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アナザーウェルト  作者: 赤井直仁
幻想からの嘆き編 序章・少年の決意
8/17

行方

 

 真はナイフに押された勢いで後ろにあった電柱に背中をぶつけて、それを伝う様に背中を滑らせておもちゃの人形のようにその場に座りこむ。後ろに下がった時に食い込んでいた牙がズプッという気味悪い音を立てて抜け、蛇口から水が出ていくように血が傷口から溢れていっていた。

 真は溢れ出る血を止めようと咄嗟に両手で必死で押さえる。しかし刺されたという恐怖で手が小刻みに震えて力がうまく入らない。

 結局、上手く押さえれずに血は手の隙間を縫って外に溢れ、カッターシャツの腰の辺りをより赤く染め上げていった。

「やっぱり力のない者は脆いな…」

 姿勢を戻してナイフに吸い付かれた血雫を振り払いながら男は言う。

「て、テメェ…、これは一体…どう言う…事だ…!」

 なんとか開く目で男を睨みつけ、痛みに耐えながら真は弱々しく怒鳴る。

「まあ…雑魚如きで使いたくなかったんだがね…面倒だったから力を使わせて貰ったよ…」

「力…だって…?」

「ああそうさ…我が主から授かった悪魔を裁く為の力なのだよ!ハハハハ!」

 そう言って男は愉快そうに盛大に笑い上げる。なんとも嬉しそうで、楽しそうで、けれども寂しいような声だった。


「悪魔を裁く力…?悪魔は…お前の…方だろうが…」

 だんだんと薄れゆく意識を何とか保ちながら興奮している男に水を差すように真は反論する。すると男は笑うのを止め、ゆっくりと真に近づく。

「私が悪魔だって?………ふざけるな‼︎」

 興奮していた男の声色が一転し、鋭く声を尖らせながら座っている真の胸倉を掴み上げ、彼の後ろにある電柱に釘付けるように叩きつけた。

 抵抗しようにも体に力がうまく入れれられず、突然のことだったので真は男にやられるままにそのまま柱に突きつけられる。強烈な痛みで一瞬呼吸ができなくなるほどになった。

「私は悪魔ではない!…制裁者だ…。悪魔はあの会社のすべての人間だ…。あいつらは私から唯一無二のモノを奪い取ったのだよ…。私は許さない…あの悪魔の組織の人間、一匹たりともな‼︎」

 男は一つ一つの言葉を鋭く磨きをかけてながら真に突き刺していく。とても強くて痛くて押し潰されしまいそうだ。

「奪い取っているのはお前の方でもあるだろうが…。お前が今やってる事はお前が言う悪魔ってやつとやっていることと変わらねえぞ…」

「五月蝿え!黙れええ!」

 真は振り絞った力で言い返すがその答えのせいで男の中の琴線が切れてしまい、そのまま力任せに男は真をコンクリートに叩きつけた。

 地面に叩きつけられ声が喉の奥で詰まるほどの痛み、傷口が地面に擦れてそこから生じる痛みなどが真を襲う。しかしこれだけでは済まされず、男は追撃を掛けるように寝転がっている真の右膝を押しつぶす勢いで踏みつけていった。


 強烈な痛みの電気信号のが脳に差込み、もはや痛みなのかわからなくなるほどになってしまった。

 心臓や喉がさっきよりも圧迫され呼吸もできないし体も動かしてもがく事も出来ない。真はただ痛みに無抵抗で耐えるしか出来なかった。

「やっぱり…調べた通りだ…」

 目を見開き苦しむ真の姿見ながら男はさっきの声とはまた逆で、再び今度は嬉しそうに言う。砕けているだろう彼の膝の骨をもっと磨り潰すように踏み続けていきなが言葉を続けた。

「この私が何もせずに襲いかかってきたのとでも思っているのかい?…私はそこまで馬鹿じゃないのでね…。対象の生活や行動パターンそしてその周りの人間…、もちろん少年の事やその怪我の事もだ…。きっちり調べさせてもらったよ…」

