官がそうするように祈りを捧げる。
我が血肉となる贄に感謝を。
同じように祈りを捧げる。魔族式のいただきます、らしい。
食事に手をつける。
うむ。うまいな。鴨肉か?
はい。肉屋に新しいのが入荷してたので買ってきました。
狩猟で得た肉を出しているから日によって種類が違う。
城下はどうだ?
「賑わってますよ。たまに降りてみては?」
「でもわらわが行くとめんどくさいからなあ。」
目立つこともあって、ミュディア様が城下町に行くと全員の視線が集中する。
「あとダイエット中だし。」
店の人からも通行人からも「これ食べろ」といわれるままに食べ歩くことになる。
「そうですか。」
暇なら一緒に店を回ろうと誘おうかと思ったのだがしょうがない。
「もぐもぐ。ウルシエラは寝てるのか?」
「ええ。何か用ですか?」
「ああ。まあ、午後でよかろう。書置きをしておくから部屋へ持っていってくれ」
「はなしがあるからおきたらくるがよい。みゅでぃあ」
そんなメモをウルシエラの部屋まで運ぶ。
中ではとんでもない寝相で気持ちよさそうに寝ている淫魔が一人。近くのテーブルにメモを置いて、部屋をさっさと出る。いるだけで精を搾り取られそうだった。
食事の後は自由時間だ。本来はまた水汲みに出る時間だが、水路を引いてからは必要なくなった。
自由にしていいというので鍛錬の時間に当てている。
城の中庭に移動し、剣を振る。
日によって相手がいることもあるのだが、今日は誰もいない。
静かな心で剣を振る。そして型を確かめていると、中庭に気配があった。
「ミュディア様?」
「一人か?」
「はい。」
「ぐーぜんにもわらわは手が空いている。要するに暇だ。」
暇じゃない時のほうが珍しいよなあ。
「手合わせしてやろう。」
そう言われても正直困る。主に剣を向けるのは奴隷としてどうなの。
「本気で来い。」
右手でくいくいと手招きする。
「危ないですよ。木剣か何かでやりますか?」
「殺す気で来なければ実戦にならんではないか。戦士に必要なのは実戦での経験だぞ。」
「いや、趣味ですから」
戦士じゃなくて奴隷だし。
「遊んでやろうというのだ。『決闘舞台≪バトルフィールド≫』」
ミュディア様が呪文を唱えると、視界が大きく変わった。
中庭の地面だけが浮き上がるようにして、城壁がなくなり、変わりに白い空間が現れる。
空間をいじる魔法の一種で魔族の決闘に使われるものだ。この空間で受けたダメージはいかなるものでも解除されれば回復する。
「これでよいか?まったく、わらわに敵うと思うのか?矮小な存在の分際で」
魔王っぽいことを言いながら、ミュディア様は腕を組んだ。
「来い。人間の力を見せてみろ。」
仕方ない。こうなれば戦うしかなさそうだ。
「やああああああああああああ!」
剣に力を込め、切りかかる。
ミュディア様は微動だにせず、その場から一歩も動かず斬撃を受けた。
パキィイイイイン
鉄の折れる音よりもはるかに高い音が響き、手元の剣が二つに折れる。
「ふ、残念だったな。後一歩でわらわに届いたものを。」
「いやどう見ても一歩の差ではないんですが」
ここまでの一連の流れがミュディアさまお気に入りのまおーごっこである。
たまに鍛錬中にやってきてはこうやって邪魔す――――遊びに誘ってくる。
「『核心回帰≪リターン≫』」
折れた剣が元通りになった。修復する魔法だろう。
「来い。次は本気で受ける。」
「いや無抵抗でもダメージゼロだったんですけど。どうしろと。」
「いいから来い。実戦を積むよい機会だ」
ミュディア様が構えを取る。その体術は先代魔王に仕込まれたもので、無手でありながら国家最強クラスの戦士を圧倒する。
こちらも剣を構え、気合を入れなおす。今度は本気だ。
「はああああああ!」
一直線に突進し上段から剣を振り下ろす。だが紙一重でかわされた。
「隙だらけだぞ」
交錯する一瞬、剣の腹をきれいな指がトンとたたく。
そのまま薙ぐように斬るが、それも後退しかわされる。同じようにトンと剣の腹を指が叩いた。
