過ぎ去った過去は尊い夢の様3-1
能力のことならば、問い詰められても問題がないと言える。
それは純粋な知識量がこの男よりも俺の方が多いこと、それに加えて能力というものは未だ体系化されているとは言いがたく、科学のような追実験が行えるものでないことも少なくない理由である。
尤も、白兼とこの男には嘘がバレているが、嘘がバレたところで嘘であると証明出来なければ意味がない話だ。
ここにいる三人の心証が悪くなるという問題はあるが。
立場として、白兼とこの男は分かりやすい。 白兼はもちろん俺のことを疑っているし、男も同様である。
けれど、この場において、一番の力を持っているであろう少女、有栖川 ユウコは、俺の聞き苦しい言い訳を落ち着いた様子で微笑みながら聞いている。
暦史書、アーカイブの管理を任されているということは、部署としては、俺への風当たりの強い暦史書管理部であることは間違いないのだが、どうにも敵意は感じられなかった。
彼女の真意を知ろうと、男に尋ねられる合間に口を開ける。
「……先程は、急に入り込んで申し訳ありません」
「いえ、あのような状況において、あれほど適切な対応はなかったように思います。 それはきっと、長田さんや白兼さん、他の者もそう思っているはずですよ」
あからさまに味方をしてくれたようで、ある種異常な状況に男三人が押し黙る。
何かしただろうか。 あるいは、彼女が利優や鈴の知り合いだったとか……。 年の項も近いのであり得ない話ではないが、今のところ確認する方法はない。
あとで二人に聞いた方がいいかもしれないな。
「いや、俺だけでは取り逃がしてーーーーッッッ!」
能力による干渉を感じる。 俺のものではない、白兼のものでも、男や少女のものでもなく、部屋の外から。
慣れさえ覚えているその能力の感覚はこの部屋の扉、正確には錠の部分にもあり……頬から汗が垂れ落ちるのを感じる。
思い切り開かれた扉の向こうに、揺れる短く揃えられた黒が見えた。
「先輩! 助けに来ましたよ!」
投げ渡された俺のブレスレットとネックレスを受け取って、どうしたらいいか分からずに、やってきた少女の半ズボンから伸びる脚を見て癒しを得る。
なんというべきか。 あれだ、利優ってすごく優しいな。
◆◆◆◆◆◆
「……つまり、先輩は捕まったわけではなくて、捕まえた方だったと?」
「はい、そういうことです」
元々なかった信頼が完全に消滅したと言っても過言ではない。
利優は俺が組織を裏切って捕まったと思ったところを助けにきたのだ。 それは実質的に、利優は組織を裏切ったということと同義であり、引いては俺も同じである。
どうしようもない空気が部屋の中に流れ、有栖川が口を開く。
「……まぁ、ええ……はい」
流石の有栖川のお嬢様もこの状況をフォロー出来るだけの言葉は持ち合わせていないらしく、特に何かを解決してくれるわけでもなく口を噤んだ。
一人だけ状況が理解出来ていない利優は、部屋の隅にあったパイプ椅子を運び、俺の隣に用意して座る。
そのまま何の遠慮もなく、誰も触れることのなかった机の上にある菓子を手元に寄せる。
「じゃあ、先輩はなんでこんなところにです?」
「……捕まえた奴の証言が事実かを少しでも確認するためだ。 一切状況が分かってないやつばかりだからな」
どうしよう。 というか、どうしようもないような気がする。
現状、利優の能力で忍び込むことが出来ることや、裏切る可能性があることを教えたようなもので、今度は俺だけでなく利優にも厳しい制限が課せられるかもしれない。
もういっそ、二人で逃げた方がマシな可能性すらある。
頬を膨らませてお菓子を食べている利優が羨ましい。 俺も何も考えない馬鹿になりたい。
「すみません。 俺たちは明日にも潜入捜査があるので、荷物の整理や、先程言っていた銃の製作を考えると、これ以上は任務を遂行するに当たってあまり好ましくなくなってしまいます」