 真の膝を踏み弄りながら誇らしげに男が語っていく。痛みかも分からなくなった感覚に襲われ、抗う事もできない。真はただ耳に流れ込んでくる男の声を拾う事しか出来なかった。

 男はまた台詞を続ける。

「少年は強い…。だからこそ逆恨みでもされて我々の邪魔をされても困るからね…だから駅を爆発させてあの小娘諸共にあの世に葬ろうとしたんだよ…しかし、爆発させてもあの小娘は死んで無く呑気に橋の上に立っていたし、この手で直々に制裁を加えようとしたら案の定、邪魔が入るしよ!」

 最後を強調して男は同時に真の膝を踏んでいた足で彼の腹部を蹴った。

 真は男に蹴られるがまま血を撒き散らしながら橋の上を転がっていき、真ん中あたりを過ぎた所でうつ伏せの状態で止まる。

 傷口は手で押さえていたので地面には直接触れてはいないが、だからと言って腹と膝の痛みが無くなった訳ではないので真はひたすらに我慢し続けていく。

「もう逃しはしない…邪魔者は二人も要らないからな…ここでトドメを刺す…」

 ナイフを逆手で強く握りながら男と近づいていく。

 その逆で真は男から逃げようとしたが動こうにも痛みで体に力が入らない。その上、意識はゆっくりと薄くなっていき始めていて瞼が落ちないように支えるので精一杯である。

 男は真の元に着くと彼の胸元を再び掴んで引っ張り起こす。そして体の向きを左九十度変えて燃えている駅の方を向いてそのまま彼を橋の外側へ突き出した。


 その時、ほんの一瞬だったのだが男の口元が炎の光に照らされて見えた。

 顎や頬は骨と皮しか無いのかというほどにげっそりとしていて、特に真の目を奪ったのは指の太さ程の鉤爪のようなもので頬の辺りから顎にかけて削られた太い傷だ。見ているこっちまでゾッとさせる程のなんとも痛ましいものだった。

 ほんの一瞬だったのでそれ以外の目立った特徴は見つけられず、男の口元は再びフードの影に隠れてしまう。

「おい…、考え事ができるほどずいぶん余裕そうだね…。もう思い残すことは無いのかい?…」

 真の思考を邪魔するように男が話しかける。

「無いわけ…ねえだろうよ…。俺とお前の指を使ってでも足りないくらい多くあるんだぜ…。例えば、もう一度凛に会いたいとか…ね…」

「死に際でまだそんな事が言えるんだな…。まあいい…ここで大人しく死んでおけばあの世で会えるかもしれんぞ?…」

「そうだといいな…ハハハ…」

 苦しそうに真は笑った。

 凛に会いたいと呑気な事を言ったが今のところ彼女に会うどころかここから助かる見込みすらない。それに加え、真の意識をどこか深いところへ引っ張っている何かに耐えるので精一杯だ。


「そろそろ終わろうか…。少年も辛いだろ?…」

 男はそう言って右手に持ったナイフを高く持ち上げる。さっき噛み付いたばかりなのにまだ血欲しそうに鉄の牙が身を煌めかせながら見下ろしていた。

 下手に抵抗したら殺されたり橋から落下しかねない。真は死に対する怯えと何もできない自分への悔しさを視線に込めて男を眺める。怯え悔やむ彼の顔を満足そうに眺め、嬉しさのあまりクスッと笑いが漏れてしまていた。