速度が違う。人間とは別次元の生き物だ。
更に一歩踏み込み、袈裟切りにする。しかし斬ったのは空に過ぎない。
斬り、払い、薙ぎ、突き、振り降ろし、振り上げ、ことごとくをかわされる。余裕たっぷりの顔で魔王は間合いに悠然と近づいてきた。
渾身の力で回避しようがない真横に剣を振うが、そこに魔王の手が払いのけるように触れる。
振るった剣のほうが粉々になった。
力量≪レベル≫の差がありすぎる。
「ふん、手ぬるいぞ。その程度か?」
「残念ながら。ちょっと強すぎません?」
「ふふっ。つまらん、あーつまらんなー人間はー!」
めちゃくちゃ楽しそうだった。
「『核心回帰≪リターン≫』」
にこにこしながら修復魔法を唱え、粉々の刀身が元に戻る。
勝ち誇るように腰に手を当て、胸を張って宣言した。
「さて、そろそろわらわの強さを見せよう」
そしてこちらを指差す。
反射的に剣で胸を守った。
『≪イルフー≫!』
指先より赤い線が迸る。ミュディア様の秘技、赤い蜘蛛糸だ。
刀身で遮られた光はそのまま消えることなく、ミュディアさまのいた位置からこちらに伸びている。これは術を解くまで消えない。
厄介なことに一度触れれば術を解くまで空間に固定される≪とらわれる≫。後は蜘蛛の糸にとらわれた獲物のように、捕食されるのを待つのみだ。
剣から手を離し、突進する。同時に剣の鞘を抜き構えた。
再び指差され、反射的に鞘で守る。だがそれで終わりだ。
瞬く間に視界をいくつもの線が切り分けた。瞬く間に赤い糸の檻がこちらの動きを封じる。気づけば動くことさえできなくなっていた。
詰みだ。
何度見ても早い。この全てを切り抜けるには人間以上の反射速度が必要だろう。
「さーてどーしてやろうかなー?」
心から楽しそうにミュディア様がこちらの額、胸、股間を指さす。
「僕の負けです」
視界が元に戻る。どちらかが敗北を認めると、全ての効果はなくなり決闘術式は解けることになっていた。
「ふふ、だいぶ反応できるようになったな。誇ってよいぞ。わらわの初手を防げた人間はそなただけだ」
というか僕も初手は防げなかった。最初に受けたときは胸に蜘蛛糸が刺さり、即詰んだ。
決闘術式で何度も見せられたから反応できるようになってきただけで、一声で詰む呪文など初見で対処できるほうがおかしい。
「これ弱点とかないんですか?」
「特別に教えてやろう。」
あったのか。助かる。攻略法がわからずずっと考えていた。
「かわせばいい。」
「知ってます。」
ほとんど途切れず何度も放たれる光線を全部かわせたら苦労しないって。
「しかしものたりん。これから爆炎魔法とか空間氷結とか雷雲領域とか戦略呪文を打つ予定であったのに」
「対人呪文でお願いします。」
「だが決闘術式以外で撃つと地形が変わるものもあるからな。せっかくだしそういう呪文を使いたかった」
「やめてください」
決闘術式は痛覚を直接感じないためショック死することはないが軽減されて擬似的な痛みを感じる。
自分が爆散する痛みとか味わいたくない。
「では止めておこう。もう少しここにいても良いか?」
「かまいませんが、なぜです?」
「今日はその、日当たりがいいからな。」
確かに空は良く晴れている。
「では僕は鍛錬に戻りますが気にしないでください」
「ああ。そうする」
そうしてまた剣を振る。今はそれくらいしかできることがない。
ミュディア様は何が面白いのかずっとそれを見ていたようだった。
太陽が中天に上がったころ、中庭に一匹のこうもりがやってきた。
ばさばさとミュディア様と僕と三角形を描く頂点の辺りに飛んでいく。
それから、ぼむ、と爆発した。
ピンク色の爆炎の中からウルシエラの姿が現れる。
「やっほー二人とも」
「ようやく起きたか。ウルシエラ。書置きは読んだか?」
「うん。それでミュディア、話って何ー?」
「長くなる。ここではなく会議室へ移動しよう。」
「えー。長い話きらーい。短くまとめて。」
はぁ、とため息をついてミュディア様は中庭の扉に手をかける。
「予言のとおりに、英雄が現れた。」