ブックハンター登場 間章
騒がしいを学校から戻り、報告を入れてからマンションの近くに出ると既に夜中だった。
若干の物寂しさがあるのは、騒がしい場所から静かな場所にきたからだろうか。 分かりきっていることを誤魔化すようにそう思い、近くのコンビニに入る。
明日は潜入の用意をするだけで一応は休日だが、利優には構うなと言ってしまったし、あの様子だと俺と関わることに懲りただろうから、一人で過ごすことになるか。
しっかりと身体を鍛え直すには時間も足りないが、まだ治ってはいないがリハビリがてら軽い運動ぐらいはしておくことに決める。
夕飯の弁当と飲み物を買い、まっすぐにマンションに向かう。
しばらく働いたら、利優はもう狙われても大丈夫な場所にいるだろう。
一つ、肩の荷が降りた。 あとは利優の出生のことについて伝える役割もあるが、それは利優の父と相談して鈴に代わってもらえばいいだろう。
ぬるい風が頰を撫でる。 若干の不快さにため息を吐きつつ、気持ちの悪い感覚が気を楽にしていることに気がつく。
必死で彼女のため、と思い、それを叶えられたときに感じたのは喜びではなかった。 虚無感と呼ぶには軽すぎるかもしれないが、何かが欠けたような感覚。
母を殺してから、もう結構な時間が経った。 人を殺した感触に慣れてから、多少の時間が過ぎた。 利優に惚れてから、短い時間が終わった。
大切な人を失って、一人になった。 大切な人を守って、やることをなくした。
存外に甘えたがりなのか、利優を守るといゔ役目が終わったために、母に会いたいという思いが強くなる。
……利優とした約束があるから、まだ死ねない。 優しくするように言われてるから、二人には極力近寄らないようにした方がいいだろう。
死ぬのは、二人が俺を忘れたあとだ。 別の場に居を移して、一年もしてから適当に別の支部に移ってから死ねば気がつかれないだろう。
あと一年、生きよう。 それで人生を終えたら楽に済む。
あと一年だ。 それでもう終えられる。 そう思えば、今にも死んでしまいたい虚無感を誤魔化すことが出来る。
夜も遅くに自宅に戻り、適当に電気を点けて、弁当を机の上に置く。 はあと息を吐き出したところで、弁当以外の食べ物の匂いを感じる。
妙に思いキッチンを見ればシチューが鍋に入れられていて、少し冷めたそれがあったことに気がついた。
そんなことをする人物など一人しかおらず、思わずその場に立ち竦んだ。
視界がグラグラと揺れ、考えが崩れそうになる。 これ以上の関わりは彼女の幸福を邪魔するものでしかないことを理解している。
余り物というような量ではなく「俺のため」と分かるそれを見れば見る程に、足場が崩れていくことを感じる。
喉が鳴る。 美味いことは知っている。 利優の作ったものだ、不味いはずもない。
その鍋を掴み、蓋を取って流し台にひっくり返して置く。 粘着質なために残るそれを水で流すが、具材は引っかかって残る。 匂いも同様だが、無視する。 買ってきた弁当をゴミ箱に突っ込み、シャワーも浴びずにベッドに入り目を閉じる。
すぐにブレる自身の底の浅さに吐き気を覚えながら眠った。
目を覚ますと、何かが焼ける音が聞こえた。 顔が綻びそうになったことに節操のなさを感じ、恥を覚えながら立ち上がって玄関に向かう。
「あ、先輩っ! おはようございます。 昨日ご飯を食べてませんね? そんなのダメですよっ! 今作ってるので、座って待っててくださいね。 朝ごはんは生きる活力ですよ」
朝早いのによく起きれたな。 早起きは苦手だったはずなのに。 彼女と一緒に笑うことに強い魅力を感じるけれど、これ以上、俺のような人間に関わらせたくはない。
まだ理性が勝っている。
「勝手に入るな。 飯も買って食うからいらない」
財布だけポケットに入れて外に出る。 食欲はないので、軽く走ってからにするか。 多少痛みを覚えるが鈍った身体を少しでも元に戻すために走り続ける。
いつものコースを走り終えて、筋肉痛にならないように軽く歩いてからストレッチを行なって身体の調子を取り戻す。
一応通院しなければいけないので、病院に行って小言を聞いてから自室に戻る。
エプロン姿の利優が自信満々な表情を見せながら机の上に料理を並べているのを見て、話しかけてくるのを無視して脱衣所に入りシャワーを浴びて汗を流す。
服を着替えて、もう一度外に向かう。