「いいじゃないか…その顔…。楽しませてくれたお礼に優しく殺してあげようか…」

 そう言って男はナイフを持った手をぎゅっと握り直す。

 些かでありながらもゆっくり死は近づいて来ている。隠れたり逃げたりする事もできない。

 抗う方法が無くなりその怖さから逃れるように真は目をギュッと瞑り、横を向いて男から顔を逸らしていく。


 今まで…本当にありがとな…凛、拓斗……それなのに何もしてやれなくて…本当に…ごめんね……


 彼らのお陰で今の自分があるというのに、自分は彼らに何もしてあげる事ができない。

 もう今更遅いしおかしいかも知れない、けれども今だからこそせめてこの気持ちは彼らへ伝わってほしい。密かにそう願いながら心の中で呟いて彼はそっと体の力を抜き、ヒンヤリと冷たい鉄の牙に体温で生暖かい首筋をそっと差し出した。


「なんとも美しいな…まるであの女のようだな…殺すのが惜しいよ…」

 そう言って男は手を少し上に引いて体勢に入る。男の台詞に対して真は反論しなかった。いや、もう彼には反論する元気が残っていないのだろう。

「さあ…いくぞ…たかが他人のために命を使った哀れな少年にも我が主、剥奪姫(リカプメイル)の祝福あれ…」

 祀詞のようなものを言うと男は草を刈るように牙を振り下ろす。

 実際、見えているわけでは無いのだが、首にゆっくりと冷たい何かが近づいていくのを感じる。まるで当たる場所がわかるかのようにその冷たい感覚が絞られて一点に集まっていく。

 もう死ぬんだな…。真はそう悟って死の痛みを少しでも柔げようとさっきまで抗っていた重い沈下感にそっと身を任せた。


 けれども、彼の首は切られる事はなかった。牙の先が当たるほんの数コンマ前に重い感覚の殻を打ち割るような鈍い破裂音が鳴る。それと同時に真の上半身が橋の中へ引っ張り込まれていく。そして胸元を掴まれる感覚がなくなって彼は引っ張られた勢いに乗ってそのままうつ伏せに倒れた。

 もう痛みは少ししか感じなくなってしまっているいる。冷たいはずのコンクリートも冷たくも暖かくも感じない。もう全身の感覚が麻痺してしまっていたのだ。


「そのガキから今すぐ離れろ!」

 左方から誰かの勇ましい声がした。

 何が起きているのか確かめようと消えかけた意識を真は何とか呼び戻してゆっくりと目を開けて声のする方へ首を向けた。

 さっきまで何も無かった橋の向こう側に何やら黒い影がぼんやりと見える。しばらく眺めていると目のピントが合っていき、黒い影がスーツを着た一人の男性の姿へと変形していく。けれど、輪郭や細かい部分はボヤけたままだったのでその男性がどういう人かは分からなかった。

 両手に何かを持っていて、その先をこちらの方へ向けていたのだが、同様にボヤけていてそれが何かは分からなかった。


「ハァ…もう…来たのか…思っていたより早かったね…」

 今度は聴き慣れた男の声がした。首を動かすのが辛くなって真は目だけ動かして男の方を見る。

 さっきまで余裕そうにしていたあの男が右肩を押さえて、苦しそうに息を吐くながら立っているのが目に入った。押さえている肩から赤い炎の光に照らされて赤黒く光っている液体のようなものがマントを伝って点滴のように地面へ垂れ落ちる。赤黒い液体が肩から流れ出ているとすれば、それは血だろう。

「え……?」

 そんな男の様子を見て驚きのあまり真は声を漏らした。

 この一瞬の間に何が起こったのか、それを知ろうと真は好奇心に動かされるままに体を起こそうとする。けれども好奇心より痛みや疲労が勝ってしまい、体を少し動かしただけで力が抜けてしまってそのまま元の位置へ倒れる。

