考える必要がないこと、人はそれを幸福と呼ぶ 2-1
守らなければ、利優が遠くに行く。
戦わなければ、守れない。
銃がなければ、戦うことも適わない。
銃がいる。 武器がいる。視界が掠れる。 息が出来ない。 武器がいる。 戦わなければならない。
纏まらない思考が徐々に失われていく。 失血が過ぎたことにより意識が奪われていき、見えるはずの景色が薄れる。
銃はどこだ。 あるはずで、見つからない。
「降参します! 付いていきますから、止めてください!
回復の能力者、いますよね!? だって、こんなに能力者を集めていて!!」
利優……何を言っている。 だって、俺はまだ立てていて、能力もまだ使える。 戦える。 俺はまだ、戦える。
歩こうとしたら、横から何かに支えられる。 それが邪魔で振り払って動こうとするが、しっかりと掴まれて動くことも出来ない。
「もう、いいんです。 動いたら、死んでしまいます」
「……利優、大丈夫だ。 勝てるから」
「勝てても、先輩がいないと、意味ないです。 あそこにいても、先輩がいないと、意味ないです。 学校にいても、先輩がいないと、意味ないです。
先輩がいないと、先輩がいないと……楽しくも、嬉しくもないです」
「なんで、そんなことを……」
利優は涙でぐちゃぐちゃにした顔を俺に向けて縋るように口を開いた。
「だって……先輩が、大切なんです」
ああ、俺は何のために……。
◇◆◇◆◇◆◇
利優が倒れる蒼の身体を支えながら、地面に倒す。 無力化されたから攻撃が止んだのだろうか。
利優は隣に立っている横野が何かをしないか警戒するが、とぼけた顔で何処かを見ていた。
利優は気づく。 攻撃が止んだのならば、ボク達を回収しにくるはずなのではないだろうか。 なら……何故。
あまりに静かで、その中で乾いた靴音だけがよく響いた。
横野の視線を追うように利優は顔を向ける。 見慣れた顔、手入れを感じさせない黒い髪の壮年の男性。
適当といった印象を持っていた彼は、いつになく真剣な顔付き、見ているだけで底冷えするような雰囲気を纏いながら歩いていた。
三人の男を引き摺りながら。
「悪い、少し遅れた」
「角……さん?」
思わず確かめるような言葉が出る。 ふざけた事ばかりしていた角は、利優にとっては話しやすい優しいおじさんと言った印象だったからだ。
今は、どうだ。 敵意が向けられている訳でもなく、むしろ庇護されているはずなのに、見るだけで背筋が凍る瞳、触れば切れそうなほどの殺気。 同一の姿形をしていようが、似通った見た目をしただけの別の何かに見える。
「二人取り逃がした。 諦めてくれたら直にこの場もなくなって元の場所に戻るだろうが……手当が先だな」
角は横野を一瞥した後、自身の着ている服を裂きながら蒼に近寄り、ごく簡易的にではあるが止血をしていく。
「えっ、あっ、その……」
「何もしなくていい。冷静ではない状態で何かされると命に関わる」
涙をボロボロと零しながら角を見て、縋るように言う。
「蒼くん、死にませんよね。 大丈夫ですよね。 だって、強いですし、動いていましたし……」
「もう死んでておかしくねえぐらいだ。 というか、なんで生きているのかも分からねえよ」
「そんな、だって、先輩、強くて」
「黙ってろ」
びくりと身体を震わせながら、利優は蒼を見詰める。 死ぬはずがない。死んでしまったら、どうしようもない。
生きていて欲しいと願う。 同時に死んでしまったら追えばいいだけと、割り切りもする。
分からない。頭の中がぐちゃぐちゃとして、纏まらない。
一通り出来ることが終わったのか、角は横野を見る。
「抵抗するか?」
「……いや、もういい。 ……下手に暴れたら、蒼も死にそうだ」
「悪いようにはしない。 俺たちは警察でも、正義の味方でもないからな」
利優は二人の言葉を遠いように聞く。 何故こんな時に、普通に話せているのかが分からない。 世界が終わるような錯覚すら覚えるのに、なんでだろう。 なんで? なんでなのかな。 なんでですか。
自問自答を繰り返し、気がつく。「ボクが特別、先輩を特別に思っているからだ」。
「あ……」
気がつくのが、遅かった。 もっと前に気が付いていたらこんなことには、なっていなかった。
利優が泣き叫んでいる横、角は気がつく。 もうこの空間を維持する必要はないはずだ。 諦めたとしたら。