「あの、先輩、先輩の好きな和食ですよ? 一緒に食べましょうよ」
「もう食ってきた」
自室で能力の訓練をしようかと思ったが、利優がいるならそれも出来ないので組織の訓練室を使うことにする。 トンネルの中に入り、慣れた道を歩いていたら白兼の顔が見える。
また捕まって面倒なことになると思ったが、 偶々居合わせた角に連れられたことで回避出来た。
異能処理班の角が半分私物化している部屋に連れ込まれ、してやったり顔を向けられた。
「助かったろ。 あいつ面倒だからな」
「……ありがとうございます。 あれから挨拶もほとんど出来ず、すみません」
「いや、お前も忙しいだろ? それに俺がどこにいるかも分からないだろうから仕方ない。
そんなことより……酷い顔をしているがどうした?」
自覚はないが、そんな顔をしているのだろうか。 多少食っていないが、身体に不調をきたす程ではないがはずだ。
「いえ、特に何も」
「……ああ、高校で惚れた女が出来て、離れ離れとかそんなのか?」
「まあ、似たようなものです」
「もっかい編入するか? 一年半ぐらいなら任務とかなしで休職していけるけど。 塀無ももう大丈夫になったんだろ?」
首を横に振って断ってから、角の言葉の違和に気がつく。
「利優の異動について知っているんですか?」
「ん? ああ、一応な。 あまりデカい声では言えないが、俺も異端書管理班にいくことになってるからよ」
「……そうですか」
理由になっているとは思えないが、有栖川辺りから聞いたということだろう。 立場を考えれば有栖川本人に聞いた訳ではないだろうが。
「マジで高校ぐらい出ていた方がいいぞ。 合コンに行ったときに、職業も言えないうえに中卒とかマジでヤバイからな」
「行かないので大丈夫です」
「まあ、外の奴とは付き合ってもあんまうまくいかないけどな。 ほら、秘密結社だから色々守秘義務あるから、浮気とか疑われるし」
「そうですか。 もう行きますね、用事があるので」
「おー、頑張れよー」
ひらひらと手を振る角に頭を下げてから部屋を出て訓練室に向かう。
基本的に能力の訓練室はただの丈夫な壁に覆われているだけの部屋だ。 能力によって必要な物品が違うから当然だろう。
銃を操る能力を失ってしまったのだから、今あるのは汎用的な能力だけだ。 出力も小さいが、使い道はあるはずだ。
紙を手に取り、それを操って発火させる。 それにより発生した「燃焼」という酸化反応と共に空気中の埃を集めて火を維持させる。
俺は近距離ならば敵の能力の有無や強さに関わらず勝つ自信があるが、問題は遠距離に対する不安だ。 能力がなくとも銃は扱えるが、日本では偽装もなしに持っていたら捕まるので別の物で代用する他にない。
火であれば簡単に起こすことが出来る。 必要な物も少なく、ハッタリも効くので直接的な攻撃には使わないだろうがこけおどし用に練習だけはしておくことにしたのだ。
しばらく火を操る練習をしてから、格闘技の動きを一通り確かめる。 思ったよりも技のキレが落ちていないのは、単純に年齢のおかげで身体が出来上がっているからだろう。
以前よりも強くなっている。 それは確かだが、あまり喜びもない。 もう負けても問題がないのだから当たり前だ。
身体が疲れたら能力の練習をし、能力の使いすぎで眠たくなったら身体を動かして目を覚まさせると、その二つを繰り返し行なう。
なんとか能力が使い道になるところまで持ってきたところで時間を確認すると、既に午後9時を過ぎていた。
訓練を切り上げて、訓練室の隣に備え付けてあるシャワーを浴びてから外に出る。
マンションに戻り自室に入ると、既に利優の姿は見つからず、もう諦めたことが分かった。
目的を果たせたことに喜びはなく、寂しさを覚えるだけだ。 食欲もないため、すぐに寝ることに決めて寝室に入る。
そのままベッドに入り込み……ベッドの中が暖かく、柔らかい何かが入っていることに気がつく。
掛け布団を捲ると、小さい身体を丸めるように寝転がり、スースーと寝息を立てている利優の姿が見え、思わず息を止めてしまう。
動いたことに気がついたのか、目をごしごしと擦りながら利優が目を覚ます。
「んぅ……おかえりなさい」
「……何故いる」
もう来るなと伝えたはずだと利優を睨むと、目尻を下げた悲しそうな表情で手を伸ばし、寝転び掛けている俺の身体を抱き締める。
「先輩が、蒼くんが辛そうだったから……です」