 その結果、真はその場でただ情けなくうつ伏せになって静かに見守ることしか出来なかった。


「今日は随分あっさりだったじゃねえかよ」

 男に向かって男性が尋ねる。

「もう年なのかね…すぐにバテちゃうよ…」

「歳を取ってるって感じはしないけどな。お得意の洒落か?」

「ハハ…そうかも知れないね…。やっぱり君は面白いな…、気に入ったよ…」

 笑いを漏らして嬉しそうに男は言う。肩を怪我しているはずなのに男は随分余裕そうな雰囲気だった。

「それはどうも。まあ、テメェなんかに気に入られても嬉しくねえんだけどよ!」

 そう言って男性は何かを持っている手に力を加える。

 その瞬間、手に持っているものの先から赤と黄が混ざりきれていないような橙色の炎が噴き出て、それと一緒にパン!という重く鈍い破裂音が轟いた。

 ドラマやアニメくらいでしか聞いたことがないが多分これが銃声だ。ならば今、男性が持っている何かは銃器の類だろう。

 普通、銃声が聞こえたら驚いたり悲鳴を上げたりするのだろうけど今の真にはそんな元気は無かった。いや、正直驚いてはいるがそれを外に出す元気がなかったと言ったほうが正しいのかも知れない。


 銃声が発せられたのと同時に男は下へしゃがみ込むように避ける。銃弾はさっき男の顔があった場所のど真ん中を通り抜けて後ろにある車のバックガラスを打ち砕いた。

 男は手元の砂利を無造作に掴み、男性の方へ投げつける。男性は反射的に構える体制を崩し、目を瞑って砂利から顔を守った。

 砂利は目眩しのつもりだったのだろう。

 男性が目を逸らしている間に男は立ち上がり、男性に背を向けて走り出した。肩を怪我しているせいかなんとも不格好な走りだった。


「チッ、クソが…!」

 離れたところまで逃げていった男を見て舌を打って男性は手に持っている拳銃をしまう。ここから撃っても当たらないと判断したのだろう。

 男性は銃をしまった代わりに今度は懐からトランシーバーを取り出した。

「おい、永田と山口!ホシが鶴崎橋より東へ逃走!多分港の方へ出るから二人ともそっちに向かえ!川端は橋のところまで来い!」

 銃声にも負けないほどの声でトランシーバーに向けて叫ぶ。近くにいる真でさえうるさいと思っているくらいなのにトランシーバーの向こう側の人たちはどう聞こえているのだろうと気になってしまった。

 男が叫んだ後、三回にわたって順番に了解!という返事が返って来る。それを確認すると男性はトランシーバーを片付け、小走りで近づいて来た。

「しっかりしろ!」

 真の元へと近くと男性は倒れている彼の体を起こしながら叫ぶ。それに対して真は弱々しくコクリと頷いた。

「そのまま耐えとけよ。勝手に諦めて死んだら許さんからな!」

 命令口調で言いながら男性はスーツを脱いで枕がわりにし、その上に真を寝かせて救急処置を始めた。

「はい……」

 掠れた声で真は返事をする。しかし、それは単にその場しのぎであって、耐える事自体は彼にとっては及び難い事に等しかった。

 傷口自体は大きくは無く、出血もそれほど一気に多く流れ出てはいない。けれども刺されてから大分時間が経ってしまっている。流れ出る量が少なくても時間が経てばそれそうの量にもなってしまう。

 しかも、刺されてから彼は蹴られたり叩かれたりしている。今ここで彼がまだ意識がある事自体奇跡と言ってもいいくらいだ。

 けれども、奇跡というものも、そう簡単に連続して起こってはくれない。一度死を受け入れてしまった以上、安易に取消す事は出来なかった。

 もちろん、本当に死にたいとなんて思ってはいない。男に殺されそうになった間際に言った言葉を撤回するつもりで真は意識を保たせようとは頑張る。

 だが、どれだけ抗おうとも、良くなっていっているという感覚が全く無い。逆に力がどんどん無駄に消費されてしまう為、時間が経つにつれて真の意識は疲労し始めた。


 助けてくれ……神様……


 この期に及んで情けないかも知れないが、無意識に真はこの台詞を漏らす。彼にとっては一種の賭けの様なものだろう。

 けれども、儚くもその言葉は誰かの耳に届く事無かった。

 ほんの僅か空に残る夕日の余韻が寂滅するのと同時に、真の意識は静かに消滅した。



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