33.アンジェリクの熱い夜
ダニーチェク宿屋を出たギルバートとアンジェリクは、並んで歩いている。
暗い夜空の下、通りにはまだ飲み屋や宿屋の明かりがチラホラ見える。
アンジェリクは自分の家に向かって歩きながら、物思いにふけっていた。
(何だろう、この嫌な感じは・・・・・)
(なんか体の一部分が、剥ぎ取られてしまったような違和感・・・・・)
彼女はチラっと、ギルバートに視線を向ける。
今まで何回も夜道を一緒に歩いたギルバートが、全く別人のように感じた。
心細くなり、思わず手を伸ばして彼を掴みたくなる。
しかし、実際には動けずに、暗い思考の海に沈んだまま。
時だけが意味もなくゆるやかに、過ぎていった。
すぐ隣にいるのに、彼は透明な結界の向こう側にいるよう。
こんな事は初めてで、自分も含めて異なる世界に迷い込んでしまった気がした。
(私がおかしいのかな・・・・・)
(もう一緒にいる資格もないのかな・・・・・)
(昔は傍に居てくれるだけで、幸せを感じたのに・・・・・)
◇ ◇ ◇ ◇
アンジェリクがギルバートと知り合ったのは、もうかなり前になる。
ギルバートが王都騎士団とともに、この街に遠征してきたのがきっかけだ。
彼女が冒険者として、まだ駆け出しの頃だった。
その頃のギルバートは騎士団長として、多くの人から信頼されていた。
彼に憧れている若い女性も、当然のように多くいた。
アンジェリクは最初から、ギルバートに熱狂したわけではない。
むしろ、入れあげている仲間の冒険者たちを、横目で見ながら呆れていた。
駆け出しの若い冒険者が、憧れの騎士を夢見るのはしょうがない。
そうは思うものの、実際に、個人的に知り合えるはずがないと醒めていた。
ところが、何の因果かアンジェリクはギルバートと知り合う。
魔物が大量発生した際に、騎士団と冒険者ギルドで共同作業を行ったのだ。
他の冒険者や、街の娘が言い寄っても、まったく見向きもしなかったギルバート。
不思議とアンジェリクとは、最初から会話がスムーズに成立した。
騎士団の最前線に立って、ギルバートは魔物の対応を指示していた。
彼女は仲間の冒険者達と一緒に、その指示通り魔物の処理を進めていった。
アンジェリクはテキパキと物事を処理する彼の能力の高さを、目の当たりにした。
そして、一緒に事に当たる楽しみを、徐々に感じていった。
もうそうなるとギルバートに魅力を、感じないでは居られない。
ギルバートも彼女に話しやすさを感じたのか。
ギルド職員や他の冒険者ではなく、彼女と話を多くするようになった。
アンジェリクは積極的に、個人的な相談をするようになる。
やがて当然のように、男女の関係となった。
ギルバートがウイングボーンに来た時には、彼女と付き合うようになっていった。
そういう関係にってしばらくして、ギルバートがいきなり王都騎士団を脱退。
そのまま王都所属の冒険者となった。
同じ冒険者となったことで、アンジェリクは行動を共にしたいと希望した。
しかし彼は、かたくなにソロで依頼をこなすようになっていった。
(ギールはルカさんのことが、好きなのかしら)
(私を好きとは言ってくれる、でも一緒には戦いたくないと・・・・・)
(分からない・・・・・本当に、分からないわ)
アンジェリクは自分が苦しく感じている理由が、はっきりとは分かっていない。
ただ彼に新しく好きな人ができる事が、嫌な気分の理由ではないと感じていた。
今までも、他の町に付き合ってる人が何人居ようが気にしたこともなかった。
(ギールはルカさんに女を求めていない。本当の仲間として見てるんだ)
(ずっと一人でやってきて、初めてできた本当の仲間)
(それが私じゃないから、こんなに悔しいのかしら・・・・・)
女性に対する対応、少なくとも自分に対する態度と、ルカ・ルーへの対応の違い。
それがアンジェリクに大きな衝撃を与えているのは間違いない。
漠然と、自分だけは特別に扱われているという自負心。