抱き締められている。 ベッドに寝転んだ体制で、胸に顔を埋められて、若干だけ柔らかい胸が腹に押し付けられている。 後ろに回された手は服を皺を作るように握り締められて、体格差があっても簡単には抜け出せないほど……強く強く、痛いほどに抱き締められる。
「……頼んでいない」
「ボクがしたかったから、だったら、ダメなんですか?」
「……利優にとっても損することだろう。 俺にしても望んでいない。 何の意味がある」
逃げられないようにか、強く、握られる。じわりと服が血を吸って熱くなる感覚。
痛みが薄く、不快でないものに感じるのはどうしてか。 他人事のようにそんなことを考える。
少女の甘い匂い、暖かい躰、喘ぐように吐き出される吐息、簡単に壊れてしまうような触れば破れてしまいそうな柔らかい肌、投げかけられる優しい言葉。
「あなたが、どうしても……どうしても、痛いから。 耐えられないぐらい、痛くて、痛くて。 耐えられないぐらい……ボロボロで」
潤んだ瞳を見て、彼女の背に腕を回そうとしてしまう。 ダメだ。 絶対に……それはダメなことだ。
何故ならばそれはーー
「全て、俺が望んだことだ」
銃を手に取ったのも、組織に入り訓練したことも、任務を遂行したことも、その障害となる人を殺したことであったことも、利優を自分のものにしようと誘拐したことも、守ったことも、離れようとしている今も、他の何かに理由を付けることも出来ないぐらいに、俺が望み、選択した。
「ボクはっ……あなたの、ことが……」
利優の顔を見下ろし、力付くで彼女を引き離す。
「君には関係ない」
利優は手を握り締めて、首を横に振る。 錠の閉じられる音を聞いた。
「逃がしません。 絶対にあなたを、この部屋から出しません」
何故そこまで、その問いかけを口にする前に、泣いている彼女を見て身体が硬直する。 大きな目、溢れる大きな涙、酷く心臓が締め付けられるように痛む。
「……何故、泣く」
「関係ないです」
「……関係は、あるだろう」
「ないです」
突き放すことに使った言葉が、仕返しのように使われる。
「ある。 ……君が好きだから」
「じゃあ、ボクも先輩が好きだから、関係あります」
「……ワガママを言うな」
利優は首を横に振り、それを否定する。 弱々しく、俺の服を掴む。
「それを言ってるのは、先輩です。 蒼くんです。 両想いなんですから、馬鹿みたいに口を開けて笑ったらいいじゃないですか」
「馬鹿を言うな。 俺は組織の内で嫌われていて、鈴とも仲良くしにくくなるだろう」
「鈴ちゃんは、そんな子じゃないです。 他の人は、どうでもいいです」
強情だ。 さっそく約束を破ろうとした俺のせいなのだろうけれど、ボロボロと泣きながらも諦める気配がない。
「……あまり、困らせないでくれ」
俺の意思は弱い。 利優の幸せを願っているが、半ば本気で無理矢理に襲ってでも自分の物にしたいという願望がある。
濡れて洗剤の匂いを放つ髪や、寝間着のために柔らかく身体の線が出る服装、涙を溜めている目、弱々しい仕草の一つ一つが嗜虐心を煽る。
自分の物にしたい。 そんな欲求を振り払って彼女のことを見る。
「困らせます。 むしろ鈴ちゃんも呼んでここに住み着きます」
「……引き払うだけだ」
「次のところに住み着きます」
「場所を言うわけないだろ」
「ボクの能力なら、書類を盗み見て住所を調べるぐらい出来ます」
「……無駄使いを」
つまりそれは認められていない場に侵入するということで、余計な危険が発生するということだ。 それに利優からは、確かな覚悟を感じる。 俺のような半端な吹けば飛ぶようなそれではなく、強い覚悟を。
「馬鹿が、本当に」
「馬鹿は蒼くんです」
「俺にそんな価値などないだろう」
利優は悲しそうな表情をする。
「……それは、お母さんのことですか? それとも、ボクに変なことをしたいってことですか?」
「どちらもだ。 それ以外にも、好かれることのない人格なことぐらい理解している」
「好きだって、言ってるじゃないですか」
「……勘違いしているからだ。 俺のことを吊り橋効果、あるいはストックホルム症候群か。 何にせよ、格好良く見えてるとしたら勘違いだ」
「先輩は全然かっこよくないので、たぶん勘違いじゃないです」
ああ言えばこう言う。埒が開かない問答に疲れを覚えながら、利優の腕を掴む。
「……いい加減にしてくれ」