だが、諦めていないとしたら? 蒼と角を比べれば、幾分か相手取るのが楽だと判断したら、この場で諦めることがあるだろうか。
この空間がまだ存在していることが、戦意の証であるとすれば……。 あるいは逃げたのではなく、増援を呼んでくるのだとしたら、角は自力での脱出を試みよう始めて、感じた空気に顔を顰める。
増援。 可能性はあるけれど、違うだろう。 こんなに短時間で戻ってくるのならば始めから戦闘に参加させていたはずだ。
だとすれば、一旦逃げたのは、ガムを起こすためだろう。
「諦めてねえな。 魔法使いねえ……俺一人でどれぐらい保つかね」
角はよれたスーツのポケットに手を突っ込み、ライターを取り出す。
左手にそれを握りながら、一点を見詰める。
「俺も、手伝います。 ……その、信じられないかもしれないけど」
「まぁ、そこにいられるよりかはまだマシだけどよ。
……お前、気が付いてやっているのか? その能力の使い方、下手すれば死ぬぞ?」
驚いたような、怪訝に思うような横野の表情に角は深くため息を吐き出した。
「……肉体なんて複雑で脆いものを無理に動かし、ガタがこないはずがないだろう。 あと酷いぞ、そこまでいくと」
「いや、そんなこと聞いて……」
「使い捨てにされたな。 お前も安静にしとけ」
遠くにいる。 確かに二人が並んで立っているが、ガムの方は満身創痍に見えた。 立ってはいるが今にも倒れそう。 スピッツも服を焼け焦がしながら、黒い靄を纏い歩いている。
「面倒くせえな」
角がそういいながら手を振ると、ガムとスピッツの二人が立っていた場所が爆ぜるように燃え上がる。 熱気が遠い利優の元にまで伝わり、利優の身体が震える。
なんで蒼ばかり、こんな目に遭うのだ。 いつか消えてしまいそうに見えていた、だからどうにかしようとしていて……そのいつかを怯えていた。
傷だらけの蒼を見て、角の言葉を聞いて、利優はやっと気がつく。 そのいつかが今なのではないだろうか。
暑いぐらいなのに酷く震える。 顔色は青白くなり、止まる様子もなく涙が流れる。 怖い。 怖い、そう感じる。
◇◆◇◆◇◆◇
『蒼はさ、いっつも遠慮ばかりだったよね』
母の姿が見える。 天国というところに来てしまったのだろうか。 俺はまだ戦わないといけないのに。
立ち上がろうとして、身体が見当たらないことに気がつく。
『やっぱり、見向きもしないぐらいなんだね』
見えるということはあるはずだ。 探すがやはり自身の身体がない。 金縛りの時のように、意識だけが残っているようだ。
『もう頑張らなくて、いいと思う。 ……ごめんね。 お父さんの顔も教えてあげられなくて、お母さんも一緒にいてあげられなくて。 ずっと、ひとりぼっちで涙を見せられる相手もいなくて。
頑張ったら、頑張っただけ生きないとダメなんだよ。 頑張らなかったら、この世じゃないけど、幸せに暮らせるよ』
利優を守らないと、守らないと。 そう繰り返し思うけれど、身体すら見つからなく、何も出来ない。
「……恨み言なら、後で聞く。 今は戻らないとダメなんだ、母さん」
『恨みなんて、ないよ。 ……だって、お母さんの幸せは、蒼がいてくれたことだから』
殺した相手が出て来て、死ねと勧められて、恨んでないと慰められる。 悪夢か、良い夢か。 それすら判別がつかない。
「俺も、幸せだったよ」
『なら、またお母さんと一緒に暮らそ? いいところだから、ゆっくりできて』
「……守りたい人がいるんだ」
『うん』
「助けたい人がいるんだ」
『知ってる』
「救いたい人がいる」
『分かってる』
「好きな人がいる。 だから、まだ、死ねない」
『……かっこいいよ、蒼」
母が笑った気がする。 許されたように、思う。
『さっすがお母さんの子供。 自慢の息子。 いってらっしゃい』
「……ごめん」
手を伸ばす。 脚を動かし、地に付ける。 震える利優を、泣く彼女を見て、守れなかったと後悔する。
涙を拭ってやろうと顔に手を近づければ、縋るような目で俺を見た。
「せん、ぱい?」
利優の顔に手を寄せて、真っ赤になった目元を拭う。
『謝らないでいいよ。 蒼は何も、悪くないから』
夢から醒めたはずなのに、一瞬、母の姿が見えた気がした。
手当がされている。 立ち上がれる。 立つ。
「……大丈夫だ」
何が大丈夫なのか、そう言えるところの方が少ないけれど、大丈夫だと笑ってみせた。




