第二章 承 《修忍の里》
「産まれたい」
櫂がそう叫ぶと周りの景色がグルグルと周りだし意識が遠のいていった。
・・・・・・・
・・・・・
・・・
どの位経ったのだろうか、気が付くと微かに川のせせらぎとイノシシブタの声が聞こえてきた・・・・・
「あ~またダメだったんだな~」
櫂はまだ覚醒しきっていない頭で、目を閉じたまま失敗の原因を考えている・・・
「それにしても、あいつの正体が河童だったなんて!」
ふっと鼻先がひんやりして、甘い爽やかな匂いが眉間の奥から顔全体に広がってきた・・・
「あ~もうそんな季節だったな~」
意を決していったん大きく息を吸い込み、甘い香りと新鮮な氣を臍下丹田に入れて十二分に味わってから目を開けると、薄紅色の物体がふわふわと春を楽しむように舞っている。
春の光に舞い踊る桜は櫂の淡い視力世界ではより一層幻想的だった。
何気なく鼻先についた花びらをつまんで、ぼんやり眺めていると。
「カイー」
遠くから少し鼻にかかった舌足らずの声が聞こえてきた。
本当にいつ聞いても気が抜ける声だが、お蔭で気負いが少し和らいだ。
身体を起こして声の方を見ると、桃が水車小屋の方からあぜ道をこっちに向かって走ってくるようだ。
おそらく気付け水を汲んできたのだろう。
「かいぃ~~~」
今度は何だか間延びした、間抜けな大声が後ろから響いてきた。
このいつ聞いても鼓膜が嫌がるバカでかい声は団丸に違いない。
それにしてもなんでコイツはいつも握り飯を持ってくるのだろう。
高熱でうなされている時も、試験前で緊張している時も、厳しい修行の合間の幸せな休み時間でもいつも握り飯だ!
きっと今も握り飯を取りに行ったのだろう。
でも、それで全て上手くいくと思っているのはお前だけだという事をまだ気付いていないようだ。
「櫂・・・」
突然斜め後ろから、気難しそうな声がした。
振り返るまでもない、叙里だ。
この気配を消す能力と悪知恵だけは超一級品で、おそらく修忍では一番だろう。しかし悲しいことに身体能力は全く備わっていない。
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櫂達の年は二十一の班に分かれている。
四人組が三班、五人組が十五班、六人組が二班。全員が頭に黒い鉢巻を巻いている。
一つ上の年は白、もう一つ上の年は黄の鉢巻だ。その色によって黒年、白年とまとめて呼ばれる。
里に着いた修忍はキジ引きという方法で初日に班分けされる。
根元に班の番号が付いたキジの羽がその番号が見えないように袋の中に入っている。
それを一人ずつ引いては袋に戻すのだが不思議なことに、同じ班番号を引くのは決まって四~六人で、し
かも同じ属性の村出身者は六人班以外では一人も混じらない。
これも修行を通して全ての属性をお互いに理解しあう為の龍神様のお導きらしい。
ちなみにこの日に行われたのが入りのキジ引きで帰りのキジ引きというものもある。
修忍は各地域から毎年百人以上集まってくる。
多い時は百五十人以上になるらしいが、櫂達の年は九九人と比較的少ない年だったようだ。
修忍の里に着いた日に点呼があったが、長老達は九九人という人数に少し驚いていたようだ。
どうやら修忍の里に来る途中で五人消えてしまったようだ。
去年の秋に来た一つ下の青組でも九九人だったので、長老達は更に驚いていた。
その時は十人以上が来る途中で消えたらしい。
詳しいことは誰も教えてくれないが、最近は修忍の里に来る途中で神隠しにあう修忍見習いが増えているようだ。
そう考えれば自分達は運が良かったんだなと思うが、ここでの厳しい修行漬けの毎日を送っていると、不謹慎だが神隠しにあった方が幸せだったのかもと考える日もある。
里の朝は早く寅三つの鐘の音とブギャーブギャーと煩いイノシシブタの声で起きる。
起きてすぐに朝の修行が始まる。
寅三つで起きるのは夙川村の頃と大差ないが、畳でゴロゴロできないので修忍里の冬は特に辛い。
里に着いてから最初の三日間は全体研修だった。
毎年修忍見習いが来ると里人全員で緊急時の対処方法を再確認し、その後の歓迎会で交流を深める。
里の外れに住んでいる嘉仁や咲夜は毎年この時期にしか里に顔を出さない。
嘉仁は最年少で戦忍頭になり天才忍者と言われていたらしいが、今ではハグレ灸忍でいつも酔っぱらっているエッチな年寄にしか見えない。
咲夜は権力を持った公家や武士を次々と籠絡した最強のくの一と言われていたらしいが、今は酒好きな太ったおばさんだ。
櫂が里に来て一番驚いたのは修忍全員が、小さいころから怖い津島忍者の昔話を知っていたことだ。
