魔女と不良と時々ゴリラ 2-1
先輩は怖い。 とても怖い人だ。
まず第一に腕っ節がすごく強い。 能力がない素手でさえ、武芸百般、ボクの知ってるどんな人よりも強いんだ。
能力も使えば誰にも手が付けられないぐらい。
次に戦うことに戸惑いがない。 ボクの知ってる人間はだいたい戦うことを選択する前に、他の選択肢を模索するけれど、先輩は軽く戦うことを決める。 生きてきた環境が違うということだろう。 怖いのと一緒に、悲しくも思う。
最後に、何を考えているのか分からない。
ボクと一緒にいるときにはしない顔がある。 思い詰めたような、憔悴したような表情。 先輩が一人でいるときにボクが隠れて見たときだけ、見れる顔だ。 何かに怯えていて、疲れていて、弱っている。 そんな顔。
でも、何に怯えていて、どうして疲れていて、なんで弱っているのか、分からない。
けれど、ボクのために必死で、分からないぐらい大変なことを頑張ってくれていてーーすごく怖い。
いつか、もしかしたら今日かもしれない。 いつか。
いなくなってしまうような、気が付かない内に傷ついて倒れてしまいそう。 ボクはそれがとても怖い。
だから……震える手を無理矢理動かして、見慣れた名前に電話をかける。 鈴鳴 鈴奈。 ボクの大好きな友達で、今、一番話しにくい人。
落としてしまいそうな手をもう一つの手で支えながら耳に近づけて、何度も何度も息を繰り返す。
『はい、利優ちゃん?』
「は、ひゃっい! ……り、利優です」
ひっくり返った声に鈴ちゃんはクスクス笑う。 恥ずかしさに顔が赤くなるけれど、電話越しなんで見られる心配がなくてよかった。
『どうしたの?』
「いえ、あの……その、謝らないと、いけない……ことが、あって」
『改まっちゃって、変な利優ちゃんだ』
息を吸い込んで、吐き出して、先走って漏れ出た声を咳払いで誤魔化して、言いたくない気持ちとは反対に口が無闇に速く動いてしまいそうなのを自制する。
「……ボク、今、先輩に「付き合いませんか?」って言ってます」
時がゆっくりと進んでいるのか、二人とも何も言えずにただ黙っているのか。 判別がつかない。
分かるのは、痛いぐらいに心臓が動き回って、怖くなるほど目が潤んで、ただ何かを言おうとする喉が詰まることぐらいだ。
『……あ、うん。 り、う……ちゃんも、好きに、なったの?』
せめて、謝るときぐらいは正直で誠実にしたい。 けれど何と答えたら、嘘ではなくなるのか。
「はい」と答えたら、それは嘘だろう。 ボクの心境に変化があったわけではなく、元々大切に思っている。
「いいえ」と答えたら、多分嘘だ。 先輩のことは好きだ。 ……上手く言葉が出ない。
「……あの、ごめん、なさい」
『いや、ううん。 ……おめでとう』
なんて言えばいいのか。 選んでいる時点で、ボクが卑怯であることを自覚させられる。 この後に及んで、鈴ちゃんに嫌われることを避けようとしている。 裏切っておいて、許されようと画策して、醜い。
「……いえ、フラれました」
電話越しに水滴が落ちる音を聞く。
『……そっちの方が、よっぽど悔しいよ。 ……どうせ、もっと自分を大切に、とか……だよね』
「……すみません」
『ごめんね。 気を使わせて。 ……うん』
「……ごめんなさい。 ……その、ボク、鈴ちゃんは、もっと怒った方が、いいと、思うんです。
鈴ちゃんの涙の音が聞こえて、酷く胸が痛んだ。
『怒らないよ』
「……ボク、付き合おうって言ったの、恋愛感情ではなくて、可哀想だから、喜ばせてあげようとして」
『うん』
「鈴ちゃんが泣くこと、多分、分かってたのに……鈴ちゃんより、先輩のことを優先させたんです」
『うん』
「先輩よりもっと前から仲良しで、ずっと助けてくれてた鈴ちゃんを裏切ったんです」
言えば言うほど、自分が酷い人であることを自覚する。
『でも、蒼の為に、だよね。 ……ありがとう』
「なんでお礼を言うんですか」
罵られた方がよほどマシだった。 自責の念が胸に突き刺さるように感じる。
友達が二人いて、一人を裏切って、一人を喜ばせようとした。
結果、裏切った友達にお礼を言われて、喜ばせようとした友達に嫌がられた。 ……上手くいかない。
『蒼が好きだから。 助けようとしてくれて、嬉しい』
「……鈴ちゃんは、損ばかりです」
上手くいかない。 上手くいかない。 全然、思うように進まない。 何も成せないし、助けられない。 誰も救えない。
鈴ちゃんの涙の音が、絶え間なく聞こえ続けている。 耐えることが出来ず、通話を切った。
なんで、ボクの服まで雫で濡れてしまったのか。 そうするぐらいなら、始めから裏切らなければ良いのに。
◇◆◇◆◇◆◇
「あと数日で今回の任務は終わる。 もう五人にまで絞られたから、髪の毛を採取して遺伝子検査を行い、能力者を見つけるだけだ」
本当は口内の細胞を綿棒で採取する方が良いのだろうが、そんなことが出来るはずもないので仕方ない。
『そうですか。 お疲れ様です。
新しい仕事を幾つか見繕ってみたので、どれが良いかを考えていてください。 正式に決まっていることではないので、詳しい情報はまた後になりますが』
「……親切だな」
意外に思いながらも、ありがたく頷く。
電話越しに聞こえる有栖川の声は何となく固い。
「……あの時は、悪かった」
『いえ、気にしていませんよ。 こちらも怒らせるようなことを言ったので。
今、用意出来る比較的安全な仕事は、暦史書のレプリカの整理、管理、これは暦史書管理機構内で行えるので安全ですが、数日しか出来ないことですね。
次に異能処理班と諜報部の訓練の手伝いですね。 暦史書管理機構内です。 仲良くなることも可能だと思うので、水元さんの目的にも合致しています。
最後に……深くは言えないことですが、異端書の収集があります』
訓練の手伝いは利優の安全も、立場の確立にも役に立つだろう。 レプリカの管理は、鈴の親と話せる機会になり得る。 忙しくはなるが、どちらもというのも可能だろうか。
最後の仕事はほとんど説明もないので、分かりはしない。
「異端書……って、なんだ」
『この世に存在してはいけない物語……だ、そうですよ。 暦史書であることには、間違いありませんが』
有栖川の勿体ぶった言葉に思わず顔を顰める。 何も分からないので、判断のしようがない。
言い方を聞けば、三番目の異端書を受けさせたいようにも感じる。
「……詳しい話を聞いた後だが。 おそらくレプリカと訓練を受けると思う。 あと五良南高校の神林というのが、再来年に新しく入ってくると思うので、一応言っておく。
詳しい情報はまた書類に纏めて渡す」
『そうですか。 ……では、また何かあれば電話をお願いします』
電話を切ろうとする有栖川を止めて、一抹の希望を元に尋ねる。
「……ラスリウネスクって、何か分かるか」
敵対したいると思われるガムの家名であり、利優を預けた人物が名乗っていた名。 どんな家系であるかを知っているとは限らないが、俺よりかは知りやすい環境であるのは確かだ。
『……気になるのであれば、異端書の話と共に』
電話が途切れ、ベッドに座る。
何か関係があるのだろうか。 ……思えば、他の二つの仕事も俺や利優にこなせて、安全で、目的にも近づくものだ。
案外、色々と考えてしてくれているのかもしれない。




