過ぎ去った過去は尊い夢の様3-2
約束された時間、土曜の午前3時に寝ている利優をおぶりながらトンネルの中を歩く。
利優が全く起きなかったために鍵を閉め忘れている窓から侵入してここまで連れてきたが、まだ起きる様子がない。
先週もきた部屋の前に立ち、呼び鈴を押す。
直ぐに開いた扉の向こうには、寝巻きではなく黒色のワンピースをきた少女、有栖川が小さく頭を下げていた。
「お待ちしておりました、水元さん、塀無さん」
「悪い、遅れた。 こんな様子で」
まぁ、昨日は学校が終わってから直ぐにこっちに戻ってきてと、負担が大きかったのだろう。
ただでさえ勉強がついていけずに疲れているのに。
尤も、ただの潜入であるので、勉強についていく必要もないのだが、いかんせん利優はその場の雰囲気に流されるきらいがあるようだ。
殺風景なトンネルの中にあって、一歩踏み込めば窓こそないが日本家屋になっていて、どうにも不思議な感覚に陥りそうである。通された和室に入って、胡座をかいて座る。
利優はとりあえず俺の膝を枕代わりにして転がす。
「可愛らしい方ですね」
「それで……何の用でしょうか」
有栖川と利優なら多分同年代だが、それは言う必要もないか。
有栖川は俺に茶を勧めてから、ゆっくりと口を開く。
「暦史書管理機構は、一枚岩ではありません」
当たり前のことを重大そうに口にする。 それは俺を馬鹿にしているという風ではなく、大真面目にその前提を話す。
分かりきっている大前提を確認するとき、つまりそれは、何か重大なものを覆すときに他ならない。
机に三つ並べられている茶、敵か味方か分からない者の淹れた物など飲めたものではないが、俺は敢えてそれを口にする。
信頼しているという証拠である。 そう見せ付けるように一気に茶を煽った。
「十二人の最高権力。 私の父もその一人ですが、今回の件において一番重要な方は、むしろあなた方に近しいと思います」
「……何の話だ。 正直に、何が言いたいのか分からない」
「何の話にもなり得ない話です。 無意味な派閥争い。 マウントの取り合い。 愚かを繰り返すだけ。
……その愚行に、振り回させてしまい、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げた有栖川に、どういう反応を返せば良いのか分からずに顔を顰める。
利優が巻き込まれているというのは分かる。 その十二人の最高権力の派閥に属していないのに、強すぎる力を持っているために、不当な扱いを受けているのは間違いない。
だが、有栖川は俺にも頭を下げている。 この場の体裁のため、話している相手だから、俺が利優を庇っているから、どれも納得の出来る理由ではあるが、一切信用したことのない直感が「有栖川は俺に謝っている」と理解する。
口の中から血の味がする。 自分で噛み切った、頭を焼くような熱が手に伝わり、ブレスレットを拳銃にへと変質させた。
机に脚を乗り上げさせ、か細い肩を掴み、彼女の額に拳銃を押し付ける。 遅れて、湯呑みが畳に転がる音がする。
「……今、お前は俺に謝ったな。 利優にではなく。
それは利優に対する冷遇を無視してもいいほどに、その派閥争いが俺に被害を与えたということだ」
喉が焼け付くように、低い音が喉から鳴る。 手に持った拳銃があまりに熱いのは熱のせいか、感情の昂りか。
冷静でいられるはずもなく、有栖川が開こうとした口に拳銃を突き入れる。
「……言葉には気を付けろよ。 いっそ、この組織を全て壊してもいいような気分だ」
拳銃を引き抜く。 咳き込む少女の胸に拳銃を突き付けて、言葉を促す。
「貴方の考えていることで……間違い、ありません」
息を吐き出して、少しでも冷静になろうと努めた後、ゆっくりと喉から声を絞り出す。
「そうか、なら死ね」
冷静になれるはずもなく、引き金を引いた。
「……」
何度か試すが、銃弾が放たれることはなく、拳銃の「ロック」が掛かってあることに気がつく。
