26.模擬戦
「ふうう」
「お疲れ」
ギルバートがヘルムを脱いで魔法鞄に戻し、ルカ・ルーに声を掛ける。
「お見事でした」
「これだけの大物だと一人ではきつかった」
「すごい迫力でしたね。こんなに大きな魔物と戦ったのは初めてです」
「ほっといたらこの森の主になっていたかも」
「かもしれませんねー」
戦いが終わり、依頼を遂行できた安堵感。
ルカ・ルーは体から力が抜けるような気がした。
「ちょっと、座って休んでもいいですか?」
「ん、いいけど、熊の足でも触っていてくれ」
「あ、素材ですか?」
「そう。毛皮が高く売れる。肝も。あと爪」
「その爪はすごかったですね」
「んむ。これだけでりっぱな武器になる」
ギルバートは説明しながら、ジャイアントグリズリーの死体を解体し始めた。
「あと爪は討伐の証になるから」
「うん」
「後片付けが終わって一休みしたら、俺たちの勝負か」
「あー、そういえばそのために来たんでしたね。今の戦いで頭から飛んじゃってました」
ルカ・ルーは本来の目的を思い出す。
今の戦いを振り返り、ギルバートの動きを頭の中で再現しようとした。
しかし、緊張感が抜けてしまったためか、何とも気合が入らない。
彼の具体的な動きのイメージは、あまり頭に浮かんでこなかった。
ジャイアントグリズリーの強烈な攻撃だけが、どうにも頭から離れない。
ふうとため息をつき、とりあえず戦いの事は後で考える事にした。
ギルバートは一心に、毛皮を剥ぎ続けている。
(ジャイアントグリズリーが死んだら、辺りの雰囲気が普通に戻ったなー)
(洞窟の中はどうしようかな。臭いので入りたくないな)
ルカ・ルーはのんびりと草の上に座り、空を見上げる。
真っ青な空に、かわいい雲がところどころ浮かんでいる。
風の動きはほとんど感じず、雲も動いているようには見えなかった。
目を瞑って、耳を澄ます。
遠くで木々が揺れる音、生き物が草の中で動く音。
それらが微かに聞こえてきて、命の存在が実感できた。
ゆっくりと目を開けて、目線を下ろす。
左手で熊の左足を掴みながら、森の木の幹をじーっと見つめた。
(ウイングボーン近辺の狩場はかなり面白いなー)
(ベアバレーとは獲物が全く違うから、いい経験ができそう)
(でも一人だとこのアッシュベリーの森は危険だな)
(ズールエイプやライノルースは一人じゃむりっぽいし)
「風弓さん」
「・・・・・」
「風弓さんっ!」
「・・・・・あ、はいっ!」
話しかけられたのに、ルカ・ルーはぼーっとしていて気づくのが遅れた。
「なんか、のんびりモードに入っていない?」
「そ、そんなことないですよ」
「遠くの方をじーっと見たまま動かなくなってたけど?」
「あー、これ私の癖なんです。考え事している時に何かを見つめちゃうんです、すみません」
「ま、いいけど。とりあえず処理は終わった」
「はい。ありがとうございました」
「癖と言えば、君よく、ひょいっ、って口にする」
「ああー、言ってましたか・・・・・それ意識して無いんですよね」
「まあ、特に気にはならんけど、狩りや戦闘の時だと相手に自分の位置を教えちゃいそう」
「なんですよねぇ。なるべく言わないようにしてるんですけどね」
「気をつけた方がいい」
「はい。そうします。師匠にもよく怒られていたので・・・・・」
返事をしながら、ルカ・ルーはジャイアントグリズリーの死体から手を離す。
しばらくして死体は消えてなくなった。
後には魔石と刺さっていた矢が残っている。
彼女は立ち上がって、矢を拾い集めた。
「さっきの戦いの途中で、なんかやった?」
「と言うと?」
「ズールエイプやライノルースを、呼び出していたでしょ」
「あー、あれですか。ちょっとだけでもジャイアントグリズリーの気を惹こうと」
「あれはなんだい?」
「『幻影』って言うん精霊魔法です。精気を操作して絵を描くんですよ」
「戦いの途中であんなことができるんだ」
「精密じゃないんで気を引けても一瞬ですけどね」
「十分効果的だった」
「良かったです」
『幻影』はルカ・ルーは自分で考えた精霊魔法の使い方。
実際の戦闘で役に立ったので、すごく嬉しかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「勝負するか?ここの場所、ちょうど良さそう」
「私はいつでもいけますよ」
「んじゃ、やっちまおう」
洞窟前は広さもあり、魔物も近寄らないので戦うには都合が良さそう。
ただ、とにかく臭かった。
「うーん、可能なら、もう少し森の中が私の好みなんですが・・・・・」
「ん、俺はそれでも構わない」
「では、向こうの森の中に移動しましょう。あの辺も魔物がほとんどいませんし」
「わかった」
二人は洞窟の前を離れて、森の中に入る。
木が生い茂って移動がしにくく、視界も悪かった。
「ほんとに、ここの方が戦いやすいの?」
「はい。木も草も自分の一部みたいなもんなんです」
「ほう。それじゃ始めるか」
「少し距離をとらせてください」
「ん。俺はここで10数えてから君を探す。それまで好きに動いてくれ」
「了解です。矢を体のどこでもいいから当てればいいんですね?」
「そう。俺は練習用の刃のない剣で、君の体に触れるとしよう」
彼らは向き合って真剣に話した。
移動するにつれて気の緩みがなくなり、神経が張り詰めだしたのを感じる。
「んじゃ。始める」
「よろしくお願いします!」
挨拶をしてからルカ・ルーは、勢いよく森の中を走り始める。
慣れたフィーレンの森と似ているので、移動に困る事はほとんどなかった。
精霊魔法による探知能力を使い、地形を把握して障害物を見極める。
時には木を伝って高速で移動した。
すぐにギルバートの視界から消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇
開始の合図と共に、ルカ・ルーがすごい勢いで離れて行く。
それを見て、ギルバートは驚いた。
(どうやったらこの濃い森の中で、あんな速さで移動できるんだ?)
