《蓮の父》
チンチロリン、リインリイン キリキリキイ ジャカジャカ チョンチョン
修忍小屋の天井をぼんやりと眺めながら、櫂は去年の村祭りの夜を思い出していた。
そういえば、もう一年たったんだな~。
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櫂の頬をつたう涙が顎先に溜り堪え切れずに、
ポトン ポトン 数滴地面に落ちた時、スーッと戸は閉まり、霧の優しい氣が消えていく。
櫂は俯いたまま俵神輿と一緒に一軒一軒回っていく。
よ~い よ~い よ~い よやっせ~
よ~い よ~い よ~い よやっせ~
ド~ン ピーヒャラ ド~ン ドド~ン
ド~ン ピーヒャラ ド~ン ドド~ン
威勢のいい掛け声と太鼓、笛のリズムがずっと遠くで鳴っているようで、櫂の耳にはあまり入ってこない。
鶴水の家、章句の家を周り最後に蓮の家の前に来た。
家族全員が玄関前に並び蓮を見送る。
「では行ってまいります。」
それは強い決意に満ちて使命感に溢れる口調だった。
その言葉通り蓮は家族の期待を一身に背負っている。
お父さんは村でただ一人の常駐乙種戦忍だが甲種には成れず、その夢を蓮に託していた。
一緒に夙川村を出たのは鼻タレ鶴水とギョロ目の章句だ。
鶴水と章句の二人とは同じ年なので一緒に修業はするが、遊ぶことは殆どなかった。
なんだかあまり氣が合わない。
修忍里に来てからは何故か同じ村の出身者は他人行儀になるので却って良かった。
櫂は水渡りで勝った後に一度だけ蓮の家に呼ばれた事がある。
家に入った瞬間から何かが違った。造りはほぼ一緒だが何故か雰囲気が全然違う。
きれいに片付いている室内にはチリひとつない。
でもそれだけでは説明できない違和感を櫂は覚えた。
「口に合わないかもしれないけど。」
蓮のお母さんは珍しいお菓子を持ってきてくれた。
目の前には蓮のお父さんがジッとこちらを見ている。
物音一つしない屋敷内で戦忍と二人きりだと緊張してお菓子どころではない。
「櫂はうちの蓮に水渡りで勝ったそうだね。」
顔は優しいが口調はなんか怖い。
「ではその大草鞋を見せてくれるかな。」
昨日の訓練の後に蓮に大草鞋を持って遊びに来るように言われた。
他の家には何度か呼ばれた事があるが、蓮の家は特別で鶴水も章句も入った事がないと言っていた。
蓮のお父さんは櫂が持ってきた大草鞋を丹念に調べると。
「蓮、こっちに来なさい。」
蓮はオズオズと櫂の横に座った。
「これはうちの大草鞋より随分と劣ったものです。お前が負けたのは単純に自分の未熟さです。今日は食事抜き。いいですね。」
そう言って蓮を厳しい目で見据えた。
「はい。」
隣からは蓮の鼻水をすする音が聞こえてきた。
気まずいので隣を見れなかったが、ギュッと口を結び、声を出さずにポロポロ涙を流す蓮の姿が容易に想像できた。
蓮の涙を見たのは後にも先にもこの時だけだ。
「櫂、今日はありがとう。遠慮せずに召し上がれ。」
そういってお菓子を勧められた時、ブ~ンと蠅の音が聞こえてくる。
次の瞬間プスッと微かに音がして蠅の羽ばたきが聞こえなくなった。
蓮のお父さんが手にする棒手裏剣の先には胴体を貫かれた蠅が手足をバタバタさせていた。
そうだ、この家には虫の気配が全くないんだ。
櫂は違和感の正体がこの時に分かった。
帰りに玄関の戸を開けた時、軒先から蜘蛛がツーッと蓮の鼻先に降りてきた。
「ウワ~ッ、蜘蛛~」
と飛び退いた真横からシャッと棒手裏剣が飛んできた。
「未熟者!」
屋敷内からお父さんの叱り声が聞こえた。
今日は蓮の涙を初めて見て、悲鳴を初めて聞いた。
そして蓮は蜘蛛が大嫌いなことも初めて知った。
玄関先の大欅には棒手裏剣で串刺しになったオニ蜘蛛が手足をバタバタさせていた。




