序章:奴隷からスタートです。
「ゾダン、そなたに罰を与える――――」
光の差し込む広い部屋の中央には黄色の刺繍の入った赤いじゅうたんがしかれ、その先には玉座があった。資料で見たような謁見の間だ。
玉座に腰掛けるのは一人の女性。
健康的な褐色で、スタイルがよく、華やかで綺麗だ。
左目の上辺りで分けられた長い黒髪を胸まで伸ばし、長いまつげが目立つつり目はこちらを楽しそうに見下ろしている。
見つめていると、彼女は眉根を寄せ、小首をかしげた。
「聞こえなかったか?そなたに罰を与えると言ったのだが」
「はあ」
跪いたまま気の抜けた返事をする。
ゾダンと言うのが今の僕の名前だ。
そして彼女は魔王ミュディア。人間と敵対する魔族の王だ。
「ええと、なぜ罰を受けるのか伺ってもよろしいですか?」
人事のように聞く。何度も繰り返されたやり取りだ。実際心当たりがなかった。いつもそうだ。
「わらわの呼びかけに答えるのがひと時遅れた。これはとても重い罪だぞ」
「ほほう」
罪でもなんでもないといいたかったが、機嫌をそこねると非常にめんどくさいのでうなずいておく。
「どんな罰を受けるんです?」
「そおだなーうんー」
今考えておられるようだ。それ罰受ける必要あるんですかね。言ったら面倒なことになるのでやめておく。
要するにこういう理由をつけて人をいぢめる、あくまてきすきんしっぷが大好きなのだ、この困った方は。
「よし、そなた、わらわの足置きになれ」
「は?」
「足置きだ。近う寄るがよい。このような寵愛が得られる機会などないぞ?」
「いや、その、意味がよくわかりません」
「見たことがないのか?なら教えてやろう。こう、わらわのすぐ前で横に四つんばいになるのだ」
「わかりました」
意味がまったくわからないがわかったことにしておこう。
言われたとおりに膝に触れるかどうかの距離まで近づき、膝と直角になるように這い蹲る。
「ふふふ、それでよい。では罰を与える」
背中にミュディア様の足が置かれた。高いヒールが突き刺さる。
「いて」
「す、すまん痛かったか?」
する、とヒールを脱ぎ、こちらの背に足を置いた。
「いたくはないか?」
「はい」
「では罰を与える。どおだ。こうだぞ。くふっ。フフッ」
ぐにぐにと足でこちらの背中を刺激する。
「反応がないとつまらんではないか。なにかゆえ」
「結構気持ちいいです」
「なに?なまいきなやつめー。このこの、このっ」
ぐりぐりとした刺激がマッサージになり割と気持ちいい。
「それでは、これでもか?」
ぐい、と踏みつけられる。女性の力とは思えないほどの力がかかった。
「どれくらいもつかな?」
力はどんどん大きくなり、
「がっ」
ある一瞬、あまりの力に体を支えきれず床に倒れこんだ。
「くふっ、くふふふふ、はーはっは!」
それがよほど楽しかったのかミュディア様は三段笑いをなさった。
「ふふふ、ゾダンがつぶれるのを見るのは楽しいなあ。」
心から楽しそうなので何も言うまい。彼女にとっては遊びのようなものなのらしかった。
「そうですか」
ぱん、ぱんと服を払い、立ち上がる。潰れはしたものの体はなんともない。うまく加減しているようだ。
背筋をまっすぐ伸ばすと、色々言いたい気持ちを抑え、できるだけさわやかな笑顔で聞いた。
「終わりました?」
「む、ああ」
足置きの刑とか言うまるでわけがわからん刑を勤め上げ、解放される。少し距離を取って再び跪いた。
「御用は終わりですか?」
「むうー」
険しい顔で何事かを考えている。そんな顔さえ愛らしく、ずっと見ていられた。
「これまで今までいろんな罰を与えてきたが、そなたはまったく喜ばんな。どうしてだ?」
質問の意味がわからず、困惑する。
「罰を与えられて喜ぶものなどいませんが」
「なんだと!?」