(あれが精霊魔法の威力なのか)
ギルバートは今まで、騎士団で多くの時間を過ごしていた。
その頃を思い返してみたが、ここまで俊敏に動き回る戦士はいなかった。
斥候を担うダークエルフやエルフも、騎士団には多くいた。
そのほとんどに負けていない素早さだと理解した。
俊敏性、探知力、弓での攻撃能力。
それらを考え合わせると、相当な実力者であるのは間違いない。
騎士団にいたら極めて貴重な人材となっていただろう、と感嘆した。
(これはかなり気合入れてやらないと、負けるかもな)
(というか、相当不利なルールだぞ、これは)
ヘルムを魔法鞄から出して頭に被る。
10を数え終わったギルバートは、ゆっくりと動き出す。
ルカ・ルーが向かったと思われる方向に、歩いていく。
油断をしないように、気配を探りながら進む。
(ヘルムを被ると視界が狭いから、矢がくるのに気付かないかもな)
(ん!)
木を避けて草の塊をまたいだ時に、左前方から異様な気配を感じた。
左手の盾を上げたところに矢が当たる。
矢が来た方向を気にしながら大きな木の陰に隠れて、様子を伺う。
(んん!)
今度は右方向から矢が飛んでくる。片手剣で叩き落した。
(これは隠れるのは、ほぼ意味ないか)
ギルバートには射手の場所は分からなない。
覚悟を決めて、適当にあたりをつけてダッシュをする。
少し走っても、ルカ・ルーの姿は全く見えない。
首を少しずつ振って、左右にも気を配りながら移動を続けた。
大きな木に手を掛けて、その向こうを覗こうとする。
コツン
ギルバートは頭に違和感を感じる。
あっと思った時にはもう遅かった。
「矢が当たりましたね」
「むむむ」
頭上を見上げたら細い枝の上にルカ・ルーが居て、ニコッと笑っていた。
「待て待て。このルールじゃ、俺に勝ち目はない」
「確かにそうかもですね」
「範囲を決めないと追いつけないし、近寄れないと的になるだけ」
「お互いが見えるところで戦わないと稽古になりませんね」
「だな」
ギルバートは基本的に負けず嫌い。
どんな勝負でも負けるのが、とにかく嫌いなのだ。
「んじゃ、見えない所に行くのは禁止」
「分かりました」
「次ぎ始めるぞ」
「はい」
ルカ・ルーが枝から飛び降り、再びすばやく離れていく。
しかし今度は見える範囲で立ち止まり、こちらを見つめている。
ギルバートは彼女に向かって移動を開始する。
しかし、距離を詰めようにも、同じ距離だけ離れられるのでなかなか縮まらない。
ピシュッ
ルカ・ルーが矢を放ってくる。
ギルバートは剣で叩き落としながら前に進む。
ルカ・ルーが見える所にいるのだが、全然間を詰められそうもない。
移動速度と俊敏性の差が明らかなのだ。
「ちょっと待った」
「はい」
「これじゃ埒が明かない。というか稽古にもならん」
「うーん。範囲を決めなきゃだめですね、やっぱり」
「訓練場と同じくらいの広さに決めてその中で戦わんとな」
「分かりました。そしたらこの近辺からあまり動かないで戦ってみましょう」
「そうしよう」
ギルバートは剣と盾を構えて準備をする。
ルカ・ルーは弓に矢をつがえて対峙した。
「んじゃ、始めよう」
「はい!」
ギルバートはいつものように、スタスタとルカ・ルーに向かって歩き出す。
彼女は今度は数歩後ろに下がって、矢を放つ。
ピシュッ
ピシュッ
ピシュッ
3連射するも、ギルバートはことごとく剣で払って叩き落す。
彼はさらに詰め寄り、ルカ・ルーの胴に向けて剣を大きく薙いだ。
彼女はギルバートの剣の動きをしっかり見ながら体を捻って避ける。
ギルバートは払った剣を止めずに前に突き出す。
ルカ・ルーはそれを飛んでかわした。
「すばしっこいな」
「それしか取り得ないんです」
「そんなことないだろ」
ギルバートはにやりと笑いながら、再びルカ・ルーに迫る。
彼女は辺りの地形を確認しながら、少し左の方に動いた。
ギルバートは追いかける。
ルカ・ルーが止まったので、さっきよりも深く踏み込んで剣を突き出した。
彼女は体を捻って、再び左に避ける。
ギルバートの剣はそれを読んでいたように、かわした方に追いかけて横に払った。
ルカ・ルーは飛び上がって、剣をかわした。
(ここだっ!)
ギルバートは、彼女が飛び上がったので動きが単調になると予想する。
着地する瞬間を狙うつもりで剣を引いて、すぐに打ち込もうとした。
トン
ルカ・ルーは飛び上がると同時に、横にあった木の幹を蹴る。
そのまま大きく右に飛び出していた。
予想外の動きに、ギルバートは剣を打ち込むタイミングを逃した。
(くそっ。そこまで考えて木のそばに移動したんだな)
再び彼らは対峙する。
予想の上を行く彼女の俊敏性に戸惑い、ギルバートは決め手が得られずに居た。
(こうなったら力技で行くか)
ギルバートは剣を立てて持ち、一瞬止まり、頭の中で呪文を唱える。
『水吼』
剣を横に払いながら青い魔素を、ルカ・ルーに向かって放出した。




