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アナザーウェルト  作者: 赤井直仁
幻想からの嘆き編 一章・アナザーウェルト
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計画(下)

 彼女の指が首から離れたのとほぼ同時に、首回りを締め付けていた見えない力が一瞬にしてどこかへ消えていく。けれども、その代わりばんこに今度は悪寒に似た戦慄が真の中を走った。

「き、急にやめろよ。焦るからさ…」

 彼女に模擬でかっ切られた箇所に手を当てて撫でながら真は言う。ただ指でなぞられただけだと分かってはいたが、実際に触って確認してみないと不安で仕方ないものだった。

「焦るも何も、私の指は刃物じゃあるまいし。切れる訳無いでしょ」

 そんな彼の様子を目の前で眺めながら彼女は言う。確かに彼女の言う通り、指圧の感覚以外に生温い血液や剥き出しになった柔らかい筋肉等の変な感覚は感じられ無かった。

「良かった…」

 そう小さく囁いてホッと放念の息を吐いて真は軽く脱力する。

「良かったって何よ」

 そんな彼を目の前から見ていた少女が不満そうに文句を言いつけてきた。

「例えあなたを殺した所で私に得な事なんて無いわよ。サンドバッグ兼囮りなんだからシャキッとしなさい、もう!」

「何だよサンドバッグ兼囮りって…。って囮り⁈」

 ぐったりと猫背の状態からバネの様に弾け上がって真は叫ぶ。まるできゅうりを見て驚く猫そのもの。数秒前に不安で怯えていた人とはどう見ても思えなかった。

「何よ、うるさいわね。囮り如きでそこまで驚かなくても良いじゃ無いの」

「何が囮り如きだよ!聞いてねえぞ、こんな事‼︎」

「まあまあまあ、そんなに怯えなくても良いのよ。死ぬ確率は低いから」

 興奮する彼に向けて満面の笑みで、おまけにウィンクを付け足して少女は言う。しかし、そんな彼女の姿が死へと誘う死神の様に真の目に写った。

「死ぬ確率が低くてもあんな化け物の囮りになるのだけは嫌だわ!そもそも囮りって何するんだよ」

 怖がり気味に真は抗議する。

「大事な事をするのよ。あいつらがいる場所はここから離れた所にある見晴らしの道路の上。別にそこで倒す事はできなくも無いけどリスクが高い。だから、見晴らしの悪い所まで連れて来て欲しいのよ。そこであいつらをパサっ…と斬り倒すってのが私の作戦だからね」

 熱くなって必死に話す真とは逆に少女は冷静に魔法陣内のマップを指差しながら自分の考えた案を発表した。

 そんな彼女の作戦を聞きながら真は脳内で話を整理し始めていく。

 最悪死を伴わせる可能性のあるこの作戦、そんなリスクのある案に誰だって乗りたくはないものである。もちろん、真の中にもそういう意見をいう自分がいたのだが、何と無く行ける気がするのではと思う自分もいた。

 しかも、少女の案に否定したいはずなのに、なぜか肯定する方に気が引き寄せられていってしまう。無理矢理忘れようとたり否定する気持ちに切り替えようとしたりしてもしつこく脳裏に浮かび出てくる為、一回脳内で賛成と反対の討論会を開いた。

 が、数秒間の激闘の末に賛成側の方が勝り、諦めて素直に真は勝った方の意見を飲んだ。


「…って事は、あいつらを見晴らしの悪い場所まで連れて行く囮りを俺がやれって言うのか?」

 確認のつもりで彼は尋ねる。「ええ、そうよ」と少女は了知した。

 躊躇いの無い彼女の返事が聞こえてきたのと共に真は口唇の隙間から吐息を漏らし、軽く肩を下ろす。その吐息はどこか不満さと不安さが感じられたのだが、表に出す事なく彼は心の引き出しに閉まっていった。

