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アナザーウェルト  作者: 赤井直仁
幻想からの嘆き編 序章・少年の決意
2/17

昼寝の時間

「……! ……くん!」

 どこからか声がする。 誰かを呼んでいるのだろうか。けれどもそんなことはどうでもいいと思いながら青年、神ヶ谷真(かみがやしん)はひんやりと冷たい机の上でうずくまっていた。


 この東高校に入学してから約3ヶ月が過ぎ去り、長期休暇が目前に迫ってきた時期となっていた。

 ここらから本格的な夏に入っていくのに連れて、日に日に気温は上がっていく。

 それに伴い、生徒の健康の為に学校では夏用の制服の着用と空調の使用を許可してくれている。しかし、それのおかげで学校生活が改善されたのかというと、別にそうでも無かった。

 夏用の制服とは言っても、ただ服が黒の学ランから白の半袖カッターシャツに変わっただけ。通気性も速乾性も皆無に近いので、これといった効果は得られない。

 空調だって年季が入っているせいで、流れ出てくるのはせいぜい生温い温風。新しいのに変えて下さい、とお願いはしているが、可か否かの返事も無いまま一年過ぎ去っていっているのが今の現状だ。

 幸い、真のクラスはは四階の最端で風通しの良い場所。しかも、彼の席は窓側と比較的好立地。そこに加え、お昼過ぎの五限目は厄介な太陽の光も差し込んでこない。

 そんなベストなこの状況を差し置いて授業を受けれる程、真は真面目では無い。ついつい風で冷やされた机の上に上半身だけを引っ付かせて昼寝をしたくなるものだ……。


「わあ‼︎」

 突然耳元で鼓膜が破れそうになる程の大きな音がした。

 真はその音に負けないぐらいの声で驚きながら感電したかの様に飛び起きる。 心臓もドクドクと動いているのが分かる程に強く鼓動していた。

 夢の世界に意識が吸い取られてしまったのか、視界が酷く朦朧としている。しかし、真はそれを気にもせず、辺りをキョロキョロし始めた。

 こちらを見てクスクスと笑っている人や、頭を抱えて呆れている人、見て見ぬ振りをする人など様々なクラスのみんなのぼやけた姿が目に入る。どうやら、クラスメイトの大半がこちらを見ている様だった。

 みんなどうしたんだろうか、と疑問が頭に浮かぶ。その疑問の解消と今の様子を把握しようと真は鶏のように首を忙しく動かし続けた。


 しばらくして視界が慣れてきた頃に後ろから右肩にトントンと優しい振動を感じる。誰かに呼ばれたのだろうかと真はゆっくりと後ろを振り向いた瞬間……。

「やあ!」

 不意に女性の軽快な挨拶がすぐ目の前から飛んでくる。声を上げる程にとまではいかなかったが、肩をビクッと弾ませ、声のする方から顔を背ける程度に真は驚いた。

 狼に怯える羊の様に彼は恐る恐る再び顔を振り向かせ直す。当然ながらもう一回驚かされるという事は無く、一人の小柄な女性が堂々と立っているのが見えた。

 丸くて顎がキュッとしまった顔、シミなど一つもないすべすべな肌、少しつり目で透き通った茶色の大きな瞳。清潔感を出すつもりなのかサラサラしていて艶のある綺麗な黒髪を後ろで束ねているが、かえってそれが大人の色気を漂わせていた。

 多分男なら誰しもが見惚れてしまうと言っても過言ではないくらい綺麗な人である。けれどもそれは世間一般の人ならそうであるだけで今の彼は全くそうは思ってもない。それどころか、彼女の顔を見てすぐ、意識が引き締まるのと同時に落胆に似た沈む感情を覚えた。


 この女性は繭宮志保。真のクラスの担任で彼が半強制に所属されている古典部の顧問担任でもある人だ。

 何事にも親切で熱心な人、おまけにこの容姿である為、男女共に周りからの評判がとても良い。しかも、このスペックでありながら結婚どころか彼氏すらいないのだ。彼女曰く片思いはしているらしいが、まあどうでも良い。

 彼女の実家が真の家が近所だということもあり、昔から暇さえあればしょっちゅう遊びにくる。最近なんかは家にいない親代わりにうちの妹の家事を手伝ってくれて、それはそれでとてもありがたい。

 だが、彼女は大きくなっても真に接する態度はなぜか小さい頃のまま。一応教師と生徒との適切な距離を保ってはいるのだろうが、お構い無しにベタベタくっついてくるのは正直ありがた迷惑でしかない。