なんだこの言い訳は、あまりに理に適っていないだろう。 首筋から背中にかけて嫌な汗が垂れまくっている気がする。
それでも顔に汗をかかずにいれているのは、それもひとえに以前の組織での訓練の成果だろう。
お菓子を食べている利優が可愛い。 利優がすごく可愛い。 もうそれで全てが収まる気がしてきた。 あはは。
「む……いや、塀無……さん、でしたか。 彼女の能力によって鍵を開けたとなると……」
「そうですね。 急場での戦闘でお疲れのところ、長く引き止めてしまい申し訳ありません」
男が利優に問いただそうとしている中、有栖川はそれを遮って脱出する手伝いをしてくれる。 男はそれでも何かを言おうとするが、俺は利優の口に食べかけのお菓子を突っ込んで利優が答えられないようにして対処する。
有栖川の権力と、利優の頭の悪さによる力技である。
「では、失礼しますね」
利優の手を引いて立ち上がり、扉に向かうところで肩をトントンと叩かれて、その手が小さかったので振り返った。
「先程、専用の拳銃を作る材料を探していたと言っていましたよね。 使えるかどうかは分かりませんが、これを受け取ってもらえませんか?」
手に隠すようにして渡され、俺はそれを握り込んで頷く。
「お気遣いありがとうございます」
手に感じたのは、金属ではなく紙。 材料というわけではなく、気づかれずに手紙を渡すための方便だろう。
「失礼しました」
「んぅ、しつ、んん、れいしました」
利優が菓子を飲み込みながら頭を下げる。
とりあえず、この場からは早く退散するのがいいだろう。
まだトンネルは抜けていないが、個人書店に繋がる梯子の下で監視カメラの死角に隠れて先程渡された紙を開く。
彼女が書いたであろう、非常に達筆な文字が紙上に並べられている。
『来週の土曜日午前3時』
「んぅ、なんですか? それ……」
背伸びをしながら手紙を覗き込んだ利優が、半目で俺を睨みながら問う。
「先輩はあっちでも、こっちでも……」
「そういうのではないな。 というか、これはどちらかといえば、利優の呼び出しだ」
よく見たら、この紙、利優が食べていた紙の包み紙である。 あの場において紙がなかったからという理由も考えられるが、それを踏まえても他の方法もあっただろう。
それでわざわざ包み紙に書くのは、何か伝えたいことがあるのだろうと、勝手に予想する。
「本当ですかね……。 ボクは鈴ちゃんの将来が不安ですよ」
利優はため息を吐きながら俺を見る。
「何をしていたか、聞かないのか?」
梯子に手をかけながら尋ねる。
「先輩がすることなら、大丈夫かなって感じです」
また、素面でそういうことを。 利優の目は気にした様子もなく俺を見ていて、赤くなりそうな顔を上に向けて梯子に脚を掛ける。
「……頬に食べかすがついてる」
「えっ、ん……もっと早く教えてくださいよ」
利優は恥ずかしそうにハンカチで頬を拭いたあと、梯子の元に来て手を伸ばす。
「ボク、いつも正面の方から出入りしていて、こっちの道は登れないので運んでください」
「……じゃあ背中に掴まってろ」
「ボクが何分も背中に掴まっていられるとでも?」
何故か自信満々に言う利優の身体を抱き寄せて、右腕で抱き締める。
利優の子供らしい体温の暖かさや、脂肪は薄くとも柔らかな身体、堪らない匂いに頭がいい感じに悪くなっていくのを感じる。
「しっかり掴まっていろよ」
「急いできて疲れたので、全力で脱力させていただきます!」
この梯子、かなり長いのだが……。 まぁ、利優一人ぐらいなら問題はないか。
本当に脱力して、それどころか寝息を立て始めた利優を離さないようにしっかりと抱き締めてから梯子を登る。
……利優が助けにきたと言った時は、やってしまったと思ったが……本当は、嬉しく思った。
思い出せば泣きそうになるほどには。
利優は本当に俺を優先してくれたのだと。




