《悠子と清盛》
「お父さんもう行かないで。」
またこの夢で目が覚めた。
「久しぶりに見たけど・・・まだ心に残っているのね。」
心の呟きに囚われそうになる自分をぐっと抑えた。
手を大きく広げて深く深く呼吸をしてから障子戸を開けると、庭の木々は微かに風に揺れ、草木は朝露で上機嫌に輝いている。
「おはよう。」
女は草木に話しかけるように挨拶をした。
すると庭一面の草木がザワザワと風に吹かれ
「おはよう、おはようございます。」
とそれぞれ返事を返しているようにも見える。
庭の先には簡易な門があり、そこには従者を二人連れた精悍な男が立っていた。
その男は庭木に話しかける悠子を見つけると、大きく手を振り存在をアピールした。
それに気づいた悠子と目が合うと満面の笑顔で丁寧にゆっくりと会釈をし、屋敷に入れてほしいと身振りで訴えかけた。
それを見なかった事のように自然に振る舞い続ける姿にシビレを切らせた男は、
「悠子どの今日こそ返事を聞かせてほしい。」
風情のない男の真っ直ぐな言葉に、悠子は無視するように屋敷に入ろうとすると。
「お父様の調査書も持参しました。」
と従者の持っている大きな箱から分厚い書簡を取出し、こちらにに見えるように両手で頭上に掲げた。
悠子はその言葉に大きな溜息が出そうになるのを抑えて空を見上げた。
真っ青な空には風に舞った木の葉が一枚ゆらゆらと舞い踊っていた。
仕方なく結界を解いて、男を迎え入れた。
この屋敷の四方には強力な結界が張り巡らされており、やましい魂が宿る生き物は入ることができない。
この男に限らず今までにこの結界内に自力で入ることができた人間は一人もいない。
男は結界が解かれた門からそそくさとこちらへ近づいて来る。
庭の木々は男の侵入を嫌がるように一斉に揺れだし、朝露で輝いていた草や葉は急速にその輝きを失っていった。
悠子は身支度を整える為に一旦屋内に引っ込んだ。
男は玄関前まで来ると立ち止まり、悠子の支度が待ち遠しいのかソワソワして落ち着きなく従者にあれやこれやと指示を出し始めた。
しばらくして「清盛殿お待たせしました。どうぞお入りください。」
その声に待ってましたとばかりに男は勢いよく板扉を開けズカズカと屋敷に入ってくる。
従者を連れて土間に立つ平清盛はまだ若いが才気に満ち溢れ、伊勢平氏の棟梁である平忠盛の側室の子でありながら家督を譲り受けている。
悠子と対面したその顔はやや紅潮し、まだ本題にも触れていないが屋敷に入ったという事実だけで幾ばくかの達成感をも漂わせていた。