櫂は霧から一度もそんな昔話を聞いたことがない。
その時にハッと気付いたのだが、そういえば霧の親の話を一度も聞いた事がなかった。
もしかしたら霧も親に聞いていなかったのかもしれない。
霧は僕のちょっとした変化もすぐに気が付く。
風邪をひいた時も当の本人の僕より先に気付いて、着物をたくさん掛けて温めてくれたり、冷たい水に浸した布をオデコにあててくれたりする。
今思えば霧は本当に僕を大事に育ててくれて、何でも分かってくれているが、僕はそれに甘えてばかりで霧の事は何も分かっていなかったようだ。
里の噂では嘉仁はその津島忍者の生き残りに会った事があるらしい。
瀬戸内海のある島に津島忍者の生き残りがいて嘉仁が戦忍頭に成ったばかりの頃に戦った事があるそうだ。
櫂は怖いと言われている津島忍者の昔話を聞く度に逆に心が躍りだした。
もし本物がいたのなら、それはどんな忍者だったのか、本当に怖かったのか聞きたいと思っているが、何故か里ではその話は聞いてはいけないようだ。
修忍の里に来た当初、櫂はその昔話を聞いた事がないので、困ったことがあったら何でも相談に来るようにと言われた通りに超長老に相談してみたら
「それは修業に関係ない、忍者を戒める為のただの作り話だ。」と言われ、それ以上聞ける雰囲気ではなかった。
仕方なく他の長老に聞いても答えは同じだった。
では何で嘉仁はその津島忍者の生き残りに会った事があるという噂が流れているのだろう。
それを嘉仁に直接聞きたいのだが、年に一度しか里に来ない上に、来ると直ぐに大酒を飲んで酔っ払い、酒癖も超がつくほどに悪いので未だに聞けず仕舞いだ。
四日目の朝からは食事の前に早駆けが始まった。
里に来た当初はこれが本当にきつかった。
早駈けは村周囲の野山を二里ほど駆け回る。
修忍里の作りは叙里の居た金出地とよく似ているらしい。
だが、その規模は金出地村の数倍はあるようで、何しろ修忍達が住む家だけでも百軒以上あり、その上に教忍小屋、常忍小屋、長老小屋、集会所等ゆうに三百軒以上ある。
櫂は走るのが得意な方だったので、修忍里のような大きな集落でも、周囲の野山を一周するだけなら体力的には、そうつらくはなかったが、裸足で走るのと忍者駆けをするので、最初は足の裏がズルズルに剥けた。
忍者駆けは腰を落とし足を地面ぎりぎりで前後に動かす。
櫂はぼんやりとしか見えないので、はじめの頃は全神経を地面に集中しないとアチコチにぶつかってしまい切れたりした。
かといって足元だけに集中していると、時々教忍が投げてくる泥玉を避けられない。
これが目に入ると火が出るようにすごく痛いし、口で吸い込むと咳き込むくらい喉がヒリヒリする。
それが鼻だと最悪で焼けてしまったように半日は嗅覚がダメになった。
泥玉の中は乾燥した辛子が入っているらしく手で払うと弾けて散らばり、却って目や口や鼻にに入りやすくなる。
足元に集中しながら泥玉は体捌きで避けるしかない。
半年程続けると足裏の皮も厚くなり、全方向に集中できるようにもなってくるので、朝駆けはだいぶ楽になる。
そうして朝駆けが楽になってくる頃には、次々と新しい基礎修行が始まった。
その中でも特に体が悲鳴を上げたのが犬走りだ。
四つん這いの状態で丘を駆け上る。
左手、右手、右足、左足の順番で前に出す。普段と使う筋肉が全く違うので、これに慣れるまでは本当に大変だった。
最初は何でこんなに疲れる犬の格好で山を登らなければならないのか分からなかったが、慣れてくると斜面が急になればなるほど犬走りの効果が実感できるようになった。
犬走りで急な北山の斜面を登りきった時の疲労感は半端じゃなかったが、登頂に要した時間は忍者駆けの半分以下だった。
犬走りと違い鹿走りはとても楽しかった。
この走り方は主に下りで使うのだが二本足で飛ぶように走る。
なるべく遠くへ飛ぶように着地した足を素早く力強く蹴りだす。
グングンと加速していく最中は視力が殆どないので恐怖心もドンドンと増していくが、鳥になったように風を切り裂いていくあのスリルと解放感が櫂は大好きだった。
ただこの修行の前には五点着地からの前方回転と受け身の訓練だけを延々と三か月もやらされた。
最初は何の為にやっているのか分からなかったが、いざ鹿走りの修行が始まるとその理由が良く分かった。
速く走れば走る程に怪我をしやすく、特に斜面の角度が急に変わる時に飛び出し角の判断を間違えると大けがに繋がる。
着地予想点の斜面角度に合わせて蹴りだす方向を微調整するのだが、櫂にとってこれは本当に難しかった。
現に鹿走りの後は体中アザだらけになっていた。