「でもよ、斬り倒すって言ってるけど、仮に連れて行けたとしてもどう倒すんだよ。刃物はおろか武器すら持って無いぞ?」

 軽く姿勢を変えながら真は再び質問を投げかける。

「武器ならここに取っておきのがあるわよ」

 そう答えて彼女は体を伸ばして、離れた所に転がっていたあの茶色に錆びた薄汚い洗濯棒を手に取って手元に移動させた。

「え?ぶ、武器ってこれ…?」

 目を丸くしながら彼女が持っている洗濯棒を指差す。短く喉を鳴らして少女は頷いた。

「雑誌みたいに地図とかを見る為に使うなら良いと思ったけど、武器で使うにはボロ過ぎるって…。やっぱりもうちょっと丈夫そうなやつは無かったのか?」

「だから、別にこれでもいいの。そもそも、ちゃんとした武器はあったんだけど、あなたが壊したせいでこれを使うしか無くなったの。まだ新品だったのに…」

「え⁈俺壊したっけ?」

「直接的には壊してないけど壊した!学校のトイレから脱出する時にあなたが急に、だ、抱いてくるから持ち出して来れなかったのよ!」

 頬を赤らめさせて少女は言い、そのまま俯いで黙り込む。そう聞いて真はもう一度トイレ内の景色を思い浮かべる。しかし、便器や鏡や壊れたモップの木製の柄が数本等あるだけで、これといった武器らしき物は無かった。

「そんな物無かった様な気がするけど…。気のせいだったとかじゃないの?」

 落ち着いた口調で真は少女に話しかける。しかし、彼女から返ってきたのは沈黙だった。

「お、おい。大丈夫か…」

「…もううっさい!サンドバッグ兼囮りのくせに生意気!バカ‼︎」

 静かに黙り込む少女に不安感を抱き、真は心配そうに囁く。そんな彼の台詞を遮って語気荒く怒鳴って赤面になりながら横目で睨みつけた。

 そして、魔法陣の溶媒に使われていない予備の雑誌を一冊手に取って振り上げていく。それを見て真はこの後、自分の身に何が起こる事のおおよそな察しが脳裏をよぎった。

「ちょ、え⁈待っ…」

 何とか止めさせよう慌てて真は説得に入る。しかし、まともな単語を発する前に振り下ろされた紙束が頬を炸裂し、情け無く低い呻き声だけを漏らして彼はそのまま後ろに倒れていってしまった。


「叩くの強すぎるって。ちょっとは加減を知ってくれって…」

「知らない」

「いやでも、そもそも俺はただ心配しただけで何もやってないだろ。何でそんなに怒ってるんだよ」

「知らない」

「それぐらい教えてくれんか?今度から気をつけるからさ」

「知らない」

 と、素っ気ない会話をしながら二人は小走りで赤く染まったコンクリート上を進む。けれども、二人仲良く並走しているのでは無く、先に少女、その一メートル弱後ろから真が追いかけているという状況だ。

 先程の民家で沢山の資材を調達してきたははずなのに、少女の手には彼女が言う武器である洗濯棒が一本のみ。そもそもこの棒であの黒い巨大な化け物が倒せれるのかが真にとって大きな謎であった。

 打撃武器として利用するには軟そうだし、刺突武器として利用するには鋭さが足りない様な気がする。叩けも刺せもしない物を使ってどう闇討ちをしようと言うのだろうか…。

 少女が持つ洗濯棒がどう使われるのかを勝手に考察しつつ、彼女の背後にくっついて走っていると、前から視界を右から左へ伸びる市街路が目に入る。歩道や新芽も多い小柄な街路樹のある少し洒落た道だった。

「着いたわ」

 小さな声で少女はそう呟き十字路の曲がり角の家の垣根に近寄る。どうやら、市街路の方には出ないみたいで、彼女は顔だけを覗かせて様子を伺った。

 真似する様に真も顔だけをひょっこりと出して辺りを眺める。家と道と木とがあるだけで特に変わった事は無かったのだが、数十メートル離れた所に何やら黒い塊みたいなのがある事に気付いた。

 手前から、手足が長めの痩せ細く髪の無い堅々しいマネキンの様なのが二体、その後ろに肉付きの良いのとダルマの様に体が異様な程に大きなのがそれぞれ一体ずつ。合計で四体の何かが道路の中央で屯っていた。

