011 俺は今日も愛しの人を観察する。
グランドでストレッチをしている最中に、黒髪の乙女が校舎の前を通り過ぎた。
その瞬間、空気が少し綺麗になった気がした。マイナスイオンには、空気中のチリ・ホコリを除去するなど空気清浄効果がある。
きっと彼女からマイナスイオンが大量に発生されてるからだろう。
黒髪の空気清浄器こと、神崎さんが登校してきた。彼女も吹奏楽部の朝練に違いない。
こちらに気づくと、にこやかな笑顔で手を振ってくれた。
後ろの他の誰かに手を振っているのでは……?という疑心暗鬼に陥り、思わず後ろを振り返ったが、グランドにはまだ自分しかいない。
後で落ち込まないように、きちんと後方確認してから、ぎこちない笑顔でこちらも手を振り返した。
「ちょっとせんぱい……何にやついてるんですか?やっぱりあの人の事……。」
プラスイオンの含まれたじれっとした視線を感じる。予想通り、ちろるはサッカーのボールカゴを押しながら、ジロ目でこちらを睨みつけていた。
「ばかっ、何いってんだ……。神崎さんはただの友達だよ。」
なんで浮気がばれた時の言い訳みたいな台詞口にしてるんだろう……。いや、まぁ単純に好きな人だってばれたくないからだろう。
「まぁ……いいですけど。」
少しつれない様子で、ちろるはぷいっとそっぼを向いてしまった。
告白を保留されている彼女からすると、そりゃまぁ、好きな奴が他の女の子にデレついてるのを見るのは、かなり複雑な心情だろう。
他の部員もぞろぞろと集まり出し、いつも通りのメニューをこなす。そして朝練を終え、いつも通りの一日が始まる。
学生の本分は、何といっても勉強だ。授業に関しては今のところ真面目に受けている。
一応大学進学の予定ではあるが、この大学に行きたい!どころか、どの学部にしようかなぁ……という段階である。まぁそれが普通であり、むしろ高二の段階で、将来がビシッと決まっている奴の方が稀である。
結局のところ、仕事なんて実際に就いてみないと向いてるかどうかもわからない。これが向いてると思っても、現実はそうではなかったという人の話はよく聞く。
将来の夢がはっきりしていないからといって、それが勉強をさぼるという言い訳にはならない。
夢がはっきりしていないからこそ、確固とした夢が見つかった時に、学力が足らなくて夢を諦めるという結果にはしたくない。
というわけで、一時間目の英語をがんばって集中して受けた。基本的に授業中に関しては、神崎さんをガン見するということはない。ガン見はしないが、チラ見はする。
休み時間は周囲にばれないよう気を払いつつ、結構ガン見している。
一時間目が終わった休み時間、神崎さんはカバンからペットボトルのお茶を取り出した。
休み時間に、神崎さんが何しているのか確認するのは、俺の大事なルーティーンの一つだ。これをすることで心が落ち着く。癒される。決してストーカーとかではなく、あくまでもルーティーンであって、全くもって悪意はない。
正直いうと、好きな子が何してるのかがただ気になるだけである。ルーティーンでも何でもない。それがストーカー予備軍だと言うなら、もう俺はストーカーでいい。
「~~♪♪」
神崎さんは何やら鼻歌を口ずさんでいる。かろうじて聞こえた曲調から判断するに、どうやらエルガーの威風堂々第1番であるようだ。
ペットボトルの蓋を開けようとするが、なかなか開かないらしい。
きゅっと目を瞑りながら力を入れて開けようといているところが可愛らしい。開けてあげようかと声をかけたいところだが、残念ながら俺の席から神崎さんの席までは何とも言えない微妙な距離がある。
もし、通りがかりの男子が「開けてあげようか。」とか、神崎さんに声かけやがったら、そいつのことを一生嫌いになる自信がある。
まぁそんな心配は杞憂に終わり、神崎さんは自力でなんとかキャップを開けた。
全体の五分の一ほどの量を飲み干し、キャップを閉めるかと思いきや、なんと神崎さんはペットボトルの口に、柔らかな彼女のぷるっとした唇を押し当て、「フゥーッ」と吹きだした。
あぁ羨ましい!ペットボトルが妬ましい。来世は神崎さんに飲まれるペットボトルとして転生したい……。っじゃあなくて、神崎さん、それフルートじゃないですよ。
神崎さんは何でもすぐ楽器にしようとする癖がある。
そんな無邪気なところも……好きだ。
たとえ変なところや、欠点があったとしても、それすらも可愛く思え、全部含めて何もかもが好きだ。こればっかりはどうしようもない。
シェイクスピア曰く、『ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ。』とのことだが、それができれば苦労しない。
恋い焦がれるという言葉があるように、本当の恋とは、まさに身と心を炭火で炙り焦がされるような気持ちなのだ。ほどほどに愛するなんてできない。理屈でどうこうできるものじゃない。
お茶を飲み終わり、楽器ごっこ遊びも終えた神崎さんは、ペットボトルを閉まって、こちらの方をちらっと見た。
「…………。」
とっさに俺は、前髪をいじって、髪型が気に入らないから軽くセットしてる奴風の感じをだした。
あぶねー……。やっぱりがん見するのはよくない。なんとかごまかせただろうか。
姉貴から、「前髪いじるのナルシストっぽくてキモイから、その癖早く治しなさい。」とうるさく言われているのだが、こんな非常事態ばかりは仕方あるまい。
全く……すぐキモイって言うのなんとかならんのかね。
「あら、弟君、また前髪触ってるの?めっ、て言ったでしょ。でも髪の毛ちょっと伸びてきたかな?お姉ちゃんが切ってあげよっか?」くらいの優しさを示してほしいものだ。
まぁ実際にうちの姉貴がそんなこと言ったなら、俺は恐怖で泣き叫びながら家をとびだすだろうけども……。そしてその後ろを、姉貴はバリカンを二刀流で携えて、鬼の形相で追いかけて来るだろう。
キーンコーンカーンコーン……
全く……充実した休み時間だったぜ。みんなも時間潰しのオシャベリや、次の授業の予習なんてするくらいなら、この最高の休み時間の過ごし方を真似したらいい。