またこの前方回転は平地に着く時にも有効で、駆け下りてくる推進力をゴロゴロ転がって前方向に変換してから、そのまま立ち上がって駆け出す。
この時の異次元の速さと爽快感は格別で何とも言えないものだった。
昼食後は剣や格闘などの体術の基礎修行を行うが、櫂と勇雅だけは皆とは別内容の基礎修行が待っていた。
櫂はぼんやりと形や色を認識出来る弱視だが、勇雅は生まれつき目が全く見えず今でも光さえ感じない全盲だ。
それでも教忍は手加減せずに、厳しく指導をしてくれる。
最初は目が見えない二人には少し手加減する意味での別修行なのかと思ったが、いざ始まってみると普通の体術修行の方が楽なんじゃないかと思えるくらいに相当しごかれた。
しかしある意味これはこれで気持ちいい感覚でもあった。
夙川村に居る時は霧だけじゃなく村人全員が目の見えない櫂に気を遣いアレやコレやと世話を焼いてくれた。
最初はとても有難くて感謝の気持ちと、手を掛けさせてしまい申し訳ないという気持ちで一杯だったが、次第に気を使われる事に窮屈さを感じるようになってしまった。
相手の親切心を思うと言葉には出せないが、櫂は視覚に障害があるだけで他は何も問題がない。
一度覚えてしまえば一人で何でもできる。
もっと自由にさせてほしいという願望が徐々に芽生えてきた。
しかし初めて行う修行や作業には手助けが必要なのも分かっている。
その時だけは手を貸してほしいが、それ以外はほっといてほしい。
手伝ってもらっておいて、もういいよとは言い難くく、ズルズルと最後まで手伝ってもらい、情けない自分にこっそり泣いたこともある。
その点、修忍里の微妙な突き放し感は丁度良かった。
櫂や勇雅以外にも視覚や聴覚、手足にも障害を持った里人は沢山いるので一人だけ特別扱いはできないのもあるが、それだけ障害者が多いので対応には慣れているのだろう。
視覚に障害がある二人には、夕食後も基礎感覚修行が待っていた。
これは二日に一度行われる特殊な修行で鍼忍様と灸忍様により指導される。
始まりは忍禅と同じく左足を右の太腿に乗せ、臍の下で左手の上に右手を重ね、両手の親指先端を軽く合わせる。
背筋を伸ばしあごを引きぼんやりと半間程先に目線を落とす。
呼吸は鼻から吸って丹田に溜め微かに開いた口からゆっくりと吐き出す。
この状態で「しばらく精神を集中し内面と向き合え。」
と最初に言われたが未だに内面とは何かよく分からない。
当初は忍禅中に内面とは「無とは何か」「空とは何か」と色々考えてしまったが、結局何も分からない。
その間にも基礎感覚修行として鍼忍様と灸忍様が色んな氣を飛ばしてくる。
それを受けるか弾き返すのだが、全く上手くいかない。
いつしか無理に考えるのを諦めて、きっといつか分かる時が来るのだろうと思うことにしたら、何故か飛ばされてくる氣が分かるようになってきた。
そして三か月ほど経つと実際にまつぼっくりや泥玉のように実体のある物が飛んでくるようになった。
この修業は想像以上に集中力が必要で一刻もやると精神的にクタクタになる。
最初は皆が休んでいるのに何で自分達だけこんなに修行をやらなければならないのかと思ったが、徐々に感覚が研ぎ澄まされてくると、見えなかったはずの色や形が感覚的に分かるようになりとても楽しくなってきた。
今では体から出る氣の色や形で、里人の判別ができるようにもなっていた。
教忍頭の幸軌は里で一番怖い。
教忍は甲種戦忍の中で指導力に優れた者が長老会議で推薦される。
戦忍達は各村に分散配置されており、これだけ纏まった甲種戦忍を見ることが出来るのは修忍里だけだ。
はじめは憧れの甲種戦忍をこんなにたくさん間近に見られて、とてもワクワクして話を聞くだけでも嬉しかったが、数日たつとそれが、当たり前になり。
今では甲種戦忍を見るだけで憂鬱な気分になってくる。
中には章允のような優しい教忍もいるが、その多くは怖くて厳しい。
特に教忍頭の幸軌はこれでもかという位にしごいてくれる。あの無口な叙里でさえ小屋では幸軌と群暮の悪口を言っている。
教忍頭の幸軌は修忍に厳しく当たるが自分にも厳しく、何事にも本気なので修行中に手を抜く隙がない。
群暮も修忍には厳しいが時々修行を各自に任せてこっそり居なくなる時がある。
ある時、何をしているのだろうと後をついて行ったら、ただ遠くを見つめてボーっとしてるだけだった。その時は少し修行がサボれるので、みんなには好評だが蓮は大嫌いだと言っていた。
教忍は他にも沢山いるが教忍頭の幸軌、章允、群暮、有慈と実那が黒組の担当だ。
有慈はいたって普通の教忍で、実那は女ながら物凄い怪力だ。