身を乗り出し、衝撃を受けた顔でミュディア様は続けた。
「だ、だが父様は母様から罰を受けるたびそれはそれは嬉しそうにしていたぞ!?つぶされて楽しいと言われたときなどめちゃくちゃいい笑顔してたのに」
拝啓先代魔王様、あなたのせいで娘が変な方向に育ってます。
「ええと……そうですね、人の好みはさまざまなので、その、好きな人にいじめられたいと言う趣味もあるかと思います」
「な、なんだ。そうか、よかった」
ふーっと息を吐き、ほっと胸をなでおろす。それから思い出したように威厳あるポーズを取り、尊大な口調に戻した。
「ならよいではないか。もっと喜んでよいのだぞ?」
「いや僕は罰を与えられても喜べませんが」
「な、何!?な、なんで!?わらわのこと嫌い!?」
取り乱し一瞬で威厳がゼロになったまおー様に答える。
「いえ。そういうわけではありません」
「そ、そうか。ならば罰がいやだと言うことか」
「はい。普通人間は罰より褒美のほうが好きですよ」
「わかった。では今後は考慮してやろう」
そこまで言ってから、思い出したように威厳のあるポーズを取る。
「だが褒美がほしければよいことをするのだ。よいか?」
ふと、ミュディア様が玉座の横にあった台から石のようなものを手に取る。
そして右手で握ると、パンと言う音とともに砕け散った。
石だったものは細かい破片に変わり床に飛び散る。最後に残った砂のような破片がぱらぱらと零れ落ちった。
「よいか?こうなりたくなければちゃんと反省することだ」
魔王と言うのは嘘ではない。こんなもの人間の力ではなかった。しかしなぜかあまり恐くはない。
「そなたはわらわの奴隷なのだからな。勘違いなどせぬように。よいな?」
そう、彼女は、
奴隷である僕のご主人様である。
これは、夢だ。
思わず目を閉じ、仰ぐように天井に顔を向ける。
「どうした?具合でも悪いのか?いつもならすぐにへんじするのに。」
「いえ、その、なんと言うか」
慎重に言葉を選び、目の前の尊大で何をするかわからん存在の気に障ることのないように口を開く。
「受け入れがたい現実のようなものに、少し絶望していて」
「む?わらわにくちごたえするのか?」
ミュディア様は不機嫌そうにそう言った。
「そんなつもりはないです」
「ならばよい。ともかく、先ほどの刑はあくまで罰なのだからな」
「でもめっちゃ楽しんでましたよね?」
「知らぬ」
ミュディア様はそっぽをむいて否定する。それからごまかすように立ち上がった。
「もうそろそろ眠ることにする。そなたも下がれ」
「わかりました。おやすみなさい」
立ち上がるとすらりとした体躯が目を惹いた。ミュディア様は目を細めて笑う。
「ああ、おやすみ」
歩く姿はモデルか何かのようで、なんとなく目で追う。
長い髪が翻り、こちらを振り向いた。何か用だろうかと言葉を待つ。
「そうだ、わらわが砕いた石の破片片付けておくように」
やっぱりそれは僕の仕事なのかと思いうんざりした。
掃除を終えて、ベッドに入り考える。
昨日の自分と違いすぎる。毎度のことながら格差に肩を落とす。
――――これは、悪い夢の続きだ。
魔王なんて現実の世界には存在しない。奴隷も直接見たことはない。
こんなRPGや神話みたいな世界に自分がいるはずがない。
この夢は眠れば終わる。
そして現実の自分はもうすぐ目から覚めるだろう。ぬくぬくした布団で目覚め、ニュースを見ながら朝食を取ろう。
そうして現実世界で眠りにつけば、――――ゾダンと呼ばれるこの自分が目を覚まし夢の続きが始まる。
いつからか僕が眠るときに見る夢はそういう仕組みになった。いつからだっただろうか。それももうわからない。
どっちにせよ眠れば、この夢から覚めることができる。楽観的に考えよう。
そう思って眠りにつくことにした。