そういう物が根本から、打ち砕かれそうになっていた。
通りが街の中心部から離れるにつれて、店の灯りが徐々に減ってくる。
アンジェリクの中の灯りも、引きずられる様に減っていく。
やや俯きながら、無言で歩を進める二人。
アンジェリクの部屋にたどり着く。
ドアの前で、しばしたたずむ。
言葉も交わさずに、お互いの顔も見ない。
いや、見れない。
無言のままアンジェリクは部屋の扉を開け、中に入る。
ギルバートは気だるそうだが慣れた動きで、後から続いて入っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
ギルバートはアンジェリクの部屋のベッドのそばにある椅子に、座っていた。
彼女の部屋に来ると、いつもギルバートが座る場所。
数日前に来た時もそこに座り、楽しく談笑していた。
今はいつになく厳しい顔で、ベッドに腰掛けているアンジェリクを凝視している。
彼女は両手をベッドに置き、やや肩を落としていた。
自分の少し前の床を見つめ、そこに何かを見つけ出そうとしているかの如く。
(私は、何なんだろう)
(ギールは、私をどうしたいの?私はどうすればいいの?)
(なんだろう、この力が抜けていく嫌な感じは)
部屋は薄暗く、小さな光玉を閉じ込めたランプが、隅の方にひっそりとしていた。
アンジェリクはほとんど動かずに、ピントの合っていない瞳に淡い光を映し出す。
表情の無い顔が、一層弱々しく儚げに見えた。
「俺は・・・・・君のこと・・・・・」
ギルバートはポツリと呟く。
「好きなんだと思うが・・・・・自信は無い・・・・・」
「自信が無いって、どういうこと?」
「俺は・・・・・他人といるのが苦手、知ってるだろ?」
「ええ。私と一緒に居るのも苦痛?」
「いや。他のヤツらと違って一緒に居ても苦にはならんし、楽しい。ただ・・・・・」
ギルバートは視線を落として、アンジェリクの顔から目を離す。
「愛とか、そういうのがよく分からない」
「私のことは好きだけど、愛してはいないってこと?」
「・・・・・正直に言う。俺は今まで、人を愛したことはないと思う。親でも仲間でも、女性でもね・・・・・」
「ギールは他の街にも、彼女がいるじゃない」
「ん。付き合っていると言えるのは君を含めて3人。ただ、他の2人には、最近は会いに行っていないし、それほど会いたいとも思わん・・・・・」
「私はあえて、その人たちのことをギールに聞いた事無いし、私だけを愛して欲しいなんて思ってもいなかったのよ」
「そうだな。今まで、それについて話した事は無かった」
「噂では聞いた事あったし、それはそれで、しょうがないとも思っていた。でも、今回の事があって、改めて考えさせられたわ」
「ああ、今まで通りじゃ、いられなくなるだろうな」
ギルバートは再び目線を上げ、アンジェリクの顔をしっかり見つめる。
「俺は不器用なのかもしれん。自分の気持ちがよく分からん」
「自分の気持ちを100%分かる人なんていないよ」
「そうかもしれん。でも、アンジーは俺の事が好きなんだろ?」
アンジェリクはギルバートに見つめられて、自分の中に火を点される気がした。
「ええ。今日、今、私は、はっきりと理解したわ。あなたが好き。心から愛している。もう誰にも渡したくない」
「俺はどう応えればいいのだろう・・・・・」
「素直な気持ちが知りたいわ」
「・・・・・それが分からないから、悩んでいる」
「私のことが好き?」
「・・・・・好きだと思う。君の傍にいると、心が和らぐ」
「私のことを愛している?」
「分からない。人を愛すると言う事が、どういうことなのか・・・・・分からない・・・・・」
ギルバートは頭を下げて、左右に首を振った。
アンジェリクは自分の鼓動が速くなるのを自覚。
顔面がほてりだしてる事には、気付かない。
(ギールが私を好き。これは真実)
(私は本当に、本当にギールが好き。心の底から愛している。断言できる)
(ギールに愛してもらえば、一生一緒に居ることができる!)