勿論、激昂しているからといって俺がそんなミスをするはずもなく、振り返る。
「……邪魔をするな」
「……しますよ。 状況全然分からないけど、しますよ」
利優が泣きそうな顔をしている。 どうしようもなくなり、拳銃を下す。
「……申し訳、ありません」
有栖川の言葉に舌打ちで返してから、机の上から退いて、扉の前に座る。
「利優、親の仇が分かった。 俺に母親を殺させた奴らが分かった。 こいつらは全員殺す。 大切にしている書物も焼く。 勿論親族も殺す。 友人も殺してやる」
「……ダメです」
「クソみたいな争いだ。 あんな理不尽を起こすぐらいなら、ない方がいい。 何が管理だ。 対策だ」
「……ダメです」
「俺の母親は優しい人だった。 お母さんは、俺を愛してくれていた」
「…………ダメです」
「鈴は俺を好いていても、愛してはくれていない。
利優も……愛してくれはしない。 俺を愛してくれたのは、あの人だけだ」
「ダメ……です。 ……そんなこと、言わないでください」
引き金を引く。 引き金を引いた。 引き金を絞る。
利優により拳銃のロックが掛けられている以上、弾丸が吐き出されることはない。
俺がひたすらに努力してきた能力は、一度も能力に関して訓練したことのない少女にどうしようもなく封じられ、動かすことが出来ない。
あまりに無力だった。 母を殺したあの時と、俺は何が変わったのだろうか。
「ボクが……愛しますから」
利優は俺の元に歩いて、俺を抱き締める。
俺がここで利優を引き剥がして、軽く首を掴めば殺すことが出来る。 利優も、目の前の有栖川も。
少なくとも、日本支部の異能処理班ならば、問題なく始末出来るだけの自負はある。
「上手く出来るか、分からないけど。 頑張りますから。
……もう、これ以上、先輩に嫌な思いを……させたくないんです」
利優の言いたいことが分からない。 なんで好きなようにするのに、俺が嫌な思いをするのか。
有栖川は俺と利優を見ながら、俺に頭を下げる。
わざわざ利優を連れて来させたのは、俺に殺されないためか。 小賢しく、不快もすぎる。
「……先輩のこと、好きになります。 愛します。
一生一緒にいます。 結婚しましょう。 だから、自分のことを、大切にしてください。 お願いです、お願いですから……」
不快だ。 この組織も、利優も。
怒りの向ける矛先が潰されていき、感じられる熱だけが溜まっていく。
殺してしまうことも、我慢することも出来ず、吠えた声が喉を焼け付かせる痛みだけが残る。
自身の銃を操る能力を扱いながら利優の能力を無効化させるようにして、手でもロックを解除しようと動かす。
手の皮が剥けて、意識が朦朧とするほど能力を使ってもそれを解除することが出来ない。
「……なんでだよ。 なんで巻き込んだ!」
「……申し訳、ありません。 私は、その時にはまだ暦史書管理機構のことも碌に知らなかったので」
ああ、それもそうか。 俺が子供なら、この女も子供の頃の話だ。 そんな当たり前のことに毒気を抜かれて、頭を膝に押し付けて目を閉じた。
「……俺は何がしたいんだよ」
「お気持ち、お察しします」
「出来るわけないだろうが。 殺すぞ」
そんな悪態を付いたところで、何も分からない。
手に触れている拳銃の感覚が薄く感じられて、ロックを解除させる気にもなれなかった。
「先輩……」
「離れろよ」
「それは、嫌です……」
怒りの熱が収まった頃。 何か俺の中にあるものが抜け落ちたように感じられた。
冷静に考えれば、殺して何の意味があるのか。 親を殺めたのは俺だけだ。 仇も俺だ。
それを割り切れていないのか。 俺が何を考えているのか、何も分からない。
もしかしたら、俺よりも俺を抱きしめている少女、利優の方がよほど俺のことが分かっているのかもしれない。
あるいは、目の前の有栖川の方がーー。 見知らぬ他人の方がーー。 あまりに、俺は自身が分からない。