嫌われてしまうのが一番早いと思い、痛みが起こるが怪我はしない程度に腕を捻る。 顔を顰めた利優は首を横に振る。
「そんなバレバレなのには引っかかりません。先輩がボクに暴力を振るうわけないじゃないですか」
「……結果的に利優のためになるなら、腕を折るぐらいはする」
「それでもボクは嫌いにならないので、怪我するだけで終わりますね」
「なら、利優が本気で嫌がることをする」
思い浮かびもしないが、しようと思えば嫌がらせなど幾らでも出来る。 もしかしたら嫌がらせに同情した奴が利優の味方になってくれるかもしれないので一石二鳥だ。
「……ムキになってます」
「始めから譲るつもりはない」
利優はその言葉を聞いて、涙で赤くなった目のままニヤリと笑う。
「んぅ……でも、完全に守る必要がなくなるって決まるまでは、一緒に映画に行ったりしてましたよね」
「一緒にいたくないわけじゃない。 だが、それはあくまでも利優の利益から離れるのであれば何の迷いもなく断ち切れるものだ」
「じゃあボク、組織を辞めて高校に編入します。 そしたら、攫われるので蒼くんが守りにくる必要がありますね」
「……ならば先に自死をする。 助けに来れない状況であればそんなことも出来ないだろう」
「なら後追い自殺します」
本当にああ言えばこう言ってきて、キリがない。 どう言えば伝わってくれるのか、必死に頭を巡らせていると、再び利優が俺に抱きついた。
「……ちゅーしてあげますから、諦めてください」
頰を赤く染めて、利優が口を開く。 一瞬、何を言っているのか分からずに利優の顔をマジマジと見つめると、恥ずかしそうに目を逸らして口を開く。
「蒼くんが大好きなボクが、ちゅーしてあげます。 だから、離れたりしようとするのを諦めてください」
「あ、いや、そんなことで揺らぐわけが、ないだろう。 そもそも関わりを断とうとしているのに接触を求めるはずもなく、それは交渉の手段にはなっていない」
「すごく動揺していますけど」
利優の言葉を否定しようとするが、どうにも利優の唇が気になってしまって仕方がない。 薄く柔らかそうなそれは、昔から触れてみたいと思っていたものだ。
「……ダメだ」
「唇でもですか? 唇同士でちゅーしてあげますよ?」
「本当か、いや、ダメだ」
「今、普通に心折れましたよね。 ……先輩に勝ち目はないんです。 ボクの近くにいなかったら、ボクは自分を害したらいいだけなんです」
無茶苦茶だ。 理屈になっていない割に合わないだろう、そんなこと。 何故、これからも不幸が続くというのに彼女は笑っていられるのだろうか。
心底、湧き出る喜びを隠しきれないように……嬉しいと、笑うのだろう。
馬鹿馬鹿しい。 自ら幸せになろうとしない人など、守れるはずもない。
「……好きにしろ」
ベッドに座り込み、利優から目を逸らして俯く。 利優のためにやってきたと思っていたことが、彼女自身に否定された。
照明の光を遮られ、影が視界に落ちる。
「蒼くん」
名前を呼ばれて、顔をあげる。 勝手なことばかりと、また叱られるのだろうか。
座ってやっと目線が近い、利優の顔を見る。 熱に浮かされたように頰が赤く染まって、目はとろりと潤んで俺を見ていた。
ゆっくりと顔が近づき、利優は恥ずかしそうに目を閉じた。 ぬるく湿った吐息が唇を撫でる。
近くで見れば見るほど、美しい容姿をしている。 細く長い睫毛、大きく愛らしい目、小さく薄桃色の唇に、透明さすら思わせる白い肌、額にかかっていると細い絹髪も、通った鼻筋、皺の見当たらない細い首。 その喉から出てくる優しい言葉も、強い芯も。
俺のような、不義理と卑怯ばかりの者が触れてもいいものだと、とても思えなかった。
「……今日は帰れ」
「……ここで断られると……すっごく、恥ずかしいです」
「我慢出来ずに襲うぞ」
「セクハラは止めてください。 鈴ちゃんに告げ口しますよ」
「……いいから、帰れ。 明日、来てもいいから」
納得したように利優は頷いて、俺の頭を撫でてから頭を下げる。
「おやすみなさい」
「ああ」
利優が部屋から出て行ったのを見届けてから、ベッドに倒れ込む。 利優の匂いが残っている。 その熱も、ベッドにまだあって、必死に隠していた獣欲が我慢しきれない。 美しい彼女の肌を思い出し、後悔が呼び起こってくる。
後悔することが、酷く醜い。 利優のことを思い浮かべながら息を吐き出す。




