《鍼忍小屋》
その夜は久しぶりに鍼忍様の治療を受けに行った。
鍼忍小屋では全盲の勇雅が先に治療を受けていた。
「勇雅も怪我したの。」
「あっ櫂もきたのか。」
嬉しそうにくちゃっと笑っているのであろう、その笑顔から発散される氣はホンワカしてこっちまで優しい気分になってくる。櫂はこの笑顔が大好きだった。
「怪我じゃなくて修行だよ。」
隣の畳に座り、意味が分からずにキョトンとしていると、それを察したのか
「僕は戦忍じゃなくて鍼忍になりたいんだ。」
櫂は勇雅の目標をはじめて聞いた。
「僕は今日もビリだったし、この目では戦忍は難しいと思う。」
分かってはいたが、櫂にとってその言葉はちょっと衝撃的だった。
「鍼忍も自分でなりたいから成れるとは限らないけど、僕は絶対に鍼忍になりたいんだ。」
何かあったのだろうか、口数の少ない勇雅が仰向けで治療を受けながら話し始めた。
「この里では差別も逆差別も全然ないでしょ。」
確かにそれは櫂も感じていたことで、修忍里の良さだと思っていた。
「そうだね、最初はこの感覚が新鮮だったよね。」
「櫂はこの里の状況を本当はどう思ってるの。」
別に悪いとは思っていないけど、勇雅が突然しかも真剣に聞いてくるので、
「いやっでも、」
とチラッと鍼忍様を見て口ごもると。
「今治療してるのは鍼忍になりたての慈暖で耳が全く聞こえないんだ。」
櫂はもう一度鍼忍様を見ると、目が合いニコッとして
「他に鍼忍様や見習いは居ないの。」
「他の鍼忍様達はみんな修行に出てるよ。」
そういう事か、
そういえば里に来てから半年経つが、今まで勇雅と二人きりで深く話した記憶はない。
基礎感覚修行の行き帰りでも最初は教忍が付いていたし、慣れてくると勇雅は鍼忍様か灸忍様と一緒に帰っていくので、鍼忍慈暖が居るとはいえ、本当に二人きりで話すのはこれが初めてかもしれない。
「勇雅はいつも修行の後に鍼忍様か灸忍様と一緒に帰るでしょ。あれは小屋で治療を受ける為じゃなかったの。」
「うん、これも修行なんだ。」
「どういう修行なの。」
「ただ治療を受けるだけだよ。」
「えっどういう事。」
「本当に治療を受けるだけだけど、毎回違う症状を鍼忍様に伝えてるんだ。」
「そっか、治し方を覚えてるのか。でも嘘の症状はバレないの。」
勇雅は大きな声で笑いながら、
「あはは、とっくにバレてるよ。でもみんな知らない振りをしてくれてるよ。」
鍼忍と灸忍の修行は里内部でも極秘事項で、どこでどんな修行をしているのか櫂達には全く分からない。
しかし治療を受けるのは自由で、みんな怪我をすると鍼忍様か灸忍様の治療を受けにくる。
修行内容は秘密でも治療内容までは秘密にできない。
きっと時間があれば治療に来ている勇雅の本気度が鍼忍様にも伝わったのだろう。
「勇雅は凄いね。」
「そんな事ないよ。ちょっとズルいけどね。」
櫂は勇雅がものすごく大人に思えた。
「話を戻すけど、櫂は差別が全くないこの状況で何か考えなかった。」
「・・・何を考えるの。」
勇雅が何を言いたいのかさっぱり分からなかった。
「今日から本格的な木渡りが始まったけど、やっぱりビリだった。」
目が見えないのでそれは仕方のないことだが、
「櫂は自分が許せるの。」
普段は穏やかな勇雅の語気が急に強まった。
「言い訳になるかも知れないけど、それは仕方ないことだよ。」
櫂は思ったままの言葉を口にした。
「だから自分にも言い訳ができないんだ。」
勇雅はそんな風に考えているのかと少し戸惑っていると、
「僕は目が見えないからって修行で特別扱いしてほしいとは思わない。」
「でもどうやってもビリなんだ。」
「結局は一人では何もできない。」
続け様にそういうと口をギュッと強く結んだ。
「それは今日が初日だったからでしょ。きっと明日は二度目だからビリではないよ。」
