時代維持部隊
「女房のお使いと……誤魔化してなんとか買えたんです……ゆっくり飲みたいですね……ハァハァ」
「野球中継があれば……最高……なんだがな……」
野球中継は今や無い。
正確には、存在はしている。
イケメンアイドルたちによる野球っぽい何かが、新野球として人気を博していた。
が、当然そんなものはオッサンには理解できない。
ピッチングマシンを操作するイケメンと、バッティングマシンを操作するイケメンを見るだけの中継を楽しめるわけもなかった。
そんな悲しい二人だったが、何とか地下水道の小部屋に潜り込む事に成功した。
元々そこは、この地下水道の整備道具置き場だったようだが、海水面上昇時に押し寄せた大量の水によって中身の全てが流され、今となってはただの小部屋となっている。
四畳もなく、雑多に物が並べられているだけで、カビ臭い場所だ。
だが、そんな所でも、いや、そんな場所だからこそ貴重な隠れ家となり得る。
ビール腹団はそこを拠点の一つとし、時折こうしてやって来ては、そこでビールに舌鼓を打つのだ。
「フウ……」
工藤は、そこにあったビールケースに腰をかける。
「よっこいしょ」
山東もまた、ビールケースに腰かけた。
「おいおい、よっこいしょは危ないぞ。ここは構わんが、反射的に出るのはヤバイ」
工藤が目をむく。
「おっと、これは失敬。この間も加藤さんがそれでやられましたからね……」
「いい奴だったのにな……」
「……」
無言の静寂。
会社で「よっこいしょ」など許される行為ではない。
即座に時代維持部隊に拘束され、時代教育を受ける羽目になる。
「……ビール、飲みましょうか」
「……そうだな。ぬるくなる」
工藤は、缶ビールのプルタブに指をかける。
もうオッサンを想定していないそのプルタブは、穴が微妙に小さくなかなか指が入らない。
半ば強引に開けると、きゅぱっといい音を立てた。
「乾杯しましょう」
「ああ、自由と……それから加藤に」
「ええ……乾杯」
「乾杯」
二人が缶を合わせ、それから口につけようとしたまさにその時――
「動くな」
ドアが蹴破られ、黒いボディーアーマーと装束に身を包んだ集団が突入してきた。
「なっ!?」
「ジタイ!?」
それはまさしく時代維持部隊である。
その数六人。
部隊を先導するのは若い女性だった。
他の隊員と異なり、ドイツ軍を思わせる黒い制服に身を包み、鋭い相貌で二人をねめつけた。
タイトな制服によってシルエットが強調されているが、その体は引き締まり、相当な鍛錬を積んでいることが一目でわかる。
彼女こそ、時代維持部隊の隊長の中でもやり手と言われる式堂綺羅星である。
今やこの国は女性を中心に回っている。
未曾有の地球規模大災害は、被害が比較的少なかったとはいえ、少子化の進む日本には致命的な事態だった。
これに対し、時の政府は徹底的に女性を優遇し、出生率を上げる事を目指す。
結果、権力は女性に集中し、だらしないオッサンたちは底辺の存在となったのだ。
女尊男卑というわけではない。若い男性は重用されているし、時代管理対象外の老人も特段被害はなかった。
冷遇されるのは流行に乗れない働き手のオッサンだけである。
そんなオッサン二人が、時代維持部隊の向けた銃口を前にすくんでいた。
無論、実弾が装てんされているわけではない。
出てくるのはゴム弾だが、当然痛いなんてものではないので、怯えるのも当然だった。
「体型維持法違反、酒類購入法違反、集会法違反……その他もろもろ、現行犯で逮捕する」
綺羅星は冷たく言い放った。
「このようなアジトまで用意するとは悪質極まる。小遣い二十年停止は免れまい」
「そ、そんな!?」
山東が悲鳴を上げた。
現在の日本では、父親は家庭に奉仕する存在として認識され、私欲慎むべしと小遣いは月三千円以下が望ましいとされている。以下であるので、この山東などは月千円であり、今回のつまみとビールは月一度の楽しみであった。
彼の腹はたるんでいるし、ビール腹団などと自称しているが、実はビールによるものではない。
ロクなおかずも作ってもらえず、パスタをおかずに白米ばかり食べていたら太ったのだ。
炭水化物偏重は容易に人をプヨプヨにする。
工藤も似たようなものだ。
だからこそ、彼らにはビールが必要だったのだ。
それすらも出来なくなる。
さながら、それは死刑宣告だった。
「見逃してください……うっうっ」
山東は泣きだし、地を這うように綺羅星の足にすがりついた。
「触るな!」
綺羅星はその顎を蹴り上げた。
「ぎゃっ……!?」
山東は呻き、顔を上げる。
そこに、部隊員たちの銃口が一斉に向けられた。
「動くなと警告した。無視は公務執行妨害と見なす」
「えっ……!?」
「制圧する」
ダダダダダ……無慈悲な音が鳴り響き、ゴム弾の雨が山東に叩きこまれた。
「うぎゃああああああ……!?」
まともにゴム弾を大量に浴びた彼は、絶叫してそのまま気絶した。
口の端からは泡が漏れ出している。
その有様を、工藤は呆然と見ていた。
だが、僅かの間をおいて、彼の中に熱いものが湧きあがった。
「血も涙もないのかあんたらはっ!!」
工藤は、綺羅星に向けて叫ぶ。
「俺たちは、この国のために、会社のために、カカアのために、娘のために、汗水たらして働いて来た! てめえの親父だってそうだろう! こんな仕打ちをして、なんとも思わねえのか!! おお!!」
はらわたが燃えるように熱い。
溜めに溜めた怒りが、彼の口から吹き出した。
だが、綺羅星は涼しげな顔をしている。
「言いたい事はそれだけか? 勘違いするな。貴様らは貴様ら世代が造り上げた社会に、自ずから適応できなかったのだ」
「なっ……」
「貴様の言う通り我々は貴様らの汗より生まれた。ゆえに我々はこの社会の成り立ちに関与していない。生み出されたシステムに則り、これを執行するだけ」
工藤も言葉を失った。
なぜなら、それはある意味で真実だったからだ。
かつて、ゆとり世代の批判が高まった事があるが、実際に彼らにゆとり教育を行ったのは上の世代であり、子どもゆえ当然選挙権のなかった彼らをゆとりと断じるのは筋違いだ。
それと同様、オッサンを弾圧しているのもまた、かつて彼らが選挙で票を投じた政治家なのだ。
自らでまいた種と言えばそれまでだった。
「く……」
しかし……しかしだ。
だからといって限度というものがある。
「逆切れと言いたきゃ言え……!」
工藤は背中に手を伸ばした。
それの動きに、綺羅星は敏感に反応する。
「動くなと言った。……撃て!」
部隊の面々が銃口を向けた、その瞬間――
「うっ!?」
「ぐわっ!?」
次々と悲鳴が上がる。
彼らの肩には黒く薄い正方形の何かが突き刺さっていた。
銃を構えた一般隊員五人が、銃を取り落として呻く。
「何だこれは!」
綺羅星が声を荒げる。
「フロッピー手裏剣……!」
工藤の両手には、指の間に挟まれた複数のフロッピーディスク。
しかも5インチである。
「ふろっぴー……だと?」
綺羅星は見た事も無いものであった。
初めて見た彼女には、それがまさか記憶メディアだとは夢にも思わないであろう。
もし彼女が本部のデータベースにアクセスすれば、それが時代維持法違反の中でも第一級違反物だと知るだろうが、そもそも希少すぎて違反物だとも思い当らなかったのだ。