いつも抱える心 1-2
片付けもそこそこ、後は食材をどうにかしようと考えていたところ、ピンポンと呼び鈴が鳴った。
先輩の部屋からベランダに出て玄関を見る。
「あっ、塀無さん。 開けてもらえる? 暑い」
スーツ姿の美人さん。 一瞬誰かと思って首を傾げると、見覚えがあることに気がつく。 確か異能処理班の……というか、一緒の任務についていた藤堂さんである。
任務が始まってから一度も見たことかなかったので、誰か分からなかった。 急いで鍵を開けてから、パタパタと足音を立てながらリビングにエアコンを付けて、冷蔵庫に走る。
「藤堂さん、すみませんほとんど荷物片付けてしまったので、おもてなし出来ないです……」
「いや、仕方ないよ。 って言いたいけど、どうにもうだるように暑いからお茶とか催促しちゃったり。 水でもいいんだけど」
「あ、野菜ジュースもありますよ?」
温和な雰囲気の女性という印象、微笑み頷いた姿を見てその印象は強くなる。 歳上の大人な女性だけれど、どこか可愛らしくも見えた。
鈴ちゃんもメガネで黒髪ロングで、藤堂さんもそうだからだろうか。 ボクがそういった女性に対して好きになりやすいだけかもしれない。
「潜入、お疲れ様でした。 大変な仕事を任してしまって……」
「いえ、ボクは潜入専門みたいな感じなので……。 今回は先輩……水元くんと一緒だったので……任せきりでした」
「……一応、角にも聞いたよ。 何があったのか」
思わず俯く。 野菜ジュースを手渡して、逃げるように台所に行こうとする。
「君のせいじゃないよ。 ああいうのは、一定数存在する。」
ああいうの? と一瞬留まると、続けられた藤堂さんの言葉が耳に通る。
「自分から死にに行こうとする人は、いるんだよ。
理由は色々あるけど、例えば絶望感、死に救済を求める、生きることへの罪悪感とか……。
異能処理班だとさ、時々そういうのいるよ。 だいたいすぐに死ぬから、仲良くもなってないから気付かないだけで」
こんなにもボクは直情的な人間だっただろうか。 次から次に溢れてくる言葉が喉から漏れ出す。
「……だから「君は悪くない」ですか。 先輩が傷ついた責任を先輩に押し付けて、ボクのせいじゃないって居直れ、そう言うんですか」
藤堂さんは気まずそうに言葉を返す。
「事実、君は悪くないよ。 自分から死にに行こうとする人を、どうやったら守れると思うの」
「死にたくさせなかったら、いいんです」
「……あの子の死にたがりは根深いよ。 言動を聞いて、目を見たら分かる。
何があったのか、分からないけど……根本的に、生きる希望に薄い。 自分の価値が低い。 生存欲求が軽い。 それも、君がしたわけではないよね」
「……ボクは、そんなことにも、気が付いていませんでした」
「まだ子供だからね」
「子供だから、ボクは悪くないから。 そんな理由で……あの人の命を見たくないです」
感嘆したような、呆れたような溜息。 藤堂さんはボクを手で寄せる。
「なんですか?」
不思議に思っていたら藤堂さんの手が伸びて、ボクの頭をヨシヨシと優しく撫でる。 安心する手で、止めてと逃げることもせずにされるがままになる。
「……んぅ、なんです?」
「水元くんのこと、好きなの?」
顔に血が集まっているのが分かるくらい、熱い。 自覚したら、してしまったら、平静でいられるはずがなかった。
ボクの浅ましい気持ちを知られるなんて、とてもではないけれど耐えられない辱めだ。
「……そっか」
何も言ってないけど。分かったように藤堂さんは頷いた。
「あれは死ぬよ。 何人も見てきた。 死ぬ奴の顔だ」
首筋を氷の手で掴まれるような、冷たい声だった。
藤堂さんという人間が分からない。
優しいと思う。 けれどあまりにも冷たい。
「生きることに執着していなさすぎる人間が、生き残れると思う?」
反論は出来ない。 自分が死にそうなときに、何の迷いもせずにボクを庇った。優先順位がおかしい。 あまりにも、自分を軽く扱っている。
ボクに変なことをしたいと言うけれど……死んでしまってはどうしようもないだろう。
それに、合理的な判断としても、まだ何も怪我をしていないボクが受けても生き残れるかもしれないが、既に死に体の先輩が受けて、生き残れる方がおかしい。 死ねばボクを守れなくなる。 その上自分も死んで、両方ダメだ。
ボクが撃たれることを諦めたら、先輩なら問題なく倒せただろう。 最悪死ぬけれど、先輩は生き残れる。