彼女は自分の中に隠れ潜んでいた、本当の自分を探り当てたのか。
気持ちが高揚していくのを、抑える事ができない。
「ねぇ、ギール」
「ん」
「愛って、人それぞれだと思うのよ」
「だろうな」
「私は思い込みじゃなくて、実感として、あなたを愛してる、と言い切れる」
「・・・・・」
「でも、あなたは、急ぐ必要ないのよ」
アンジェリクが強い眼差しで、ギルバートを見つめる。
「嫌いじゃないのなら、今まで同じく、傍に居させて、お願い」
「・・・・・ああ、俺も、君と離れたいと思ったわけじゃない」
「よかった」
「だが、やっぱりパーティは違うと思う。ゴメン、うまく説明できない」
「やっぱりルカさんと組むの?」
「ああ、それは確定だ」
「ルカさんが好きなの?」
「・・・・・分からん。ただ、彼女も他のヤツラとは違って、一緒に居ても気が楽だ」
「あの子を愛しているの?」
「・・・・・分からん・・・・・」
「私とどっちが好きなの?」
「・・・・・分からん・・・・・」
「同じくらい好きってことなの?」
「・・・・・だから、分からんって。逆に聞くけどな。愛するってどういうことなんだ?」
ギルバートが少しイラだって、逆に質問をする。
「愛は愛よ。私はギール、あなたを見ていると、それだけで幸せを感じるの」
「それが愛なのか?」
「私の愛は・・・・・そう、私の全てを与えたいし、あなたの全てが欲しいという気持ち」
「俺の全て・・・・・」
「あくまで私の気持ちだからね。実際にはギールが楽しく満足して生きていけて、私がその手伝いをできるのが、理想かもしれない」
「んん・・・・・」
「もし、私かあなたのどちらかが死ななきゃいけないとなったら、私はためらいなく死を選ぶわ」
「・・・・・」
アンジェリクを見つめるギルバートの目の力が、少し強くなる。
「俺はそういう考え方は、好まない」
「なら、あなたならどうする?私を殺すの?」
「いや、二人がどうにかして生き延びるために尽くす」
「だから、どちらかが死ななきゃならない状況なんだって・・・・・」
「そんな状況になる前に何とかするし、そうなっても、あがいて両方とも殺されようが、最後の一瞬まで俺は戦う、二人とも助かるようにな」
ギルバートの強い目線を受けながら、アンジェリクの鼓動はさらに高まる。
「ギールらしい。そうだよね。諦めるなんてことあるわけないか」
「俺は生きたいように生きる、死の瞬間まで納得できるかどうかが、全てだと思ってる」
「自分のことは愛しているのね」
「こういう気持ちを愛と呼ぶのならそうなんだろうな」
「私のことは、そこまでじゃないのね」
「分からん。自分が分かっていないって事だけしか、分からん・・・・・」
◇ ◇ ◇ ◇
しばらく見詰め合う二人。
凍りついたように、どちらも身じろぎもしなかった。
そのまま時間が過ぎ去ろうとした時、全く気配もなくアンジェリクが立ち上がる。
ギルバートは動きもせず、目線だけアンジェリクの目に合わせる。
彼は椅子に座っているので、アンジェリクの方がやや上から見下ろしている形。
アンジェリクは少し顎を引いて、ギルバートの右目を突き破るくらい見詰めた。
それからゆっくりとギルバートに歩み寄る。
彼のすぐ前で立ち止まり、少し腰を屈めた。
自分の顔を、ギルバートの顔に近づけていく。
両手を彼の頭に沿え、こげ茶色の髪を優しく撫でる。
二人とも視線ははずしていない。
アンジェリクはギルバートの頭を優しく抑えたまま、顔をさらに近づけた。
そして、彼のおでこに、自分のおでこを触れさせる。
「おでことおでこのキスは、信頼のキス」
アンジェリクは、優しい声色で囁く。