 その反抗として何度か部活を無断で休んだり、冷たく接したりしているのだが、彼女の広い心の海に無残にも飲み込まれてしまっているというのが現状であった……。


「何か用ですか?」

 いつも通り嫌そうに真は質問する。けれども、彼がそんな態度を取ったところで先生の方の接し方が変わるという事は無かった。

「用も何も、君の様子を見にきたんだよ。おはよう真くん、眠れた?」

 微笑みながらからかうように先生は言う。それに彼は「はい……」と濁った返事を返した。

 それを聞いて先生は大きくため息を吐く。

「も〜、本当に何度同じ事を言わせるのよ!」

 グッと腰を屈めて顔を真に近づけ、ほっぺをプクーとフグみたいに膨らませながら彼をジーっと見つめる。彼女は怒っているつもりなのだろうが、怖さより圧倒的に可愛さが勝っていた。

「せ、先生……近……いです」

 魅力的な一人の女性が吐息も感じられる程の近さで可愛らしい仕草をすれば、いくら反抗的な態度を取っていようともそれが吹っ飛んでいってしまう。その影響で狂い始めた鼓動のリズムを正常に戻そうと真は声を振り絞って彼女に向かって言った。

「あ、ごめんごめん」

 それを聞いて先生はスッと体を起こし、オホン! と咳払いをする。なんとかこの状況から抜けることができて真はホッと息をついた。

 けれども、その安心の余韻に浸る暇を与えないかの様に、先生は再び話し始めていった。


「これで何度目かなあ。今日は珍しく授業の初めは一生懸命ノートをまとめていて感心していたがいつのまにか寝てたなんて…」

 先生の愚痴を耳にした途端、槍に突かれるみたいな鋭い衝撃が真の胸を貫通する。理由は簡単、彼女の言う通りにノートなんて書いていなかったからだ。

 授業が始まる少し前くらいになぜか無性に絵が描きたい衝動に煽られて、裏紙に描き始めた。思いの外に上手くいったが為に心の火がつき、バレない様にノートで隠しながら時間を忘れて書き進めていく。

 だが、その火も優しいそよ風に負けてしまい、気付けばいつの間にか眠ってしまって今に至っているのだ。

 手元を見ると描きかけの絵が若干ノートからはみ出ている。それを先生に気づかれないように真は完全にノートの下へスライドさせた。

「真!」

 突然名前を呼ばれて、彼の心臓は強く脈打つ。絵を隠したのがバレてしまったのかと思ったが、幸いそのことではなかった。

「君はここ最近、暇さえあればいつでも寝てるけど、体調が悪いの? もしそうなら言いなさいよ」

 心配そうに先生は言う。それに真は首と手を振って否定した。

「い、いいえ。違いますよ……」

「じゃあ何でよ〜」

 可愛らしく睨んで彼女は唸る。「心地良いこの環境に負けたからです」と真面目に素直と答える訳にもいかず、彼は苦笑してこの場をやり過ごす事しか出来なかった。


「本当、授業中に寝るのはやめてほしいわ」

 そう言って先生はそっぽを向いて腕を組む。その状態で彼女はそのまま言葉を続けた。

「授業してる私まで眠くなっちゃうもの、君がだらし無くよだれを垂らして寝ているとね」

 ポン! と効果音がついてきそうなくらい、真の顔が刹那の間で真っ赤に染まっていき、すぐさま手で口元を強く拭う。けれどもそこには、よだれどころか消しカスの一つすらも付いていなかったのだ。


 ザワザワと少し教室が騒がしくなり始める。「可愛い」だの、「単純」等のクラスメイトが今の真の反応を弄る声が笑いと共に聞こえてきた。

 真は真っ赤になりながら先生を睨む。先生はあざ笑うかのように見下していた。

「ついてないじゃないっすか!」

 嘘をつかれた事に怒って真は彼女に怒鳴りつける。だが、顔が今のままじゃ、説得力なんてものはあるはずが無かった。

 それを見て先生は怒りはせず、優しく指を真の頬に触れさせる。

「テキトーに言っただけだよ? 本当って思っちゃった?可愛いな〜」

 当てている指をクルクル動かして撫で回しながら彼女は大人の甘い声で囁いた。

「…う、うるひゃい‼︎」

 声を裏返して叫んで真は先生の指を振り払って、勢い良く机の上に無造作に置いてあった教科書に潜り込む。そしてそのまま彼は〈石像〉と化し、この授業が終わるまで動き出す事は無かった。


 それを見て先生は思わずクスッと可愛らしい笑い声を漏らす。それを見て、この一部始終を見ていた生徒達も笑い出した。

 最終的には恥ずかしがっている石像を除いてこの場にいるみんなの賑やかな笑い声が唱和し、この蒸し暑さを吹き飛ばしていった。


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