ボク一人が死ぬのと、両方死ぬのと。 先輩は迷わず両方死ぬ方を選んだ。 多分理由は、ボクを一秒でも生かしたいから。 ボクの数秒と、先輩の一生を天秤にかけ、迷うこともなくボクの数秒を優先した。
あまりにも不合理だ。 優先順位がおかしい。
藤堂さんの手を持って頭から離す。 顔を上げて彼女を見た。
「優しい人なのか、酷い人なのか、分かりません」
藤堂さんはボクの頰を撫でる。
「優しくない人なんていないし、優しい人なんていないよ。
大体の人は、どんな人でも幸せになってほしいものだよ。 でも、何が大切かは量る必要がある。
天秤にかける。 どちらが大切か、どちらを優先するか。
利己的であれば他よりも自分を、愛する人がいれば自分よりもそれを。
選ぶしかなければ、どちらにとっては優しい人で、誰かにとっては酷い人だ。
どうせ死ぬような奴のために、人が犠牲になるのは見たくはない」
優しさというのは、こうも合理的な物だったのだろうか。 分からないけれど、納得は出来るはずもなかった。
「……なら、ボクにとっては、酷い人です」
「じゃあ、彼にとっては優しい人だね」
「……そうでも、ないです。 先輩だって、ボクを優先するにしても、自分だって死にたくはないはずです」
「君はもっと……彼を見てあげるべきだ。 ……乗せていってあげるから、見たらいい。 多分、そろそろ起きるから」
見たらいい。 何を? 教えてくれもせずに、藤堂さんは立ち上がり、コップを持って台所に向かい、洗ってからボクに渡した。 それだけ閉まって、冷蔵庫の中身を持っていけるだけ袋に詰めて、どうしようもなさそうな生物は諦める。
靴を履いて、小綺麗な車に乗せられて、ぼーっとした気分の中で、揺られる。 そう遠くもないけれど、それほど親しくもない気まずさに黙りこくって顔色を伺って見るけれど、よく分からない人だ。
小さな個人病院に入り、看護師さんに会釈をしてから奥に行き、そこから階段を降りて地下に行く。
窓こそないけれど普通の病院……上物よりもはるかに広いが、常識的な病院らしいところ。
異能処理班などの仕事で発生する、傷の説明が出来ないような、例えば弾傷などの治療をしてくれるところだ。 運良く、ボクはお世話になったことがない。
簡単な傷なら医務室があるので、本当に重症な場合だけだ。
部屋に入る前に、藤堂さんはボクの頭を撫でて立ち去るように後ろを向いた。
「あ、あの、ありがとうございました。 乗せていただいて」
「いや、いいよ。 気にしないで、駅まで見送ってから車走らせるのも面倒だったから」
頭を下げて、帰っていくのを見送る。 角を曲がって姿が見えなくなったところで、病室の扉に手をかける。
嫌な汗が流れる。 気持ちをごまかすように笑みを貼り付けて開く。 鈴ちゃんが、ボクの方を見る。
「こ、こんにちは……」
「利優ちゃん。 ……あ、うん。 こんにちは」
「はい……」
気まずい。 親友だったのにいつの間にか恋敵だ。 敵にならず、協力しようと思っているけれど。
その上、先輩らボクのせいで怪我をした。 嫌われても仕方ないのに……鈴ちゃんは嫌う様子もない。
包帯でグルグル巻きになっていて、点滴をうたれている先輩に泣きそうになってしまいながら、鈴ちゃんの隣の椅子に座る。
「……下手に能力を使うと、悪いことになるから、あまり……治せてない」
「治癒の制限は、知ってます。 その、お疲れ様です……」
「うん。 ちょっと、眠いかな」
「……すみません」
「利優ちゃんのせいじゃないのは、分かってるから」
気まずい中、鈴ちゃんは困ったように微笑み。 ぎゅっとボクの身体を抱き締める。顔が胸の位置にあって、同性ながら少し気恥ずかしい。
けれど、柔らかくて、いい匂いだ。 とくんとくんとした音も安心を誘う。 頭を胸に抱かれながらも、抱きしめ返す。 あったかい。
「鈴ちゃん……」
「どうしたの?」
「ボク、鈴ちゃんのこと、好きです」
「うん、知ってる」
「それが、言いたかっただけです」
優しい。 どうしても安心する。 先輩も、鈴ちゃんといたら幸せになれると思う。
鈴ちゃんが手を離すけど、ボクはどうしても離れたくなくて、そのまま甘えるようにくっつく。
「あー、蒼に見られたら、ちょっと嫉妬されそう」
「ボクは、鈴ちゃんに愛されてる先輩に嫉妬してます」
「……私は……って、三角関係になる……。 もうなってるけど」
えへへ。 と鈴ちゃんが笑う。 ボクが先輩に惹かれていることを知ったら、どう思うのだろうか。
彼女の顔が、どうしても見にくい。