何と答えればいいのか困ったが、少し励ましの意味も含めてそう答えると叙里の顔が浮かんできた。
あの運動神経の無さを思えばあながち嘘ではないと自分なりに納得していると。
「でもそれが実戦だったら全てが初日だよね。」
ガツンと頭を殴られたような感じだった。
櫂はそこまで考えてもいなかった。
それが普通だと思っていた。
そして勇雅がそこまで考えていたのかと思うと、更に自分が子供のように感じた。
「僕は生まれてからずっと目が見えなくて。」
「村の人達はみんな優しかったけど、今思えば逆差別で。」
「感覚修行は厳しかったけど、最近は感覚で物が分かり初めたんだ。」
「それが分かると、目が見えないと言っては人に頼ってばかりの今までの自分が許せなくなってきた。」
「目がハッキリとは見えなくても、誰にも頼らずに自分に出来ること、一番になれる事を目指したいんだ。」
ここまできたら、勇雅と僕は大人と赤ちゃんくらいに考えのレベルが違う。
「ゆっゆううが、すごいよ。。」
何故か鼻水と涙が溢れてきた。自分でも何で泣いているのか分からないけど、多分目が見えなくなってからの自分の境遇と、勇雅の半端ない説得力の両方だろう。
「ごめん、そんな、泣かすつもりじゃなかったのだけど。。。」
「違う、僕自身の問題だよ。勇雅は関係ないよ。」
涙を拭きながらそう答えるのが精いっぱいだった。
「櫂なら僕の思いを分かってくれると思って。」
僕の泣きが予想外だったのか、先ほどの力強い口調から、子供を安心させる様な感じでいつもの穏やかな口調に代わった。
櫂は鼻水をすすりながら勇雅の手を握り。
「分かるよ、よく分かる。」
勇雅もその手を握り返し。
「櫂、いつまでも友達でいようね。」
「おう、望むところだ。」
わざとおどけて返した。
「そういえば、今日、木から落ちたの櫂でしょ。あの時は大丈夫そうだったけど、どこか怪我でもしてるの。」
「いや大した事はないんだけど、小屋のみんなが鍼忍様に診てもらえってしつこいから。」
「そうだったの、いい仲間がいて良かったね。」
良いんだか悪いんだか、でもあの三人と居ると退屈はしない。
パンパン、パンパン。
勇雅の治療が終わったようで、鍼忍慈暖は最後に締めの叩打法をというものを行っている。
「ところで勇雅は、今日は何の治療を受けたの。」
「不妊症だよ。」
忍衣を着ながらそう答える勇雅に、櫂は一瞬なんの事か分からなかったが、
「子供が出来ないから治療してとお願いしたんだ。」
くちゃっとしたあの笑顔でそう言うと、
「あははは、じゃあまた明日ね。」
二人でひとしきり笑うと、勇雅は鍼忍慈暖に深々とお辞儀をして小屋を出て行った。
男である勇雅のニセ不妊治療が終わり、櫂の番になった。
木から落ちたこと、ちょっと擦りむいただけで大したことは無いけど、少し腰が痛く首も痛いことを伝えようと必死で身振り手振りをしてると、
ガラガラーと戸が開き。
「あっそうだ、言い忘れたけど鍼忍慈暖は読唇術で言葉は分かるからね。」
それだけ言うと少し意地悪なくしゃっと笑顔で去って行った。
「おい、勇雅それは早めに言ってくれよ。」
気まずい空気の中で鍼忍慈暖の笑い声が小屋にこだました。
翌日からの木渡りは昨日の反省も踏まえて、より集中して行うことにした。
櫂は思った以上に早く渡れて五十位に入れたのだが、団丸は六一位、勇雅は九八位で叙里が最下位だった。
ここまであはある程度予測をしていたが、なんと木系村出身のはずの桃が八四位だった。
そして予想以上だったのが蓮の凄さだ。
木から木へあっという間に飛び移り、信じられない距離の木々も羽でもあるかのように宙を飛び難なく渡りきる。
僕たちの夙川村は水系なのに木系の修忍を抑えて二日目からは断トツの一位だった。
そしてもう一つ予想外だったのが木渡り最終日に起こった出来事で、なんと叙里が三六位に入った事だ。