「頭が溶け合って一つになるくらい、深い信頼の証」
ギルバートの右目の中に、淡く自分の顔が浮かんでいた。
その顔に、彼への深い信頼が潜んでいる事を、アンジェリクは確信する。
ギルバートは動かない。
しゃべらない。
ただただ、アンジェリクを見詰めていた。
しばらくして、アンジェリクは彼から顔を離す。
そして同じ様にゆっくりと、右頬を彼の頬に触れさせた。
「頬と頬のキスは、慈愛のキス」
アンジェリクの囁き声が、さらに優しくなっていく。
「頬を通して、大切に思う気持ちを取り交わす儀式」
頬が接してる間は、お互いの視線は交わらない。
アンジェリクはそっと目を閉じている。
ギルバートは相変わらず、真っ直ぐ前に向けていた。
やがて頬の柔らかさ、熱さをかみ締めながら、アンジェリクは、顔を正面に戻す。
再び目線が絡み合う。
触れ合う前より、やや柔らかくなった目線を彼女は感じる。
自分の体中が、喜びだすのを自覚した。
アンジェリクはまた顔を近づけていく。
彼女の鼻先が、ギルバートの鼻にそっと触れる。
「お鼻とお鼻のキスは、誘惑のキス」
アンジェリクは顔を微かに左右に動かし、彼の鼻先を撫でる。
まるで春先の穏やかな風が、寝ている赤子をあやすように、どこまでも優しく。
「私の魅力を、ゆっくりとあなたに注ぎ込む快感」
顔を揺らしても目線ははずさない。
二人の右目に見えない線が引かれたよう。
この線は、いったいどちらから延ばされたものなのか。
やがて、アンジェリクは顔を離す。
じっと見詰め合う二人。
彼女は顔をもう一度、ギルバートに近づける。
少し顔を左にずらして、目線はつながったまま、右目と右目が急接近。
睫が触れるか触れないかの距離で、相手の目の中を覗き込む。
瞬きするのも、もったいない。
「目と目のキスは、挑戦のキス」
アンジェリクの囁きに、少し力が篭る。
「瞳の奥に隠れている、本当の気持ちを探り出す意思」
大きくなったギルバートの茶褐色の瞳、中心から奥を覗き込む。
全てを吸い込むようでいて、最奥まで入り込むのを拒むような圧力を感じる。
彼の目には、自分がどう写るのか。
アンジェリクには知るすべもない。
時間にして一瞬の、気が遠くなるような時が経過し、彼女は顔を離した。
ギルバートの表情が最初より、明らかに柔和になってきているのを感じた。
(あぁ、ギール・・・・・好きよ・・・・・)
(もう離れたくない・・・・・)
我慢できずにアンジェリクは、すぐに彼に顔を寄せる。
両手でギルバートの頭を抱いたまま、真正面から見詰め合う。
「唇の、キスは、情熱の、キス」
今までよりもゆっくりと、相手に少しずつ渡すように言葉を繋ぐ。
「私の、全てを、燃え上がらせて、あなたに捧げる、真実の愛・・」
最後の方は唇が触れ合いながら、囁いた。
彼の唇をついばむように、甘い吐息を分かち合うように。
自分とは異なる弾力のある暖かい唇に触れた途端、唇から全身に炎が湧き立つ。
アンジェリクの目から明らかに、ギルバートを欲する欲望が投げ出された。
ギルバートはゆっくりと優しく両手を彼女の体に回し、抱擁をする。
そしてちょっと顔を傾け、力強くアンジェリクの口をこじ開け、舌を絡ませた。
アンジェリクの熱い思いを、ほんの少しもこぼさないと決めたかのように。
(あぁぁ、ギール。もっと、もっと、ギール!)
キスを続けたまま、ギルバートは立ち上がる。
アンジェリクを抱きしめたまま、ゆっくりとベッドに近づいていく。
膝の裏がベッドの当たったアンジェリクは腰をそのまま落とす。
ギルバートは彼女に負担が掛からないように、優しくベッドに押し倒していった。