 容姿は違えども共通して、背は人間のおよそ二倍以上で色は漆黒。それと、胴体から頭にかけてのどこか赤い玉が一個はみ出した状態で埋め込まれていた。

 それらの情報から考えてみるに、こいつらが多分マップで確認した霊魔の群れなのだろう。


「実物はやっぱりいつ見ても怖いな…」

 掌から滲み出す冷や汗を握り締めて真は呟いた。

「はいはい、分かった分かった。だから早く行ってきてくれる?サンドバッグ兼囮りの人」

 そんな真の不安げな呟きに聞く耳を持たずに聞き流し、さっさと執行させようと彼女は彼を急かす。だが、人生初の囮り役をやる真にとって、彼女のこの要求は無理難題な物に近かった。

「いや、待てよ。さすがに心の準備が必要くらいはさせて」

「要らないでしょ。あっちに行ってあいつら引き連れて帰ってくるだけよ?」

「簡単に言うな!一歩間違えたらまた死ぬんだぞこっちは‼︎」

 向こうにいる化け物に気づかれないように息声で真は叫ぶ。

「あ〜もう。サンドバッグ兼囮りのくせに文句が多いわね」

 面倒くさそうに囁いて彼女は手を真の胸にかざした。

煙技(えんぎ)煙鎧(スモッグアーマー)

 今までのと違う新たな呪文を少女は手っ取り早く唱える。すると、かざしている彼女の掌の辺りから煙や(もや)に似た気体の塊が発生した。

 その塊は緩慢と真の体全体を包み込む様に隅々まで広がっていく。そして、少女が指全部を内側に曲げる動作に合わせて、彼を包んでいるぼやけている空気の膜が静かに消散した。


「これで良い?」

 腰に手を当てて嫌そうに少女は尋ねる。

「えっと、これはどう良いんだ…?」

 頭を傾げて真は答えた。今彼女に何かしらのものをかけられたのだろうという事は分かったが、その影響が全く見られ無かったからだ。

「はぁ…、今私はあなたに空気の鎧みたいな物を身に付けさせたの。空気だから全く感触とかは無いけど、痛みや傷がある程度無効化に出来る程の代物。例え霊魔から攻撃を受けたとしても大丈夫なはずだから。この状態であなたは霊魔の群れをどんな手を使ってもいいからここまで連れて来て。そこまでがあなたの役割、わかった?」

「う、うん。分かった」

 呆然としたため息を吐いた後、急な傾斜の上から水を流す様に少女は淀み無く自分の速いペースで術と作戦の詳細の説明を始める。だが、速い割にはとても理解しやすく、自然に真の記憶の中に記録されていった。改めて真は彼女の説明力に感服した。

「何か、ありがとな」

 説明をし終え、やり切った感が浮かびつつある顔をしていた少女を真っ直ぐ見つめて軽く微笑んで真はお礼を言う。すると、さっきまで彼に対して無愛想に振る舞っていた彼女の表情が予告も無く緩んだ。

「べ、別にあなたを助けたって訳じゃ無いわよ。怖い怖いってうるさかったら、しょうがなくしてやっただけ!か、勘違いしないでよね‼︎」

 再び顔を赤く染め上げて少女は焦る様に叫び、腕を組んで勢いよくそっぽを向く。実に可愛らしいものだっ…


 ブンブン!と真は勢い良く顔を横に振って今の思考を揉み消す。理由は簡単、自分を散々雑に扱って来た少女の事を可愛い等と認めたく無かったからだ。

「時間無いし、もう行って来るわ!」

 自棄糞にそう言って、真は目の前の少女を横に避けて市街路に向かう。彼女の照れと焦り混じりの表情が頭の中を埋め尽くしてくれたせいか、不思議にも全く怖いとは思わ無くなった。

「…最大限の保護はしたけど、む、無傷で帰って来なさいよ…」

 真が視界から消えた後すぐ、か細い声で少女は囁く。言い慣れない台詞だったのか、片言でとてもぎこち無かった。

 素でのそういう台詞を聞いたのは初めてだったので真は一驚しだが、その同時に心がほのぼのと和やかになった。

「ああ、お土産いっぱい引き連れて戻って来るから待ってろよ」

 彼女のその気持ちに答えようと冗談を交えて彼は答える。そして、手を後ろに伸ばしてポンと少女の肩を優しく叩き、真っ直ぐ前を見つめたまま真は市街路を力強く踏み出した。


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